Five Elemental Story 〜絆の聖譚曲〜
陽の光が差すことのない地下。
書斎部屋というには大きすぎるそこは、冷んやりと寒く、紙やインクの匂いが仄かに香る。
「ケホッケホッ」
埃を被る本を取り出そうとして咽せる。手で空中に漂う埃を遠くに飛ばし、手にした本を箱に詰める。
「ここ……いつから使ってないの……?」
埃が目に入ってしまい、涙目になる少年。答えたのは、近くで別の作業をしていた男。
「さあ、覚えてない。使えなくなった魔導書を置いてただけだから」
「え。これ全部そうなの……?」
「全部じゃないけど、こことそこと……あと向こうとえっと……」
「あ、もういいです」
そう? と男は人差し指を下げる。
少年は苦笑を浮かべていたが、片付けようとしていた本を見遣る。
「でも勿体無いな……」
「そうは言ってもね。使えないなら捨てるしかないでしょ」
肩をすくめ、作業を再開する男に目を細める。
それはそうなのだが。少年には別の想いがあった。きっと、自分にしか分からない気持ち。
「……ねぇ、一冊貰っていいかな」
手にしていた本を見つめながら問う。男は、少年を見遣って首を傾げた。
「別にいいけど……それ使えないよ?」
栗色の装丁をした本を、優しく抱き締めて笑う。
「うん。それでもいい」
第1.5部〜絆の
番外編
エレメンタル・オラトリオ
聖譚曲の名を冠した激動の大陸『オラトリオ大陸』。
古きに王家が滅亡して以来、権力を保有する勢力によって、幾多もの争いが勃発してきた。時に争いは大陸全土を揺るがしながらも、人々は束の間の平和を享受する。
自分達が暮らす『エレメンタル大陸』とは一回りも二回りも異なる彼の地に、五人の勇者達は足を踏み入れた。
「ほ、本当に着いたな……」
馴染みのない景色を前に、ブレイドは思わず呟く。
超距離転移──。それは、どんなに離れた位置でも数分足らずで移動できてしまう裏技。船で片道二週間掛かる場所であろうと例外なく。
ただし、面倒な手続きとお金が必要な為、時間と所持金に余裕がある方推奨。
「さて、どこから行くか」
と、地図を広げたアランを中心に彼らは集まる。
「あ、このセントラルパークは? いろいろやってるみたいよ」
「街に行くのも良いな。どんな雰囲気なのか見てみたい」
「わたしはどっちも行きたい」
「いや観光しに来たわけじゃないんだぞ」
冗談よとレベッカは笑う。
「先に“レイ”を探さなくちゃ、でしょう」
さて、ここで一つ。彼らがここ『オラトリオ大陸』へやって来た理由を説明しよう。
レベッカが溢した“レイ”というのは、「オラトリオ大陸第二勢力Aクラスの世界の“情報”を掲げ(以下略)」を口上とする少年である。彼は数週間前に、『エレメンタル大陸』へ上陸。表向きは記者として活動し、五人は彼の護衛任務を任されていた。が、レイは密かに自身の出生に関する秘密を調べていた。
やがて、自身が武器と人の融合体『
しかし、レイはアストラルクイーンと共に消滅する運命であった。そのことを彼らに伝えないまま、レイは自身でアストラルクイーンを斬るよう頼む。結果的に、レイが大親友と呼び慕うラディウスの登場により、レイは命を失わずに済んだわけだが……。
危うく、五人を人殺しにさせてしまいかけたことに思い悩み。レイはちゃんとした別れを告げず、ここ『オラトリオ大陸』へ帰ってしまった。
というのが、五人がここへ赴いた理由である。
「説明ご苦労」
「誰に言っているんだ」
「でも、ワタシ達今日初めて来たのよ? レイが居そうな場所なんて知らないわ」
「そうなんだよな……」
アランは地図を折り、うーんと腕を組む。
「とりあえず、二手に別れてはどうだ? 一つはレイが良く言っていた……」
「『
そうだなと頷き、彼らは二手に別れてレイを探すことに。
*
「凄い広さだな……」
呆気に取られるベルタに、アランも同調する。
アラン、ベルタの二人がやって来たのは、レイが所属している勢力『
とりあえずなんとかなりそう、と選ばれた二人は本部の中へ。エントランスを進みながら、ベルタはアランに話しかける。
「アラン。今更だが……
「……多分」
とは言え、アポが取れるもんならとっくに取っている。寧ろわざわざここまで来ない。
