Five Elemental Story 〜厄災のリベラシオン〜
「い゛っ……」
迸る痛みに意識が戻る。
うっすら目を開けたアランの視界は暗く、傷だらけの肌は冷え切っている。どれだけの間気を失っていたのだろうか。
天を仰ぐと、自分が落ちた崖の亀裂が確認できた。差し込む光はアランが居る場所まで届いていない。あんな高い場所から落ちてよく無事だったなと目を細める。
戦闘音は未だ鳴り止む気配はない。微かに聞こえる剣戟の響きに、アランは悲鳴を上げる四肢を無理やり動かして起き上がる。
(早く戻らないと……)
地面に転がる“閃光剣・業”を引き寄せ、切先を地面に刺した大剣を支えに立つ。刹那──鋭い痛みが左脚に走った。判断はつかないが、どうやら左脚に深手を負っているらしい。崩れ落ちそうになるのを奥歯を噛み締めて堪え、奥に伸びる洞穴に足をずりながら歩いていく。
運良く戻れたとしても。少なくとも治療しない限り戦力にはなれない。そのことはアラン自身も理解していたが、きっと彼らのことだ。激しい戦いに身を削ろうがすぐに自分を探しに来るだろう。
(ダメだなオレ……)
先程、アルタリアに放たれた攻撃だって。上手く立ち回ることができたならこうして迷惑をかけることだってなかったというのに──。押し付けられたとしても。仮にもリーダーである自分が一番お荷物ではないのか。
悔しさより情けない、申し訳ない気持ちでいっぱいのアランは更なる痛みに足を挫いてしまう。
『──おっと』
*
壁つたいに歩いていたアランを支えたのはブレイド達──ではなく。あの『白の騎士』と名乗る甲冑の人物であった。どうしてこんな場所にと訊ねるより前に、軽々と持ち上げられたアランは有無も言わさず白馬の背に乗せられる。
「あ、あの……」
『吾輩が出口まで送って進ぜよう。手綱を握りたまえ』
言われるがまま、アランは白馬の手綱を握る。
白の騎士の合図に白馬は小さく嘶き、かっぽかっぽと人が歩くスピードと同じ速さで歩み始める。それに合わせるように白馬を先導する白の騎士は、時折ふらりと傾いてはズレた兜を直してを繰り返す。
「だ、大丈夫ですか?」
『気になさるな。それよりも汝自身を労ってあげるといい。ここまで良くぞ頑張った』
「いやオレは……別に……」
苦々しく笑うアランはそれより先を紡ぐことなく俯いて。すると白の騎士は、自身の肩に下げていた箱をアランに差し出す。
「これは?」
首を傾げながらも受け取ったアランは、箱を興味深そうに眺めた。蜜蜂のイラストが描かれた箱は逆さまになっており、開いた蓋がぶらぶらと揺れている。
『吾輩が大昔に発明したものなり。衣類とサンドイッチの収納用だ。箱を逆さに持つのは、中に雨が入らないようにするためなのだ』
「えっ……でも中身が落ちてしまうのでは?」
アランの返しに、白の騎士は小さく笑う。
『その昔。同じことを指摘された。そう気づかされた吾輩は、無用だと投げ捨てようとしたが近くの木にぶら下げたのだ』
「どうしてですか?」
『箱の中に蜂が巣でも作ってくれるといいと思ってな──結局蜂は集まらなかったわけだが』
白の騎士が語るおかしな話に。アランはそれまで抱いていた気持ちを忘れ、純粋な気持ちで聞いていた。少しして、無邪気に目を輝かせていた自分が恥ずかしくなり、先程とは別の理由で俯いてしまった。
『ほっほっほっ、恥ずかしがることはないであろうに』
「お、お返しします……」
と、再び手綱を握るアランに、白の騎士はくすくすと笑う。
だが、ふいに笑みを止める。空気が変わったのをアランは感じ取った。
『……汝は、吾輩がなぜ貴殿を助けるのか疑問を抱いているであろう』
正面から差し込む光が鎧に反射する。地上への出口はもう、彼らの目前にあった。
