輝く星に願いを
【お兄さんは心配です(ザ・ファイナル?)】
「そろそろ妹離れをしたらどうだ」
それは唐突に、あまりに的を射た発言であった。
『守護竜騎隊』拠点内にある、大きな談話室での出来事。
リーダーと副リーダーの二人。エステラとバラバスは、部隊員から提出された報告書等を手分けして纏めていた。
「……何の事だ」
我関せずと言った具合に、目線を落としながら作業の手は止まらない。
エステラも報告書の文字を目で追いつつ、肘を机に立て、手の甲で頬を支える。
「なんだ、自覚がないのか? なら一から全て説明してやろう」
「要らん」
「それなら自覚があるのか? なら一から説明しよう」
「止めろ。説明しようとするな」
報告書を束ね、保管用の箱に詰める。
エステラは眺めていた紙を、これも頼むと言いたげに差し出した。
「それで妹離れはするのか? しないのか?」
「そもそも私は妹離れをする程気にかけてはいない」
「ウソつけ。妹の近くに男の影があるとす〜ぐ尾行しているくせに」
「人聞きが悪い事を言うな」
「事実だろう」
その言葉に口を結んでしまう。
「……最近は何もしていない」
良いタイミングに報告書整理も終わり、逃げるように談話室を後にする。
「……少し言いすぎたか?」
それを境に、バラバスの様子は変わった。
良い方向にでは無く、とてもとても悪い方向に。
「おーい、バラバス?」
明くる日。討伐依頼をこなすため、“はじまりの地”の辺境へ赴いたテラ、ミリアム、バラバスの三人。
何度呼びかけても反応を示さないバラバスを軽く突くと、ようやくテラの方に顔を向けた。
「どうした」
「場所は向こうだぞ」
あっちと指した方向を背に、バラバスは歩こうとしていた。
無言で正しい方を進み始めた彼に、テラは肩を竦める。
「……重症だな」
「ええ、本当に。でも戦い方は前と変わらないのよ。ここ何日か見ているけど」
「相手からしたら最悪だよな」
声を潜めて話している訳では無いのだが、当の本人の耳には届いていない。
やがて目的地周辺に到着すれば、絶不調のバラバスも普段通りの実力を発揮する。
「これで全部かしら」
「十、二十、三十……ああ、報告と同じ数だな」
「それじゃあ本部に戻るわよ」
長居は無用と来た道を戻る二人。その後を少ししてバラバスが追うように続く。
が、近くの茂みから飛び出す敵影。報告に無かった31体目の奇襲に、反応が遅れる。
「ぐっ……‼︎」
「バラバス⁉︎」
目を開ければそこは、見慣れた自室の天井だった。
「……ここは」
「お前の部屋。任務中に頭やられて気ぃ失ったんだよ。覚えてるだろ」
バラバスの疑問に答えたのは、あの場に居なかったアイザック。
ゆっくりとベッドから上体を起こす。
「兜があったから気絶するだけで済んだってよ」
「……何があった」
あの後、31体目はミリアムが撃破。気絶したバラバスに怪我が無いのを確認し、そのまま拠点に連れて帰って来た。
だが、ベッドに寝かせた直後。急ぎの依頼が入ったとエステラに言われ、出動を余儀なくされる。
「そんで、そのタイミングで俺が帰って来たから頼むって言われた。めんどくさいけどな」
と、説明中に剥いていたリンゴを差し出す。
面倒だと言うわりには、手間が掛かる事をしている。
「面倒をかける」
「ほんとにな。これっきりにしろよ。……それにしても、お前みたいな奴でもボーっとすることがあるんだな」
それまで無言で口を動かしていたが、アイザックの言葉に咀嚼するのを止めた。
「こっちからしたら大迷惑だが、あとで笑い草になるしいいんじゃねーの」
「……口は災いの元って知っているか」
「喧嘩なら買うぞ」
「私の喧嘩は高いがな」
「買い叩いても文句は言うなよ?」
減らず口が、と冷え切った視線を向けるも、ここ最近の振る舞い方を思い出しては気を付けようと戒める。
