Five Elemental Story 〜厄災のリベラシオン〜


 はっ、はっと繰り返される荒い呼吸。
 陽の光浴びて輝く神殿内を、男は時にもつれながら走り抜ける。
 男の体は酷い有様だった。服の合間からは深く抉れた皮膚が見え、至る箇所に火傷を負い、頭から、口から、赤黒い血を溢しては床に途切れた線を引いていく。
 だが、構わず男は足を動かす。四肢から悲鳴が上がろうと。
 得体の知れない何かから逃げているのではない。
 つい数秒前に交戦した相手を追っているのだ。
 やがて男は神殿から外へ。雲海の上を漂う浮島を駆けてゆく。

「──!」

 そして遂にその姿を視界に捉えた。
 “それ”は浮島の端に佇み、必死に手を伸ばす男をじっと見下して。
 かと思えば口元に弧を描き、トンッと軽く跳んで果てしない雲海へと身を投げる。
 男はハッと目を見開き後を追うも、背後から両肩を掴まれて止められる。

「今は引きなさいオレア‼︎」
「だがまた奴は……!」
「そんな傷だらけでなにが出来ると言うの⁉︎」

 男──オレアは奥歯を噛み締め、“それ”が消えた先を睨み付ける。

「今度こそ……世界を消させるものか……! 大罪人め……‼︎」


「……」

 びゅうびゅうと風を切る音が耳に届く。
 徐々に視界から離れていく浮島を冷めた瞳で見つめる。自分はあの日からずっと、あんな場所に封印されていたのかと。
 まだあどけなさ残る男は目を細め、そして視界を暗闇で覆う。
 脳内に響く友の声に耳を傾ける為に。

「……うん。そうだね。すぐに行くよ、アトラト」

 急降下する男に雲海が迫る。

「だけど少しだけ待っていて。やりたいことが出来たから」

 無抵抗の体が雲海へ沈む。


「──今度こそ必ず、世界の黄昏を、世界の夜明けを、一緒に見よう」


 雲海から現れたひとひらの青い蝶が、大空を羽ばたいていった。

 この日を境に、歪な日常が幕を開けた。
 世界消滅へのカウントダウン。
 今ここから、始まりを告げる。


1話 新たな日常の始まり


 さあっと涼しい風が草原を吹き抜ける。
 “はじまりの地”の街から少し外れた場所に、その草原はある。彼にとって、仲間達にとっても、幾つもの思い出が生まれた場所。
 彼は今、そこに一人で佇んでいる。
 景色として同化した“異様”な物を、ただじっと見つめていた。

「アラン!」

 そんな彼を現実に引き戻したのは、仲間の声。
 アランの傍に、ブレイドが駆け寄る。

「お前此処に居たのかよ、探したぞ」
「わ、悪い」

 ブレイドは苦笑するアランから、彼が見つめていた方向を見遣る。

「……まあ、“あれ”が気になんのは分かるけどな」

 海中から聳える大樹あれに、目を細めた。


 ──それは、レイと話をつけて『エレメンタル大陸』へ戻って来た数日後のことであった。
 突如として発生した地響き。自然ならざるそれは、すぐに人々の注目を集めた。連日のようにテレビで報道され、口々に不安を語り合う。アラン達『戦神の勇者隊』や、他の部隊も、『モルス』の指示により調査を行ったが、大樹の周りを覆うドーム型の結界に阻まれ行えず。ひとまずは待機となった。
 それから暫くして、人々はあれだけ騒いでいたのが嘘のように暮らしている。未だ危険かどうかすら分からないというのに。


「結局何なんだろうな」

 歩きながら溢すブレイドに、アランはそうだなと返して。

「でも……あまりいいものでもない気がする」

 その横顔はどこか、別の誰かのように思えた。

「……アラン?」
「ん?」

 名前を呼ぶと、不思議そうに目を丸くする。
 ブレイドは何でもないと笑って誤魔化した。

「そういえば、なにかあったのか?」

 急かすような様子もないので、緊急ではないだろう。それでも探していたのなら当然理由もある訳で。

「何か、って言う訳でもねぇよ」

 ブレイドは少し気怠げに答えた。

「リベリアが手伝って欲しいんだとよ」


 同じ地域にある『英知の書庫』。大陸で発行された本は全て揃っており、至って普通の本から魔力を秘めた禁書まで多岐に渡る。
 大図書館とも言える書庫を管理するのが、彼女の仕事。

