終焉の使者


 何が起こったというのだろうか。
 気がつくと、俺は地面に横たわっていた。
 ゴツゴツとしたアスファルトの感触。鼻につく鉄の香り。指先一つ動かせない体。
 赤く染まった視界が、暗く閉ざされていく。
 何かが、俺の頬を優しく撫でた。
 そこからすべてがすいとられるかんかくをおぼえた。
 ああ、しぬんだ。
 おれは、しぬんだな。
 じぶんの“し”をさとったおれは、わらっていた。
 まだ、しにたくない。
 まだ、いきたい。
 こんどはおれがかぞくをひとりにしてしまう。
 どうしておれが。
 どうしておれが?
 ゆるさない。
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ。
 ……さいごにもういちど、おまえにあいたか


 最悪な夢だ。
 俺じゃない誰かが死ぬ夢から醒める。
 クソみたいな現実に戻ってきてしまった。
 どうせ見るなら、もっとマシな夢がいいのに。

「おい、行くぞ」

 それでも。俺は今日も生きていく。
 夢の中のあいつのようにならないために。
 掌の結晶を、強く握りしめた。


 ◆


 この世界は美しい。
 あらゆる奇跡が織りなす景色に、心が魅了されるように。
 この世界は残酷だ。
 光と闇、正義と悪。人間と怪物が奪い合い、決して交わらないように。
 この世界は儚い。
 触れただけで溶けてしまう雪の如く。ふっと息を吹きかけるだけで消える灯火のように。
 それでも、彼らは愛している。
 家族と、仲間と、大切な人が息づくこの世界を。

 隣の席で眠りこける仲間達に──運命を乗り越えた少年、アランは微笑んだ。


 とある世界に存在する『エレメンタル大陸』。
 某ゲームと酷似しているその地は、アラン達【戦神の勇者隊】の故郷。不思議な力『エレメント』に満ちる大地は、時に祝福を、時に災厄を生み出しながら、彼らの冒険を見守ってきた。
 しかしながら今日、彼らは故郷から遠く離れた雲の上にいる。
 うつらうつらと瞼が重くなってきたアランは、今に至る経緯を微睡の中で振り返ることにした。
 ──事の発端は数日前に遡る。
『エレメンタル大陸』には、六つの地方の冒険者達による部隊が複数結成されている。アラン達【戦神の勇者隊】もその一つだが、他部隊を遥かに凌ぐ戦闘力と戦闘経験から、部隊の中でも異彩を放つ。
 そんな彼らの力を見込んで、部隊の統括役を担う本部から特殊依頼が発令された。
『テリオン島で近々開催されるサミット会場に前入りし、モルスを迎えよ』。
 各大陸の首脳陣が一堂に会するサミットの開催が決定した。サミットとは名ばかりの報告会ではあるが、実に数年ぶりとなる開催に本部の最高責任者『モルス』の参加が決定したらしく、身辺警護役として【戦神の勇者隊】に白羽の矢が立った。
 依頼を受理した彼らは、今回の舞台である『テリオン島』に向かうべく飛行機に乗り込んだのだ。

「や〜っと着いたかー……」
「行儀が悪いぞ」

 人目も憚らず大欠伸をもらすブレイドに、すかさずベルタから鋭い視線が飛ぶ。
『テリオン島』の玄関口、テリオンヘリポートに着陸した一同は、預けていた荷物を手にロビーへ向かった。
 ロビーには多くの人々が集い、自分達と同じくサミット関係者を始めとして、彼らを歓迎する横断幕を携えた島民達の姿もちらほらと見受けられる。
 羨望や期待を宿す瞳がようやく外れた頃、レベッカは改めて周囲を見渡す。

「とりあえず、オーナーさんに挨拶するのよね?」
「ああ。その後はガイド役の人と合流して……」
「──みんな、こっちだよっ」

 やけに馴染みのある声が喧騒の間を縫い、一同の耳に届く。一斉にそちらを見遣ると──普段よりやや控えめに──彼らの友人であるレイが元気よく手を振っていた。隣には初対面の人物が笑顔で佇んでいる。
 厳密には容姿と来歴は把握済みの──男の前に一同は並んだ。