『それは、吾輩が自ら選んだ役目であるからだ。来るべき時が来るまで、汝を守り抜くこと。そして……来るべき時に、全てを明かすことを。「騎士」の名の下に誓おう』
最後の言葉がひどく耳に響いた。
『──さあて、地上に出たな。ここでひとときの別れとしよう』
面食らっていたアランはハッと意識を戻す。洞穴を抜けた先に広がるのは、木漏れ日揺れる森の中。街から離れた場所と繋がっていたんだなと考えながら、アランは白馬の背から降りる。
白馬の頭を撫で、礼を告げるアラン。入れ替わりに白の騎士が白馬に跨った。
『もうじき汝の友がやって来るであろう。それまで待っているといい』
ではな、と白の騎士は手綱を打ち鳴らし、馬を走らせて行ってしまった。お礼を言えないまま去ってしまった白の騎士に、思わず伸ばした手を引っ込めた。
直後、近くの草叢がガサガサと音を立て揺れる。まさかモンスターかと警戒するも、飛び出してきた人影に警戒を解いて。
「あっ! アラン君居たっ‼︎」
「レイ⁉︎」
草叢の中を通って来たらしきレイは自身の体に引っ付く葉っぱを気にもせず、鞄からポーションを取り出す。
「怪我の具合どう? ポーション持ってきたからひとまず飲んで」
「ああ……」
困惑しつつもポーションを1瓶飲み干す。全回復とまではいかないが、傷や痛みは大幅に治癒された。
「どう?」
「だいぶ良くなったよ、ありがとう。……でもどうしてここにいるんだ?」
「騎士さんに頼まれて」
「騎士って……『白の騎士』?」
回収した空瓶を鞄に戻しながらレイは「うんっ」と頷く。
「知り合いなのか?」
「ちょっと頼まれごとを引き受けただけだよ。その帰りに、アラン君を迎えに来れるか聞かれてさ」
白の騎士が言っていた自分の友とはレイのことだったらしい。アランはレイが言う『頼まれごと』の内容よりも、仲間達のことが気掛かりで仕方なかった。
「ちょっ、ちょっとアラン君っ⁉︎」
踵を返し洞穴に足を向けるアランの前に回り込み、レイは叫ぶ。
「ブレイド君達が心配なのはわかるけど、来た道戻るのは危ないよ! いつ崩れちゃうかわからないのに!」
確かにレイの言う通りだ。ならばどうするかと思案したアランの肩を、レイは「大丈夫!」と軽く叩いて。
「僕に任せて! みんなのところに連れてってあげる。……止めないけどあれだからね。無茶はしないでね」
レイの気遣いに眉尻を寄せ、苦笑。ば、バレてる……。
「悪いな……。それでどうするんだ? 『英知の書庫』に戻るか?」
「いやこの道から行くよ」
指で指し示したのは洞穴。当然ながらアランの脳は疑問符で埋め尽くされた。
「……レイさっき止めたよな?」
「うん。でも崩れる前に行けば良いかなって」
レイはアランに背を向けると親指で自身を指して告げる。
「さあ、アラン君! 僕の背中に乗ってッ‼︎」
(背に腹は代えられないか……)
*
「ッ──‼︎」
頬すれすれを突く矛先に幾本かの髪が攫われる。
所変わり──『英知の書庫』地下、大空洞内。偽りの『五戦神モルス』と対峙する一同であったが戦局は厳しい様子。ハルドラ・モルスと刃を交えるブレイドはくっと奥歯を噛み締める。仲間達の様子を横目で見れば、状況は自身と同じ。
その理由は、アランが崖下に消えたままであるということに意識が持っていかれている点。そして、脆く崩れやすい大空洞という“場所”が戦場であるという点だ。10人で戦うには狭く、同志撃ちも懸念しながら攻撃しなければならない。必然的に威力が増加する究極や加護も、壁を崩してしまう危険性があるので使えない。
「きゃああ!」
特に劣勢を強いられていたリベリアの悲鳴が辺りに響いた。すぐさまヴァニラが合間に滑り込みリベリアを救出する。
「た、助かりました……」
「まだ来るよ」