そっと溜め息を吐き、受付に向かう。
「すみません」
「はい。如何なさいましたか?」
「ここで働いているレイ……さんとお会いしたいのですが」
会話を交わす彼らに近づく一人の男。
「申し訳ありません。レイは本日、此処へ出勤しておらず……」
「そいつらは俺の客だ」
と、受付のカウンターに肘を乗せる男に目を丸くする。
「来い。話がある」
男はエントランスの奥を顎をしゃくり、返事を待たず歩き出す。
アランとベルタは互いに顔を見合わせると、受付員に会釈して後に続く。
男について行った先は、慌しいオフィスの一室。男は迷わず奥へ進み、一部仕切られて作られた個室に入るよう促す。
中にある黒光りのソファーに腰を掛け、待つこと数分。人数分のコーヒーを手にして男が現れる。
「砂糖、使うなら使え」
「あ……ありがとうございます」
二人と対面になるよう男は座り、コーヒーを一口。カップを机に置くと、両腕を組み鋭い視線を向ける。
「挨拶が遅れたな。俺はコメィト。この『
その名前に聞き覚えがあった。レイが何度か口にしていたからだ。すでに自分達が『エレメンタル大陸』から来ていることは分かっているらしい。
威圧に狼狽えながらも、なんとか名前を名乗り終える。怖っっっわ、と思わず溢してしまいそうだ。
「んで。レイの野郎に会いに来たんだな」
「は、ハイ」
「あいつは来週から復帰する予定だ」
「ら、来週……?」
残念ながら、彼らが『オラトリオ大陸』に滞在するのは今週まで。来週には『エレメンタル大陸』へ帰らねばならない。
コメィトはなんとなく察したのか、ふーんと相槌を一つ打っては。
「奴が行きそうな場所なら知ってるぞ」
だが。そう「教えてください」と言い掛けた彼らを制止し、目を細める。
「会ってどうしたいんだ」
見極めるような瞳で捉えられる。
「それは……」
あの話をしていいのか悩み、口籠る。
しかし、コメィトが聞きたいのは彼らの事情ではないようで。
「てめぇらと奴の間に何があったかは知らねぇ。けどな、今のあいつに何て声を掛けるか。ちゃんと決めてんのか」
その言葉に、二人はなにも返すことが出来なかった。
コメィトは後頭部を荒く掻く。
「奴が中途半端に帰って来たのが、そもそもの原因だろうけどよ。それを更に半端にするかどうかはてめぇらの勝手だ」
言っておくが、
「あいつはあいつなりに考えてんだ。馬鹿に見えるけどな」
コメィトとの話は、長いようで短い時間だった。
彼自身が忙しいのもあり、早々にアランとベルタは『
「アラン」
ブレイド達との集合場所へ向かう途中。ベルタは真剣な面持ちで話し始める。
「少し考えた方が良いのかもしれないな」
アランは黙って耳を傾ける。
「私達は、レイが悩んでいるのは自分達が関係していると思っていた。それもあるのだろうが、もっと別に……違うなにかがあったからかもしれない」
「……ああ。そうだな」
空を見上げる。綺麗な青空。
だが、見えないだけで色んななにかが隠れている。
「オレ達がレイとどう向き合いたいか。まずはそこからだよな」
ベルタは小さく頷いた。
「その上で、コメィトさんから教えて貰った場所に行くとしよう」
「ああ」
見えてきた集合場所。すでにブレイド達三人が待機していた。
それまで談笑していた三人は、アランとベルタを見つけるとこっちだと呼んだ。
「随分早かったな」
「ええ。喫茶店を見つけたのはよかったのだけれど、今日はお休みだったのよ」
「そっちはどうだったんだ?」
ブレイドの問いかけに、アランとベルタはすっと目の色を変えて。
「少し……話したいことがある」
*
街から遠く外れた先、緩やかな丘の上に一軒の家が佇む。真っ白な外見は至る所が黒ずみ、耐久性に不安を感じる。
景色は良い。景色は良いのだが……ハッキリ言えばそれだけの場所。こんな場所に一体誰が住んでいるのだろうか。ぼんやりと光る窓から見えたのは、あの少年であった。
「ふう」
寝間着に着替え、ベッドに飛び込む。俯せの姿勢から仰向けになり、息を吐いた。
『オラトリオ大陸』に帰って来てから数日。懐かしいと感じた我が家にもすっかり慣れ、今は仕事復帰に向けて休暇中だ。来週にはあの慌ただしい生活が待っている。
