外伝まとめ


 ──夜明けを迎え、夜空に光が訪れる。

 朝日が昇る少し前に青年は目を覚ました。隣で寝ている同居人を気にすることなく、手短に支度を整えては外へ。軽く運動を済ませ、日課である走り込みに出発した。

 この青年こそが、今作の主人公である『アラン』。第14小隊のリーダーを務める彼は、とある手紙をきっかけにこの地を少しの間だけ離れることとなる──……。

Five Elemental Story 〜外伝 アラン実家編〜


 はじまりの地、ミラージュ・タワー。
 ここは、大陸の要たる五つの『モルス』の下、各部隊に対する指示、運営等を行なう本部である。部隊の隊長・リーダー(及び、それに準ずる者)は、一日の初めに本部へと出向き、個々に振り分けられた依頼(本部が管理している正式なもの)を受け取る必要がある。振り分けられた依頼をこなすのが、部隊としての主な仕事だ。部隊としての名声度が違えば依頼も少なく、難易度が高いものへと変化していく。

 アランはリーダーに着任する以前から、この作業をこなしていた。

「今日は少ないな……」

 鍛錬後。拠点へ戻る前に、今日も今日とてアランは一日分の依頼を受け取る。量の少なさに、個人で依頼を受けるのもいいなと考えながら本部を後に。その時、本部の中から聞いたことがある声が。

「ちょっと待ったー!」

 ビクッと肩が跳ね上がる。危うく依頼の束を落としそうになったが、ギリギリで拾い上げた。

「びっくりした……。お、おはようございます、ルシオラ様。オレになにか用ですか?」
「おはよう、アランくん。実はね……これが本部に届いていたんだよ」

 白獅子王の側近をしている光の精霊『ルシオラ』。ルシオラは一通の手紙を取り出すとアランへ。

「これは?」
「アランくん宛の手紙みたいだよ。たぶん、アランくんに送りたかったけど、拠点の住所を知らないから本部に送ったんじゃないか〜って、ア……白獅子王様が」
「ア……白獅子王様が?」

 白獅子王『アルタリア』の本名は公開されていないため、本部近くで名を出すことは厳禁である。ルシオラは苦笑しながら続けて。

「アランくん宛だって分かったら白獅子王様、真っ先に回収してたんだよね〜。今日は起きていらっしゃらなかったから、ボクが代わりに届けに来たよ」
「ありがとうございます。白獅子王様にもそうお伝えください」
「うんうん。じゃあ、今日も頑張ってね☆」

 ばいば〜いと駆け足で戻っていくルシオラ。手紙の差出人が気になりながらも、アランは拠点へと戻る。

「……」

 が、やはり気になって仕方がない。

 アランは近くに見えたベンチに座り、手紙を確認することにした。

「差出人は……」

 表には『アラン様』、裏には住所と名前が。その名前に驚愕すると、アランは丁寧かつ手早く開封。中に折り込まれていた便箋を開き、文字を追う。

「え……」



 はじまりの地、第14小隊拠点。
 ここは、アランをリーダーとした五人の冒険者が住まう拠点。アクセスはいいが、改修工事不可避なボロい建物だ。

 時刻は午前7時。五人全員が一階に集い、朝食を食べ進める。

「レベッカ。その……ケチャップ取ってくれないか?」
「ケチャップ? かけてあげるね」
「それはちょっ……」
「やべぇ、オムレツが血ま」
「やめろ。」

 朝から元気な三人の会話を耳に、黙々とパンを頬張っていたヴァニラはふと気づいたことを。

「アラン。今日元気ないわね」

 と言われ、アランは気まずそうに顔を逸らした。その反応に、三人は不安を抱く。

 もしや……
 まさか……
 もしかして……


 反抗期……!?


 何故そうなる。

「あー。いきなりで悪いんだが……少しの間、ここを離れてもいいか?」
「どうし」
「家出か!? 反抗期かアラン!?」
「なぜそうなる!!」

 椅子から立ち上がるブレイドに思わず叫ぶ。

「だだだだ大丈夫だぞぞぞぞいいいいええ」
「そっちが大丈夫か!?」
「ごめんなさい……ワタシ達がアランに頼りっぱなしダカラー」
「……ホントに思ってる?」

 ベルタはカップを持つ手をガタガタと振るわせ、レベッカは顔を両手で覆いながら。とんでもない勘違いだと、アランは溜め息を洩らし。

「家出でも反抗期でもねえよ。オレの実家から手紙が来て、ややこしいことになってそうだから一旦帰るだけだ」
「……実家?」
「そうだ。一週間ぐらい? 向こうにいようかと。無理そうならまた今度にするが……」

