輝く星に願いを

第1の願い


この物語に“悪役”はいない。ここに居るのは、自分の意思を貫き通す“英雄”達だけ。──エレメンタルストーリー、最終章から引用。

【第1の願い】

 1,

 最悪だ。

 視界一面に降り注ぐ雨。びしゃびしゃとくるぶしに跳ねる水はもはや些事。
 アランは、“光明の地”にある蜃気楼の塔へ一目散に戻ってきていた。
 この辺りに、屋根がある建物は塔しかない。
 雨宿り出来そうな場所で止まると、乱れた息をゆっくり整える。
 すっかり水を吸い込んでしまった服を絞って水気を落としながら、雨雲が覆い尽くす空を見上げた。
 ──しばらく足止めだな……。
 仕方ないと溜め息を洩らす。
 幸か不幸か、自分はスピリットなので体が冷えても風邪をひくことはない。あるのは服が肌にぴったりと吸い付く不快感だけだ。
 中に入るのは申し訳ないし、外で屋根だけ貸してもらおう。珍しく人がいない塔の外で、アランは雨雲が通り過ぎるのをじっと待つことに。
「アランくんっ」

「ありがとうございますルシオラ様。シャワーと服までお借りしてしまいすみません」
「ぜ〜んぜんだよアランくんっ。その服どう? アルボスのなんだけどキツくない?」
「ええっ⁉︎」
「だってボクもアルタリア様も男物の服なんて持ってないしぃ〜。アランくんは女装趣味有りとメモメモ……」
「な、ないですよ! キツくないですありがとうございます‼︎」
「そんなに必死にならなくても良くない?」
 雨宿り中のアランに声を掛けたのはルシオラ。
 体冷えちゃうよと言われ、塔の上層階にあるアルタリア・モルスの執務室に手を引かれて案内。そのまま替えの服とタオルを渡されて、シャワールームに押し込まれたのだった。
「にしても結構降ってるね。この辺じゃあ雨なんて珍しいし、どっかで雨乞いでもしたのかな?」
「確かにそうですね」
 “光明の地”には乾燥地帯もまちまちと存在する。それほど“光”に恵まれているのだが、今日は神様の気まぐれなのか大雨が降り注いでいた。
 タオルを首に掛けながら、アランもルシオラと共に窓の外を見つめる。
 その時、不意に部屋の扉が開かれた。
「ここにいたのかルシッ……」
 肩を跳ね上がらせて石のように固まるのは、アルタリア・モルス。
 アランも同様に膠着する中、ルシオラだけは普段通りにアルタリアのもとへ。
「なんですかアルタリアさッ」
 光の速さでルシオラを掻っ攫い、部屋の扉を閉める。
 アルタリアはアランに聞こえぬよう、最低限の声量でルシオラに叫んだ。

 ──ルシオラ! なぜアランがここに居るのだ⁉︎
 ──アランくん、ずぶ濡れで雨宿りしていたんで連れて来たんですよ〜。
 ──あの服は誰のだ⁉︎
 ──アルボスの服を勝手に拝借しましたっ! じゃっアルタリア様、失礼しますねっ☆
 ──待てルシオラ‼︎

 颯爽と逃げていってしまったルシオラにぐぬぬと唸る。しかし、待たせすぎてはいけないと思い、アルタリアは意を決して部屋へ。
「す、すまないなアラン」
「こちらこそいきなりお邪魔してしまって……」
「さ、災難だったのであろう? 気にすることはない」
 部屋中に気まずいオーラが溢れかえる。
 ずっと立っているわけにもいかず。アルタリアはソファーに座り、アランにも座るよう促す。
「ところでアラン。依頼でここへ?」
「あ、ハイ。オレが担当した依頼書の備考欄に、『光の蜃気楼の塔へ報告義務有り』と記載があったので報告しに……戻ろうと塔から出たら雨に振られてしまって」
「そうであったか」
「アルタリア様は大丈夫でしたか?」
「我は塔に居たからな。この通り濡れてないぞ」
 穏やかに談笑するアランであったが、ある物にふと気がつく。
「アレって……」
 視線の先を見遣ると、アルタリアは少しはにかみながら“それ”を手に持つ。
「ああ、そうだ。懐かしいだろう?」
 掌中に収まるサイズの水晶。透き通る水のような水晶の中には、萎れた一輪の花があった。
 この花に覚えがある。
 まだ剣に触れたこともない幼き頃、名も無きこの花を渡したのだ。
 目の前に居る方へ。
「オレはてっきり……もう捨ててしまったかと……」
 渡された水晶を掌中で転がしながら呟く。枯れ果ててしまったとばかり思っていた。
 アルタリアは当時のことを想起する。
「あのあとは……」

