"王"の名を継ぐ者
「……眠れない」
蒼然たる月光が、寝台から上体を起こしたヴィルヘルムの横顔を淡く照らす。
マスターと別れ自室へと戻り、支度を整えて寝台に就いたまでは良かったのだが。案の定眠気は襲ってこない。先程交わされた会話が脳裏を過ぎる度に、自らの無力を呪い拳に力が入る。
今だってほら。無意識下に掴んでいた白いシーツに、じわりと滲む血。はっと力を緩めたヴィルヘルムは爪が食い込み生まれた傷を癒すも、血が滲んだシーツには洗う手間を思い嘆息をするしかない。
使用人にどう言い訳をしようか思案する余裕もなく、ヴィルヘルムは寝台から両足を降ろす。どうせ眠れやしないのだから、仕事か鍛錬でもするか。と、没頭できる何かに逃げようとした時。
ふと、思い出す。
「……レイ」
『信友』の名を呟く。いつでも頼っていい、信じていいよと誓い合った友の姿が瞼の裏に浮かぶ。
傍らに置いた《スマデバイス》を手繰り寄せ、メッセージを送る。時計の短針は既に日を跨いでいるため、起きている保証はない。加えてレイは、一度眠ってしまうときっかり七時間は爆睡する。だが、もしも起きているならば――。
「っもしもし、レイ?」
『はいこちら古今東西何処へでも宅配ピザよりも疾く縦横無尽に駆け回る副業探偵本業記者のレイでーす!』
「……」
いつもながらに一息で噛まずに言えるのは凄いよと呆れつつ、ヴィルヘルムは端末を耳に翳したまま窓辺へと歩み寄る。
『どうしたのヴィル。何かあった?』
「うん、ちょっとね……。ごめん、寝るところだった?」
『んーん、さっきお風呂上がったところ。お得意さんと飲んでたから遅くなってさー。あ、時間ならあるよ』
電話越しに衣擦れの音が響く。寝衣に着替えているようだ。
「……少し聞いてくれるかな」
着替え終わっただろうタイミングで口を開く。
『うん。聞かせて、君の話』
ヴィルヘルムの声音から真面目な話だと察したレイから、おちゃらけた雰囲気が消える。
「……あのね」
自らの心情を整理するかのように、ヴィルヘルムはゆっくりと話し始めた。
マスターから"王"になれと申し出があった事。
その申し出に自分は相応しくないと思っている事。
静かに聞き耳を立てる彼に、ねぇ、と尋ねる。
「君なら……レイなら、どうする……? "王"になる? それとも誰かに任せる?」
静寂が訪れた。
数秒か、数分だったのかは分からない。
『ヴィル……』
沈黙を破ったレイの声に、ヴィルヘルムは密かに息を呑んだ。
レイが選んだ道ならきっと正しいと思うから、自分もその道を選択するのだと決めていた。
だが返ってきた答えは、予想に反したもので。
『僕ならどっちもして、どっちもしないかな』
ちぐはぐな答えにヴィルヘルムの思考が止まる。
「つまり……どういうこと?」
解説を求めた彼に、『つまりね』と語りだす。
『結局のところさ、ヴィルは"王"になりたくないけど、他の誰かにその重圧を背負わせたくないってことでしょ?』
「そう……だね。マスター様には断られたし……」
容易く胸中を看破した信友の推察力には頭が上がらない。しかも、『そうでしょうとも』とレイに返されてしまう。
「レイにはマスター様が辞退した理由が分かるの?」
『うん。……え、もしかしてヴィル分かんないの⁇ 僕でさえ分かるのに』
鋭利な何かが胸に突き刺さった。
軽く項垂れるヴィルヘルムに、レイは伝える。
『それはマスター様が創造神だからだよ』
「……神様だから人間達をまとめ上げるのを嫌がったってこと?」
『うーん、それもあるかもしれないけど、主な理由じゃないと思う。
……ヴィル、思い浮かべてみて。君が知る王様を。君のお父さん……いや、君が好きなお話のアーサー王にしよう。彼の仕事は綺麗な事ばかりじゃなかったはず。時には、“何かを切り捨てる”決断も下したんじゃない?』
ここまで言われ、ヴィルヘルムは気づくことが出来た。どうしてマスターは"王"の座に座らないのか。
それは『創造神』ゆえに、生み出すことしか出来ないからだ。生み出した何かを切り捨てる――『破壊』することは本能が拒絶する。
私では駄目だ、と言い放ったマスターの顔が思い浮かぶ。
「……レイ、気付かせてくれてありがとう。続きを聞いていい?」
『うん。……さっきの言葉なんだけど、別に"王"にならなくても問題を解決する方法はあるよ。外聞的には王様のほうが良いかもだけど』
「王様にならなくても……?」
『そう! 王様じゃなくて、"王子"でもいいんじゃない?』
遠い昔に死んだ"王子"だった自分。
何一つとして護れなかった、今よりも無力だった自分。
ヴィルヘルムにとって"王子"とは――弱さだ。
『昔と同じ王子様じゃなくて、今のヴィルが思う理想的な王子様を僕は見てみたい。マネージャーや賢主の肩書きも良いけど……やっぱりヴィルには、"王子"が似合う』
「……レイ……僕は……」
ヴィルヘルムは口篭ってしまう。せっかく付き合ってくれているのに、「そうだね」と頷けない自分が嫌になる。
『分かってる。……分かってるよ、ヴィル。……この話って期限とかは?』
「特に言われてないよ。だから……また、考えてみるね」
『そうしたほうがいい。……困ったら、僕の名前を呼んで。出来る限り力になるから』
出来る限り、と謙遜する辺りレイらしいなぁと笑みをこぼす。
ありがとう、おやすみなさい。と交わして通話を切る。欲を言えばもう少し話したかったが、レイを巻き込むわけにもいかない。
ぼんやりと光が滲む月を見上げる。
「……アダム」
かつて傍らに佇んでいた騎士の名を紡ぐ。
「僕は……どうしたらいいのかな……。どうしたら……強くなれる……?」