 と言うより、四人だけで管理が出来るか不安なのである。

 四人はお互いに顔を見合わせると、どうして行かないの? と言いたげにアランを見つめて。

「……行ってきた方がいいんじゃないかしら」
「逆に聞くが……どうして帰らない?」
「何かあったなら行くべきだろ」
「わたしもそう思う」

 オマエらが心配だからだよ、とアランは突っ込みたくなるも、気を遣ってくれている仲間達に押し黙って。


「ありがとう。準備が出来たら出発しようと思う」



 アランの実家は、世間で言う田舎の方にある。

 “はじまりの地”から出発すること五時間……あらゆる移動手段を利用し、辿り着いた先は“光明の地”の奥深くにある館。

 どこか不気味な雰囲気を纏う館に到着したアランは、迷いなく門を開き扉に向かう。

 チャイムに代わる金属の呼鈴を鳴らし、到着を知らせると。数分待たずに内側から扉が開き。


「お待ちしておりました。坊ちゃん」


 出迎えたのは執事服を着た老人。片手を胸に添え、深々と頭を下げる。

「久しぶり。ジイジ」

 アランがそう呼ぶと老執事は顔を上げ、嬉しそうに微笑み返した。

「お荷物、お預かりします」
「ああ。……それで、話って?」
「サロンにてお話しいたします。少しだけお待ち下さい」
「わかった」

 老執事はアランから預かった荷物を置きに部屋へ。アランはお土産が入った紙袋を手に、久しぶりの実家を懐かしみながらサロンへ足を運ぶ。



「お待たせ致しました坊ちゃん。おや、この香りは……」
「ありがとう、ジイジ。ただ待っているのもイヤだから、紅茶を淹れていたんだ」

 ジイジには程遠いけど。と付け加え、照れ臭そうに笑う。老執事はアランの言葉に感嘆して。

「坊ちゃんがさらに御立派に……じいじは嬉しいですぞ」
「相変わらずジイジは大袈裟だな」
「ほっほっほっ。では、冷めないうちに頂くと致しましょう」
「期待はしないでくれ……」
「何を言いますか。坊ちゃんのお茶が美味しくないわけがありませぬ」


 ──老執事の名は『セバスチャン』。この館に住まうたった一人の使用人で、幼い頃から家主であるアランの身の回りのお世話をしている。アランにとっては、育て親とも言うべき人物だ。アランはセバスチャンを“ジイジ”と、セバスチャンはアランを“坊ちゃん”とお互いに呼び合っている。


 二人は、サロンに置かれた椅子に向かい合うように座り、紅茶を愉しむ。セバスチャンは香りを楽しんだ後、一口。美味しいですと頬を緩ませて。

「ところで、この屋敷を一人で管理するのは大変じゃないのか?」
「大事な坊ちゃんが帰る場所を守るのが私の役目であり、生き甲斐ですから。それに、坊ちゃんをお世話させていただくのは、私一人でありたいのですよ」

 セバスチャンの言葉に、照れながらもありがとうと返す。

「あっ」

 ここでアランは、忘れかけていた重要なことを思い出した。セバスチャンから差し出された手紙の内容についてだ。

「ジイジ、手紙送ってくれただろ?」
「はい。坊ちゃんの所在地が分からず、申し訳ありません」
「いやそれは大丈夫。教えるから住所。……そうじゃなくて内容の方! 『少々面倒なことが……』って書いてあった話の方!」

 急ぎの話だと思い飛んできたので、のんびりと紅茶を飲んでいる場合じゃないと気付き、慌てる。

 一方でセバスチャンは、まあまあとアランを落ち着かせて。

「そう焦らなくとも良い話なのですが……。いずれ大事になってしまうかと思い、ご連絡させていただきました」
「えっ。あ、そうなのか……」

 落ち着いたアランは紅茶を一口。セバスチャンはカップに両手を包み込むように添えながら話した。

「坊ちゃん。この館から少し離れた場所に、街があるのは覚えていらっしゃいますよね?」
「ああ……あまり行かなかったと思うが。それで?」
「その街の住民によると、ここ数日。近くの洞窟から魔物の唸り声がするとのお話が出ておりまして」

 セバスチャンが聞いた話によると。魔物の唸り声がするだけで、街に危害を加えてはいないらしい。だが、いつ襲われるか分からず、素人の自分達では判断も難しい。依頼を出そうにも、こんな田舎では何日かかるか分からない。日々、住民の不安が積もる一方。

「私もお世話になっている方々ですので、どうにか不安を解消してあげたいのです。どうか、坊ちゃんのお力をお貸しいただけないでしょうか」

 アランの答えは、すでに決まっていた。

「ジイジの頼みなら断れないな。オレで良かったら手伝うよ」

 その言葉に、セバスチャンは礼を述べた。

「でも……出来れば直接話を聞きたいな。街に行ってくるよ」
「お待ちを、坊ちゃん」

 椅子から立ち上がりかけて止まるアラン。

「もうすぐでおやつの時間です。坊ちゃんも長旅でお疲れでしょうし、調査は明日からでも」
「でも……」
「坊ちゃん。」

 にこりと微笑まれる。
 アランは悩んだ末、椅子に座り直した。

「ふふ。では、坊ちゃん。暫しお待ち下さいね」

 セバスチャンはスキップしてしまいそうな上機嫌で、用意していたおやつを取りに向かう。

「……調子狂うな」

 いつもとは逆転の立場に、アランは苦笑いを浮かべたのだった。



 ──翌日。久方ぶりの自室で眠っていたアランを、セバスチャンが起こしに来る。

「坊ちゃん。お早う御座います」
「おはよ……今何時だ……」

 もう朝か。昨日は遅くまでジイジと話していたからか眠いな。

 のっそりと目を擦りながら体を起こすアラン。セバスチャンは手を動かしながら。

「八時で御座いますよ。よくお眠りになられておりましたね」
「そうか8時……」

 アランはハッとした後、サアッと血の気が引いていく。

「ウソだろ8時……!?」

 先程まで体を蝕んでいた睡魔は何処へやら。朝は四時起きのアランにとって、八時起床は寝坊にも等しい。

「坊ちゃんが思う以上に、体の方はお疲れだったのでしょう。今日ぐらいはどうか、休息なさって下さい」
「そうは言うが、なにがあるか分からないしな……」
「坊ちゃんのお力は、一日休息するだけで衰えるものなのですか?」
「……もう少し可愛く言えないのか」
「ほっほっほっ。老人に可愛さを求めてはなりませぬぞ、坊ちゃん」