今はもう、一人で行動している訳では無いのだから。
「……分かった。ならばこれまで通りといこう」
「いや妹離れはしろよ」
【RPGごっこ2】
そこが何処なのか誰も知らない。
ただ一つ言えるのは、“RPGゲームのような世界”だということだ。
「いやなぜだ。絶対おかしいだろ」
頭を抱えるベルタを、レベッカが嗜める。
今回も前回同様、それぞれ見合ったジョブが振り分けられていた。
ベルタは魔法使い(物理)。
レベッカはバーサーカー。
ヴァニラは勇者。
そしてこの二人も……。
「ブレイドとアランも一緒?」
魔王のブレイドと(囚われの)王子アランが、前回とは違い三人と合流していた。
「そうらしいな……」
「てか、またこの役かよ」
ここで問題が発生した。
魔王役と囚われ役の二人がここに居るとなると、勇者は一体何を目的としているのかが不明だ。
それはつまり、元の世界に帰るための条件が揃わないことに繋がる。
この事態に気付いたアランは一同に説明。
「たしかにそうね……。まずはそれをハッキリさせないと」
「前の時は何で城に来たんだ?」
「あの時は……あっ」
ベルタが空中を手で撫でると、ゲーム画面のようなホログラムが現れた。
そこには世界の地図や持ち物、メンバーのステータスなどの基本情報が記録されている。
「見て。ここに書いてある」
ヴァニラが指した項目に記されていたのは旅の目的。
“四天王を倒せ”
の、一文。
「四天王? 魔王じゃなくてか?」
「魔王だったら楽だったのに……」
「おいどういう意味だ」
そう簡単には帰らせてくれないようだ。
新・勇者パーティは、地図が示す目的地へ向けて意気揚々と旅立つ。
「……嫌な予感がするけどな」
ただ一人、アランを除いて。
勇者ヴァニラ一行が訪れたのは、“はじまりの町”と呼ばれる何処か見覚えがある街。
地図によると、ここで四天王関連のイベントが発生するようだ。
「でもこんなに人が多いと、もし戦いになったら大変ね」
「それが狙いなのだろう。なりふり構わず私達を倒そうとするに決まっている」
その時、何かに気付いたブレイドが立ち止まる。
「なぁ、あの看板に書いてあるのって……」
「看板?」
人々の注目が集まる広場で見つけた看板には、四天王からと思しきメッセージが書かれていた。
「“私達は此処に居ます”?」
「“是非戦いに来て下さい”って……遊びかよ」
ご丁寧に場所まで記してあり、苦笑が溢れる。
「ま、まあ、向こうから教えてくれたことだし、探さなくて済んだわよね」
「私達って事は二人の可能性もあるな。結局探さないといけない訳だが」
「倒しにいこう」
一行が導かれたのは、街から遠く離れた人気の無い場所。
ベルタの想像とは違う展開に、疑問を抱く。
そこに、言葉通りに四天王が姿を現した。
彼らが良く知る、“四人”となって。
「待っておりました。勇者御一行様」
「待ってたよー!」
「えっ⁉︎ ジイジにアリス⁉︎」
主であるアランに恭しく頭を下げるセバスチャン。
その隣には、義妹のアリスも一緒だ。
更に二人、セバスチャンとアリスに並ぶ。
「私達も居るぞ」
「こうして相対するのは久しぶりですね」
「アッシュ……!」
「リベリアさん⁉︎」
師であるアッシュ、友であるリベリアの登場に、縁あるヴァニラとレベッカは驚きの表情を見せる。
「ど、どうしてここに……」
「……まさか、看板を書いた“四天王”って……」
ブレイドの推理を肯定するかのように、四人はそれぞれ笑みを浮かべた。
「さあ、にぃに! かかってきなさい!」
「手加減無用! ですぞ、坊ちゃん」
「や、やりずらい……」
「そもそも、どうして四天王が全員居るのだ。一人ずつ戦うのがお約束だろ」
「五対一で勝てると思っている方が間違いではないか」
「ならばこちらも数で対抗しようと思った次第です」
普段と同じ四人に、戦う気力など全く起きず。