 *

 ──○年前。
「ミラクロア! 居るか⁉︎」
 戻って来て早々、アルタリアはミラクロアが休む部屋に直行した。
「なんじゃ、アルタリア。騒々しいぞ」
 鏡台の前で髪を梳いていたミラクロアは、手を止めずに顔を顰める。
 アルタリアは側まで歩み寄ると、一輪の小さな花を差し出した。人の手で美しく蕾を咲かせる花ではなく、雑草のような花。
「食べるのじゃな」
「違う」
「ほう?」
 手を休め、顔を向ける。
「汝の力で、この花を冷凍保存してくれぬか?」
「冷凍保存と呼ぶでない」
 ミラクロアは櫛を鏡台に置き、食指の先で花を小突く。青い光に包まれた花は独りでに浮かび、覆うように氷が形成されてゆく。
 ピキンと鳴り、アルタリアの掌にゆっくりと降下。不思議と冷たくない氷の結晶が出来上がる。
「これでよいじゃろ」
「おおっ、さすがはミラクロア。我が思っていた通りの出来栄えだな」
「わらわを誰と思っておるのじゃ。才色兼備の蒼氷王ミラク──」
「お邪魔しましたー」
「あ、こらっ!」

 *

「……ミラクロアに頼み、それを作ってもらったのだ」
「そんなことが……」
 当時はアルタリアに「これで十分だ」と遠回しに言われたので満足したが、やはり生き生きとした花の方が良かったような気がする。
 すみませんと何故か謝るアランに、アルタリアは手元に戻ってきた水晶を翳した。
「これの価値が分かるのはきっと、我だけだな」
 戯笑を浮かべ、窓の外に体を向ける。
 外は既に雨が止んでおり、厚い雲の切れ目から青空が少しずつ広がってゆく。
 アランも隣に並び、同じ景色を共に見つめた。


 2,

 燦々と降り注ぐ陽射しが、拠点内を暖かく照らす日のこと。
 一階でのんびりとしていた彼らは急展開を迎える。
「アラン‼︎」
 無許可で蹴り飛ばされる扉。逆光に目が眩んだが、すぐに誰か判明。
「あ、アイザック⁉︎」
「これをっ……受け取れ!」
 語尾を強め、手にしていた弓で矢を放つ。
 反応が遅れるも首を捻って回避。矢はアランの顔を横切り、背後に居たレイの額に直撃。
「ぐはあっ‼︎」
「あっ、やべ」
「だ、大丈夫かレイ⁉︎」
 仰向けに倒れたレイの傍で片膝を付く。安全面を考慮してか矢の先端は吸盤型だった為、大した怪我は見当たらず。
 ブレイドが外そうとするも、思っていた以上にくっ付いてしまっており外れる気配は無く。ぐぬぬと唸る。
「あー……ヴァニラ。ちょっと頭固定しといてくれ」
「わかった」
「え、ちょっと待っ……いだだだだだだ」
 奮闘する傍ら、アランは矢に括り付けられた紙を手に取り開く。強調するように書かれていたのは『果たし状』の文字。目を見開き、アイザックを見遣る。
 アイザックは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていたが、本来の目的を思い出す。
「逃げるなよ、アラン」
 いいかと念を押し、そそくさとその場から退いた。
 その時、アランの背後ですぽんっと間抜けな音が上がる。振り返れば、赤くなった額を抑え涙目のレイがこちらを見つめていた。
「何て書いてあったの⁇」
 問われ、果たし状に目を向ける。
 改めて内容を確認すると、場所・時間・ルールの三点が完結に記されていた。
 答えないアランに首を傾げ、横から紙を覗き込む。
「果たし状?」
「あぁ……だから弓矢、ね……」
「窓を割るのは申し訳ないって思ったんだなきっと」
「あと多分、アランが避けるなんて思わなかったんだろうな」
「その可能性も視野に入れて欲しかったよ……」
 仲間達の会話を傍耳に、アランは無意識のうちに握る手に力を込めていた。
「アイザック……」
 決闘の日まで三日。
 アランは密かにその瞼を下ろした。

 *

 一粒、また一粒と水滴が頭上の雲から降り注ぐ。
 ザーと鳴る雨の音を縫うように、彼の声は響いていた。
「はっ、……ふぅ」
 アランは剣をゆっくりと下ろし、胸を撫で下ろす。
 素振りを始めてからどのぐらい経ったのだろう。少なくとも雨は降っていなかったような。
「アラン」
 ハッとして振り返る。近くの木の幹に凭れる人物は、軽く片手を挙げた。
「……ブレイド」
「えらく頑張ってんな」
 こっちに来いと手で招きながら微笑む。
「ちょっと休憩しないか?」