ヴァニラはリベリアを小脇に抱えたまま、アルタリア・モルスとジェダル・モルスの追撃を躱す。ぐらぐらと揺れる視界に参りながらも、リベリアは眼鏡のフレームを押し上げて。
「彼ら本体はただの液体……有効な手段として考えられるのは蒸発か、霧散のどちらか。レベッカさんのスキルは非常に有効ですが、同時に。こちらが不利になる可能性も……」
以降、ぶつぶつと聞き取れない声量で考察を練るリベリア。
ヴァニラはレベッカを見遣る。彼女はアンガ・モルスを相手に体術で応戦していた。ジェダル・モルスの槍突きをバック宙で回避し、ベルタの隣に着地。気付いたベルタがヴァニラ(とリベリア)の正面に氷の壁を生成し、アルタリア・モルスが放つ光の弾雨から2人を守る。
「ヴァニラ大丈──」
「これだ」
「な、なにがだ⁇」
ヴァニラはレベッカを顎で指し示したあと、追撃を回避するべくその場から飛び退く。
ベルタはミラクロア・モルスの攻撃を相殺しつつ、ヴァニラが伝えたい言葉を推察。
(レベッカが関係してる……? ヴァニラは私のスキルを見て『これだ』と言った。レベッカ……氷の壁──そうか!)
1つの考察に辿り着いたベルタは究極進化。対峙していたミラクロア・モルスの下から逃げ去り、駆け出すはレベッカの対直線上。
「来いレベッカッ‼︎」
「──ッ」
大きく振り上げた“アブソリュートグレイシス”を地面に叩きつけ、【ブリリアントグレイシア】を発動。範囲こそ狭いが強固な氷の壁に。レベッカはアンガ・モルスと重なったタイミングで“バーストキャノン”の銃口を向ける。
「【ファイナルバースト】‼︎」
渦を巻く火の波に呑まれ、アンガ・モルスの体が消滅。勢いそのままに氷の壁に衝突するが、打ち消される。このやり方なら周囲の壁を危険に晒すことはない。
しかし、相手もそれが危険だと判断できるほどの思考回路は保有しているようで。残り4体のモルスはそれぞれの相手からターゲットをレベッカとベルタの2人に定める。ブレイドと、リベリアを降ろしたヴァニラの兄妹もすぐさま駆け出し、2人の援護に入る。
リベリアは彼らの戦いを遠目に、目を細める。
(確かに、先程の合技は有効でした……。しかし複数人の乱戦ともなると……)
「よいしょっ……!」
そのとき、底知れぬ亀裂から声が。気付いたリベリアが視線を向けると、アランを背負うレイが崖を登り切るところで。急ぎ駆け寄ったリベリアは手を貸すべく手を伸ばす。
その手を掴んだのはアラン。リベリアの手を支えにレイの背から離れリベリアの隣に並び、レイを2人で引き上げる。
アランと、両手両膝を付きながらぜえぜえと息を荒げるレイを交互に見遣る。
「ご無事でなによりですが……まさか登ってくるとは思いませんでしたよ」
「オレもです……。リベリアさん、レイを頼みます!」
アランは“閃光剣・業”を顕現させると、皆のところへ合流を果たす。
「アランッ‼︎」
真っ先に名を呼んだブレイドにアランは頷き返し、“閃光剣・業”を横に構える。究極進化したブレイドは大剣を足場に、木のエレメントを極限まで収縮した【残影神剣】でミラクロア・モルスを一閃。ただの液体と化し、辺りに霧散した。
残りは3体──。
戦いを見守るリベリアは優勢となりつつある状況とは裏腹に、不安を抱いていた。このままで良いのだろうか、と。
彼らの力は本物だ。この場だって任せておけば、必ず打破してくれるだろう。
対して。自分はなにもしていない。そのような自分の前に『英知の本』は現れてくれるのか──。
「りっリベリアさん……‼︎」
悲鳴にも似たレイの叫び。弾かれるように顔を上げれば、リベリア達を標的に捉えたジェダル・モルスがこちらに手を翳し、凝縮した闇のエレメントを放つところであった。すぐさまリベリアは魔導書を捲り、【リバイバルブック】を発動。放たれた魔法弾を光の本で打ち消す。