どうしたものかと悩む一行だったが、魔王ブレイドが一歩前へ。
どうやら戦うつもりだ。辺り一帯に緊張が走る。
「魔王としての俺は一味違うぞ。──喰らえ! 超必殺・一、撃、全、滅‼︎」
error表示のATKは健在。
ネーミング通り、魔王の一撃は誰もが阿鼻叫喚を極める強大なもの。
その威力を前に、ブレイドは高笑いを上げた。
「──オイ、起きろブレイド‼︎」
「んぁ? アラン?」
「いつまで寝ているんだよ、早く起きて支度しろ」
全ては自身の夢だと理解したブレイドは、何だと肩を落としたのだった。
【どっちがどっち?(レイ&アストラル・Q編)】
何処までも澄み渡る碧い空。
朝一番に窓を開ければ、頬を撫でゆく風達から元気を貰えそうだ。
──そう思ったのは昨日までだが。
「え、ええ⁇」
自身の顔をペタペタと触っては、現実であることを思い知らされる。
「う、うう……うわあああああああ⁉︎」
麗しき女神の悲鳴が、神殿内に響き渡った。
「アストラルクイーン様?」
悲鳴を聞いて“王座の間”に駆け付けたのは、パラスを初めとする四人組。
アストラルクイーンは体を強張らせては、平然を装う。
「な、何でもありませんわよ? おほほほほ……」
四人は驚きの表情を見せるも、何かを察してか深く追及することは無く。足早に“王座の間”から引っ込んだ。
緊張からか詰まっていた息を吐き、呼吸を整える。
「おおお落ち着け……落ち着いて情報を整理するんだ……」
そうアストラルクイーン──と入れ替わってしまったレイは、一人呟いた。
現在の時刻は午前九時前後。普段ならこのぐらいを目安に起床している。
だが目を開ければそこは、文字通り別世界。アストラルクイーンが根城とする『精霊神の神殿』であった。
これからどうしたものかと頭を抱える。原因が分からない以上、一人思考を巡らしていても堂々巡りだ。何か……何か行動しなければ……。
レイは細く白い手で拳を作り、一つ決心した。
「……
なるべく早く、姿を見られること無く。
恐らく居るであろう自分を見つけるために。
「居るかなぁ……」
レイの悪い予感は当たっていた。
──同時刻。レイと入れ替わってしまったアストラルクイーンは、部屋で大人しくして……居る筈も無く。
人の往来が激しい“はじまりの地”の街へと繰り出していた。
レイより早く事態に気付き、彼と合流するために移動しているのかと思えたのだが。
どうやら、そうでは無いようだ。
「……騒がしい街ね」
文句を溢しつつも、あっちへこっちへと人々が集まる場所を巡る。
いつもなら硬い表情が目立つ彼女であるが、微笑んでいるようにも見えた。
……レイの表情筋が緩いだけかも知れないが。
「やっぱり居ないしぃ〜……」
情け無い声を洩らし、へなへなと部屋の床に座り込む。
アストラルクイーンの凝った装束に苦戦を強いられながらも、何とか自宅のアパート“もみじ荘”に到着。ドアノブを捻ると簡単に開いたので、中に入って自身の姿を探したが見つからず。
僕の姿で変な事をしていないかとばかり考え、部屋の中で忙しなく回る。
そこに、部屋のインターホンが来客を知らせた。
『おーい、レイー』
『返事がないな……。まだ寝てるのか?』
扉の向こうからブレイドとアランの話し声が聞こえ、レイは頭を抱えた。
──ブレイド君にアラン君! そ、そう言えば今日会う約束してた! やばい、どうしよう⁉︎ この姿を見られる訳には……‼︎
すると、ベッドの傍に置いていた自身のエレフォンが鳴り響く。
『……聞こえるな。やっぱり寝てるのか』
『頭打って気を失ってるかも知れねぇぞ。あいつそういう所あるから』
いや無いよ。
心の中で突っ込むも、確かにと同調したアランと共に、扉を開けようと話し合う。
ドアノブを捻る音が耳に届くと、素早く扉に張り付いた。
『あ、アレ? 開かないな』
『建て付けが悪いんだろ』