 雨雲の下、二人は並んで木の幹に寄り掛かる。
「これ、使えよ」
「悪いな」
 渡されたタオルで顔や髪に垂れる水滴を拭う。
「あとこれも」
 今度は水の差し入れに、アランは再度礼を述べる。
「わざわざ持ってきてくれたのか」
「まあな。お前、朝出てったきりだったし。もう夕方だぞ」
 空を見上げるも夕陽は見えず。そうだったのかと呟く。
「そういえばブレイド。いつからここに居たんだ?」
「んー……結構居たような気はするな」
「なら声を掛けてくれればよかったのに」
「邪魔されたくないだろ。そんくらい分かる」
 腕を組むブレイドを横目で見る。
 アランは水を一口含み、喉に通す。

「……アイツはきっと本気なんだ」

 唐突に、アランはそう言った。ブレイドは何の話をしているのかすぐに理解した。アランが言うアイツが、アイザックを指していることも。
「だからオレも、本気で向き合わないと」
 彼らの関係は殺伐としている。それは師であるエステラの影響だろう。光と闇が相容れぬように、アランとアイザックもまた、剣を交え続ける。
 どちらが上かを決めるのは、彼らが通らねばならない通過点。
 それを選んだのは彼らなのだから。
「……お前、変わったな」
「え?」
 出会った頃の彼を追憶する。
 アランは過去の自分を思い返す。
「……そうだな。自分でも変わったと思うよ。師匠達と出会った時、ブレイド達と出会った時、……あの戦いの時」
 ブレイドはアランの言葉に耳を傾ける。
 変わったのは彼だけじゃないと思うから。
「でも、生きていれば変わるのは変な話じゃない。オレ達は成長するんだから、『答え』が変わるのは当たり前だ」
 手にした『答え』を口にする。
 迷って、悩んで、苦しんで、遠回りして、やっと手に入れた『答え』はそんな曖昧なものだったけど。
 オレはこの先も変わらないなんてことはないから、そのぐらいがちょうどいいのかも知れない。
「頑張れよ、アラン」
「ああ。もちろんだ」
 右腕を、左腕を、互いに交差させる。
 決闘の日まであと一日。
 最後の調整を終え、アランは決闘の日を迎える。

 *

 昨日とは打って変わり、晴れ晴れとした天気に恵まれた。
「アランの気合いに応えたみたい」
「なんだそれ」
 アランは部隊の仲間達、それにレイも連れて、指定された訓練場へと赴く。
 中では先に、アイザックを始めとする『守護竜騎隊』のメンバーが待機していた。
「……」
 アイザックは既にステージの中央で精神統一しており、アラン達も多く言葉を交わさなかった。
 アランとエステラを残し、彼らは決闘を見守るべく見学席へ向かう。
 エステラはアランに歩み寄り、今一度ルールを確認する。
「究極の力は使用禁止。スキルを使っていいのは一回だけだ。アビリティは……これを使って使用を封じる」
 手渡したのは腕輪型の装置。これを付けると、アビリティが一時的に封印される。
 アイザックも同様に投げ渡された腕輪を装着。確認したエステラは見学席へ歩き出す。
「合図と共に始めろ。勝敗はアタシが判断する」
 エステラは歩みながら笑う。
「アンタ達のような弟子を持てて、アタシは誇らしいよ」
 思わぬ声援エールを貰い、二人の目が見開かれる。
 師匠の姿がステージ上から消え、アランは“閃光剣”を手にアイザックと向き合う。
 始めの合図を待つ間、二人の間に静寂が流れる。
 会話など必要無い。
 語るなら、剣で語れ。
「……」
「……」
 静かに二振りの大剣が構えられる。
 そよ風がそれぞれの髪や服をはたかせる。

