Five Elemental Story 〜厄災のリベラシオン〜
『光明の地』に人知れず佇む屋敷。
その地下。たおやかに伸びる後髪と顎に髭を貯え、執事服を纏う老人が1人手にするなにかを見つめている。
それは銀色に輝く兜であった──。
ざくざくと地を踏み鳴らす音に少女は顔を上げる。
深緑色のリボンにお下げが特徴の少女は、その音が“人のもの”であると察した。
「どうしたのアリスちゃん?」
「じぃじ……?」
ぽつりと呟いたかと思えば、アリスは
目を点にしてこちらを見下ろす記者の顔に、見上げたアリスは眉を寄せる。
「君は……」
「お兄さん……だぁれ?」
パッと離れたアリスはどこか悲しげな表情を浮かべていた。
後を追いかけて来た少女がアリスの隣に並ぶ。
「アリスちゃんの知り合い?」
「ううん。イーディスちゃんは?」
「知らないよー?」
少女2人に揃って見上げられ、記者──の肩書を持つレイは“アリス”という名に心当たりが。
「もしかして君が……アラン君の
見知った人物の名前を出されたアリスは分かりやすく元気を取り戻す。
「うんっ! お兄さんにぃにのお友達?」
「うん。そちらの君はお友達?」
「そうだよ!」
ねーっと顔と声を合わせて笑顔を咲かせる少女らの前にレイは片膝を地につき微笑む。
「僕はレイ。2人の名前を聞いてもいいかな?」
「私はアリス!」
「わたしイーディス!」
「わあっ元気に挨拶できて凄いね!」
レイの言葉に「褒められたー!」とはしゃぐ少女達。
自身が育った孤児院の歳下の子を思い出させる光景に懐かしみながら、レイは尋ねる。
「ちょっと聞きたいんだけど……セバスチャンさんはいるかな?」
レイがアランの実家を訪れた理由。それはセバスチャンに会うことであった。
アランの親代わりであり執事だという彼ならば。アランがなぜ『ナンバーズ』に命を狙われているのか、そのことについてわかるのではないかと考えたからだ。
しかしセバスチャンの名前を出すと、再びアリスは落ち込んでしまった。
「じぃじ……しばらく帰ってきてないの……」
「えっ……い、いつ帰ってくるとかは……」
ふるふると首を振るアリス。予想だにしなかった事態にレイは困った。てっきりいるものだと思っていたのだが……。居ないのなら仕方ない。別の方法を探そう。
早々に思考を次へシフトしたレイであったが、少女アリスの目尻に浮かぶ涙にハッとさせられる。
奇しくもその姿は、孤児院でひとりぼっちだった自分とよく似ていた。
「アリスちゃん、イーディスちゃん」
放っておけない、と。レイはがむしゃらに情報を求めていた自身の歩みを一度止める。
「僕も一緒に遊んでいいかな?」
遊び盛りな少女達はレイの提案を大いに喜び、受け入れた。
*
アイザックの意識は、1日が過ぎた今でも戻らない。
外部との接触を切断する分厚い集中治療室の扉。その前に無言で立ち尽くすアランは、1人であった。
拠点を出る際、ブレイド達はなにも言わずに見送った。
今のアランにとってそれはとても有難いことであったと同時に。自分自身に嫌気がさした。
「アラン」
物思いに耽るアランを呼ぶ声は、昨日も耳にしたあの人の声。
「アルタリア様……」
憧憬を抱く白獅子王は、少し寂しげに微笑んだ。
2人は並んで集中治療室前の壁に凭れてからも互いに話を切り出すようなことはなく、時間と静寂が流れていた。
「あの……」
気まずい雰囲気を察してか、先にアランが声をかける。不意を突かれたアルタリアはぴんとその獣耳を伸ばしながら平然を装う。
「あ、ああ……どうした?」
「……ご迷惑をおかけしてすみません」
アランは、なんとなく察していた。ブレイド達がアルタリア達に自分のことを話したのだと。数日前、共にいたレイがブレイド達に話したことを。
アランの予想は当たっていた。