『鍵がかかってるんだよ』
『少し扉開いてるんだから、鍵掛かってねぇよ』
もう駄目だと諦めかけたその時、探し求めていた救世主が現れたのだ。
『邪魔よ、貴方達。そこを退きなさい』
『……レイ?』
『どうしたんだ……?』
──アストラルさんんんんんん‼︎
帰って来たと安堵したのが半分、自分のキャラとは合わない口調に恥ずかしさ半分。
当然の如く困惑する両名に、レイは小さく溜め息をつく。
「……アラン君、ブレイド君。その人はアストラルさんだよ」
『え⁉︎ じゃあ、部屋に居るのは……』
「開けないで! お願いだから‼︎」
『わ、わかった』
と、ドアノブから手を離したアランに、そっと息を吐く。
「ごめん、二人共。また今度でもいいかな……?」
『ま、しょうがないしな』
『なにか手伝えることがあったら連絡してくれ』
「ありがとう!」
アストラルクイーンと入れ替わっているレイが出て来ない以上、自分達が手伝えることは無いと判断した二人は、軽く挨拶をしてその場から立ち去った。
二人の姿が見えなくなると、レイと入れ替わっているアストラルクイーンは部屋の中へ。
「あの、アストラル……さん?」
しかしアストラルクイーンはレイに目もくれず、壁沿いに置いているベッドの上に寝転ぶと。
「……え⁇」
秒で寝た。
残されたレイが、遊び疲れて眠ってしまったと知るのは先の話であった……。
【幼くなっちゃった(モルス編)】
“はじまりの地”を除く五つの地を管理する五人の要人『モルス』。彼らは常に大きなフードを被り、素顔を隠している。
総司令塔『ミラージュ・タワー』の最上階には、モルスだけが使用出来る会議室が存在しているが、会議室を含め、最上階に入ることが許されているのはモルスに近しい者だけ。
その理由は、彼らが常に素顔を晒しているから。
大陸の重要機密として、付近一帯には厳重な警備が敷かれている。なので騒動とは無縁の場所。
……という訳ではないのだ。
「うわっ⁉︎ なにコレ‼︎」
と、叫ぶのはハルドラ。
しかし、声も幼ければ背格好も小さい。
「ちょっと〜! 誰〜? あの機械発動させた人〜?」
「わらわではないのじゃ」
「オレでもねーよ?」
「我でもないぞ」
「以下同文」
以前、アラン達が記憶と共に若返った現象と同じことが、彼らにも起こってしまっていた。だが影響が少なかったのか、彼らの記憶はそのまま、体だけが子供の姿になっている。
「服がぶかぶかなのじゃ」
「鎧が……重いな……」
「我はともかく、汝らはあまり動かない方がいいかも知れないな」
大きくなった服を軽く持ち上げ、呟く。
すると、アンガが突然失笑した。
「……何を笑っている」
ジェダルの方を見つめながら。
笑い声を出しまいと、必死に口元を抑える。
「だ、だって、衣装着せられてるみてーで……ブフッ」
「た、たしかに、へんてこりんかも……ぷぷっ」
同調したハルドラも一緒になって失笑し、遂にジェダルの逆鱗に触れてしまった。
「出でよ、我が半身」
「待てジェダル! この塔ごと吹き飛ばす気か⁉︎」
「止めてくれるな、アルタリア。今ここで塵一つ残さずに消し去ってくれる」
アルタリアの制止も虚しく、ジェダルは戦闘時に使用する剣を召喚。
だが、余りの大きさに小さな手では掴むことが出来ず、召喚された剣はグラリとバランスを崩してしまい。
──ドオォォン……。
「ねえ、今なにか聞こえなかった?」
弧を描くように続く廊下の途中。
モルスの側近を務める五人組。“元素精霊”とも呼ばれる彼らの一人、ルシオラが足を止めた。
それに従って他の四人も次々と立ち止まり、耳を澄ませる。
「……何も聞こえませんが」
「気のせいじゃないかな?」
淡々とアルボスは返し、微笑みながらアクアは首を傾げる。
「ん〜、そうかもね」
聞こえたのは一度だけだったので、勘違いかとルシオラは思い込んだ。