「ようこそ、『テリオン島』へ。私は『ガレン・リーデル』。この島のオーナーであり、今サミットの責任者を務めさせていただきます」

 端正な顔立ちをした細身の男──テリオン島オーナー、ガレンは品の良い物腰で彼らに会釈する。

「『エレメンタル大陸』代表『モルス』の使者として参りました。この度は宜しくお願いいたします」

 アラン達もまた倣い、会釈を返す。

「お噂はかねがね。ぜひお話を伺いしたいところではありますが……長旅でお疲れでしょう。本日はこちらでご用意させていただいたホテルにて、御緩とお休み下さい」
「はい。お気遣い感謝いたします」

 一日目は到着時間が各大陸によって異なることから会場には案内されず、到着次第島のホテルでひと休みするスケジュールとなっている(つまりガレンとの会話は台本通り)。
 その直後、ガレンも予期せぬ問題が発生した。

「……大変申し訳ございません。皆様をお送りする予定のバスが道中で故障してしまいまして……」

 会場スタッフの一人に耳打ちされたガレンは、眉を八の字にして謝罪した。
 どうやらアラン達に用意した送迎バスが、ホテル近くで動かなくなってしまったらしい。バスは安全管理から事前検査を通過したものを使用しており、代わりのバスを用意するには時間がかかる。
 それなら、と助け舟を出したのはレイだった。

「僕が乗る予定のバスに同乗してもらうのはどうでしょうか」

 レイは今でこそ『エレメンタル大陸』に在住しているが、それまでは地図上隣に位置する『オラトリオ大陸』に長年暮らしていた。
 今回はその『オラトリオ大陸』代表の一人として選ばれたレイは、アラン達とは別のバスが用意されている。
 レイの提案に、ガレンは微かに片笑む。

「君達はお友達だったね。……皆様さえ宜しければ、彼と同じバスにご乗車いただいても?」

 特段断る理由もないため、彼らは快く承諾。
 謝辞を述べたガレンは、手短に今後の予定を説明。

「皆様のガイドはホテルで待機しております。到着しましたら、顔合わせをお願いいたします」

 本来ならこの場で合流するはずだった──ガイド役の話に頷き、一同はレイと共にバス乗り場へ移動した。


「長旅お疲れ様〜、『エレメンタル大陸』から来るのは大変だったでしょ!」

 彼らを乗せた特別仕様のバスはホテルを目指し、ヘリポートを出発。自分達以外誰も乗車していないバスに揺られながら、レイは普段の調子でアラン達に笑いかけた。

「うん。大変だった」
「半日以上分は、何かしらに乗ってたよな」

 表情変えずにヴァニラが答え、うんざりといった様子でブレイドが嘆息する。
 あははと苦笑するレイに、ベルタが質問した。

「オーナーのガレンさんとは知り合いなのか?」
「ううん、今日初めてお会いしたよ」
「そうには見えなかったが……」

 一瞬だけであったが、ガレンはレイに対し敬語を外しているように見えたのだ。
 レイは記者という職業柄知り合いが多いものの、『テリオン島』は未開拓の様子。

「僕のガイド役はガレンさんなんだ」
「オーナー直々にガイドを?」
「うん。何でも古い知人が『オラトリオ大陸』で暮らしててよく話を聞くから、仕事とか抜きに語りたいって。僕以外の関係者が来るのはまだ先だからだろうけど」

 共通の話題で打ち解けた二人は、互いに砕けた態度(レイは流石に敬語を外すことはしなかったが)で接することにした。
 話し終えたレイは突然、「あっ!」と声を上げる。

「そうだ忘れてた! 誰かフェ……ラフェルト見てない⁉︎」
「『ラフェルト』?」

 ──ラグナロク事件。
 【戦神の勇者隊】が挑んだ戦いの中で、最も熾烈を極めた死闘といっても過言ではない。首謀者が緻密に練り上げた計画の名を冠するその事件は、世界の存亡を脅かすものとなった。特にアランは、己が持って生まれた『白き鍵』の力に振り回された苦々しい思い出である。
 ラフェルトはかの事件の首謀者であり、ラストボス。アランとは対の『黒き鍵』をその身に宿し、世界を一度消滅させた大罪人。もう一度世界を消滅させる目論見を彼らに砕かれて以降、レイが所長の探偵事務所に身を寄せるも。友復活のために色々と画策している様子ではあったが。

