外伝まとめ


「……あ、もしもし母さん? うん。今帰って来たところ。母さんからの荷物受け取ったからさ。……、ううん、そこまで気にしなくて良いよ。うん。うん。……そうだな。今年も来たな。この季節。……、年末には帰るよ。父さんにも会いたいしさ。あともしかしたら……ううん、何でもない。うん。じゃあまた連絡するよ。……」
 2014年、11月。日本某所。
 当時十八歳前後だった俺の、奇妙で、不思議な物語。


アラン逆トリップ編


 何の変哲もない横断歩道の前に、学生が一人信号が変わるのを待っている。その手には使い込まれた参考書を広げ、勉強しているようであった。
 彼は佐藤翔太しょうた。この近辺の高校に通う十七歳の男子である。
 三年生である彼は現在、大学受験に向けて勉学に勤しむ受験生だ。本日も学校終わりに近くの図書館へ向かっている。

「あ、」

 そういえば信号待ちをしていたのだと顔を上げれば、横断歩道の信号は点滅。赤に戻る。
 翔太は参考書を鞄にしまい、大人しく変わるのを待った。
 時間ロスはあったものの、目的地である図書館に到着。参考になりそうなものを手に取り、共有テーブルでノートと共に広げる。そのまま閉館時間まで勉強を続け、図書館から真っ直ぐ帰宅──という訳ではなく。立ち寄ったのはスーパーマーケット。

「翔太」

 入ってすぐカゴを手にした翔太を、店のエプロンと被り物をした女性が呼んだ。
 彼女は佐藤陽子ようこ。翔太の実の母親で、この店で働いている。

「勉強お疲れ様。ごめんね、今日も先にご飯食べててくれる?」
「分かってるよ。母さんの分もちゃんと作るからさ。じゃあまた後で」

 長く話していては支障が出ると考え、翔太は軽く片手を上げて母親と別れる。
 買い物を済ませて帰路に就く翔太は、母親と二人暮らしだ。父親は彼が小学生の頃に事故に遭い、他界している。
 元来、翔太は勉強が得意な人間ではない。それでも有名企業に入って、女手一つで育ててくれた母親に恩返ししようと苦手な勉強を続けて来た。だからなのか、今の彼は夢と呼べることが無かった。昔は父親と共にテレビゲームをプレイしたものだ。最近有名な会社が新しいゲーム機を販売したっけ。
 そんなことを考えていると、自宅であるアパートが見えて来た。人気のない公園を通りショートカットするのはいつもの事。けれどもその日は、妙にカラスが公園の一角に集まっていて。
 誰かがゴミでも捨てたのかと横目に通り過ぎる。が、思わず二度見してしまう。

(ひ、人……?)

 カラス達が揃って嘴で突いているのは人……らしい。まさか肉と勘違いして啄んでいるんじゃないだろうな。翔太は恐怖より好奇心が勝ってしまい、抜足差足で近づく。
 翔太に気が付いたカラス達が一斉に夜空へと羽ばたいてゆく。沢山の羽が舞い散る中、それが人であるのを再認識。

「あ、あのー……」

 呼びかけるも応答はなく。翔太は傍らに跪いて何度か声を掛けてみる。

(どうすれば良いんだよこれ……救急車呼んだ方が良いのか? いやでも外国人っぽいし……よく見たらコスプレっぽいのもしてるな……。さ、触って死体とかだったら最悪だけど……)

 意を決し、恐る恐る肩に手を伸ばす。触れたところ、生ぬるさを感じたので恐怖が半減。そのまま強く揺さぶると、小さく声が洩れたのが聞こえた。

「あっ」
「……?」

 固く閉じられた瞼が開かれ、黄色の瞳に光が宿る。
 起きあがろうとするその人に、翔太はそっと手を差し伸べた。

「あ、あーゆーおっけ?」
「……おっけ?」


「な、なんだ。日本語通じるんですね……」

 苦笑を浮かべつつ、翔太は自身が助けた(ことになっている)その人と対話を試みる。
 現在は場所を変えて自宅へ招き入れていた。あの場所に居たままでは、妙な噂が立ってしまうと考えたからだ。

「……日本語」
「は、はい」
「……初めて聞いた」

 翔太は一瞬流しかけた。

「べ、勉強したから話せるんじゃないんですか……?」
「もともと話せますけど……」
「何処かの国とのハーフ……とか?」
「国? ……大陸の間違いではなくて?」

 あれ、と話が噛み合っていないことに違和感を抱く。それは相手方も同じようで、疑問符を頭に浮かべている。
 気まずい沈黙が流れる中、先に口を開いたのは相手方だった。

「あ、あの。ご迷惑だと思いますが、いろいろ聞いてもいいですか……?」
「あ、ぁああ、はい」

 このまま別れるにも良心が痛む。
 視線を泳がせながら翔太は頷いた。

「ありがとうございます。オレはアランです」
「さ、佐藤翔太です」
「サトウショウタさん」
「あ、翔太で良いですよ」
「……ショウタさん」
「はい」

 アランと名乗る男は、幼さ残る見た目とは裏腹に一つ一つ丁寧に質問した。
 もしかして歳上かと頭の隅で考えつつ、淡々と質問に答えていく。そうでなければあまりにも理解が追いつかなかったからだ。質問される度に生まれる疑問は後で整理しよう。それほどまでに話が噛み合っていなかった。
 一通り確認し終わると、アランは顎に指を添えて思考を巡らせる。

