Five Elemental Story 〜厄災のリベラシオン〜
僅かに開いた窓の隙間から、ひとひらの青い蝶が室内へ侵入する。
誰もいない広間のソファーでお昼寝をしていたアイザックは、ゆっくりと醒覚。大きな欠伸を洩らした。
『守護竜騎士隊』拠点・広間──。
「随分と呑気だな」
出入口に凭れるエステラは揶揄うように笑いかけ、アイザックは目線を向けることなく2度目となる欠伸を溢す。
「最近寝ても寝ても寝たりねーんだよ。エレメントの調子も今一つ悪ぃし」
「体内のエレメントが上手く巡回できてないんじゃないか? 一度『夕闇の地』へ戻ったらどうだ。落ち着くかもしれん」
エステラの言葉に一理あるかもなとアイザックは納得して。
「どうせ暇だし、ちょっと行ってくる」
「ああ。気をつけるんだぞ」
アイザックはエステラの注意を鼻で笑い飛ばす。
「餓鬼かよ。ンなヘマしねぇって」
エステラの横を通り過ぎ、愛竜の下へ向かった。
黒影竜ゼドゥーの背に跨り、アイザックは『夕闇の地』に舞い降りた。人の気配が全くない不気味な森の中にゼドゥーを降ろすと、その背中から飛び降りて。
「……特に変わった感じはしねーな」
お前は? とゼドゥーの鱗に触れながら尋ねるも、ゼドゥーは特に反応を示さず。
「ふぅん……。ま、すぐにとはいかねぇか」
四肢を折り曲げ、腹を地に休むゼドゥーに寄りかかる。
しんと静まり返るこの場に、不思議と心地よさを感じたアイザックは瞼を下ろす。やがて眠気が刺し、うつらうつらとするアイザックだったが──。
『ギィイイイイイイイッッ‼︎』
「っ⁉︎」
天に轟いたのは悲鳴にも似た甲高いゼドゥーの雄叫び。びしゃびしゃと嫌な音を立てながら溢れ出す紫の血に驚き、振り返る。なにがあったのか理解する間もなく、アイザックは振り向きざまに両刃剣を振り払った。
手応えはない。が、離れた位置に着地した男のレイピアに垂れる紫色の血を目に映せば、状況を瞬時に理解して。
「『守護竜騎士隊』所属、【暗黒のダークナイト】」
男は二振りのレイピアをゆるりと構え、目を細める。
「僕と手合わせを願おう」
アイザックははっと笑い飛ばし──怒りと苛立ちを露わに、叫ぶ。
「上等じゃねぇかッ‼︎」
*
人知れず切って落とされた死闘の幕。
そんな中。遠く離れた『はじまりの地』では、中央に聳える“ミラージュ・タワー”に呼び出されたエステラとアラン達『戦神の勇者隊』が、モルスが利用する会議室に集まっていた。
「突然呼び出してすまなかったな」
アルタリアの言葉に各々が大丈夫だといいたげな素振りを見せると。今度はハルドラが首をかしげる。
「エステラちゃん〜。他のみんなは〜?」
「集めるのが面倒だったから置いてきた」
「師匠……」
それでいいんですかと問うアランに「問題ない」と答える。
「どっちにしろアイザックはいないから全員揃わないしな」
「そうですか……」
「そろそろ始めてもよいかのぅ」
「すまない」
ミラクロアはアルタリアに目配せすると、アルタリアは小さく頷き返す。
「今回皆を集めたのは、『英知の書庫』の管理人。リベリアより上がった報告を共有するためだ」
「それはこの異常現象に関わる内容なのか?」
「ああ。だが
「そんでひとまず、共有するのはテメーらだけにするって話になったってわけだ」
ジェダルとアンガが口々に言えばエステラもなるほどと頷く。
「話を戻すぞ。リベリアによれば、あの大樹は『再来の象徴“ユグドラシル”』。そしてこの異常な気温の低下は、大樹によって引き起こされる『破滅の予兆“フィンブルヴェトル”』……と、呼ばれるものらしい」
あの日。なんの前触れもなく海中より現れた大樹──『再来の象徴“ユグドラシル”』。
思えばあの頃から、アランは1人。言葉では言い表せぬ違和感を感じていた。
現在。大樹は周囲の海面を凍りつかせたまま、黙している。
「このまま気温低下が進めば大陸全体が凍り、エレメントにも深刻な影響を齎す。止めるには引き起こしている原因の大樹を消滅させる必要があると、リベリアは我らに伝えた」
「今後も新たな動きが予想される。引き継ぎ『守護竜騎士隊』には“ユグドラシル”の調査を任せたい」
「承知した」
頷き応えるエステラに対し、アルタリアは僅かに視線を泳がせると言いにくそうに。
「エステラ。その……すまないが、少しの間席を外してはくれないか?」
「ん? あー……わかった。廊下でいいか?」
「ああ」
「終わったら呼んでくれ」
ひらひらと手を振りながら会議室をあとにするエステラ。
必然的に残された自分達に用があるのだと察した一同は不思議そうにモルスを見つめる。