「連れて来たのか……?」

 物言いたげなアランの視線に、レイは思わず座席を立つ。

「違うから‼︎ 勝手について来た──のぉお⁉︎」

 バス全体が大きく揺れ、体勢を崩すレイの手首をアランは咄嗟に掴んで引き寄せる。

「ありがとう……でも違うからねっ!」
「……でも?」
「来るまでに時間はあったはずよね? 聞かなかったの?」

 首をかしげるアランに続き、レベッカが尋ねる。
 アラン達ほどではないが、レイもそれなりに時間をかけて『テリオン島』へと来た。道中会話する時間は少なからずあったはずだ。

「それが、出発から到着までの記憶が無くて……」
「! それって……」
「うん。絶対ラフェルトフェル君のせい」

 超越的な力を持ち、攻守ともに優秀なラフェルトが本来得意とするのは精神魔法。他人の精神を支配し、記憶を改竄することに長けている。
 必然的に共に過ごす機会が多いレイはよき被害者であり、今回もまんまと利用されていた。

「だから見かけたらすぐに連絡してね! す、ぐ、に‼︎」

 語気を強めるレイをどうどうと宥め、分かったと返事をする。
 いずれにせよ、ラフェルトを放っておくことは出来ない。サミットをつつがなく成功させるためにも、見つけ次第確保しておくのが良いだろう。
 そうしているうちに。一同を乗せたバスは、『テリオン島』都心部に建つ高級ホテルへ到着。

「じゃあまた後でね〜!」

 ひと足先にチェックインするというレイと別れ、アラン達は自分達に就くガイド役との合流を目指す。ガレンの話によれば人で賑わうフロントではなく、ホテルの入口付近で待機しているらしいが──。


「あんた達、『エレメンタル大陸』の関係者?」


 いきなり若い男の声が響いた。入口からこちらに歩み寄る人物に、誰もが不思議に思う。
 白パーカーの上からブレザーを着用する男は、まだ少年といったところで、アラン達と年齢はそう変わらないように見える。
 頭を覆うフードを外す素振りはなく、金色の瞳を鋭く細める。その姿は、良くも悪くも態度が大きいブレイドと似たり寄ったり。到底サミット関係者とは思えないが少年に無視を決め込むわけにはいかず、そうだと頷き返す。

「ならいい。俺は『クロヴィス』。あんた達のガイドを任された」

 露骨に嫌そうな顔をしたブレイドに、『似たようなものだろ』と心の中で(ヴァニラ以外に)総ツッコミされる。
 クロヴィスと名乗った少年は、ブレイドの反応に冷めた態度を取る。

「文句ならオーナーのおっさんに言ってくれよな。人手不足で俺まで駆り出されたんだ。文句を言いたいのはこっちさ」
「は、はぁ……」

 幸先不安、という言葉が脳裏を過ぎる。
 ところが次の瞬間、クロヴィスは目を見張った。
 視線の先に立つアランが尋ねるより早く、クロヴィスは問いかける。

「どこかで俺達……会ったことがあるか?」

 クロヴィスの言葉にアランは、まるで世界の時間が停止したような──奇妙な感覚に包まれる。
 会ったことのない人物なのは間違いない。それなのに、ハッキリと否定が出来なかった。
 似たような感情を、自分もまた抱いていたから。
 覚えず聞いてしまったのか、クロヴィスは首を振って“彼ら”と目を合わせる。

「くだらない問いかけは忘れてくれ。打ち合わせは中でな」


 ◆


 『テリオン島』二日目。
 前日の疲れを若干残しつつ朝食を頂いた一同は、ホテルのロビーにてガイド役のクロヴィスと合流する。

「……来たか。なら行くぞ」

 取り付く島もないクロヴィスは、彼らに構わずスタスタと歩き出す。

「ねぇ、聞いてもいい?」

 恐れ知らずのヴァニラが座席から身を乗り出してクロヴィスに問うたのは、先日故障したバスの代わりに用意された特別車に乗り込み出発してからのこと。
 突然話しかけられ肩を揺らしたクロヴィスは平然を繕う。