「どっかの窓になにかぶつかったんじゃね?」
「高いからな」
軽く笑いつつノクスが歩き出し、イグニスも後に続く。
やがて、目的地であった会議室前に集まると、イグニスが入室の許可を求めて扉をノックする。
「……?」
しかし、中からの返事は無い。
もう一度叩いてみるも変わらず。此処には居ないのかと、互いに顔を見合わせた。
「入れ違いになってしまったのかもしれませんね」
「でもなぁ……なーんかジェダル様が魔力使った気がするんだよな……」
ノクスは扉を僅かに開け、中の様子を確認する。
「俺はなにも見ていない」
そして静かに閉めた。
戻ろうとするノクスを引き留め、ルシオラが扉を押す。
「あ、アルタリア様⁉︎」
驚きの声を上げ、中で気を失っているアルタリアに駆け寄る。だが幼いその姿に、又もや驚愕してしまう。
「うえええっ⁉︎ な、ちょ、どうして、どうなって……⁇」
「る、ルシオラか……」
アルタリアを始めとして、他のモルス達も覚醒する。
それぞれ痛む場所を抑えながら、精霊達にこれまでの経緯を説明。
「ええ〜と、どうしてか体だけが若返ってしまい」
「……ジェダル様が召喚した剣の下敷きになった」
「話を要約すると、ハルドラ様が悪いと言う事ですね」
「なんでボクのせいになってるのさ! 話ちゃんと聞いてた⁉︎」
両手を上げて抗議するハルドラの頭を、宥めるようにアクアが撫でる。
「もうちょっと左お願い〜」
「ここですか?」
「そうそう、いいかんじ〜」
「ハルドラばっかりズルいのじゃ! わらわにもするのじゃ!」
「よく見たらかわいいですね〜! アルタリア様!」
「お、降ろしてくれないか……」
女性陣の盛り上がりように、男性陣は一歩引いた所から苦笑を浮かべた。
「そんじゃあ……」
「私達は仕事に戻りますので」
「……失礼します」
「あ! 待てよ、イグニス!」
「せめてあの二人を連れて帰って……」
【はじめてのおつかい(大人編)】
「どうかお願いします!」
冒頭からパチンッと掌を合わせて頭を下げるのはレイ。
彼の前では、ラフェルトが眉間に皺を寄せていた。
「なんで僕があんたの頼み事を聞かなくちゃいけないの」
「お願い〜! 今日だけでいいから、ねっ!」
お願いしますとしつこく迫られ、諦めたように静かに溜め息をつく。
無言でレイの手から一枚の紙を奪い取ると、足早にその場を立ち去った。
「やあ、オレア。こんな所に居るなんて珍しいね」
「買ってこいと頼まれたのでな。ゼロ、君こそここで何を?」
ゼロとオレアの二人が出会したのは、“はじまりの地”にある市場内。双方共に普段から利用している訳では無く、訪れることさえ滅多に無い場所だ。傍から見れば異質と言うか、浮いていると言うか。
片栗粉の袋をかごに入れつつ訊ねる。
「いつも食事に関しては皆に任せっきりだからね。たまには何かしないとと思って」
「そうなのか、俺の所とは大違いだな。だが、何も選んでいないようだが?」
オレアの指摘通り、ゼロは商品どころかかごすら持っていなかったのだ。
「意気込んで来てみたものの、何を買えばいいのか調べて来るのを忘れてしまってね。一度戻ろうかと考えていた所なんだ」
そうゼロは苦笑を洩らす。
「わざわざ戻らなくとも、適当に買っていけば良いのではないか?」
「それだと使うのが大変になってしまうよ。栄養も偏ってしまうしね」
「胃に入れば同じだと思うのだが……そうではないのか」
オレアの食に対する意識の低さには、不安を感じざるをえない。
じゃあ、とゼロは片手を軽く上げる。
「邪魔しては悪いだろうし、この辺で失礼す……」
「ん? どうした? 向こうに何かあっ……」
釣られて視線を向けた直後、オレアの表情が曇った。
ゼロとオレアの邂逅から時は前後する。
同じ市場に訪れたラフェルトは、レイが書いた紙に目を通す。
紙に書かれていたのは、文章では無く複数の単語。そのどれもが、料理に使う材料であった。