「お待ちしておりました」

 五人を出迎えた管理人リベリアは、恭しく頭を下げる。

「突然お呼び立てして申し訳ありません」
「今は依頼もないので大丈夫ですよ」

 レベッカの言う通り、ここ最近は依頼を受けない日が多い。それというのも、各部隊は以前のように依頼を毎日こなしていない。万が一に備えて、戦力を十分に温存する為だ。

「ありがとうございます。まあ、ブレイドさんはお暇でしょうね」
「勝手に暇人扱いするな」

 冗談はさておき、と眼鏡を食指で押し上げる。

「ひとまず此方へ。事情は地下でお話します」

 先程とは打って変わり、真剣な面持ちとなるリベリアの後に続く。
 辿り着いた地下の保管庫で、足を止め振り返る。

「現在、私達は本部の要請を受け、あの大樹についての情報を集めております」

 大樹、と言われれば、突然海中から現れたものが脳裏を過ぎる。
 凛としたリベリアの声が地下室に響く。

「しかしながら、私が記憶している本にはそのような記述は無く……片っ端から本を調べてはいるのですが……何分多いもので」

 それはそうだと心の中で苦笑する。

「とりあえず、地上にある本は私達で調べ切りました。残すは地下室に保管している本だけ。そこで皆様にも、調べるのを手伝って頂きたいのです」
「だけって……」

 ベルタは辺りを見渡し、溜め息混じりに呟いた。

「地上の倍以上はありますよね」
「まあまあ、とりあえず頑張りましょ」
「うん」

 気を引き締めるヴァニラの様子に、うっと言葉を詰まらせて。

「……そうだな」
「リベリアさん。オレ達はどこから調べればいいですか?」
「此方の部屋からお願いします。私も一緒に居ますので」

 そう扉を掌で差し向ける。

「分からない事があれば聞いて下さいね」
「ありがとうございます」
「いえ、お願いしているのは此方の方ですから。……皆さんに何か返せれば良いのですが……」

 それに異を唱えたのはレベッカだった。

「そんなことないですよ! 究極だってリベリアさんのおかげで出来たわけですし」

 ヴァニラを除く一同は昔、リベリアの独断で究極試練に挑み、見事その力を手にした。『モルス』並びに『五戦神』の加護を受けた今でも、普段の戦闘でお世話になっている。
 レベッカの言葉に、リベリアはありがとうございますと肩をすくめてぎこちなく笑う。

「では早速始めていきましょうか」

 手を叩き、気持ちをパッと切り替える。
 作業は日暮れ近くまで行われたが、目ぼしい情報は見当たらず。また別日に手伝う約束を交わし、解散となった。


「もう夕方だったんだな」

 地下から地上へ。書庫から外へと出た彼らを、赤み強いオレンジ色の光が照らす。

「早く帰って飯にしようぜ」

 そうブレイドは大きな欠伸を洩らし、続けてヴァニラが小さく欠伸する。
 あっと口元を抑えるヴァニラに、ベルタは嗤う。

「あれぐらいで眠くなったのか?」
「多いって言ったお前が言うな」
「言ってないぞ暇人」
「それこそ言ってねぇよ」

 ちょっとした言い合いをしながら歩き出すブレイドとベルタの後をヴァニラ、

「そういえばアラン。途中、本に夢中になってたわね」
「ば、バレてたか……」

 レベッカとアランが、目笑を交わしながら続く。
 そして今日も、あの草原を通って拠点へと帰っていく。

「……」

 ふと、アランは足を止めた。
 夕陽を浴びて黒く染まる大樹を、じっと見つめる。
 気付いた仲間達はアランに振り返り、首を傾げる。
 中でもブレイドは、言い知れぬ不安を抱えて。

「どうしたの?」

 訊ねたのはヴァニラだった。

「そうだな……」

 アランは目を細め、口にする。

「少し怖いんだ。こうしている間にも、取り返しのつかないことになっているんじゃないか、って……」

 言い知れぬ不安を感じているのはアランも同じ。
 からへ変わるのに疑問を抱かないように。一時間先、一分先、一秒先には、深い闇で覆われてしまうような。そんな不安。
 そこまで考えて、アランはハッと意識を戻す。

「わ、悪い。考え過ぎだな」

 苦笑を浮かべると、彼らも微笑んだ。
 そうだ。幾らなんでも考え過ぎだ。自分より感覚が鋭い人達ですら焦っていないというのに。


 ──本当に?


「えっ」

 びくりと肩を震わせる。今、誰かが答えたような……。

「アンタ達ー、そんな場所でなにしてるんだー?」
「エステラさんにアイザックさん」

 そこに、たまたま近くまで来ていたエステラが、声を張り上げて彼らを呼んだ。隣では、これでもかと荷物を抱えるアイザックの姿も。

「……修行中か?」
「ちげーよ!」
「アイザックはアタシとの手合わせに負けて荷物持ちをさせられているんだ」
「お前がさせてんだろ‼︎」

 叫んだ直後にバランスを崩しかけ、なんとか踏ん張る。ある意味では修行だろう。

「コレ、全部エステラさんの荷物ですか?」
「目を輝かせているところ申し訳ないが、アタシは服や装飾品に興味はなくてね。拠点の備品さ」

 レベッカは見抜かれてると視線を横に逸らし、ベルタは苦笑しながら。

「ず、随分多いですね……」
「まあ、今すぐに必要というわけではない。今日は偶然にも荷物持ちが出来たものでな」
「次はボッコボッコのけちょんけちょんにしてやる」
「そのセリフ何回目だ?」

 相変わらずだなと冷めた目線を送る。
 エステラはそうだと呼び止めた理由を思い出す。

「アンタ達、そんな薄い服で外にいると風邪引くぞ? 最近は特に寒くなってきたからな」

 今はまだ冬でないというのに、気温が低い日が続いている。確かになとブレイドは身震いして。

「……いやお前は木属性だろ」

 今一度早めに帰ることを促し、エステラとアイザックは一同から離れる。

「じゃあ帰るか」

 寒さをより感じ始め、帰路を急ぐ。
 アランは大樹を見遣り、正面へと顔を戻す。


 気のせい……か……?


 突然現れ、日常と化した“大樹”。
 アランの不安。
 日に日に低下していく気温。
 そして……謎の声。

 この全てが点となり線で繋がれることを、
 アランは、彼らは、
 まだ、知らない。


 『A』boat beneath a sunny sky,光り輝く空の下

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