実際アルタリアはその話をエステラ伝手に聞き、真っ先に彼らの拠点を訪れたが肝心のアランは留守。ならばと中央病院に来たのが正解であった。
なにも映さぬその瞳に。
声をかけるか否か悩んだのも、また事実。
「……汝にかけられる迷惑であれば、我は構わぬ」
アルタリアはアランが抱く多くの迷いを理解することはできなかった。
遥か昔、未だ『五戦神』と呼ばれていた
だからアルタリアにとって、(話を聞く限り)ゼロがアランに対する態度や行動はそよ風が吹く程度ぐらいに捉えていた(勿論、他者を傷つけるなど行き過ぎた行為だとは思っているが)。
寧ろ、これはアランにとって成長する機会なのだろうと思っていたのだ。レベッカやベルタ、ブレイドとヴァニラ。彼ら部隊結成前に通って来た道と比べ、アランは幾分か
『五戦神』として長い年月を生きてきたアルタリアの考えは達観していた──今の、今までは。
「……オレ、自分のことがわからなくなりました」
隣に並ぶアランの姿が、ひどく幼く見える。
「もしも……もしもあのとき、アルタリア様の助けが入らなかったら──」
こんな苦しい思いをせずによかったのかもしれない。
「……失礼します」
アランは丁寧に頭を下げ、その場をあとにする。
アルタリアは己が抱いていた考えがいかに甘かったのかと思い知った。
彼の気持ちに寄り添おうとしなかった自分を恥じ、悔やみ、憎んだ。
これまでアランが築き上げてきたもの全てを自分自身で“否定”するほどには。
【天空の勇者】と呼ばれるに程遠い青年は、自分を追い詰めていたのだ。
*
まるで見計らったように。幾多の思い出が染み渡る草原に人の気配はなかった。
「……随分と不用心だね」
1人、大樹“ユグドラシル”を眺めるアランのもとに現れたゼロは、その横顔に光がないことを確信した。そう仕向けたのは他ならぬ自分自身であるが、すまないと心の中で謝辞を並べる。
「殺される覚悟でもできたのかい」
「……」
アランはなにも答えなかった。
死ぬのは怖い。
覚悟もない。
だがもし殺されるのであれば……思い出深いこの
ゼロは一つのレイピアを顕現し、切先を向ける。
「せめてもの詫びだ。苦しませず、天へ送り届けよう。……さようなら、“
振り払われる斬首の一閃。
その双眸を静かに閉ざしたアランの耳に響いたのは──。
『させぬッ‼︎』
血肉の音でなく、
「!」
耳に響く金属音にアランは顔を上げる。
ゼロの刃が届く寸前──僅かな隙間に白馬を滑り込ませた『白の騎士』がレイピアを弾いた。
軽やかに手綱を操り、白馬の勢いを緩め停止。
手にする銀のポールを振り払い、ゼロを威嚇する。
『汝に与えられし光輝く未来を、一時の迷いで捨ててはならぬ──“アラン様”!』
このとき、白の騎士は初めてアランの名前を呼んだ。
“汝”や“貴殿”と呼ばれたときとは異なる違和感に、鼓動が速まる。
どうしてか、なぜなのか。
アランは
[newpage]
ゼロと白の騎士の開戦から時は前後する。
「え……?」
屋敷の大広間。アリスとイーディスの2人にピアノを教えていたレイはその声に振り返る。
警戒心と不安が入り混じる瞳でこちらを見つめる少女は、しっかりとしたお姉さんの印象を受ける。
「ど、どなたです?」
「あっ僕は」
「おねいちゃんおかえりー!」
レイが名乗るより先に少女に飛びついたのはイーディス。確かに似てるなぁとレイは1人納得して。
「あのねあのねっ、おにいちゃんにピアノ教えてもらったの!」
「それはよかったわね。ありがとうはちゃんと言った?」
「これから言うっ! おにいちゃんありがとうだよ!」
「どういたしまして」
今度はアリスが少女の傍に寄り、控えめにスカートの裾を引く。
「おにぃね、じぃじに会いに来たんだって」
「セバスチャンさんに?」
頷いたアリスから視線をレイに向ける。
視線を左右に泳がせたあと、そろそろと視線をレイに戻す。
「あの……」
「はっはい」
「少しだけ……私の話を聞いてくれませんか?」