「……何だよ」
「ヘリ」
「はぁ?」
「ええっと……多分、この島にはどうしてヘリポートしかないのかを聞きたいんだと思うわ」

 レベッカのフォローにヴァニラはその通りだと頷く。
 それに対し、クロヴィスは困惑の色を滲ませる。

「……知らずに来たのか?」
「勘違いするな。話を聞かなかったのはそこの二人だけだ」

 ついブレイドと同じように接してしまったことに──ベルタはあからさまに視線を逸らす。
 他人に対して無頓着なのだろう。クロヴィスはベルタの態度に眉一つ動かさず、問いに答えた。

「船をつけることが難しいからだ」
「港がないから?」
「いや、作ろうと思えば作れる。昔は港もあったが、島の周囲に流れる海流のせいで船が転覆しまくってな。まともに来れなくなったんだ」

 島付近にいくつも流れ込む海流は流れが速く、熟練の船乗りでさえ読み違え、海流に船ごと呑まれる事件が多発したらしい。

「そのせいで外の人間は寄り付かなくなって、島の発展も一世紀ぐらい遅れたって話らしい」
「遅れたにしては……そう見えないよな」

 視界を左から右へと流れゆく島の景色を前に、ブレイドがそう溢す。
 『エレメンタル大陸』も発展しているが、全ての道が突がなく整備されていることも、高層ビルが建ち並ぶこともない。寧ろこの島より劣っていると言えよう。

「港をヘリポートに改装してから一気に開発が進んだ。とは言っても、地方なんかは手付かずだから電気すら通ってないしな。島全部が発展してるわけじゃない」

 そこまでは知り得なかった三人も感心する。
 だが、それとは別の気持ちを一同は抱いていた。

「ねぇ」
「……まだあんのかよ」
「ううん、違う。あなたって、この島のことが大好きなのね」

 代弁したヴァニラを筆頭に生暖かい目線がクロヴィスに注がれる。

「そっ……そんなことねーよ」

 逃れるようにそっぽを向くクロヴィスは否定したが、それも照れ隠しなのだろう。
 でなければ、無愛想な彼が突然饒舌になるわけがない。

「ほら着いたぞ。とっとと降りろ」

 逃げ場のない車からさっさと逃げたクロヴィスの口調は同じだが、どこか柔らかく感じるのは気のせいではないだろう。


「ここがサミット会場だ」

 車から降りた一同は揃って会場となる建物を仰ぐ。
 彼らが知るアリーナよりも壮大かつ、見事な直線美を描く観覧場ドームは暫し圧倒されるほど艶麗だ。

「普段はスポーツ大会とかコンサートをやっている。もう中の改装は終わってるから、当日とそう変わらないはずだ」

 関係者用の出入口でクロヴィスはカードを警備員に提示する。クロヴィスとカードを交互に見比べた警備員がトランシーバーに語りかけると、ガラス張りの両扉が開いた。

「中は広いからはぐれるなよ。探すのが面倒だからな」

 ちらほらと見られる他大陸の関係者の姿を横目に廊下を進み、彼らは開けた場所へ案内される。
 サミットが行われる舞台に贅沢にも敷かれた赤毛氈。テーブル等はシンプルな配置となっており、当日集うマスコミのカメラに映りやすい工夫だ。警護する側が高い障害物がないほど駆けつけやすいのもあるだろう。
 当日の動きや自分達の待機位置からの距離といった様々な項目を数時間かけて綿密に確認。クロヴィスも彼らの質問に一つ一つ丁寧に応対し、『人手不足で駆り出された』と文句を垂れていた割には、きちんと職務を果たしていた。
 会場の外に出たのは太陽が下り始めた頃。会場に到着した時はまだ高くなり始めだったのにと、時間の経過を思い知る。

「なんだか騒がしいわね」

 問題発生後のバタつきとはまた違う──人々の賑やかな声が風に乗って耳に届き、声の他に運ばれたスパイシーな香りが鼻腔をくすぐった。

「この匂いは……?」
「近くでフェスをやってるんだ。サミット開催に合わせてな」
「ちょうどいいな。そこで昼メシと行こうぜ」

 凝った肩をほぐすように回すブレイドに、ヴァニラも「おなかすいた」と腹部に手を当てる。

「……あんたらはただ付いて回っただけだっただろう」
「い、いつものことなんだ。あまり気にしないでくれ」

 苦笑するアランと視線を交わしたクロヴィスは、「気にしてない」と顔ごと視線を外す。

「会場まではそう遠くない。歩きで行くぞ」

 駐車場に向いていた足を、観覧場ドーム隣に設置された公園に向ける。
 数分もしないうちに一同はフェス会場へ足を踏み入れた。
 厳正な雰囲気のサミット会場とは反対に熱気に包まれた会場は、老若男女問わず沢山の声が忙しなく飛び交い、多くの足音が砂利を踏む。