視界の端に。集団から離れ、こちらに向かうヴァニラの姿を見つけたリベリアは、ジェダル・モルスから視線を逸らさず叫ぶ。
「こちらは私1人で大丈夫ですッ! 皆さんは彼らを!」
「……わかった」
ヴァニラはリベリア達に背を向け、アラン達と再度合流。
「リベリアさん……」
「大丈夫ですよ。ちゃんと守りますから」
不安げなレイを悟り、強気に微笑んで見せる。
それが見栄であることを。レイも、リベリアも、理解していた。
「【メモリーツイスター】!」
大きな光の本から溢れ出る幾つもの。何者を切り裂く刃と化し、ジェダル・モルスの体を切り刻む。
だが手数はあれど力がないリベリアの攻撃ではジェダル・モルスの体力を削り切れず、切り裂かれた部分の再生を許してしまう。リベリアの眉間に刻まれたシワがより一層深くなる。
次はこちらの番だ。と言いたげにジェダル・モルスが動く。
等身大の槍を手にする腕を後方へ引き、勢いよく前方へ突き出す。闇のエレメントを纏いし一突きは、リベリアの思考速度を上回る速さ。眼前へと迫る槍とリベリアの間に、飛び込んで来たのはレイだった。
白色の装丁をした本をその手に、もう片方の手を突き出したレイはドーム型に結界を張り巡らせ、ジェダル・モルスの攻撃を受け止める。
レイがスキルを使用している様子は、2体のモルスを相手取るブレイド達の目にも映って。
「スキル使えるようになったなんて聞いてねぇぞレイ‼︎」
*
バチバチと火花散る結界の外。茫然とするリベリアに、レイは顔を向ける。
「だっ大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
なら良かったとレイは正面を向く。
未だ攻撃の手を緩める気配はない。こちらの結界を打ち破こうと考えているのか。
「なにか悩み事ですか?」
不意に、レイはそう口にした。リベリアは二重の意味で驚く。
「いっ今尋ねることですか⁉︎」
「それはそうなんですけど……焦っているように見えたので……」
「それは……」
リベリアは言葉を詰まらせた。肯定であると受け取ったレイは、明るい声音で伝える。
「僕はリベリアさんのこと、凄い人だと思ってますよっ! あんなに沢山の本に詳しくて、心から大好きな人って、なかなかいないと思います!」
「本が好き……」
他人から見た自分は、そのように見えていたのか。
見失いかけていた“自分らしさ”を思い出す。──ああ、また同じ過ちを繰り返すところだった。『自分』を他人に手渡すことこそ、いけないことだとわかっていたはずなのに。
今ここで役に立てなくとも、自分にできることは山ほどある。戦う彼らに知識を与えること、それが自分にできる最大限の援護だと。リベリアは自身を奮い立たせた。
「……レイさん。彼らの正体は液体です。斬撃は殆ど無効化されますが、熱や風には弱いようです。対応できますか?」
レイはちらりと本に視線を落とす。ひとりでに捲られる頁を確認したレイは、「できます!」と明言。
隣に並んだリベリアは微笑む。
「では合図を。僅かながら隙を作ります」
「わかりました! ……3、2」
「【メモリーツイスター】!」
「1……!」
結界の解除とともに、放たれた光の頁がジェダル・モルスの視界を埋め尽くす。
「【語りしは星女神の
浮かび上がる星の紋章。溢れる光粒に乗せて、呪文が語られる。
「【オーバーグラビティ】‼︎」
レイが選択したのは、小範囲内にいる敵の重力を極限まで強めるスキル。3体のモルス達は上からの重力に押し潰され、ぐちゃりと音を立て潰れる。残ったのは、地面に飛び散る液体のみ。やがて液体は地面に吸い込まれるように消滅。代わりに、5つのフラスコが大空洞の中心に出現。これまでの道のりでも現れた謎のフラスコだ。