そう、また戻るだけの話。だと言うのに、胸の中に渦巻くモヤモヤ。原因は分かりきっている。それを踏まえて自分は彼らとの縁を切った。
知ってしまった。感じてしまった。僕はやっぱり“使われる”側で居た方がいいのだと。それでもどこかでは人として生きたいと矛盾を抱えている。ああ、どうしてこんなに中途半端なのだろう。僕がもし剣じゃなかったら、こんなことにならなかっただろう。
レイは手を伸ばし、貰ってきた使い捨ての魔導書を掲げる。
「……君がもし僕と同じ立場だったら。どう思った?」
この魔導書も以前は人によって使われ、そして役目を終えた。
どうしてかレイは他人事のように思えなかった。レイとしての自分が居なければ、同じように使われ、役目を終え、捨てられていたかもしれない。
たらればの話ばっかだな、と自嘲気味に笑う。反動をつけて上半身を起こし、ただの紙となった魔導書を見つめる。
「……僕の話。少しだけ聞いてくれる?」
答えなど無い。声は届かない。
それでも、口にしなければ溜まっていく一方だ。初めは遠慮がちに、少しずつ内容を増やしていって、夜更けまで語り尽くす。まるで、付き合いの長い友のように。
ほんの僅か気持ちが晴れると、そこを突くかのように眠気が襲ってきた。一つ欠伸を洩らし、睡魔に誘われるまま横たわる。
小さく寝息が聞こえる中、彼の側にある魔導書が仄かに光を放った。
*
金属のベルが、静寂を縫うように響く。
朝一番。やって来たお客さんに、若いマスターは目尻を下げた。
「いらっしゃい。コーヒーでいいかな?」
「うん」
親しげに話しかけられる。不思議な話でもない。彼らは親友同士なのだから。
大きめの鞄を肩から掛けたレイは、ラディウスが立つカウンター席の椅子を引いて座る。ふあと欠伸を洩らすレイに、ラディウスは微笑んでコーヒーを出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
角砂糖を少しばかり加え、一口飲み込む。ソーサーにカップを戻すと、レイはねえと話を切り出した。
「僕に来て欲しいってどうしたの?」
レイは偶々喫茶店に寄ろうと思ったわけではなく、ラディウスからの呼び出しを受けて訪れたのだった。ラディウスは「ちょっと待ってね」と屈み、カウンターと一体型の棚に手を伸ばす。
「これ。レイに預かり物」
そう言って花束をレイに差し出す。目を丸くしながらも受け取り、見つめる。
「え、誰から、てか何で」
「コメィトさんから」
あと、とカウンターに飾られていた一輪の青い薔薇を一輪挿しから抜き取り花束に加える。
「これはオレから」
「あ、ありがとう……でも何で花束なんだろ?」
お祝いされるような覚えはない。ただの気紛れ、だとしたら正直言って怖い。失礼だが。
ラディウスは今朝の出来事を想起しながら答えた。
「多分だけど、今日が『先生』の命日だからかな」
花束から顔を上げたレイと目が合うと、首を傾げて。
「これから行くんだよね。墓参り」
小さく頷く。
「うん。そっか……覚えてくれてたんだ。コメィトさん」
「オレも会ってみたかったな。レイが言う『先生』に」
産まれも育ちも違う二人。ラディウスは教会の使徒として育てられ、レイは孤児院で育った。『先生』は、その孤児院で働いていた老人の職員である。
何年か前の今日。天寿を全うし、永眠した。その際に譲り受けたのが、彼が大事にするあのカメラなのだ。
レイはそっとケース越しにカメラを触る。
「向こうは知ってるかもね。僕がよくラディウスの話するから」
「そうなの? じゃあ向こうで会えるかな?」
冗談半分のラディウスの言葉に、レイの表情が曇る。彼が言う“向こう”はこの世ではない。
変化に気付き、慌ててごめんと謝る。
「無神経だったね」
「ううん。そうじゃなくてその……」
口にするか否か悩み、やがて口にする。
「いつか、ラディウスの命日も数えるようになっちゃうのかなって。……僕は
それは今日かも知れない。だが遠い未来で必ずやって来る終わりだ。
レイはハッとする。自分の方が無神経なことを言っているじゃないか。
「ご、ごめん。嫌な話しちゃって」
まだ一口しか飲んでいないコーヒーのような苦さを感じる。