「結構広いんだな」

 ベルタがスタッフから受け取ったチラシに目線を落とす。

「流石に全部は回れないな」
「腹ごしらえだけ済ませて、残りは時間がある時にでも回ればいい」

 クロヴィスは彼らの正面を指で示す。

「あの辺りがご飯系ブースだな」

 やはりお昼とあってか、どの出店も長蛇の列ができている。全員で一つの出店に並ぶより、分かれたほうがいいと判断。
 そこでクロヴィスは一同から距離を置く。

「俺は向こうで席取りして待ってる。並ぶのはゴメンだ」
「それはそうね。じゃあ食べたいものを言ってちょうだい」
「別に要らない。あんた達の分だけでいい」

 軽く手を振り、クロヴィスは休憩スペースへ向かう。
 その姿を見つめていたアランの背を、ベルタがそっと押す。

「お前も一緒に待っていろ。一人で待たせるのは申し訳ないからな」

 戸惑いながらも頷きを返し、アランはクロヴィスを追った。


「……」
「……」

 二人の間に長い沈黙が落ちる。
 運が良いことに彼らは、六人がけのテーブルを確保することができた。アランがついて来たことにクロヴィスは何も言わず、今はただ瞑目して帰ってくるのを待っている。
 対してアランは気まずい沈黙を破るため、必死に盛り上がれそうな話題を考えていた。

「クロヴィスは昨日……ホテルに泊まったのか?」
「いや、家に帰った」
「近くなんだな」
「まあな」

 無理矢理振った話題もすぐに尽きてしまう。
 再び沈黙が訪れるかと思いきや、クロヴィスに問いかけられた。

「……あんたら、本当に凄い戦士なのか? どう見てもただの観光客だろ」

 疑いの眼差しにアランは苦々しく笑うことしか出来なかった。全くもってその通りである。

「否定はしないな……」
「凄い戦士じゃないってことか?」
「凄いの基準にもよるが、オレは……『オレ達』なら勝てない相手はいないと思ってる」

 確かな自信で答えたアランは直後「『エレメンタル大陸』の話だがな」と慌てて付け足す。
 それが単なる自信ではなく、数多の試練を乗り越えて得た経験から来るものだとクロヴィスは感じた。

「……?」

 注がれる眼差しにぞくりと背筋が凍る。

「な、なにかおかしなことでも言ったか……?」

 笑みを取り繕うアランに、クロヴィスは再び瞑目する。

「……いや。この島にそんなヤツらはいないから、ちょっと聞いてみたくてな」

 『テリオン島』には“戦士”と呼ばれる存在がいない。
 裏を返せば、戦士を育成するほどの脅威がないということ。
 事前情報によれば、島にモンスターの類いは滅多に出現しないと言われていた。

「モンスターが少ないというのは本当なのか?」
「少なくともここ『エレミルエリア』ではほとんど見ない。地方でも目撃情報は少ないな」

 どの大陸でも性質は違えど、モンスター問題は切っても切れない難題だ。
 何かモンスターが少ない理由が、秘密があるのだろうか?
 その時、ドンッと置かれた『大量』の料理がテーブルを埋め尽くし、双方開いた口が塞がらなくなる。