(チキュウ? ニホン? 全く知らない単語ばかりだ……。ここは一体どこなんだ? いつの間にか気を失ってたのか記憶がないし、見慣れない景色しかない……)

 ちらりと翔太を一瞥する。

「……やっぱり『エレメンタル大陸』っていう場所は無いですね」

 部屋に置かれていた機械を操作する翔太がそう告げる。アレは確か、レイがよく使っていたやつと似ているな。

「そうですか……」

 困惑気味に返すアランを見遣り、再び画面に視線を戻す。
 まさかとは思いながらも検索する。出てくるのは小説などと言ったフィクションもののタイトル。

(まあそりゃあニュースにある訳ないよな。現実じゃあり得ないし。ゲームとかアニメとか好きじゃなかったら思いつかないしな……“逆トリップ”なんて)

 多分これだろうと結論を出しておいて半信半疑であった。前述通りゲームやアニメなどの登場人物が現実世界に迷い込む──謂わば“逆トリップ”なんて有り得ないと。
 そんな子供になってしまったかと翔太は自分自身に苦笑し、アランと向き合う。

「あの、アランさん。馬鹿馬鹿しいとは思うんですけど、魔法……とか何とかつ、使えます?」
「魔法?」

 翔太は実際に自身の目で見てみることにした。
 現時点で。彼の中でのアランは、物語の主人公だと思い込む外国人に近かった。コスプレイヤーとかでは無く。
 それによっては警察を呼ぶ可能性があるので、魔法が使えれば判断が楽だと考えた。マジックかもしれないが。
 一方のアランは悩んでいた。彼の認識では『魔法』と『スキル』は別物だからだ。
 アラン達が放つ『スキル』はエレメントを消費して放つ技。そして『魔法』は、エレメントの他に保有する魔力を消費して放つ技。言い換えれば追加オプションのようなものであり、誰もが保有しているわけではない。『エレメンタル大陸』特有の認識である。
 ここまで考えるアランは、いささか真面目過ぎだと思う。

「ま、魔法とは少し違いますけど……」

 アランは得意技である【ダブルアタック】で使用する光の剣を生成してみせる。

「……マジか」

 触ってみても良いですかと許可を取り、翔太は光の剣を握る。
 しっかりと手に馴染む厚みや重さが、マジックでは無いと訴えてくる。

「……どうかしましたか?」

 不安げに眉を顰めるアランに光の剣を返すと。

「……アランさん」
「は、ハイ」
「これは俺の考えで……いやまだ信じられないんですけど。でもそれ以外考えられないっていうか……。多分、逆トリップってやつだと思います」
「逆トリップ……」
「俺達の間では、ゲームとかアニメの世界……というか異世界? からこっちの世界に来ることをそう呼んでいるんです」
「つまりショウタさんは、オレが違う世界から来たんじゃないかと言いたいんですね?」
「確証は無いですけど……」

 異世界が実在するなど、互いに信じてはいなかった。
 理解が追いついてこないが、アランは分かりましたと頷く。

「オレは信じます。その話」
「えっ、あ、じゃあ俺も信じます」

 あれほど半信半疑だったのが、不思議と信じてしまう。目を丸くし、苦笑するアランに釣られて笑みを浮かべる。
 だがその時、玄関の向こうから音が聞こえてきた。間違いない、母さんだ。翔太は慌ててアランに顔を近づけ、やや小さめの声量で口にする。

「良いですかアランさん。俺の言う通りにして下さい」
「……どういうことですか?」
「母さんに逆トリップの話をしても信じてもらえないどころか、下手したら警察に突き出されます! 良いですね⁉︎」
「わ、分かりました」

 扉が開けられ、母である陽子が帰宅。翔太は狼狽えながらも母のもとへ。

「あ……お、お帰り母さん」
「ただいま。……あらお客さん? 翔太のお知り合い?」
「えぇっとそれが……公園で倒れてたの見つけて、話聞いたらその、記憶喪失っぽくて」

 陽子は警戒心丸出しでは無かったものの、疑問符でいっぱいの表情であった。

「服も汚れてるし、公園で倒れていたのは分かるけど……記憶喪失なら警察や病院の方に保護してもらった方が……」
「そ、それはそうだけど、一人にするの可哀想だし……」
「あの」

 困っている様子の翔太に、アランは立ち上がり二人と向き合う。

「長居するつもりはありませんでしたので、これで失礼します」
「ま、待って下さいアランさんっ」

 アランの手を掴み部屋の隅に移動。陽子の耳に入らないように声を潜めて。

 “一人で出歩くなんて危ないですよ!”
 “でもショウタさんに迷惑をかけるつもりは……”
 “もうそんな問題じゃないですって! 下手したらずーっと逃げる羽目になりますよ!”
 “ケイサツ? に突き出されるとか逃げる羽目になるとか……思った以上に怖い場所なんですね……”
 “あ、いや、ちょっと大袈裟だったかもしれないですけど……”