 こればかりは年の功と言うものか。セバスチャンの返しを上回る言葉を思いつかなかったアランは、今日だけは休もうと半ば諦めた。

「では、坊ちゃん。こちらに御召し物の方をご用意させていただきましたので、こちらをお召しになられて下さいね」

 パタンと閉まる自室の扉。アランは後悔の念に引きずられながらも、用意された服装を手に取る。

「……ん?」

 肩の部分を持ち、服を広げる。何処か見たことがある服に首を傾げながら、思い返す。

 少しして、あっと思い出した。この服は子供の頃……ちょうど、アルタリア様と出会った日にも着ていたものだと。

 自分が居ない間にセバスチャンがリメイクしたようで、サイズはちょうど良く(何故か)、デザインも光沢がある大人の雰囲気。

 服を着るのではなく、服に着せられている感が出ないかと心配しながら袖を通す。



「お待ちしておりました。お似合いですぞ、坊ちゃん」
「ありがとう」

 服を着替えて食堂に向かうと、セバスチャンが朝食の準備を整えて待機していた。メニューは軽く、それでいてスタミナが付くようなものばかりだ。

 意味なく長い机を辿り奥に。アランが椅子の前に立つと、セバスチャンは座るタイミングに合わせて椅子を後ろから押し、腕に垂らしていたナプキンを膝上に下ろす。


 昔は当たり前のような光景だったが、少し離れるとこんなにも気恥ずかしくなるとは……。


 動揺を隠すように朝食をパクリ。美味しいと呟く。

「じいじの腕も衰えてはおりませんでしたな。では私も失礼して」

 そうセバスチャンはアランの斜め前の席に。食事は、二人揃ってすることが殆どだ。二人しかいない館で、一人ずつ食べるのは寂しいとの話。

「坊ちゃん。朝はどのような雰囲気なのですか?」
「そうだな……朝から騒がしいよ」
「ほう。それは誠に楽しそうですな」
「そうかな」


 確かにこことは大違いかもしれない。
 ジイジは、一人で寂しくはないのだろうか……。


 杞憂に過ぎないかもしれないが。アランはそんなことを思いながら、朝食を食べ進めた。

「では、坊ちゃん。参りましょう」

 朝食を食べ終えた二人は、昨日は断念した聞き込みをしに街へと出発。アランにとって、街に行くのは数年ぶりとなる。風景もぼんやりとしか覚えていないが、セバスチャンと道を進むにつれて記憶が徐々に甦る。

「そうそう。坊ちゃん、僭越ながら一つ御提案がございまして」
「提案?」

 街の入り口が遠目に見えかけた頃だった。セバスチャンははいと頷いて。

「聞き込みをする際、『自分は本部から派遣された調査員だ』などと名乗られた方が宜しいかと」
「それで大丈夫なのか?」
「恐らくは」

 アランはんー、と指を顎に添えて唸ると。

「わかった。……でもどうしてだ?」
「坊ちゃんが部隊に所属していると判れば、解決策が狭まってしまいますでしょう?」

 セバスチャンの言葉にアランは納得した。

 部隊とは戦う存在。変に調査するより、討伐してくれと頼まれるのは明白。仮に、不安の正体である魔物に害はなくとも。

 やはり、自分はまだまだだと未熟さを実感しながら、アランはセバスチャンと共に街へ足を踏み入れた。



「しばらく見ないうちに雰囲気変わったな……」

 街の光景に目をパチクリ。物珍しそうに辺りを見渡すアランに、セバスチャンは小さく笑みを溢した。

「ふふ。坊ちゃんは、街に足を運ぶ機会があまり御座いませんでしたな」
「からかわないでくれ……」
「ほっほっほっ。では、坊ちゃん。街を見回りながら聞き込みを致しましょうか。ご案内とメモ取りはお任せを」
「そうだな。宜しく頼む」

 ここは“はじまりの地”ほど活気のある街ではないが、それなりに賑わっているように見えた。人々は笑い、道端で会話に花を咲かせ、露店で買い物を楽しむ。規模が小さいゆえに、行く先々でセバスチャンと顔見知りの人物らに声をかけられたり。時に訊ね、時に楽しみながら聞き込みを続ける。


「あたしも詳しくは知らないんだけどねぇ、唸り声が聞こえる洞窟近くで、小さな女の子を見かけたって聞いたよ」
「小さな女の子? ああ、確かにそんな話を聞いたな……。何でか、唸り声がしない時に現れるとか現れないとか……」
「街の連中はビビってるみたいだけどよ。俺はよく分からない唸り声よりも、外れにある幽霊屋敷の方がよっぽど怖いよ。あそこはほんっと不気味だよな〜」