「──始めッ‼︎」

 体を沈め、両者は発走する。
 戦いの火蓋が切られた。

「──ッッ‼︎」
 アランは下から、アイザックは上から。衝突した剣から火花が散る。
 アイザックが大剣を高く掲げ、渾身の一撃を振り下ろすのに対し、アランは水平に剣を構え、盾の如く両の手で受け止める。
 大剣の重さを物ともせず、片手剣の如く扱う。
 一合打ち合う度により強く、より速く。互いの大剣から生じる剣戟の音が、宿敵に対する意志の強さを物語る。
 光の如く連撃を刻めば、闇の如く押し潰す。
 アイザックの口元が歪む。
 アランの目尻が吊り上がる。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ‼︎」
「ぁああああああああああああああっ‼︎」
 腹の底から咆哮を引き摺り出しては剣を交える。
 彼らだけでなく、戦いを見守るブレイド達でさえ瞬きをすることは許されない。
 両者の剣技は互角かと思われた。が、僅かに上回っていたのはアイザックの方。
 数ミリに届かぬ僅かであろうと、この戦いでは致命的なズレとなる。
 戦局がアイザックに傾き始め、徐々にアランが押されてゆく。
 強烈な一太刀がアランを襲い、体勢が崩れかける。
「ぐッ……‼︎」
 何とか剣を構え直し受け止めるも、流し切れず弾かれる。宙に浮かぶアランの鳩尾にアイザックの膝が沈む。
「ッか、は」
 次いで踵落としをまともに喰らい、地面に叩き落とされる。全身に強烈な痛みが走るが、剣だけは決して離さず。
 腕を立て、立ち上がろうとするアランの前でアイザックは剣を構える。
 猛る心とは別に、思考は落ち着いていた。
 飛退、振り落とされた大剣を回避。荒々しく息を吐くアランに、切先を向ける。
 一瞬の時を経て。
 どちらからともなく、両者は走り出す。
 互いに大剣を繰り出し、互いにマントと服を翻し、互いの意志を斬り裂く。
 アランはぐっと踏み込み、跳躍。顔の側面を目掛け、回し蹴り。
「っ」
 アイザックは蹌踉めくも、間合いを取るべく引き下がる。
 そして高く高く剣を振りかぶり、闇のエレメントを一点に集中させる。
 アランも両手で剣を握り、腰を捻って肩の後ろで構えると、光のエレメントを一点に集める。
 決着の予感。この一撃で全てが決まる。
 満を持して、スキルは放たれた。

「【暗黒閃光剣】‼︎」
「【閃光剣】ッ‼︎」

 光、闇、それぞれのエレメントがぶつかる。
 刹那、視界が真っ白に塗り潰され、遅れて轟音と共に訓練場全体が震えた。
 やがて、あたりが静寂に包まれる。
 閃光によるダメージを防ぐ為に翳した腕を下ろす。見えたのは、損傷したステージの左右に積み上がる瓦礫の山だけだった。

 無事を確認しようと踏み出した彼らを、エステラが片腕を伸ばして止める。
「……まだ、勝敗はついていない」
 一瞬たりとも目を逸らすことはない。弟子らの決闘は終わってなどいない。
 ゆっくりと腕を下ろしたエステラの耳に、瓦礫が崩れ、転がる音が届く。
 未だ立ち上る砂煙に影が浮かび上がる。
「アラン……」
 勝者の名を静かに呟く。
 アランは満身創痍のボロボロの状態で、一歩ずつ確実に前へと進む。
 反対側で積み上がる瓦礫の前に着いた頃には、砂塵も風に流され視界もクリアに。
 瓦礫に足を乗せ、埋もれるアイザックの体を見下ろす。
 アイザックもまた見上げ、片手を差し伸べる。
 これまでに見たこともない、微笑みを浮かべながら。
「っ……」
 アランはその手を握り、固い握手を交わした。

 *

「負けた気分はどうだ?」
 日も沈み、夜の闇が大陸に包み込まれる。
 拠点の一室。窓辺に凭れ、外を見つめていたアイザックのもとにエステラが訪れる。
 負けたことを反芻されて悔しいのか、アイザックは一瞥もくれず。
「まあ聞くまでもないか」
「……なんの用だよ。慰めなら要らねーぞ」
「生憎だが、アタシはそんな器用じゃなくてね」
 違いないとアイザックは嘲笑する。
 エステラは一歩、二歩と窓辺に近付き、こちらを見ようともしない弟子の頭に手を伸ばす。
「……!」
 拳骨、かと思えば少々強めに頭を撫でられる。
 餓鬼扱いするなと腕を振り払おうとするも、上から押し潰されてしまう。
 普段なら反抗するが、今は素直に受け入れてしまう。
 抵抗しないと見たか、エステラは力を緩めた。
「なあ、エステラ」
 少しして、アイザックは切り出す。
 エステラは頭から手を下ろし、なんだと返す。
「お前はどう見た」
「言ってもいいのか」
「遠慮するなんてらしくねーよ」
 ならばと口を開く。
「アンタの負けは初めから決まっていた」
 予想通りの返答だと自嘲気味に笑みを浮かべる。
「アランは戦い方を変えた。最後のスキルに余力を残すような立ち振る舞いだったと思う」
 それに気付かないまま、決着の一撃を放った。
「ただ、アンタも良くやったよ」
「慰めなら要らねーって言ったはずだぞ」
「そんなんじゃないよ」
 最後に肩を叩き、踵を返して歩き出す。
「早いうちに寝なよ」
 ひらりと片手を振られる。
 アイザックは自身の獲物を取り出し、一撫で。
「……分かってる。今だけだ。すぐに追い越してやる」
 悔やむのはここまでだ。
 ここからまた、強くなろう。
 強者と剣を交え、己の悦びとする為に。

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