ラディウスはミルクのように優しく笑った。
「ありがとう。オレのこと、忘れないでいようとしてくれて」
「……うん」
それだけしか、返せなかった。
そろそろ他の客もやって来る時間だ。レイはコーヒーを飲み干し、席を立つ。
「レイ」
鞄を再び肩からかけ、花束を抱えた彼の名を呼ぶ。
レイはどうしたのと言いたげに見つめ、言葉を待った。
「……オレは、君の物語を楽しみにしてる」
らしくない言い回しだった。でも不思議と変だとは思わず。
「もしレイが、レイ“だけ”の物語を書き記す本を見つけられたら……。オレの所へ来て欲しい」
朝日に照らされるラディウスの姿はどこか幻想的で。ぞくりと体が震える。悪寒とは違う何かを感じた。
期待とも不安とも取れる予感を。
「その物語を綴るための、道具を渡せたらいいなって思ってるから」
潤む視界を、服の裾で拭ってクリアに。
「待ってて。必ず行くから」
「待ってるよ。ずっとずっと先までね」
大きく手を振り、ベルを鳴らして先へ行く。
初めて会った時より、一回りも二回りも大きく見えるその背中を見送った。
カランカラン。
「いらっ……」
本日二回目のベルが鳴る。訪れた客人を前にラディウスは思わず止めてしまったが、朗笑を浮かべてもう一度。
「いらっしゃいませ。喫茶店『le ange』へようこそ」
*
「良かったらカウンター席にどうぞ」
レイと入れ違いでやって来たのは、アラン達五人。自分に用があるのだろうと察したラディウスは、一同にカウンター席を勧めた。
「とてもステキなお店ですね。外の花壇のバラも綺麗です」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね」
「実は昨日来たんですけど、ちょうど休業日で」
コップに水を注ぎながら、レベッカとの会話を弾ませる。ブレイドはスタンドからメニュー表を取り出し、眺める。
「このモーニングセットってやつを一つ」
「え、」
「『え、』って朝飯食べてねぇし」
はいとベルタにメニュー表を渡す。
「そのセットはサンドイッチかフレンチトーストか選べますよ」
「じゃあサンドイッチで」
「わたしはフレンチトースト」
「あとコーヒーか紅茶どっちにしますか?」
「「コーヒー」」
「ちゃんとメニュー確認してから注文しろ」
兄妹の会話を聞いていると、少しずつ空腹を感じて来た。ベルタはメニュー表を捲り、レベッカも隣から覗き込む。
アランもスタンドからメニュー表を取り出し、なにを注文しようかと悩む。
「ワタシはピザトーストにしようかな」
「あ、私もそれで」
「アランはどうする?」
「オレは……」
目線を左右に泳がせながら、おずおずと注文する。
「甘くないのってありますか……?」
ラディウスは思考を巡らせ、頷く。
「分かりました。他に苦手なものはありますか?」
「甘くなければ……大丈夫です」
「じゃあ少しだけお待ち下さいね」
と、店の奥にある厨房へ消える。
「裏メニューが出て来そうだな」
「悪いことしたかな……」
「少なくとも迷惑そうには見えなかったけど」
時計の分針が進むにつれ、香ばしい匂いが鼻をくすぐり、食欲を刺激する。一つ、また一つと注文した料理が運ばれてきた。
「お待たせしました」
アランの席に置かれたのは、クレープのもとになったと言われるガレットだった。中身はベーコンと目玉焼き。
「お口に合えば良いんですけど……」
「あ、ありがとうございます」
「アラン、グルメリポート」
「そうだぞ。グルメリポートしろよな」
なんでだよと目で訴える。
グルメリポートをしたのかはさておき、お腹も満たされたので本題へ入る。
「ここに来たのは、レイのことについて……ですかね?」
首を傾げるラディウスに、小さく頷く。
「昨日、レイとどう向き合いたいか話し合ったんです。上手い結論は出なかったんですけど……でも別れるとしても、ちゃんとお別れしようって」
互いに互いの日常に戻るとしても、今のまま別れるのは寂しい。だったら最後に言葉を交わして、笑顔でお別れしよう。
彼らが出した結論を聞き、ラディウスは瞼を下ろし、そっと開く。
「レイの方はなにか言ってましたか……?」