 何人かに聞き込みを繰り返すうち、少女の存在が浮き彫りとなった。この少女の謎を紐解くことが、解決への糸口かもしれない。

「……でも幽霊屋敷って……オレの家だよな?」
「街では密かに噂になっておりますぞ。子供達が度胸試しに訪れることもしばしば……」
「一応聞くが、驚かしていたりしてないよな? な?」
「……いえ?」
「ウソだろ〜……」

 トラウマだけは植え付けないでくれよ、とアランは溜め息を洩らす。

「その点は抜かりありませぬぞ。今度は坊ちゃんも御一緒に」
「さらに噂が悪化しそうだ……。あ、ここはまだ入ってなかったな」
「そうですな」

 カランカランと鈴の音が来客を知らせる。

 アラン達が入ったのは、衣類のシミ抜きなどを行うクリーニング店。いらっしゃいませと女の従業員が笑顔で迎える。

「本日はどのようなご要望で?」
「失礼、御婦人。私共はお客では御座いません」
「実は、本部から魔物の唸り声について調査するために派遣されまして。宜しければ、お話をお聞かせ願えますか?」

 セバスチャン、アランの順に事情を説明。従業員は「本部から……」と驚きながら数回頷き。

「その件なら夫の方がよく知っていますので……少々お待ち下さい」

 頭を下げ、店の奥へ。

「御夫婦で経営なされているようですね」
「ジイジは来たことあるのか?」
「いえ、残念ながら」

 話していると、奥に入っていった従業員の女が、店主で夫を連れて戻ってきた。

「あなた。この方々にお話して」
「ああ……。えっと、唸り声についてですよね」
「はい。些細なことでも大丈夫です」

 店主はポケットを探り、エレフォンを取り出すと操作し始める。

「俺、前に洞窟近くに行ったことがあって……その時に、唸り声を録っていたんです」

 これです、と店主は録音を再生。静かな店内に魔物の唸り声が響く。

「これは……間違いありませんか?」
「は、はい。間違いありません。あの、良かったらエレフォンにお送りいたしましょうか?」
「お願いします」

 アランもエレフォンを取り出し、録音のコピーをゲット。ありがとうございましたと店を後にする。

「思わぬ収穫でしたな、坊ちゃん」
「……」

 歩きながらセバスチャンはアランに声をかけるも、当の本人は考え事に夢中な様子。セバスチャンがもう一度呼ぶと、アランはハッと現実に。

「あ、悪い……どうした?」
「情報も大方集まりましたし、そろそろ帰りませんか?」
「そうだな。情報もまとめたいし、帰るか」
「はい」

 こうして、聞き込みによって得られた収穫を手に、彼らは街から引き上げた。



 街から引き上げ、情報をまとめているうちに、外はすっかりと帳が下りていた。

「……」
「坊ちゃん。少し休憩を」

 サロンにて。地図やら何やらを広げて睨めっこしていたアランの前に、セバスチャンは紅茶を差し出しながら告げる。セバスチャンが入って来たことに気付いていなかったアランは、驚きながらも紅茶を受け取った。

「此方もどうぞ。甘くないですぞ」
「気を遣わせてしまって悪いな」
「とんでもない。私が好きでやっていることですので」

 温かいうちにと勧められ、紅茶を一口飲み込む。あったまると胸が暖かくなるのを感じながら、カリッと酸っぱいお菓子も摘んで。

「して、坊ちゃん。何かお判りに?」
「えーっと……洞窟近くで目撃されている女の子の方は……やっぱり、直接話を聞いた方がいいと思っている」

 目撃情報はあるものの、肝心の核心に迫る情報は無い。アランは苦笑いを浮かべたが、でもとエレフォンを軽く持ち上げて。

「録音の方は、確実ではないが予想はついた……かな」
「それはつまり、記録されているのは唸り声ではないと?」
「恐らく。これはドラゴンの寝息かもしれない」

 そうアランは録音を再生。改めて聞いてみると、エンジンをかける音のようなのには変わりないが、規則正しいように聞こえる。

「興奮しているだけかもしれないが……前に、ドラゴンの寝息を聞いたことがあったから、それかもしれないと」
「坊ちゃんの言う通り、寝息のようにも聞こえますな。では、目撃されている方は調教師なのでしょうか?」
「まだ断言は出来ないけど、女の子を見かけるときは唸り声が聞こえないと言うのも気になるな。女の子は魔物と、何かしらの交流をしているのかもしれない。そのときだけ、魔物は目を覚ましているから唸り声が聞こえない……オレが考えたのはこんな感じだ」

 素晴らしいですぞとセバスチャンは拍手を送る。

「流石でございますね」
「オレはまだまだだよ。結局、その魔物とどう向き合ったらいいか決まっていないしな」

 推理しても、解決出来なければ意味は無い。

 難しい顔をしていたのは、どう対処するかを悩んでいたからだとセバスチャンは察し、アランの肩に優しく両手を置いた。

「坊ちゃん。じいじは、努力を決して怠らず、それを鼻に掛けることなく、謙虚な姿勢で在り続ける。そんな貴方様を、勝手ながら誉れに思っております。大丈夫です。貴方様は、貴方様が思っている以上に、素晴らしい方ですぞ」
「……あ、ありがとう……」