「……これで全ての試練を終えたはず。あとは『英知の本』を手にするだけです。まずはここまでの間、ご協力感謝いたします」
丁寧にフラスコを回収したリベリアの言葉に、一同は揃って安堵した。
「最後だけえらくキツかったな」
「なんだ、ブレイド。この程度で根を上げているのか」
「うっせーぞベルタ」
「アラン、怪我は大丈夫?」
「ああ。レイがポーションを……って、レイ! オマエいつから『スキル』を使うようになったんだ?」
「そうだそうだ。聞いてねぇぞ」
「そ、それは話すとだいーぶ長くなるからあとでね……」
彼らの戯れを見つめるリベリアは笑顔であった。
「さて。では先へ進みましょうか」
「はーいっ」
先導するリベリアの斜め後ろにレベッカが、その後ろにアランやヴァニラ、ベルタが続く。
ブレイドもまた彼らに続こうと歩き出したが、やんわりとレイに引き止められる。ブレイドの袖を引いたレイは片耳に口元を寄せると声を顰めて。
「……さっきブレイド君のエレフォンにメール送ったんだけど、もう意味ないから見ないで消してね。見ないで。」
「え? あ、ああ……わかった」
*
激戦を制し、大空洞の先へと進んだ彼らが辿り着いた先──それは到底地下に作られたものとは思えないほど立派な書斎であった。
「『英知の本』以外にも、私が知らない本があったなんて……」
リベリアはそう困惑と期待を秘めた瞳で壁に並ぶ本を眺める。
「リベリアさん。これって……」
呼ばれたリベリアを始め、探索していた全員がアランのもとに集う。一同の前に鎮座するのは、複数の管が伸びる巨大な機械装置。説明書もない機械を前に、ヴァニラは首をかしげる。
「これ、なに?」
「巨大なジュースサーバーとか!」
哀れみの眼差しがレイに集中した。
「あっ違いますねはいイキってすいません」
「仮にそうだったとしてもパイプの中錆びてんじゃねぇの?」
「ボケなのにマジレスしないでよぉ‼︎」
顎下に指を添え思案を巡らせていたリベリアだったが、レイの言葉にハッと気付かされて。
「いえ……もしかしたらそうかもしれません」
「嘘っ⁉︎」
「どうして当人が驚く?」
リベリアは床に片膝を突き、トランクケースのロックを解除。集めたフラスコの1つを手に取り、機械の前に立つ。
小さな網の台座にフラスコを置くと。左右のアームが優しく掴み、内部へと運んでいった。
「あっ」
ピコンっと音を立て、機械中央に位置する円型のパネルが色づく。フラスコ内の液体と対応した色に、どうやらこれが正解のようだ。
オレンジ、ピンク、藍色、黄緑、白。そして、5つのエレメントを象徴する5色の液体を機械が飲み込めば。パネルが全て色づく。
ガタガタ、プシュー、と機械特有の音だけが書斎に響き渡る。次の展開に今か今かと待ち侘びる中、内部より出てきたのは──虹色のボトル。リベリアがそっと手にすると、機械は完全に停止した。
沈黙する機械から今度は、虹色のボトルに視線が集まる。
「てっきり『英知の本』が出てくるのかと思っていましたが……明らかに違いますよね?」
「インクボトルに近いような……」
「あそこにあるのは関係ないのか?」
ベルタが指し示した書斎中央には、黄金の装飾が施された台座が佇んでいる。立派な装飾なだけに、なにも『乗せられていない』ことに違和感を覚える。
リベリアは台座の前に立つ。虹色のボトルを交互に見つめたリベリアは、あろうことか中身を台座に垂らした。
「おおおおいっ! なにしてんだ人がせっかく──」
「ちょっと黙ってて!」
そうこうしているうちに、最後の一滴が零れ落ちる。
しかし、不思議なことに中身は床に溢れてはいなかった。インクを吸収し色づく白紙のように現れた一冊の本。仄かに光を帯びる装丁は、神聖ささえもを感じさせられる。