「……いや。なにも」
でも、と言葉を紡ぐ。
「きっとレイは、なにも知らなかった頃には戻れない。貴方達と出会って感じたことを抑え込むことは出来ない」
真っ直ぐで、純粋なその瞳が密かに輝いていたことに、ラディウスは気付いていた。
「彼の話に耳を傾けてあげて下さい。今さっき、『先生』のもとへ向かいました」
司祭のような言い回しでそう告げる。『先生』のもとが何処というのは、コメィトから聞いた話で知っている。
すぐに彼らは立ち上がり、支払いを済ませ、お礼を言う。
「ありがとうございます、ラディウスさん!」
「はい。あそこは広いのでお気を付けて。青い薔薇と花束を目印にして下さい」
簡潔にドアを開く彼らに伝える。再度礼を言い、五人は急ぎ足で喫茶店を後にした。
「……」
喫茶店『le ange』には、不思議な噂がある。
それは「迷える者が近くを通ると、何故か惹きつけられる」というものだ。そして、自ら迷いを晴らす。
「……迷える星達に救い在れ」
祈りを捧げる。
*
「ここ……だな」
喫茶店『le ange』を出発し、約一時間半。地図を頼りに歩いた先は、広い土地に幾つもの墓が並ぶ霊園。
さあっと吹く風が髪を靡かせる。見渡す限り、人の姿は無い。
一歩二歩と歩き出すアランに四人も続く。互いに無言であったが、嫌な静寂とは違う。
「あ」
声を洩らし、足を止める。横道に逸れ、一つの墓の前に立つヴァニラに並ぶ。
そこには、ラディウスが言っていた“青い薔薇”と“花束”が供えられていた。『先生』の墓だ。
静かに五人は祈りを捧げる。敬意を示すように。
そして、再び強い風が吹き抜ける。風に煽られ、青い薔薇の花弁が宙に浮いた。花弁は風に流され、前方の丘に飛んでいく。
彼らは歩いた。まるで導かれるよう。
丘に近付くと、知っている背中が見えた。その人はカメラを構え、シャッターを切る。
「レイ」
少年はカメラを下ろし、振り返った。
「どうして此処へ?」
「……それはどっちの意味でだ?」
『オラトリオ大陸』に居ることについてか、はたまたこの霊園に来ていることについてか。レイはえっとと悩み、ぎこちない笑みを浮かべながら。
「いいや」
と答え、首を傾げた。
「僕の話、聞いてくれる?」
肯定を意味する沈黙が風と共に流れる。
髪を、服をはためかせ、言葉を紡ぐ。
「ごめんね。一方的に引き離しちゃって。あの時はとにかく早く離れたくて」
苦々しく当時を思い出す。
「何も知らなかった頃に戻りたかった。まだ“人間”だと信じていたあの頃に。戻れないって事は分かってるし、自分で知りにいったのにって感じだけど……嫌だったんだ。自分は“剣”として生きた方が良いんだって思った事が」
この場に居る彼らにその気持ちを理解することは出来ない。苦しげに話すレイを見つめることしか。
「でも……こっちに帰って来て考えたんだ。自分が今やりたい事って何だろう。ずっと考えて……思った。僕は新しい世界を知りたいんだって!」
子供のように瞳を輝かせ、大きく両手を広げる。
「あんまり好きじゃない剣としての自分や、『エレメンタル大陸』、アストラルクイーン、そして皆の事。考えるだけでワクワクするんだ。皆の戦う姿、本当に格好良かったから!」
『オラトリオ大陸』では味わえない経験。無邪気に笑い、ふっと微笑む。
「だから……もう少し考えたら、『エレメンタル大陸』に行こうと思う。記者の仕事をどうするか決めないと」
レイは五人と向き合い、不安げに訊ねた。
「そうしたらもう一度……皆の冒険に付いて行ってもいいかな……」
過去の自分とどこか似ている。誰かに憧れ、冒険者を目指した自分。憧れてなったわけではないが、師の姿を追って冒険者となった自分。
「いいよ」
誰かがそう答えた。全員分乗せて。
レイは恥ずかしそうに、寂しそうに、嬉しそうに。様々な感情で胸をいっぱいにして笑みを浮かべた。
「ありがとう」
結局は、恥ずかしそうに肩をすくめていたが。
「レイ。よかったら街を案内してくれない? ワタシ達まだ観光してないの」
「うん! ……あれでも何か話があったんじゃないの?」
「済んでしまったからな」
その時が訪れるまでとっておこう。
レイは疑問符を浮かべていたが、分かったと頷く。