 セバスチャンはブランケットをアランの肩に掛け、笑いかける。

「今すぐに答えを出す必要は御座いません。明日、洞窟の近くまで行ってみましょう。運が良ければ会えるかもしれませんよ」
「ああ。ジイジは館に居ても……」
「是非とも、同行させていただきますぞ」
「……うん。危なくなったら逃げてくれよ」

 少しずつ前進しながら、二日目の夜が明けた。



 アランが拠点を出発してから、三日が経った。

 今日こそはと意気込んだ甲斐があったからか、四時に無事起床。日課である素振りと走り込みができた。

 セバスチャンもお弁当の用意を万全に整え、二人は少女を探して洞窟近くへと向かう。

「……聞こえて来たな」
「やはり、実際に聞くのとでは違いますね」

 耳を澄ませば、ドラゴンらしき寝息が聞こえる。アランは刺激しないよう、洞窟の入り口から離れた場所で足を止めると、ここで待っていようと告げる。

「ほっほっほっ。まるで物語の登場人物となったようです。かの有名な名探偵の台詞を言ってしまいそうですな」
「ジイジは呑気だな……」
「何事も楽しむが吉ですぞ、坊ちゃん」

 姿を隠しながら洞窟を張り込む二人。セバスチャンの楽しそうな様子に、アランは苦笑いを浮かべ。

「会えるといいけど……」

 そして時間は過ぎていき──。


「……」
「……」


 気がつけば、太陽が沈みかけていた。

「今日はタイミングが悪う御座いましたかな」
「そうみたいだな。道が分からなくなる前に戻ろうか」
「はい。また出直すと致しましょう」

 前日とは一変。今日は新しい収穫を得ることなく、二人は張り込みを途中で断念。足早に屋敷へと向かって歩いた。



 しかし、異変はその夜に起こった。


 グギャアアアアア……!!


「!?」

 自室にて眠っていたアランはベッドから飛び起きた。間違いなく、今の咆哮はドラゴンのものと確信。同時に、何かに苦しんでいるようにも聞こえ、早く確認しなければと焦燥に駆られる。

 身を整え、自室から飛び出し玄関へ。その時、「坊ちゃん!」とセバスチャンがアランを呼び止めた。

「これをお持ち下さい。灯り代わりとなるでしょう」

 セバスチャンは、ランタンを小さくしたような道具をアランの腰辺りに付けた。ランタンは小さくありながらも、足元を明るく照らす。

「ありがとう、ジイジ。行ってくるよ」
「はい。ここでお待ちしております。お気を付けて」

 小さく頷き、アランは夜の闇に飛び込んだ。



 時刻は、夜の0時を回っていた。

「アレが……」

 洞窟が“あった”場所の近く。赤黒いドラゴンが暴走の言葉通りに暴れ狂う姿を、アランは遠目から捉える。洞窟は既に崩れ、口から吐く炎により周囲は焼け焦げる。ここが、“森林の地”でなくて良かったと思う。

 でも、突然どうして……。暴れ狂うドラゴンを押さえつけるように、黒いモヤが大きく膨らむ。何処か見覚えのある光景。思い出しかけた時、一人の少女が危険なドラゴンに抱きついた。

「落ち着いてっ……──いっ」

 宥めようとするも、体を弾かれてしまう。宙に投げ出された少女の体を、アランは地面スレスレで支える。

「……!」

 直後、ドラゴンの尾が間近に迫る。アランは即座に“閃光剣”を呼び出し、少女を庇いながら剣で受け止め、弾く。ドラゴンの追撃を躱し、少し離れた場所で少女を降ろす。

「ここで待っていて」

 アランは“閃光剣”の柄を握り直し、ドラゴンの元へ走った。



 グギャアアアアアア!!!

「っ……!」

 ドラゴンは威嚇するように咆哮を上げる。ビリビリと肌に衝撃が伝わり、爆音に頭が割れそうになる。

 耳を塞いで凌いでいたアランだったが、ドラゴンの突進を躱し、そのまま飛んで逃げられないよう翼を斬り付ける。敢えて深追いはせず、一時退避。なるべく傷付けないで、苦しみから解放させてあげたい。恐らく、アレは……。


 回避したブレスの熱を感じ、思考にばかり囚われている場合ではないと、現実に意識を戻す。


 キィン! と甲高く響く音。ドラゴンの硬い鱗や爪は、“閃光剣”すら貫くことは出来ない。が、それは誤って倒す心配はないということ。究極の力を使わずに、ドラゴンの逃げる手段を潰していく。

 あらかた、力を削れたはず。余力もそこまでないとは思うし、長引かせても面倒だな。……そろそろ頃合いか。

「ハッ!」

 剣を水平に構え、腰を落とし、覇気と共に剣を振るう。髪に攻撃が擦ろうとも臆すことなく、ただ静かに待っていた。

「光よ、穿て──」

 デビルに対する一撃を。

「【閃光剣】!」

 暗闇に、白い光が煌めく。


 ァアアアアアアアアア……。


 ドラゴンはか弱い咆哮を上げ、黒から赤に、デビル化から解放された。力無く倒れたドラゴンに、それまで隠れていた少女が駆け寄る。

「ドラゴンさん。大丈夫……?」

 少女がそう声をかけた直後。ドラゴンはソウルとなった。ソウルとなったモンスターは、いずれまた復活する。死んでしまったのではないかと悲しむ少女の傍に、アランは膝をつくと。