「思った以上に買ってきたな」
「どれも美味しそうでしょう?」

 椅子を引き、各々自由に料理を口に運ぶ。
 海に囲まれた島特有の魚料理が多い。どれも身が引き締まっており、値段以上の出来栄え。

「な、なんだこの見るからに辛そうなのは……」
「俺が買った。アラン、半分こしようぜ」
「しない。責任持って一人で食べろ」

 断られたブレイドがあまりの辛さに火を吹くのを流し目に見たクロヴィスは席を立つ。

「? 食べないの?」
「ああ。用事があるから、今日はここで別れよう。ホテルまでは行きと同じ車に乗って帰んな」

 さっさと歩いてしまったクロヴィスの背を見つめる。

「食べるかと思ったのに……」
「飽きたんじゃないか?」

 口々に話す仲間達の会話を片耳に。アランは料理を口にした。


 ◆


 その晩、彼らの姿はホテルから目と鼻の先にある繁華街にあった。
 別行動中だったレイも誘い、一同は夕食を摂りに来たのである。

「どこのお店も賑わってるねー」

 石畳の大通り沿いには多くの酒場や飲食店が並ぶ。客層も幅広く、ソロであったり友人同士、家族連れともすれ違う。
 ガラス張りの店内を覗けば席は埋まっており、店員が入店を断っている場面もちらほら見受けられた。夕飯時によく見られる光景である。

「さすがに六人は厳しいか?」

 大人数に分類される彼らの席は、予約席が大半だろう。飛び込みですんなり通されるとは思えない。
 どうするかと首をひねるアランに、ブレイドが妥協案を提示。

「分かれるか。三人ずつで」
「なら向こうに気になるお店があったの。ベルタ、ヴァニラ行きましょ!」
「うん」
「ちょっ……た、食べ終わったら連絡する!」

 ベルタは男子組に早口でそう告げ、レベッカとヴァニラの後を追いかける。
 強制的に分けられた彼らはそれぞれ微苦笑を浮かべたり、やれやれと肩をすくめた。

「……で、僕らはどうしよっか」
「俺は手っ取り早く飯が食えればいい」
「そうなるとバーかファミレスしかないぞ……」
「ここまで来てファミレスはないよ〜。ちょっと並んで、地元ならではのお店入ろ!」
「え〜……」

 不満げなブレイドを差し置き、レイは店の一つに駆け寄る。ちょうど客を見送りに店の外に出た店員を見つけたからだ。
 客が離れた隙に話しかけたレイは一言二言交わし、アランとブレイドを手招く。

「三人入れるって! ここにしよ!」


 勢いだけで決めたお店は、海鮮丼が売りの大衆食堂であった。
 コンクリート打ちの内装は、漁師が仕事終わりに獲れたての魚をまかないとして頂くような独特な雰囲気がある。店内は満席で、彼らは今し方空いた壁際のテーブル席に通された。
 問題は値段だが──漁業が盛んとあってか、それほど高くはない。一同は密かに安堵した。

「そういえば、二人は『テリオン島』にモンスターがほとんど出ないって話知ってる?」

 注文を終えたレイは二人にそう話を切り出す。

「そうらしいな。ここエレミルエリアは滅多に目撃されないって」
「ふ〜ん、武装したやつを見ないのはそういうことか」

 サミット会場や周囲を巡回している警備員は皆、一般人よりかは重装備だが、ブレイド達からしたら装備が心許ないと感じた。
 彼らが見張っているのはモンスターではなく、不審者というなら話は別だ。

「その理由はいろいろ議論されているみたいなんだけど……島の人達の間では『守り神』のおかげだって言い伝えられているみたい」
「「『守り神』?」」

 二人揃って単語を聞き返す。そのような話はこれまでに聞いたことがない。

「僕も道端で会ったおじいさんから聞いた話だし、時代が流れるにつれて薄れてきちゃってるのかもね」
「具体的にはどういう話なんだ?」
「この島そのものが神様の体で出来ていて、神聖な力で悪き者を浄化してる。……って、お話」

 おとぎ話によくある突発的で難解な言い伝えだ。誰も真に受けることはなかった。

「それが本当なら俺達、だいぶ無礼なことしてんだな」
「本当ならね。ただ、島民の中では信じてる人もいて、都市開発に反対する人も多かったんだって」
「どういうことだ?」
「土地を作るには木を伐採したり、機材で平らにする必要があるでしょ? でも神様の体だから、傷つけるのはバチがあたるって考えがあったらしいよ。根気強くガレンさんが説得して、今の都市が出来たっておじいさん話してた」