「……ここから先は『五戦神』としての話じゃ」
大陸を管理する『モルス』の5人はその昔にエレメントを生み出し、信仰されていた『五戦神』である。この事実を知る者は限られており、その身に加護を授かるアラン達は勿論。先日書庫の地下迷宮にて、リベリアが彼らから話を聞いている。が、エステラ達『守護竜騎士隊』はその事実を知らない。
ミラクロアがそう話を切り出すと、ハルドラが続く。
「実はリベリアから教えてもらったことはもう1つあってね〜。でもそれがどういった意味なのかはまだわかんないから、ボク達で考えてみたんだ〜」
「結論から言えば、我らは“ユグドラシル”や“フィンブルヴェトル”などといった現象を見たこともなければ聞いたこともない。しかし『英知の本』にはそれらの言葉が記述されている。どのような現象なのかを含めた“事実”として」
アルタリアは淡々とした口調で続ける。
「そしてもう1つ。先程ハルドラが話をした単語を元に、我らはこう結論づけた」
言葉を区切り、語られた“結論”。それはあまりにも信じ難く、夢物語のようで、衝撃的な内容。
「象徴が聳え、予兆を招き、新たな世界が再来する──“ラグナロク”によって、世界は一度
驚き固まる一同の中で、アランだけは知っていた。
ゼロを始めとする『ナンバーズ』にその命を狙われる彼だけが、過剰な反応を示していた。
──僕達『ナンバーズ』は“
ゼロとの邂逅時。告げられた言葉が脳内再生される。
あの人の言葉が本当ならば。
アルタリア達の結論が正しければ。
(本当に消えるべきは──オレなのか……?)
「アラン、どうかしたか?」
どこか思い詰めた表情のアランに、アルタリアは首をかしげる。
「オレの……」
「アラン……?」
「オレが……生きているから……」
いの一番に察したブレイドが伸ばした手がアランの肩に触れる──直前。
「白獅子王ッ」
ノックも無しに会議室の扉が開かれる。
そこには、廊下で待機していたはずのエステラが、小型通信機を片手に冷や汗を滲ませていた。ただならぬ雰囲気にアランもそちらを振り返る。
「アタシはこれから中央病院に向かう。続きはまた改めてにしてくれ」
「構わないがなにがあった?」
「アイザックが……」
「えっ」
兄弟弟子の名前にアランの口から声が洩れる。エステラは口を滑らせたと言いたげにアランから視線を逸らす。
「アイザックがどうかしたんですか……?」
一歩前へ足を踏み出し尋ねるアランに、エステラは眉を顰めたまま答えた。
「奇襲されて……重傷らしい……」
*
神の息吹も感じられぬ死の森に響き渡る剣戟の調べ。
二振りのレイピアを振るう男──ゼロは、相手取るアイザックにその双眸を細める。
常人では到底持ち上げることすら不可能な両刃剣を片手で繰り、重量に見合わぬ速さを持ってこちらの斬撃を弾く。なるほど、部隊の大会を勝ち抜いただけの実力はある。怒りに満ち溢れていながら嬉々として打ち合うアイザックの瞳を見つめる。
彼らは各々が抱く戦う意義について大きく異なっていた。
アイザックは強者と剣と交え、己が悦楽とする為に。
ゼロは己が目的を果たす為に。
この差が、アイザックにとって致命的となってしまった。
ゼロの接近を許してしまったアイザックは攻撃に備え迎撃態勢を取る。しかしゼロが振るったのはレイピアではなく、懐に忍ばせていた短剣。聞き手の肩に向けて投げられたそれに反応が遅れ、刃が肩を掠る。
「ッ……⁉︎⁉︎」
ビリビリッと電流のような感覚が利き腕に迸り、痺れるような痛みと共に両刃剣が手からすり抜ける。痺れ薬が塗られていたのだと理解したときには──レイピアの剣先が自身の腹を捉えていた。
戸惑いなく腹部が貫かれる。瞠目するアイザックをゼロは正気なき瞳で見下ろす。
一思いに引き抜いたレイピアに滴る鮮血。全身に回り始めた痺れに傷口を抑えることもできず、アイザックは俯せに倒れた。
「……許してくれとは言わない。生きていたらまた会おう」
浅く繰り返されていた呼吸音が緩やかに消えていく。
ゼロはアイザックに背を向け、勝利した喜びを噛み締めることなく撤退する──その瞬間。
「……⁉︎」
地面を踏み締める音が、ゼロのすぐ後方から鳴った。
地を蹴り飛ばす音とゼロが振り向きざまにレイピアを振るったのは同時であった。レイピアごと弾き飛ばされ、後退させられる体。
致死に至るダメージをその身に負いながらも平然と佇むアイザックの姿に愕然とする。虫の息であったはずなのにどうして。考えられるのは『アビリティ』の可能性であるが、ゼロは違和感を覚える。
瞳が本来の色とは異なることに──。
(え……?)