「大丈夫。少しの間休むだけだ」
「また……会える……?」
「また会えるよ」

 優しく微笑まれ、少女はドラゴンのソウルが飛び去った先を見つめて。

「元気になったら、また遊ぼうね」

 少女の表情は明るかった。

 アランもまた良かったと安心していたが、ピカッピカッとライトらしき光が複数見え、騒ぎを聞きつけた街の住民が様子を見に来たのだと推測。調査員である自分が居ること、ドラゴンと関わりがある少女が居ては不味いと判断し、少女の手を引いてその場から離脱。

 気付かれない距離まで離れると、アランは少女に訊ねた。

「キミはどこから来たの?」
「どこ……?」

 その質問に、少女は答えず。

 アランは続けて。

「キミの名前は?」
「……」

 少女は口を閉ざしてしまった。色々と聞きたいけど、この様子は……とアランは困り果てた。

「……わからない」
「え?」
「私……自分のことが、わからない……」

 記憶喪失──。

 脳裏に過ぎる単語と、目の前の少女の症状は一致する。アランは困惑した。この後、どうすればいいかと。

 少しの間、アランは思考を巡らせる。

「じゃあ……ひとまずは、オレの家に来てくれるかな? 女の子一人を残しておくのは心配だし……いい?」

 オレ一人じゃないしいいよな? ジイジの方が小さい子の扱いには慣れている……とは思うし。

 少女は無言で小さく頷き、アランは手を繋いだまま屋敷に急いだ。



「お帰りなさいませ、坊ちゃん。お怪我はございませんか?」
「ただいま。大丈夫、怪我はしてない。……あ、ジイジその……この子、なんだけど……」

 屋敷の表門。アランを心配して待機していたセバスチャンに見せるよう、少女を自分の前へ。

「……!」

 少女を見るや否や、セバスチャンは目が飛び出るのではないかと言うほどに驚いていた。

 アランはやっぱり驚くよなと頬を掻きながら。

「ごめん、ジイジ。この子記憶がないみたいで……一緒にいたドラゴンも一時的に消えてしまったから、連れて来たんだ」

 セバスチャンはハッと現実に帰ってくると、大丈夫ですと返して。

「坊ちゃん。どうぞ中──」


 ぎゅるるるるるるる……。


 静かに響く腹の虫の音。

「……お腹すいた」

 少女はお腹を抑えながらポツリと呟いた。

「えっと……」
「軽いもので宜しければ何かお作りいたしましょう。申し訳ありませんが、坊ちゃん。御案内を」
「ありがとう。……あ、でもこの子は……」
「そうでしたな……。何が好みでしょう」
「オムライスとかは?」
「おおっ。とても良い提案ですな」

 ポンッと拳を叩き、そうしましょうと微笑む。屋敷の中に入るとセバスチャンはキッチンへ、アランは少女を連れて食堂へ向かう。



「ハイ。熱いから、少し冷まして飲んで」

 屋敷の食堂。椅子に座る少女の前に、アランが淹れたての紅茶を差し出す。

「これなぁに?」
「紅茶だよ。飲み物」

 少女は首を傾げるも、紅茶を一口飲んで。

「美味しい?」
「うんっ」

 良かったと笑う。実は、そのままでは苦いだろうと少し甘くしたのだ。量は適当。

「お待たせ致しました」

 そこに、セバスチャンがワゴンを引いて食堂に到着。慣れた手つきでスプーンやら何やらを少女の前に用意し、最後にナプキンを掛ければ完成。

「どうぞ。お口に合えば宜しいのですが……」

 少女は助けを求めるようにアランに視線を向けた。どう食べればいいか、分からない様子。アランが少女の隣に立ち、スプーンの使い方を教えると、少女は慣れないながらもオムライスを一口分よそり、口の中に。