「アランさん、というのですか?」

 それまで側から二人を見ていた陽子が口を開く。
 二人は同時に振り返ると、アランは短く返事を返す。

「気を遣わせてしまったみたいでごめんなさい。もう少し待って下さいませんか?」
「は、ハイ……」

 陽子は鞄を床に下ろし、近くの棚の引き出しを開ける。

「翔太」
「は、はい!」
「暫くの間、うちでアランさんの様子を見ましょう。病院の方に診てもらうか判断も含めてね」
「え、良いの?」
「そうしたいんじゃなかったの?」
「そうしたかったけど……」
「うちには高値で売れるような物は無いでしょう? 居るのは帰りが遅い母親と、受験勉強を頑張る息子だけよ」

 と、陽子は棚から取り出した救急箱を翔太に渡す。

「という話で宜しいでしょうか、アランさん」
「良いんですか……? オレのような奴が居て……」
「海外の方とは思えないほど礼儀正しいんですね。記憶が無いからですかね」

 僅かにアランと翔太の肩が震えたが、気づかれていないよう。

「良いんです。見たところ翔太と仲が良さげですしね。それに……今日は早いですけど普段は遅いので、誰かが翔太と居て下さると安心します」

 ずっと心配してくれてたのかと思うと胸が熱くなる。

「……分かりました。ご迷惑かと思いますが、お世話になります」

 アランは翔太と陽子の心に深い感謝を込め、頭を下げた。

「こちらこそ宜しくお願いします。翔太、ご飯まだでしょう? 私が作るから、翔太は傷の手当てしてね」
「あ、ほんとだ」

 よく見ればアランの指が少しだけ切れていた。手当てし易いように座ると、翔太は救急箱を開ける。

「ありがとうございます。ショウタさん」
「いやアランさんのほうが不安だと思いますし、気にしないで下さい。……あ、後で色々教えますね」
「……アランでいいですよ。敬語じゃなくて」

 翔太は小さく歯を見せて笑う。

「じゃあ俺の事もそう呼んでくれるか?」
「わ、分かった。……ショウタ」
「ん? どうしたアラン」
「なんでもないよ」

 2014年、11月。
 およそ二ヶ月に及ぶ不思議な交流の日々は、この日から始まったのだった。


 ◆


 アランが佐藤親子のもとでお世話になり始めてから数日が経過した。
 少しずつ異世界の環境にも慣れ、アランは翔太の服を借りて夕食の買い出しに出かけたりと言った家事全般を行うようになる。

「ただいまー」

 以前と変わらずに図書館で勉強して来た翔太が帰宅。

「おかえり。もう少しで出来るからな」
「あれ、今日はいつもと違う?」
「たまにはショウタの馴染み深いものと思ってな」
「洋食も結構美味しかったけどな。着替えてくる」

 翔太が着替えている間に、夕食がテーブルの上に並べられる。本日のメニューは日本食のようだ。
 二人は対面にそれぞれ座ると、いただきますと手を合わせた。

「そうだアラン。昨日の話の続きしてくれよ。えっと……部隊の皆でアランの実家に行った話」
「そういえば途中だったな。どこまで話したか……」

 アランの話は翔太にとって、とても面白いものであった。聞けば聞くほどファンタジーの世界であり、ゲームにのめり込んでいたあの頃のようにワクワクした。
 一方で気になっている事があった。それはアランが何という名のゲームやアニメなどに登場するキャラクターなのか“不明”な事だ。インターネットで調べる限り、同名のキャラクターはいれど容姿が異なるものばかり。今目の前に居る“アラン”は何処にも居ない。
 本当にアランは逆トリップしたのか?──仮にそうで無いにしろ、翔太は密かに願う。“帰ってほしくない”と。

「……大丈夫か?」
「えっ」

 箸の手が止まっている事に気付き、翔太は「悪い悪い」と軽く笑う。

「勉強のし過ぎで疲れたのかもな」
「勉強といえば……ショウタがよく行っている図書館に行ったんだ」
「そうなのか?」
「ほらこの前、ショウタの勉強手伝おうとして逆に教えられてしまったからな……。少し勉強したから、手伝えると……思う」
「わざわざ勉強を? 退屈だったんじゃないか?」
「いや全然。とても興味深い」

 心なしか生き生きとしている様子を前に、俺と真逆なんだなと察する。

「俺は勉強好きじゃないからそんなに楽しくは出来ないなー……」
「なのにこれだけ勉強しているのか。スゴイな」
「んー……」

 翔太は素直に喜ぶ事が出来なかった。

「……悪い。軽はずみなことを言ったな」
「あ、いや良いんだよ。それは嬉しいんだけどな。ただその……俺は母さんに恩を返したいのと、将来お金に困らないようにって思ったから、良い大学に入りたいし良い会社に就職したい。でもそれが本当にやりたい事かって聞かれると何だかなぁ……」

 あ、と翔太は声を洩らす。

「ご飯冷めちゃうな。食べたら勉強付き合ってくれよ。やっぱり誰か居ると捗るし」
「わかった。頑張るよ」

 ここ数日、アランは一人考えていた。
 自分が彼らの為に出来る事は無いだろうか。その結論は未だ明確では無い。が、一つだけ考えたのはある。

「……ショウタ」
「ん?」
「少し相談があるんだが……」


 アランが相談を持ちかけてから三日後。
 翔太が学校で授業を受けている頃。アランの姿はアパートに無く、陽子が働くスーパーにあった。
 早い話。自分も働けないかという相談だったのだ。