つまり、レイがラフェルトに頼み込んでいたのは、今晩の食事に使う材料の買い出しだ。
今日は夕方まで用があるので、そこから買いに行くのは億劫だと思い、必死に頼み込んでいたのが冒頭での出来事である。
この時代の市場は初めてのラフェルトだったが、他の買い物客の様子から学習し、かごを手に陳列棚に近付く。
まずは、と買い物メモに書かれた野菜類を手に取り、値段が記された札を確認する。
「……安い」
思わずぽつりと呟いてしまうほど、ラフェルトはその安さに驚いていた。
とは言っても、ここの市場が特別に安い訳では無い。相場通りの値段で売られている。
しかし、気が遠くなる程昔の時代を生きていた彼にとって、野菜がこのような値段で売られているのは信じ難いことであり、同時に疎ましいことでもあった。
「……」
二、三個余分に取り、買い物メモに書かれている食材をかごに放り込んでいく。
その様子を、離れた場所にある陳列棚の影から伺う二人組が居た。
「まさか買い物をしにやって来るとは……」
「いや、客に紛れて何かしようと企んでいるのかも知れない。これは慎重に観察しなければ」
ゼロとオレアの二人だ。
ゼロに自身のかごを押し付け、オレアは記録用の本と羽ペンを取り出し、空白の頁にスラスラと何かを書き込んでいく。ゼロも押し付けられたかごを手に、鋭い目付きでラフェルトを追っていた。
……が、それも一瞬。
無我夢中になって記録しているオレアを一人残し、彼のもとへ。
「やあ。こんにちは」
「……なに」
声を掛けられ、少し遅れて冷たく返す。そこには、返事をしようか否か迷ったようにも感じた。
笑顔を取り繕うゼロは、そのまま買い物を続けるラフェルトに同行する。鬱陶しそうに目を細めるも、ふいっと視線を外した。
「何を買いに来たんだい?」
「あんたには関係ない」
会話終了。
それもそうだ。お互いに仲良くしようなどと微塵も思っていないのだから、続かないのは当然のこと。
ならばと、ゼロはラフェルトが持つかごの中身を確認する。じゃがいもに玉ねぎに人参に鶏肉に……。
ああ、成る程。夕食の買い出しか。
「食事摂るんだね」
「違う、僕じゃない。
食い気味に答えられる。勘違いするな、干渉してくるなと遠回しに言われているようだ。
「そう」
とだけ返す。
すると、ゼロが持つかごに視線を向けていたラフェルトが口を開いた。
「……あのさ、それ……間違えてるけど」
「何をだい?」
「……なんでもない」
スタスタと遠ざかっていく背中を見送ると、ようやくオレアが隣に並ぶ。
「何かあったか?」
「特に何も。僕はそろそろ行くよ。はい、どうぞ」
「ああ、すまないな」
預かっていた(?)かごをオレアに返すも、先程言われた言葉が脳裏に過ぎる。
「……オレア。もしかしてだけど、何か間違えてはいないかい?」
「フリージアに買って来いと頼まれたのは……白砂糖にバターに牛乳に小麦粉に……後は卵を買えば良いはずだが」
それは頼まれたと言うより、押し付けられたのでは?
「ん?」
「気にしないで。では、また」
「ああ」
「え、本当に買って来てくれたんだ……」
「はあ?」
「あっ、いや、何でもないです、ありがとうございます」
不穏な空気を察し、慌てて誤魔化す。
買い物から数時間後。用事を終えたレイは、今夜使う材料をラフェルトから受け取った。
期待半分であったのだが、律儀に買って来てくれたのでまた頼もうかと思いつつ、材料を確認。
「……あれ?」
手にしたのはクラムチャウダーの素。
買い物メモに書いたのはシチューの素だった筈だけど……。
「……なに」
とても間違いだと言い出せない雰囲気だ。
「……何でもないです」
そっと胸の内へ押し込んだ。
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