 嬉々として語るレイに釣られ、彼らも話が弾む。
 周囲の客の間からも笑い声が絶えない中、お楽しみの海鮮丼が到着。まぐろやサーモンといった海鮮が、これでもかと盛り付けられている。一つ一つのお刺身は脂がのっており、丼の底に待ち構えるご飯を前に満足してしまいそうだ。このボリュームで紙幣一枚とはなかなかである。

「クロヴィス君とは上手くいってるの?」

 底のご飯にありついた頃、レイの投げかけにブレイドの手が止まる。

「クロヴィス……君?」
「あれ、違った?」
「いやあってる。『君』にビックリしただけだ」
「だって彼、一七でしょ。僕より歳下だって聞いたよ?」
「そうなのか?」

 首をかしげるアランに、レイは「聞いてなかったの?」と尋ねる。

「島のことやサミット以外の話はしてないんだ」
「そうだったんだ。じゃあ、ガレンさんの『養子』ってことも知らないよね」

 軽く目を見張る二人を、レイは不思議そうに見つめる。

「そうは見えなかったが……」
「……だな」

 初日。アラン達にオーナーガレンの悪態を吐いていたことは記憶に新しい。
 義理の父親に対する態度とは到底思えなかった。

「ちょっとした反抗期かもね」

 レイの見解に二人はそうかもなと苦笑する。
 ようやく海鮮丼を食べ終えたアランのエレフォンが着信を知らせた。見れば、師のエステラから。大方、ヘマをしていないか確認する電話だろう。

「悪い、ちょっと出てくる」
「行ってらっしゃーい」

 食べ途中の二人を置いて、アランは店の外へ。
 その姿が見えなくなるや否や、レイはすっと目の色を変えた。

「あのさ、ブレイド君。まだ憶測の域を出ないから、僕達の間で留めてほしいんだけど……」
「何だよ?」

 周囲の客の耳に入らないような声量で、レイはブレイドに告げる。

「実はコメィトさんから忠告されてるんだ」

 レイが『オラトリオ大陸』でお世話になった上司からの忠告に、ブレイドは目を鋭くする。

「忠告?」
「ガレンさんのことでね。あまり詳しくは話せないんだけど……出生や名前を偽ってる可能性があるんだ」

 そこにどのような諸事情があるのかブレイドは知り得ない。だが、素性を偽ってるとなれば警戒するのも当然だろう。

「……お前のガイドってそいつだろ。平気なのか?」
「いざとなったらちゃんと逃げるよ。出来る限り探っておきたいんだ」

 出会ったばかりの時より逞しくなったレイに──ブレイドの杞憂は薄れた。

「だからブレイド君には、クロヴィス君を見ていてほしいんだ。ガレンさんとの仲は良くなさそうだけど、そう見せているだけかもしれないし」
「……分かった。進展があったら連絡してくれ」
「うん」

 俯くレイは呟いた。

「僕達には知り得ない何かが……この島にはあるんだろうね。フェル君がわざわざ来るような、『何か』が」

 それはこれから起きるであろう事態が、最悪なものになるのを予言しているようにも聞こえた。


 ◆


 折り返しの三日目を迎えた今日は、昼過ぎにクロヴィスと合流。会場近くで車から下車し、サミット当日のスケジュールと照らし合わせながら周辺を歩く。
 サミット期間中、各大陸の要人は基本的に防犯対策が施された特別車で移動するが、近場であれば歩きとなる。その道の安全性を確かめるのが、本日の仕事内容だ。
 フェス開催地の公園に設置されたステージを始めとし、関係者が立ち入らないような場所まで念入りに調べる。不審物がないかは勿論のこと、奇襲されやすい場所の特定も行う。

「……今ので全部回れたみたいだな」

 スケジュール表と地図を見比べるクロヴィスに、レベッカが「お疲れ様」と声を掛ける。

「結構な距離を歩いて来たんだな」

 遠方に見えるサミット会場を目に、ベルタが軽く息をもらした。
 流れで見上げた空は茜色に染まりつつあり、日の入りを、夜の訪れを告げる。

「車に連絡を入れた。数分もしないでこっちに来るだろう」

 と、運転手との通話を終えたクロヴィスは彼らを連れ、車道に向かう。

「明日は一日、自由にしてもらって構わない。サミット始まったら忙しくなるだろうし、観光でもしといてくれ」

 滞在四日目は丸一日スケジュールが組まれていない。これはアラン達のような関係者に対するガレンらサミット運営側からの配慮であり、島を観光してお金を落としてほしいという意図でもある。事実、サミット開催中は朝から晩まで行動が縛られ、閉幕後は速やかに帰還する彼らにとって、明日が唯一の休日なのだ。
 元よりそのつもりであったとアランが頷く。