「君が陽子さんが言っていた子だね。話は聞いてるよ」
「唐突なお願いにも関わらずありがとうございます。よろしくお願いします」
「はは、こちらこそ頼むね」

 陽子が長い間働いていたのもあり、“記憶喪失の外国人”であるアランは特に問題無く平日の夕方まで働ける事となった。

「今日初日だったんだろ? どうだった?」

 夕食の席にて、翔太は早速その話を持ち出した。気になってしょうがないといった様子の翔太に苦笑を浮かべつつ。

「慣れてないからか思った以上に大変だったな。商品を運ぶのとか、どこになにがあるのかとかだったら良いんだが……」
「……レジに苦戦したとか?」
「そう。……ってよく分かったな」

 戦いの方がずっともっと楽な気がする。
 そんな考えが脳裏を過ぎるアランに、翔太はまあなと返して。

「少しずつアランの事分かって来たから……かな」
「ちょっと照れくさいな……」
「何でだよー」

 一人だった部屋に笑い声が静かに響く。
 そして瞬く間に十一月が終わり、十二月を迎えた。
 元の世界へ帰る方法の手かがりすら見つけられないまま……。


「ごめんなさいね。買い物に付き合わせてしまって」
「気にしないでください。荷物持ちぐらいなら手伝えますから」

 十二月の初め。その日、アランは陽子と共に仕事(アルバイト)をいつもより早めに切り上げ、街を歩いていた。

「それで……なにを買う予定なんですか?」
「実は……もうすぐ翔太の誕生日で、そのプレゼントを」
「えっ」

 全く知らず、驚くアランに小さく笑みを溢す。

「い、いつですか?」
「来週の日曜日」
「す、すぐですね……。でもオレに手伝ってほしいというのは……」
「今回のプレゼントはマフラーにしようと考えていて、アランさんには着け具合のアドバイスを頂きたいのです。ほら、翔太と体格が似ていますし」
「分かりました。頑張ります」
「お願いしますね」

 そうして店から店へと足を運びマフラーを選ぶ二人であったが、アランは悩んでいた。自分も翔太へプレゼントを渡したいが、果たして何が良いのか。

「アランさんのおかげで良いマフラーが見つかりました。あ、くれぐれもこの事は内密に……」
「もちろんです」

 夕食の買い物も済ませ、帰路に就く。予想以上に時間がかかってしまったよう。今日は夕食が少し遅れそうだ。

「母さんっ、アラン!」

 そこに、ちょうど家に向かっていた翔太が二人と合流。白い息を洩らしながら二人と並ぶ。

「今日は帰りが早いんだね」
「早めに上がらせて貰ったの」
「そうなんだ」

 翔太と陽子の話を片耳に、アランの頬が緩んだ──その時。

 “アラン”。

「っ……」

 誰かの声が聞こえた。確認しようと振り返るが誰も居ない。
 けれど確かに聞こえた。誰なのかは分からなかったが、聞き覚えのある声が自分の名を呼んだ。
 ……そうだ。オレには帰らなきゃならない場所がある。帰りたいと思える世界。大事な人達は、きっと待ってくれている。

「アラン? どうかしたか?」

 ただ……もしオレの我儘を聞いてくれるなら、あと少しだけ時間が欲しい。

「なんでもないよ」

 オレがこの世界に来た“意味”が分かるまで。

「あ、そうだ母さん。今度三者面談あるんだけど……」
「分かったわ。空けておくね」
「うん。ちょっと緊張するけど……」
「そうなのか?」
「キツいこと言われたらちょっとな」

 “……もう少しだけ、待ってあげる”。


 ◆


 翌日のお昼休憩時。アランはスーパー外階段でお昼を食べながら、翔太に贈るプレゼントを考えていた。

(あまりお金が掛かるのも気を遣わせてしまいそうだし……オレにしか贈れないものとか? いやでもそんな物があるわけ……あっ。)

 ふと思い出したのは、第一回ベルタ講義。色々あって二回目は開講されなかったあの時の話。エレメントの力を結晶化する、というものだ。
 集中するあまり大きなサイズの結晶となってしまったが、今なら上手くいきそうな気はする。少し加工を施したものを贈ることにしよう。明日は一日ショウタの勉強を手伝う約束だし、材料を買うなら帰りだな。

「……」

 もう一つ、アランは帰る前にやりたい事があった。自分が帰った“あと”を見越して。

(……今頃向こうはどうなっているんだろうか……)


 そして迎えた日曜日──。

「ショウタ。そろそろ休憩にしないか? ヨウコさんも早めに帰ってくるって言っていたし」
「そうだな」

 休日だろうが関係無く、朝は普段通りに起床し勉強を始める。背中を伸ばして肩の力を抜くと、広げていた教科書や参考書を片付ける。
 対してアランは夕食の支度を……の前に、棚に隠しておいたプレゼントを後ろ手に隠し、翔太の前へ。