丘を降り、来た道を辿るように霊園を歩いていく。
行きとは異なり、楽しげな会話が控えめに飛び交う。未来へと向かう彼らを前に、レイは鞄を撫でる。その中には、あの魔導書があった。
──ずっと考えていた事、実はもう一つあったんだ。
心の中で声を掛ける。口に出すのは少し恥ずかしい。
──君の名前。あったらいいなって思ってた。大好きな人達が暮らす二つの大陸。その名前を取って、君の名前は……。
エレメンタル・オラトリオ。
*
五人が無事『エレメンタル大陸』へ戻ってから数日──。
カランカラン。
金属のベルが来店を知らせる。変わらぬ雰囲気の喫茶店にレイは訪れた。その胸に、真っ白な本を宿して。
ラディウスは挨拶の代わりに笑みを湛え、人差し指と親指を立てて手首を捻る。『回して』と合図を受け、レイは扉に掛けられた看板を“OPNE”から“CLOSE”に。ありがとうと言われると、小さく首を振ってカウンターに近づく。
「これなんだけど……」
カウンター下から取り出した木箱の蓋を開け、シルクの布で丁寧に包まれたなにかを取り出した。
布を取り払うと、土星のような形をした摩訶不思議な物体があった。青い球の内部では光が集まっては渦き、まるで星雲のようだ。視界に捉えた途端、レイは自身に近いものを感じた。
「帰ってきたあと、“デュランダル”の側にあったんだ。多分あの時に消されなかった力が残ったのかも」
光粒が球の周りでくるくる回る。恐る恐る手に取るレイに、ラディウスはどうかなと訊ねた。
「なにか掴めそう?」
「……分からない。けど、怖いとは思えない」
その時だった。強い光がレイの鞄から放たれる。
驚いて鞄を見遣り、光のもとを抜き取る。次の瞬間、青い球は“それ”に引きつけられるように一体化。消えてしまった。
“それ”は、魔力を使い果たした筈の魔導書。レイが『エレメンタル・オラトリオ』と名付けた空白の本だった。
真っ白な頁に文字が綴られていく。文字が全体の半分まで綴られると、本から光が消え、喫茶店に静寂が戻る。
レイはゆっくりと確かめるように頁を捲る。一つ一つの文字に、失われた魔力が宿っていた。聞いたこともない。使い捨ての魔導書が、再び魔力を取り戻すなんて。
表紙まで辿り着き、本を閉じる。そして気付いた。表紙が変化していることに。
火、水、木、光、闇。五つの元素に、五線譜が描かれたデザイン。『エレメンタル・オラトリオ』の名に相応しい世界で一つだけの本。
彼が綴る“彼だけ”の物語を、一番近くで見てみたいから。
ほんの一刻、気持ちが通じた気がした。
魔導書を握り、額に合わせる。親愛なる君へ。ありがとう。
──沢山の物語を見に行こう。僕の夢の先へ、一緒に。
これから踏み入るのは喜劇か悲劇か、ハッピーエンドかバッドエンドか。どの結末を迎えるか判りもしない物語。
そこに自分だけが綴れる物語があると信じて進む。
さあ、僕の物語を始めよう。
多くの人に知られなくともいい。目の前に居る君が耳を傾けてくれれば嬉しい。
願わくば、君の心にも届きますように。
「……? 揺れてる?」
突如として静なる雰囲気が一変する。
地の底から轟々と音が鳴り響く。まるで世界に産まれ落ちるかのように、地上へと這い上がる気配。
レイとラディウスはすぐに喫茶店を飛び出した。辺りは騒然としており、口々に不安が飛び交う。やがて、誰かがぽつりと洩らした。
「木だ……」
その声は雑音の合間を縫い、二人の耳に届いた。一人、また一人と、同じ方向を見つめては唖然と立ち尽くす。
言葉通り、空にまで届きそうな“大樹”が海中から聳えていた。なんの前触れもなく、唐突に。
当たり前の日常が、音を立てて崩れ落ちる。ピースが欠けたまま、歪な日常が幕を開けた。
『オラトリオ大陸』と『エレメンタル大陸』の間に現れた大樹が齎すものを、誰が知るや。
さあ、終わりの物語を始めよう。
そう怖がることはない。終わりから始まるものだってあるんだ。
その始まりに君達が居るかは知らないけどね。
第1.5部〜絆の
完結。
第2部〜厄災のリベラシオン〜
始動。
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