「! 美味しい!」

 途端、目をキラキラさせる少女。一口、また一口と、初めとは比べ物にならないスピードで食べ進める。

「お気に召していただけたなら、喜ばしい限りですな」
「ジイジの料理は美味しいからな」
「こればかりは、坊ちゃんにも負けませぬぞ」

 セバスチャンの普段と変わらない様子に、アランは少女を連れてきたことに関して怒っていないようだなと、ホッと胸を撫で下ろした。

 話していると、少女はペロリと完食。

「美味しかった! えっと……」
「ごちそうさま?」
「ごちそうさまでしたっ」
「はい。お粗末様でした」

 何処からか取り入れたのだろう。ごちそうさまでした、と笑顔で口にした。

「して、坊ちゃん。いかが致しましょう」

 問われているのは少女の事。アランは視線をセバスチャンから少女に向け、そしてまたセバスチャンに。

「ジイジ、少しいいか?」
「勿論ですぞ」
「ありがとう。……ごめんね、少しだけ待っていてくれるかな?」
「うんっ」

 少女に一声掛け、二人は食堂から離れた場所で向き合う。

「坊ちゃん。お気持ちをお聞かせ頂けますか?」

 アランは言いにくそうに視線を逸らしていたが、やがてセバスチャンと目を合わせて。

「彼女を、この館に住まわせてあげたい」
「はい。じいじは賛成ですぞ」
「そんなアッサリ!?」

 夜中だと言うのに大声が出てしまう。思わずと言ったように口元を抑えるアラン。

「い、いいのか……? 負担が掛かるのはジイジなんだぞ?」
「ほっほっほっ。坊ちゃん、じいじは執事ですぞ? お世話するのが、私の仕事であり本望です」

 その言葉を聞きアランは、やっぱり一人じゃ寂しかったのかもしれない。ジイジもこう言ってくれているし、甘えさせて貰おうかなと思った。

「ありがとう。……いつも悪いな。オレのワガママばかり聞いてくれて……」

 アランは戦士を目指し始めた以降から、この屋敷を空けるようになり、自分のワガママにセバスチャンを付き合わせていると、罪悪感を抱いていた。セバスチャンは柔らかく微笑み。

「子供が大人に我儘を申すのは必然な事。我儘を言い過ぎるのは良くありません。ですが、言わないのも良くはありません。私にとってアラン様は、大事な主人であり、大事な坊ちゃん。いつまでも、我儘を聞いて差し上げたいお方なのです。坊ちゃん、もう少し大人を……私を頼って下さい」

 セバスチャンは息を詰まらせて。

「じいじは、坊ちゃんが何者であろうと、味方ですから」

 くすぐったい気持ちに包まれる。

 アランは目を合わせていられず、逸らしたままボソボソと。

「あ、ありがとう……」

 聞こえたのか、セバスチャンは嬉しそうに、何処か悲しげに瞳を揺らしながら、微笑んだ。

「で、でも、ちょっと大袈裟過ぎだぞ? 最後の別れでもないんだし……」
「……そうでしたな。さて、そろそろ戻りましょう」
「ああ」

 話が終え、食堂に戻って来た二人。少女は大人しく椅子に座り、脚を上下に揺らして待っていた。

「一人にしてごめんね」
「ううん。平気だよ」
「それで、その……キミさえ良かったらの話なんだけど」

 少女は不思議そうにアランを見つめ、アランは今一度呼吸を整えると。


「ここで、一緒に暮らさないか?」







「アリス。」

 名前を呼ばれた少女は振り返り、満面の笑顔を浮かべる。


 少女との出会いから二日が経過。あの夜、アランが出した提案に、少女は嬉しそうに了承してくれた。それからと言うもの、記憶を無くした少女に色々と知識を与え、少女はみるみる内に吸収していった。

 少女の『アリス』と言う名は、あの夜にセバスチャンが名付けたものだ。


「にぃに! あっ……もう時間?」
「ああ。そろそろ出ないと」

 義理の兄となったアランの出発日。義妹のアリスはシュンと項垂れて。

「坊ちゃん。やはりお送りを……」
「大丈夫。オレ一人で行けるよ。ジイジはアリスのことを」
「はい……」

 セバスチャンもアリス同様寂しそうだ。沈んだオーラを背負っている。

「にぃに行かないで……」
「行かないで下さい坊ちゃん……」
「ジイジまで言わないでくれよ」

 脚元にはアリスが抱きつき、セバスチャンは服の裾を摘む。アラン自身も離れたいわけではないが、向こうにいる仲間の元へ合流しなければいけない。部隊のリーダーが、長期間拠点を留守にするのは良くない。

「ごめんな。また、近いうちに会いにくるよ」
「絶対だよ?」
「もちろん。それまで、ジイジの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
「うんっ。じぃじのお手伝いする!」
「お嬢様……坊ちゃんのように、良い子になられて……」
「これからだろ、ジイジ」

 そうですなとセバスチャンは頷いた。

「じゃあ、なにかあったら連絡くれ。なにか無くてもいいけど……夜なら大抵出れるから」
「はい。じいじも、坊ちゃんからのご連絡をお待ちしておりますぞ」
「ありがとう。……いろいろと」
「はい。坊ちゃん、行ってらっしゃいませ」

 旅立つ大切な人の背中を押すように声を掛けられ。

「行ってらっしゃい! にぃに!」

 寂しいはずのアリスも、笑顔で送り出す。

「……」

 アランは、込み上げてくる感情を抑えて。

「──行ってきます!」

 元気に、笑顔で、屋敷から歩き出した。



 一週間ぶりの“はじまりの地”。懐かしいとあまり感じないのは、此処での生活に慣れたからだろうか。

 自分が留守の間、何か問題を起こして……いないことを切に願う。ガチで。

「ただい──」

 不安を抱きつつ、宿舎の扉を開ける。が、ただいまの言葉は途中で途切れた。

「おおっ! 帰ってきたかアラン!」
「師匠! え、どうしてここに……」

 どういった経緯かは不明だが、アランを迎えたエステラ以外にも、『闇黒騎士隊』に所属するダークナイト達が勢揃いしていた。エステラは腕をアランに回すと。

「そこはおいおい話すとして、だ。今日はアランの帰りをお祝いしていろいろと準備しているんだぞ?」

 そう言われ、アランは初めて気づいた。

「このぐらいの量で大丈夫? 足りるかしら」
「アランは大食いのようには……見えないからな、足りるとは思うぞ」
「ねえ、これ甘くない?」
「マジか。ちょっと端に寄せてこうぜ」