「ああ、そうするよ。クロヴィスも……一緒にどうだ? もちろん無理にとは言わないが」

 誘いにクロヴィスは暫しの間思案する。

「……夕方までで良いなら付き合ってやってもいい」

 フードを目元まで下げつつ了承したクロヴィスに、目尻を下げる。

「ありがとう。嬉しいよ」

 ガイドとして同行してくれるのも有難いが、それ以上に仕事抜きに話せるのが嬉しかった。アランだけでなく他の四人も──ブレイドだけはやや複雑な心境で──明日の待ち合わせについて話していた時、突然クロヴィスが弾かれたように顔を上げた。
 どうしたのかと声を掛ける者はいない。
 その場にいた全員が、異様な、不穏な気配を、肌で感じ取る。周囲に視線を這わせていた彼らの内──クロヴィスの背を、夕闇に紛れて現れし『何か』が襲いかかった。
 刹那。ブレイドの太刀が一筋の銀閃を描く。
 真っ二つに斬断された『何か』が、クロヴィスの真横を通り過ぎ、地に転がる。シュワシュワと煙を放つそれはやがて霧と化して消えた。
 それでも、一同の合間に安堵の表情はない。
 数体ものそれに、周囲を囲まれていたからだ。

「モンスター……」

 クロヴィスの呟きに答えるかのように、モンスターは一斉に襲いかかった。


「迎え撃つ! ブレイドとベルタ、ヴァニラとレベッカでペアを! スキルは最小限に!」

 物理攻撃が通ると判断したアランの指示が矢継ぎ早に飛ぶ。
 即座に対応した彼らは迎撃態勢を整え、モンスターを迎え撃つ。モンスター、と言っても『エレメンタル大陸』で見かけるようなものではなく、名状しがたい容姿。体は真っ黒に染まり、形に統一性がない。まるで影から生まれたような──兎にも角にも不気味である。
 唯一の幸運は、周囲に彼ら以外の人物がいなかったこと。気を使うべき対象がいないのは心が楽であり、またサミット開催に悪影響を及ぼす懸念もない──だが人々が集まってしまうと元も子もないので、スキルではなく白兵戦を選択したのだ。
 ベルタは斧を振り落とし粉砕。続いて横に構え、回転をかけた重い一撃を喰らわせるのを尻目に。ブレイドが一太刀振えば、斬られたことを自覚させる間もなく消滅。
 ヴァニラはモンスターの群れの中に飛び込み、上手く注意を引きつけてレベッカのもとに。陽動に動かされたモンスターが自ら残虐な刃に飛び込んでくる。
 誰とも組まなかったアランは、中心でクロヴィスの護衛に回る。四人が討ちもらしたモンスターを屠り、飛び交う残骸からクロヴィスを守る。片手間に自分達以外に人が来ないか注意を払う。
 そうして五分もしないうちに──周辺の景色は平和そのものの光景へと戻り──戦闘は終了した。

「気持ち悪いやつらだったな」
「そうね……大陸が違えばモンスターも変わるのでしょうけど……」
「クロヴィス、怪我は?」

 硬直していたクロヴィスはその場で大きく肩を跳ね上がらせる。
 アランは怖がらせてしまったかと不安を抱いたが。

「俺はいい。それよりあんた達は大丈夫か?」

 鬼気迫る勢いのクロヴィスに戸惑いながらも頷く。

「そうか……ならいいんだ」

 瞑目し、肩の力を抜く。
 やや離れていたブレイドはその姿に違和感を──心の底から安堵しているように見え、眉を曲げる。

「助かった。ありがとう」
「いつものことだから」

 さらりと答えたヴァニラに、そうかとクロヴィスは視線を地に落とす。

「それがあんた達の“日常”なんだな……」

 閑散とした広場を風が吹き抜ける。
 まるで、嵐の前の静けさを代弁するように。
 サミット開催まで残り四日。
 彼らに、一つの転機が訪れた。

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