背後に感じた気配を頼りにレイピアを突きつける。カァンッと金属音を響かせた両刃剣を握る者は誰もいない。
刹那、視界に映るレイピアの1つが“折られていた”。
自身の背中越しに伸ばされた手が半分に折れた銀の刀身を離したタイミングで、ゼロはその場から飛び退き振り返る。
腹部から止めどなく溢れる血をもろともせず、光なき瞳でこちらを見据えるアイザックは──全くの別人だ。
「そこでなにをしているッ!」
新たな男の声がどこからか響く。
ゼロは得体の知れぬなにかから逃げるように。今度こそ撤退をした。
*
“アイザックが中央病院に運ばれた”という知らせを受けたエステラは、アラン達が無許可でついて来るのを咎めず。中央病院へ駆け込む。
緊急手術を終え、集中治療室に運ばれたと耳にしたエステラは治療室の付近で待機していたバラバスとミリアムの2人と合流した。
「容態は?」
「一命は取り留めたらしいが、未だ安心できる状態ではないようだ」
普段と変わらぬ口調で告げるバラバスの様子に、エステラは少しだけ落ち着きを取り戻す。
「それで……犯人は誰なんだ?」
「そのことについては私が話そう」
2人の後ろから進み出た男に、ヴァニラは親しげに名を呼んだ。
「アッシュ」
「彼がアイザックを助けてくれたのよ」
ミリアムが端的に説明すると、エステラはそうかと返して。
「私の弟子を救ってくれて感謝する。ありがとう」
「礼はいい。見つけたのは私だが、運んだのは彼の竜だからな」
「ゼドゥーのことか」
「ゼドゥーもそいつに斬りつけられていてな。今拠点でテラが手当している」
テラの姿が見当たらなかった理由にエステラは軽く頷く。
「ではすまないが、当時の状況を教えてくれないか?」
「勿論だ。私が見つけたときすでに彼は倒れていて、犯人が逃げ去るところだった」
「男の特徴は?」
「淡黄色の髪を一括りに、かなり身なりが良い男だったな」
「ふむ……」
神妙な面持ちの師匠にアランは心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えていた。
その男は紛れもなく“ゼロ”なのだろう。
自分を追い詰める為にこうして誰かを傷つけている。
「大丈夫だ。こんなところで死ぬような奴じゃないだろう」
慰めるように掛けられた優しい言葉にアランはより一層息を詰まらせる。
“お前が生きているせいで”。
そう吐き捨てられることが怖くて怖くて。本当のことを言い出せない。
「アラン?」
そんな心情などつゆ知らず、突然距離を置かれたエステラは大丈夫かと心配する。
皆の視線を一点に集めるアランはその視線すら恐ろしく感じてしまい、一歩二歩と後退。
「わ、悪い……先に戻ってる……」
「アラン!」
絞り出した声を震わせたあと、一目散に逃げ出してしまった。
*
邸に帰還したゼロは仲間達の声かけを、彼にしては珍しく遇らい自室へと閉じこもる。
テーブルの上に並べた二振りのレイピアの片方──刀身が半分に欠けたレイピアをじっと見据える。
(あのとき、確かに感じた。
想起するは先の戦い。
こちらを見据える瞳を思い出すだけで、いい知れぬ寒気が背筋を凍らせる。
(“ユグドラシル”と似ているような……でも、あの大樹に僕以外の誰かは居なかったはず)
だからこそ覚悟を決めた。
“
“……充分とは言えないけど、ある程度回復はできたかな。”
“やっぱりこの方法は良くないな。体の持ち主を守らなきゃいけないしで面倒。”
“うん? あー……もう少しだけ待っていて。”
“どうせなら利用しようと思ってるからさ。”
“『彼』には過ぎた力だけど僕なら……ね。”