「ショウタ」
「ん?」
「誕生日、おめでとう」

 ハイと簡単に包装したプレゼントを渡す。翔太はアランとプレゼントを交互に見遣り、不思議そうに目を丸くしながら受け取った。

「あ、開けても……」
「もちろん」

 中に入っていたのは、金属の金具が付いた黄色の結晶。中には小さな光の剣が埋め込まれている。
 金具に通された紐を持ち上げ、結晶を見つめる翔太の目は輝いていた。

「これ……アランが作ったんだよな?」
「ああ。黄色にするのに手間取ったけれどなんとか……」
「凄い……凄いよこれ! 一生大事にする!」
「大袈裟だな」

 内心良かったと安堵し、無邪気に笑う翔太に目を向ける。

「ヨウコさんの前だと渡しにくくて……」
「まあ母さんが見たら驚くだろうな……二人だけの秘密って事で」
「ああ」

 さてと、とアランはキッチンに立つ。それを見た翔太は自分も手伝うと立ち上がるが、いいよと制止する。

「疲れただろうし、ゆっくりするといい」
「じゃあ……」

 その言葉に甘え、翔太はアランの目が届かぬ奥の部屋に入る。電気も付けずに窓辺へ向かうと、結晶を月光に翳す。
 改めて実感した。アランはこの世界に居るべき存在では無いと。
 帰って欲しくない気持ちは日に日に強まっている。だが、いつかは諦めなければならない。彼は帰りたいと思っているのだから。
 けれどもしアランが帰ってしまったとしても、彼と過ごした日々は忘れたくない。出来ればアランにも忘れて欲しくは無い。

「……よし」

 手紙を書こう、と翔太は思った。帰ることが出来たら読んでほしいと付け加えて。
 アランが帰る時、自分はそこに居るか分からないから。


 そのまた数日後の事。
 翔太の身に、ちょっとしたトラブルが起きた。

(母さん来ないな……)

 授業が終わった放課後。普段なら下校するのが早い翔太だったが、この日は学校に残っていた。
 何故なら今日は三者面談が行われる日だからだ。翔太は昇降口で母陽子を待つも、現れる気配は無く。そろそろ翔太の番が回ってきてしまう。
 何かあったのかと不安になった直後、見慣れた人物が昇降口に駆け込んで来た。

「あ、アラン……⁉︎」

 アランは翔太を見つけると駆け寄り、軽く呼吸を整えると。

「これ……ヨウコさんが先生に渡してくれって」

 差し出したのは白紙の紙を四つ折りにしたもの。分かったと小さく頷き受け取る。

「な、何かあったのか?」
「今日、急に欠員が多く出てな。休む時間すらなくて……」
「そうだったのか……。でも母さん今日しか空いてないって言ってたな。どうするか……」
「そのことなんだが、ヨウコさんに頼まれたんだ。自分の代わりに出てくれないかって」
「えっ」

 翔太が驚くのも無理も無い話だ。志望校やら何やらの話を聞いた所で、アランが直ぐに理解するのは難しい。それはアランも、そして陽子も理解していたらしく。

「先生から聞いた話をそのまま伝えてくれればいいと言われた。紙にもそう書いておくからと……」
「ま、まあ、一人でやるよりは良いか……」

 話しているうちにも時間が来てしまい、翔太は慌ててアランを連れて教室に向かった。

「……事情は分かった。出来れば親御さんに来てもらいたかったけどな」
「俺はちょっと助かったけど……」
「そうなのか?」
「あ、いや、やっぱ無し!」

 教室で待機していた担任の先生に陽子からの伝言を読んでもらい、アランの同席を許可してもらう。
 アランの見た目に驚いている様子であったが、ひとまず面談を始めて。一通り進めると、いよいよ志望校の話へと移る。

「志望校判定はBだな。今のままの成績なら合格出来ると思う。気を抜かないのと、あとは英語だな」

 うっと顔を顰める翔太に、だけどと話を続けて。

「将来どんな職に就きたいか、今でも決まってないのか?」

 翔太は俯いてしまった。

「……そうか。急いで決めろとは言わないが、興味があるかないかは分かっておいた方がいいぞ。お母さんを大切にしたい気持ちは素敵だけどな」

 話は以上だと面談が終わり、翔太とアランは学校を後にする。
 あれから元気が無い翔太に話しかけるべきか考えあぐねていると。

「……ん?」

 ピシャッと肌に落ちる水滴。
 釣られて空を見上げれば、瞬く間に降り注ぐ雨。

「うわっ⁉︎」
「ショウタ! とりあえずあそこに!」
「そうだな!」

 雨は数秒のうちに勢いを増し、二人は雨宿りを余儀なくされた。
 近くにあった古びたバス停に駆け込み、うわあと屋根の外を見つめる。

「今日雨が降るなんて聞いてない……」
「すぐに止むといいけどな……」

 立っているのも疲れるからと椅子に座る。二人が雨宿りしているこのバス停は使われていないらしく、他に誰かが来るような気配は無い。
 いざとなったら翔太を抱えて走ろうと考えるアランを、なあと呼ぶ。

「どうした?」
「アランはさ……何で戦士になったんだ?」
「え……」


 ◆


「そう言えば聞いてないなって思ってさ」

 嫌なら良いけどと言う翔太に、緩く首を横に振る。

「小さい頃にオレ、モンスターに殺されかけたことがあって。そのときに助けてくれた人がいたんだ」
「……その人に憧れたんだ」
「そうだな。初めてスキルっていうのを見て、キレイだなとかカッコイイなって。今思えば、殺されかけた直後だったのにな」

 あの出来事が無ければ、きっと自分は戦う道を選んでいない。そう思うほど、自分の未来を大きく左右した出来事だった。

「その後は? やっぱり大変だった?」
「まあな……。士官学校に入って、戦い方を学んで」
「……士官学校って?」
「戦士を教育する学校みたいなものだな。オレはそこで師匠に弟子入りを申し出たんだが……一回断られて」
「い、意外だ……」
「そのときは強さを求め過ぎて、いろいろ見失ってた時期だったからな。自分を見つめ直すきっかけを貰った。二回目で受け入れて貰えたんだ」