その姿を知らなくとも。場に居合わせた誰もが探し求めていた『英知の本』だと解った。
両手に取ったリベリアの頬が綻ぶ。
「やっとお会いできましたね。『英知の本』」
感動するのもそこそこに。一行は、レベッカが見つけた出口から簡単に地上へと帰還することができた。というのも、先程の書斎は『英知の書庫』と“直接”繋がっており、時を刻む時計盤の裏に作られたものであったからだ──。
「まさかあんな近くに『英知の本』が隠されていたなんて、思いもしませんでした」
『英知の本』を腕に抱き抱えるリベリアは「まだまだ謎が多いですね」と苦笑を浮かべる。
「でもこれで、あの大樹についてなにかわかるといいのですが……」
「なにかお手伝いできることはありますか?」
「ありがとうございます」
でも、とリベリアは微笑む。
「ここから先は、私の仕事ですから」
レベッカは断られたことに不快感を抱くどころか嬉しそうに笑みを返し、わかりましたと素直に身を引いた。
「皆さんは今後に備えて休んで下さい。なにか分かりましたらすぐにご連絡します」
重ねて礼を言われたあと、彼らはリベリアと一旦別れ、彼女の言葉通り拠点に帰ることにした。大きな戦いが迫り来ていることを、彼らも無意識下で直感しているのだろう。
「……」
──無論。アランの心中も。
「どうしたのヴァニラ?」
辺りを忙しなく見渡すヴァニラにレベッカが声を掛ける。
「……ブレイドとレイがいない」
「あっ本当ね」
「まあ気にすることでもないだろう。奴らのことだ、どこかで道草でも食っているに違いない」
「道に生えてる草食べるの?」
「食べ……てそうだな」
アランは自身のエレフォンを操作し、彼らにメッセージを送る。
「とりあえず先帰るか。一応送っておいたし」
寒空の下。『英知の書庫』を出た4人は、疲れた体を労るようにゆっくりと拠点への帰路につく。
*
──その、『英知の書庫』裏口付近。ブレイドとレイの姿はあった。
建物の外壁に背中を付けるレイのすぐ脇に、対面に立つブレイドは不良よろしく片脚を叩きつける。
思わず「ひえっ」と声を洩らしたレイを、ブレイドは普段より数倍の威圧を放ちながら睨みつけて。
「てめぇ……なにやらかした」
「や、やらかしてなんかないよ!」
「じゃあこのメールの内容はなんなんだよ!」
起動したエレフォンの画面を突きつければ、レイは「見ないでって言ったのに……」と視線を逸らしながら呟く。
『夜20時までに僕からの連絡がなかったら、予約送信に添付してある場所に助けに来てほしい』と書かれたメールの差出人はレイ。ここにいるということは事なきを得たのだろうが、命の危険性がある場所に向かったというのは明白。
「俺個人に送ってきたってことは……アランに関わる話なんだな?」
「う、うん……」
神妙に頷くレイ。ブレイドは溜め息を零すと外壁から脚を離して。
「……で? なにしてたんだよ」
「……怒らない?」
「すでに怒ってんだよこっちは」
腕を組んだブレイドに見下ろされるレイは眉を八の字に曲げる。
「……ある人に頼まれて、“ゼロ”さんが住んでるって場所に行ってた」
「“ゼロ”ってアランを殺そうとしてる奴だろ⁉︎ 誰だよそんなこと頼んだ奴!」
勢いでレイの両肩を掴んだブレイドだったが、「しーっ!」と指を立て辺りに視線を向けるレイに冷静さを取り戻す。
「誰か聞いてたらどうすんのさ……」
「わ、悪いつい……。でも誰に頼まれたんだよ」
「おっと。さすがのブレイド君でもそれは言えないなぁ。記者と名乗る以上、クライアントとの約束は守るよ」
これにはブレイドも深く追求する気が失せた。本人がこう言っている以上、聞き出すのは難しい。……仕草には腹が立つが。
「まあ……それはいい。でもゼロとは会ったんだろ? なにを話したんだ?」
「うん。長くなるけど全部話すね──」