「も、もちろん」
「ありがとうございます。……アリスちゃん、セバスチャンさんのお部屋借りてもいいかな?」
「うんっ、いいと思う」
ちょっと待っててね、と少女は2人に声を掛け、レイとアイコンタクト。
「こっちです」
案内された先──セバスチャンの自室に少女とともに入室したレイは辺りを見渡す。
アラン達の話でしか聞いたことのない人物であったが、アランやアリスを我が子のように愛していると見てとれた。アンティーク家具による落ち着いた雰囲気とは到底似つかぬ、クレヨンで描かれたイラストが並べられた壁。一枚一枚丁寧に現像された写真のコレクション。セバスチャンの話をする時のアランが笑顔であったことを思い出す。
「妹とアリスちゃんがお世話になりました。姉のロリーナです」
スカートの裾を軽く摘み、恭しく礼をする
「レイです。その、アラン君のことでセバスチャンさんにお聞きしたいことがあって来ました」
その言葉にロリーナの表情が曇る。
レイは構わず尋ねた。
「いつ頃お帰りになるとか、どこにいるのかとか……ご存知ですか?」
ロリーナはゆるゆると首を横に振る。
やっぱり知らないかぁとレイが苦笑を浮かべたのもつかの間。
「セバスチャンさんはもう……“ここ”へは帰って来ません」
「……え」
「
「ど、どういうことですか」
問いただすレイはその
ロリーナは頬を涙で濡らし、縋るようにレイの胸元を握りしめ訴える。
「お願いです! どうか……どうかあの人を助けて……! 自分の幸せを手放す前に……っ!」
レイは泣きじゃくるロリーナの両肩に手を添えると少しだけ自身から離し、力強い眼差しを向ける。
「『信じて』とは言わない。でも、大丈夫になるように全力は尽くす。だから僕の質問に答えてほしい。いいね?」
レイの気迫に押されたのか、ロリーナの涙は引っ込んでいた。
目端に滲む涙を掬い取り、ロリーナは数回頷く。
「うん、ありがとう。じゃあ早速だけど、セバスチャンさんが帰ってこないってどういうこと? 君はなにを知っているの?」
「全て知っているわけではありません。私が知っているのはあの人の“本来の姿”……」
ロリーナは一度言葉を区切り、意を決したように口を開く。
「セバスチャンという名は
「ホワイトナイト、キャロル──ホワイトナイト……⁉︎」
ホワイトナイトとはつまり『白の騎士』。
幾度となくアランを助け、支え、導いたあの謎多き『白の騎士』こそ──アランが最も信頼を置くセバスチャンであったことに気づかされる。
一体なぜ、どうしてそんなことになっているのか。レイはいよいよ頭の整理が追いつかない。
「す、少し待っててくださいっ。たしかこの辺りに……」
ロリーナは部屋の一角にある本棚の前に立つ。並べられた本の背表紙を目で追い、そして一冊の本を抜き取ってはレイに渡す。
「これは?」
「“キャロル”さんからアランさんという方に『全てを終えたあとに渡してほしい』。そう頼まれていたものです。私もその理由についてまでは……」
レイは本を開こうとして──違和感。
それは本にカモフラージュした小箱であった。
ロリーナに見守られながら、蓋になっている表紙をゆっくりと開く。
「鍵に……手紙?」
中に入っていたのは所々錆びついた鍵に、『アラン様へ』と宛てられた手紙。
「……ちょっとこれ、持っててくれるかな?」
「は、はい」
レイは手紙を手に。残りをロリーナに渡すと、無遠慮に手紙に目を通す。
短くも長くも感じたその時間を経て──レイは脇目もふらず走り出す。
「あっ……!」
「ごめん! またあとで‼︎」
そう言われてしまってはロリーナも追うこともできず、レイを送り出すほかなかった。
[newpage]
「アラン‼︎」
茫然と立ち尽くすアランのもとに、戦闘音を聞きつけた仲間達が集まってきた。ブレイドとヴァニラ、ベルタ、最後にレベッカが。ゼロと白の騎士の戦いをアランと同じように見つめる。