 師匠などと言った繋がりは、翔太には理解出来ない。先生と生徒とは違う強い絆がそこにはあるのだろう。

「士官学校を卒業して、試験を合格して、今の部隊のみんなと出会った。……そこでやっと戦士になれたんだ」

 と、ここまで話し終えたアランは察していた。どうして急に、翔太はそんなことを聞いてきたのか。
 だが、アランと翔太では、これまで歩んで来た道が全く異なる。アランの歩みが、翔太がした質問の意図に当てはまるかといえば……分からない。

「……でも。戦士を目指してた頃より、今の方がずっと大変だな」

 アランは話を続ける。

「痛い思いも、苦しい思いも、これまで以上に味わってきた。オレのせいでみんなを巻き込んだことだってあった。……生きていてはいけないと言われて、死を選ぼうとしたこともあった」

 今でも当時を思い出すと胸が苦しくなる。眉間に皺を寄せるアランに、翔太も締め付けられる気がした。

「思い描いていた夢とは違う……それが現実なんだと思い知らされて、何度も諦めかけた。けど……諦めきれなかった」

 胸の奥で燃え続ける炎は、あの頃から今日まで消える事が無かった夢そのもの。

「オレにとって“戦うこと”は、これまで生きてきた『答え』なんだと思う。今日まで得た知識、今日まで磨いてきた技。それを全部使って得た“結果”が、戦いに繋がる。……だから『答え』は何度だって変わる。生きている限り」

 アランは俯き気味だった顔を上げ、正面を見据える。

「……そう気付いたのは、最近になってからなんだ。いろんな人と戦って、傷付けて、それでも前に進んだ先で見つけた。だから……今決めた将来を、いつの日か変えたっていいと思う。将来が分からないからって、無理に決めなくてもいい。いつか分かった時の為に選択肢を増やしておくのだっていいはず」

 きっと、この日だったんだ。

「誰かを傷付けて、出会いと別れを繰り返しても、……自分が生きているだけで、幸せだと思ってくれる人が居る。それだけでオレは、“アラン”というオレを生きていけるんだ」

 オレがこの世界に……“翔太”と出会った意味は。
 今日、この時のために。
 ……多分、夢が分からないっていうのは苦しい事だとは思う。夢を見つけても、叶うかどうかも分からないから踏み出せなくなる事だってある筈。
 打ちのめされる現実に向けて、俺は歩き始めている。母さんの為って思っていたけれど、自分が傷付きたくないからのもあったかもしれない。

「……俺は、俺として生きていけるかな……」

 はっきり言って自信は無い。アランのように自分の意思をまっすぐに貫き通す事なんて。

「自分の名前を忘れなければ、きっと見失うことはない」

 自分の名前を忘れるなんてある訳が無いとは思うが、アランは忘れてしまった事があるのだろう。あながち、記憶喪失という設定は的外れでは無さそうだ。

「……あ」

 雨はいつの間にか止んでいた。
 アランは椅子から立ち、翔太に振り返る。

「帰ろう。ショウタ」

 翔太も椅子から立ち上がるが、鞄の中に手を入れてあるものをアランに渡す。

「……手紙?」

 それは、一通の手紙であった。
 便箋の表には“アランへ”。裏には“翔太より”と、翔太の字で書かれている。

「もしアランが居た世界に帰る事が出来たら……読んで欲しい」

 アランは受け取ったのち、瞼を閉じる。

「……必ず持って帰るよ」

 その次の日だった。
 アランが俺達の前から“居なくなった”のは。


 はっとして意識を呼び起こす。
 目を開けるとそこは、見慣れた景色とはかけ離れた空間。真っ白に塗り潰されていながら、不思議と心地よさを感じる。

「──アラン」

 名を呼ばれて初めて、アランはその人物を視界に捉えた。

「ラフェルト……」
「これ以上は待ってられない」

 腕を組み、こちらを睥睨する黒い瞳。一度視線を背後に向けるが、そこには何も無く。

「帰るよ」

 ラフェルトに視線を戻すと、なんの前触れも無く階段が天に伸びるように現れる。先を登るラフェルトを追うように、一つずつ階段に足をかける。
 登るたびに翔太と過ごした日々の記憶が遠のいていく感覚がし、アランは足を止めた。

「……なに?」
「“これ”は、オマエがしているのか」
「なんでもかんでも僕のせいにしないでほしいんだけど」

 思わず反論しそうになるも留める。ラフェルトは溜め息を洩らし、否定する。

「それは違う。あの世界に関わられることを嫌がるものがいるだけ」
「ラフェルトは違うのか」
「それをあんたに言ったところでなにになる」

 長いようで短い沈黙後、アランは大切に持っていた手紙を取り出した。

「ならその前に、これを読んでもいいか」

 ラフェルトは階段に掛けていた片足を下ろし、アランに背を向ける。

「早くしてよね」


 幾らなんでも急過ぎると俺は思った。
 学校から帰って来た時、普段なら先に夕食の支度をしているアランの姿は無く。嫌な予感がした俺は、すぐに母さんとアランが働いているスーパーに走った。
 母さんの知り合いにアランの事を聞くと、不思議な事に覚えていなかった。アランの面倒を見ていた筈の店長でさえも。
 誰かに俺が来ていると言われたらしい母さんと一緒に家に帰り、アランの事を話した。母さんは覚えているようで安心した俺は、アランは記憶喪失何かじゃなくて違う世界から迷い込んだのだと話した。母さんは半信半疑ではあったものの、俺達以外にアランを覚えている人が居ないという事で理解してくれた。