 机の上に用意された料理を、真剣に最終確認する四人。

 他でもない、アラン自分のために。

「あっ。何だ、もう帰って来てたのかよ」

 ブレイドを皮切りに、三人もアランが帰って来たことに気付き、笑顔を浮かべて。


 “お帰りなさい”。


「……ただいま」


 懐かしい風が吹き込んでくる。

 アランも笑顔で返し、四人の元に歩んだ。


「……で、どうして師匠達が?」
「細けーことは気にすんな」
「いやオマエじゃないから気にする」
「黙れクソ餓鬼」
「喧嘩するなら外でしなさいよ」
「外でも駄目だろ。訓練場に行け」
「……騒がしくなったな」
「そうね」
「うん」



 ──とある昼下がり。

 “光明の地”の奥部に佇む不気味な屋敷。ここにも等しく陽の光は差し込み、館内を明るく照らす。

「……おや」

 屋敷に住む老執事は、ソファーの上で幸せそうにスヤスヤと眠る少女を見つけ、頬を緩めた。起こさぬように注意を払い、近くにあったブランケットを少女にそっと掛ける。

「その子が、君の新しいお姫様かな?」

 凛として、それでいて妖艶な声が、老執事の耳に届く。部屋の入り口に凭れる男に、セバスチャンはしーっと指を唇に当て、男も真似る。

 二人は静かに部屋から離れ、サロンに足を踏み入れた。

「あの子の髪型は君がやっているのかい? 可愛いおさげだね」
「お嬢様は活発なお方ですから。少しでも動きやすいよう……」
「違うだろう、“キャロル”。君が良く知っている“アリス”と区別するために、だろう?」

 セバスチャン……いや、『キャロル』は困ったように眉を曲げて。

「戯れも程々にしてほしいと、何度も言った筈ですよ。ゼロさん」

 『ゼロ』と呼ばれた男は、小さく笑う。

「つい癖でね。許してよ、キャロル」
「あまり私の名を出さないでほしいのですがねぇ」
「ああ……確か今は、“セバスチャン”だっけ。わざわざ本名を偽る必要があるのかな?」
「貴方のような方に絡まれないためですよ」
「それは残念」

 まるで友のように話す二人。しかし、それぞれが纏うオーラには穏やかさなんて無い。

「お茶はいかがです?」
「うーん、一杯だけ貰ってもいい? あまりゆっくりしていられないんだ」
「相変わらずお忙しいようで。今度は何を企んでおられるのですか?」
「企んでるなんて酷いなぁ」

 ゼロは笑みを浮かべたまま、紅茶を一口。

「新しく部隊を結成するのに、色々と手続きが面倒でね。それはいいとして……」

 膝を立て、組んだ両手の上に顎を乗せる。


「キャロル。もう、彼を“殺す”のは辞めたのかな?」


 キャロルはその問いに答えない。

 ゼロは気にせずに続けて。

「元々、君が名を、素性を偽って執事に扮したのは、この世界を破滅に導く鍵となる少年を葬るからだった筈」

 冷ややかに、ゼロはくすりと笑みを溢し。

「情でも抱いたのかな? あれほど君は、アリスが皆の為に消滅したことを悔いていたのに。……いや、悔いていたからかな」
「……ええ。貴方の言う通りですよ」

 キャロルも、くすりと笑みを溢した。

「私はアラン様に情が湧き、殺さずにアリス様の悲願を叶える方法を探す道を選びました。ですが、以前の私は『そんな方法は見つかるわけがない』と諦めていたのです。だからこそ今回、街で浮上していた問題を利用し、勝手ながらアラン様の力量を試させていただいたのです」
「それで? 君には彼がどんな風に見えた?」
「間違いない、と。ふふ、思い出しただけでにやけてしまいます。我が主の成長に、私が愚かだったと」
「甘やかし過ぎだよ。……君は、君自身を含める全ての人々を、見殺しにすることにしたのか?」
「ええ。」

 キャロルはハッキリと、キッパリと頷く。

「それが、執事としての役目ですから」

 視線が絡み合う。やがて、ゼロは空となったカップを残して立ち上がった。

「君は執事としてありながら、騎士としての意志も忘れていない。だからこそ、彼女の写身に同じ名前をあげたのだろうね。……君の信念強さには感心するよ」
「ありがとうございます、と返しておきましょう」
「そこは素直に受け取ってよ。褒めているんだからさ」

 ゼロはご馳走様と礼を述べ、サロンの出入口で足を止める。

「でも、キャロル。もしもその方法が見つからなかったら──」

 固い決意を瞳に宿し。


「僕が手を下そう」


 ゼロはパッと笑みを浮かべると、「また来るよ」とキャロルの視界から消えた。

 キャロル……いや、『セバスチャン』は祈りを捧げるように胸元に手を添え。



「……世界は、私にどうして欲しいのでしょう。貴方達が消したお嬢様と同じ姿の少女を……。……アリスお嬢様。どうか、見守っていてください。貴女様の次代となる坊ちゃんが、この連鎖を終わらせるその時を。」

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