白馬から降りた白の騎士と2つ目のレイピアを手に振るうゼロの攻撃が
二振りのレイピアによる素早い突きと手数の多さを、器用にも光のエレメントを込めたポールと回避を挟み的確に対処していく。それでも実力はゼロが勝るようで、鎧の繋ぎ目を切り落とされ布一枚のみの腕が露わになろうとも。白の騎士は果敢に攻める。
「【ナイトポール】!」
放たれた白の騎士のスキル。合図に呼応し、ポールに込められた光のエレメントが目に見えて倍増する。
それは次のスキルの威力を跳ね上げるバフ。白の騎士はすぐに次のスキルを行使することなく、あくまで白兵戦を仕掛ける。
仕掛けられた駆け引き──まるでチェスをしているような気分だ、と。ゼロは攻撃の手を緩めることなく目を細める。
「──【破斬】」
静かに紡がれたスキル名。目に追えぬ速さで白の騎士の正面を取ったゼロは、雷光の如く重く力強い斬撃を与えた。鎧を貫通するほどの激しい衝撃に体が傾くも、片脚で地を踏み締め、耐える。
白の騎士は手甲をはめる右腕を勢いよく振るう。鈍い音を響かせた予想外の攻撃に反応が遅れたゼロは、咄嗟に翳した左腕に大きな
そこに畳み掛けるように。白の騎士はポールを突きつけた。
「【ライトニングナイツ】!」
威力が剰余された光のエレメントがゼロの影もろとも飲み込む。
刹那──攻撃を受けたはずのゼロの一撃が、白の騎士の兜に被弾。ピシッ! と馬の頭をした兜に亀裂が走り、2つの鉄の塊となって地に転がる。
白日のもとに晒される白の騎士の素顔──彼らの戦いを見守っていた誰もが、驚愕にその双眸を見開く。
白の騎士に抱いていた懐かしさの正体を知ったアランは消え入りそうな声で愛称を呼ぶ。
「ジイジ……?」
「……驚いたよ“キャロル”」
左腕を右手で抑えるゼロのは、親しき友人に向けるような優しさと、排除すべき敵に向ける冷たさを併せ持ったかのような表情を浮かべていた。
一方でキャロルは素顔を見られたことに動揺もせず、冷静にゼロを見据える。
「君が嬉々として語っていた騎士の矜持とやらには、武器以外での攻撃は禁止だったような気がしていたんだけど」
「これは騎士同士の決闘ではないのですよ。プライドもなにも、老兵である私には持ち合わせていません」
見慣れない姿で理解できぬ内容を話す、聞き慣れた口調の見知った顔の人物。
動揺をひた隠せないアランに視線を飛ばしたゼロは、肩をすくめて笑う。
「アラン。キャロルはね、君のことを
キャロルはゼロを咎めることなく、静かに佇んでいた。その背中が示すのは紛れもなく肯定であり、アランの心中をより一層掻き乱す。
血が滲む腕を握りしめたまま、ゼロは後退。
「また今度にしよう。……そのときまで君が君自身の存在を許せていたら、ね」
美しく舞う羽にゼロの姿が掻き消える。
ゼロを追おうとする者は誰一人おらず。
こちらをゆっくりと振り返る
キャロルはアランの言葉を待っていた。どのような言葉を投げかけられようと甘んじて受けるつもりなのだ。
その姿すら、アランは信じられなくなってしまった。
全てはこの人“達”の掌の上で。
自分は“見逃されていた”のだと。
なら、どこまでが自分自身の感情と呼ぶのか。
どこまでなら。彼らの範疇外なのだろう。
自分のことがわからない。
自分のことが信じられない。
自分が生きたいのかさえも。
全て。
「アラン。大丈夫か」
隣に立つブレイドがアランの顔を覗き込む。いつの間にかアランの呼吸は荒く、冷や汗が滲んでいた。
「お前の気持ちはわかるが、ひとまず話を──」
「わかったようにオレを語るな! オマエにオレのなにがわかるッ⁉︎」
焦りと怒りに突き動かされるままに声を震わせて“しまった”アランは、すぐに己の発言の身勝手さに深い喪失感を抱く。
自ら突き放してしまった彼らの顔を見ることもできず、アランはその場から逃げ去ってしまった。