「実は……アランさんから手紙を預かっていたの」

 そう母さんは俺宛に書かれた手紙を渡した。俺の誕生日に、アランは俺に隠れて母さんに預けていたらしい。自分が急に居なくなることがあれば、と俺と母さんそれぞれに宛てた手紙を。
 二枚に渡って綴られた手紙には、もしも帰るときに会えなかったら“ありがとう”と“さようなら”を言わせてほしい。そう始めに書かれていた。俺がアランに渡した手紙にも似たような事は書いたが、やっぱり直接言いたかった。
 だけど俺の願いは叶ったらしい。アランが残してくれた手紙、誕生日にくれたプレゼントは俺の手元に残っていた事。そして、俺がアランに渡した手紙が何処にも無かった事が、夢じゃないのを教えてくれた。
 悲しみを引き摺りながらも、俺は翌年高校を卒業。希望していた大学に入学した。


 2021年、12月。日本某所。
 一昨年の春に大学を卒業した俺は、そのまま新卒として会社に就職。母さんに少しずつお金を送りながら、二十五歳になった今は一人暮らしをしている。
 昨日母さんと電話をしたからか、アランと過ごした十八歳の頃を夢に見た。あの頃と違うのは、プレイを控えていたゲームをやり始めた……ぐらい。未だに自分がやりたい事を見つけられずにいる。

「そういえば……」

 何かを思い出した翔太は、ベッドの傍に置いた携帯端末を手に取った。検索サイトを開き、“アラン ゲーム キャラ”と入力。あれから結局、アランが何という名のゲームやアニメなどに登場するキャラクターなのか調べていなかった。とりあえず先にゲームを調べようと思い、画像をスクロールする。
 だが、翔太が知る“アラン”の姿は無い。半ば諦めながらも進んでいった先。

「あっ……」

 埋もれるようにしてそれはあった。
 とある携帯アプリゲームの画像に描かれていたのは、自分が良く知る“アラン”その人。
 約七年振りに見たその姿に、翔太の胸が熱くなる。

「そこに居たんだな……」

 アランが登場するゲームがリリースされたのは2015年。二人が出会った2014年は、リリース前であった為に当時調べても出てこなかった。
 だが翔太が調べる限り、ゲームの世界観とアランの話は似ているようで異なるもの。結局のところ、アランがどの世界から迷い込んで来たのかは分からない。
 それでも触れられずには、遊ばずにはいられなかった。
 そしてそのゲームを通して、翔太がゲーム関連の職に興味を持ち始めるのは……また別のお話。

「……もしもし母さん? 朝早くにごめん。今年、少し早めに帰るよ。実は母さんに話したい事があってさ。……うん。俺、アランを見つけたんだ。勿論、ゲームの中での話だけどな」


 ◆


 『世界の再来ラグナロク』を阻止し、やっと『エレメンタル大陸』に平穏が訪れた日常の、麗かなある朝。
 事件は唐突に発生した。

「アランー? どうしたのー?」
「入るぞー」

 まず始めに。普段なら朝食を作っている筈のアランが居ない事に気付いたレベッカとベルタが、部屋の扉をノックするも応答は無く。不思議に思い、扉を開ける。
 中の様子を伺い、二人は揃って顔を見合わせた。アランの姿はベッドにあったものの、深い眠りについているようであったからだ。ベッドの傍に移動すると、ベルタは手のひらサイズの氷を生成。そっと頬に当てる。

「……起きないな」
「ビクリともしないわね」

 よしとレベッカは己の拳を突き合わせると、ベルタとは反対側へ。

「本気で行くわよ」
「……直前で止めるよな?」
「そのつもりでいるわ」

 深呼吸を繰り返し、カッと目端を釣り上げる。
 ──ゴンッ‼︎

「あっ……」

 勢い余って額に拳が衝突。しまったと恐る恐る腕を離していく。

「起……きないな」
「そ、そうね」

 赤く腫れてしまった額に回復スキルを施し誤魔化す。
 だが、状況は以前変わらず。流石に可笑しいとブレイドとヴァニラの二人も呼び寄せ、全員でアランの名を呼び続ける。……も、虚しく。

「どうして起きないのかな」
「前みたいにスピリットしか罹らない病気とか……?」
「なら医者を呼んだ方が……」
「ちょっと待て」

 と、制止するブレイドに視線が向く。

「どうしたの?」
「これ……ラフェルトと戦った時と似てないか?」

 当時を想起させる光景に、言われてみればと眉を顰める。

「仮にそうだとして、理由はなんだ」
「そんなの本人から聞けば良いだろ」
「……お前を当てにした私が馬鹿だった」
「はあ⁉︎」

 その傍らで、ヴァニラは自身のエレフォンを操作して誰かに通話をかける。一コールも鳴り止まない内に、彼は出た。

『はいはーい! こちら「オータムヌ探偵事務所」しょ』
「レイ。おはよう」
『ヴァニラちゃんはいつになったら僕の話を聞いてくれるのかな……』

 連絡を取ったのは昔からの付き合いである、レイ。と言っても用があるのは彼では無い。

「ねえ。今どこに居る?」
『何処って……今日休み一緒だから、皆の話聞きに行くからねって言ったの忘れちゃった?』
「そうだっけ」
『じゃあ何で電話したのさ〜』
「アランが目を覚さないの。なにをしても起きないから、ブレイドがラフェルトのせいじゃないかって」
「言ってない言ってない」

 即座にレベッカが突っ込む。

『つ、強く否定出来ないけど……。それでさっきの質問になったんだね』
「うん」
『とりあえずアラン君の様子も見たいから、玄関……開けてくれる?』
「もう居るの?」
『ちょっと前に着きました』

 駆け足で一階に向かい、レイを招き入れる。
 眠り続けるアランを前に、レイは「本当に起きないね」と口にした。

「レイ。ラフェルトが関わっているかどうか分からないか?」
「気配は感じないけど……。でも違ってたとしても同じスピリットだし、何か分かるかも知れないね」
「じゃあ聞いてみるか」
「レイの事務所に居るの?」
「ううん。分かんない」

 その場の空気が重くなったように感じた。
 慌ててレイは手を握り、愛想笑いを浮かべる。

「だ、大丈夫! 呼べば良いんだよ!」
「……そんな素直に来るのか?」

 信じられないといった具合に白い目を向けるブレイド。レイは目を泳がせながらも、大丈夫だと言い聞かせるように繰り返す。
 徐に窓辺へ近づき、精一杯息を吸い込むと。

「オーレアくーん‼︎ 今から一分以内に来ればラフェルトの失敗談を聞かせ──おごッ⁉︎」

 その叫びは途中で途切れた。
 腹に蹴りを入れられ、床に叩き落とされたレイは一撃ダウン。ぴよぴよとひよこの幻影が頭の上で飛び回る中、窓辺から部屋に着地した人物が一人。
 探していた、ラフェルトだった。
 はあと溜め息を洩らしたと同時、ベッドの上で眠るアランに気付く。傍に寄り、アランを見下ろす。

「……なに、これ」

 即座に異変に気付いたらしいラフェルトに、ブレイドは目付きを鋭くさせて。

「お前が関係しているんじゃないのか?」
「なんでもかんでも僕のせいにしないでくれる」
「前例があるからだよ」

 体を起こしたレイを見遣り、眉を顰める。
 次にラフェルトは、何故かアランが掛ける布団を捲った。上半身に続いて、下半身を捲ったその時。

「あっ──」
「うわあああああああああ⁉︎」

 その場に居た全員が、反応は違えど驚愕した。
 悲鳴を上げたレイが、震えながら指差す。

「あああアラン君の足……足が……無いッ‼︎」
「消えかけてるだけだ馬鹿!」

 アランの両足が共に半透明と化し、背後の景色と同化しつつあった。少しずつだが、足全体に広がっている。

「な、何だ、またモータル病か?」
「そのときとは少し違う気がするわ。こんな風に静かじゃなかったもの」

 ベルタとレベッカの会話を片耳に、ヴァニラはねえとラフェルトに話しかけた。

「なに」
「なにかわかったの?」
「聞いてどうするの」
「疑問が晴れる」

 ラフェルトは目を細めていたが、諦めたように肩をすくめて。

「今のアランはただの“肉体”。精神がどこか別の場所に飛んでる」
「肉体だけって事はまさか……」
「それは違う。どこかに飛んだ精神を追いかけてゆっくりとワープしている状態。だから死んではない……けど」

 安堵したのも束の間。ラフェルトの話は続く。

「飛んだ先によっては帰って来られない可能性がある。今回はきっとそれ」
「こ、このまま消えるってことよね」
「うん」

 眠るアランの顔を見つめる。
 こうしている間にも、アランは自分達の思いもよらぬ場所で独り過ごしているのだろうか。

「そ、そんなのって……」
「このまま消えられても困るから迎えに行く」

 直後、ラフェルトの姿がひとひらの青い蝶へと変化する。そのままアランの額に羽ばたき、溶け込むようにして消えた。


「ん……」
「アランッ……!」

 アランが目を覚ましたのは、次の日の夜であった。
 心配だからと部屋にて待機していた一同の前に、アランの肉体から飛び出した青い蝶──ラフェルトが人型となり降り立つ。弾かれるようにアランの元へ駆け寄り、様子を窺っていたところ。ゆっくりと瞼が開かれる。

「アラン大丈夫?」
「……大丈夫って……なにが……?」

 上体を起こし、後頭部に手を添えながら首を傾げる。

「ふ、二日ぐらい眠っていたんだぞ」
「覚えてない……?」

 困惑気味に問い掛けられるが、いやと首を横に振って。

「二日眠っていたって……どういうことだ……?」

 四人は一斉に背後を見遣るが、そこに居るであろう人物の姿は無く。半開きの窓から風が流れ込む。

「なんだ……」

 アランは戸惑いつつ、眉を顰める。
 彼の“精神”が何処で何をしていたか。当の本人ですら分からない。
 ただ一つ分かるのは──。

「……?」

 解読不能な文字で書かれた手紙を持っていた事だけだ。

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