Five Elemental Story
27話 灰色の君へ贈る
夜の帳が下り、月が満ちた頃。
とある宿舎の屋根に並ぶ三つのシルエットのもとに、一羽の鳩が舞い降りる。
嘴に咥えていた書簡を、少女の前に差し出す。
書簡の内容を確認した少女は、傍らに座る二人とそれぞれ頷き合い、一人の男が転送陣を発動させる。
三人の姿が消え去った後、鳩は空高く翼をはためかせた。
パタタタタッ──……。
「ん……?」
羽ばたく音に、宿舎の中で眠っていたレベッカが目を覚ました。目を擦りながらもむくりと体を起こし、窓の外に視線を向けると。白い羽根が隙間からひらりと部屋の中へ。やがてその羽根は、無人のベッドの上に落ちる。
「ヴァニラ……?」
ベッドの所有者である仲間の姿が見えないことに疑問を抱く。もう一人の仲間に目をやれば、行儀良く眠っていた。
一階にでも居るのだろうかと考えたが、ふとベッドの上に置かれた手紙に気付く。宛先は……。
ワタシとベルタ宛──?
今一度ベルタを見遣った後、レベッカは封を切り中身を一読。読み終わると同時、部屋を飛び出しては隣の男子部屋の扉を──壊す勢いで叩いた。
ドンドンドンドンッ!!
「ッ!?」
それまで寝ていたアランは飛び起き、おぼつかない足取りで扉に飛び付いた。
「ど、どうしたレベッカ……」
「ブレイド」
「え?」
「……居る?」
真剣な表情のレベッカに困惑しながらも振り向き確認。居ないなと呟く。
「そう……」
「アイツがまたなにかやらかしたのか?」
「残念だけど違うのよ。……あ、ベルタ」
騒ぎに起こされたベルタも、うとうとしながら合流。
「どうしたんだ……?」
「コレ、ヴァニラからの手紙」
ヴァニラから? と二人の頭に疑問符が浮かぶ。眠気が引いたベルタが中身を確認すると、一瞬にして驚愕の表情に変わる。
「な……なんなんだ一体……」
一人状況が掴めないアランに、レベッカは静かに告げた。
「ヴァニラが、アッシュと決着をつけに行ったのよ」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──エレメンタル大陸、夕闇の地。
ジェダルの力により転移した一同は、“夕闇の地”の端にやって来た。すぐ近くが海と言うのもあり、潮風が鼻をくすぐる。
「ここから先はわたし一人で行く」
出口が見えない暗い洞窟の入り口。ここまで付いて来てくれたブレイドとジェダルの二人と向き合う。
「ありがとう。ブレイド、ジェダル様。……行ってきます」
柔らかく微笑み、洞窟に足を踏み入れる。
「……ヴァニラ!」
兄に名を呼ばれても、振り返るどころか立ち止まることすらしない。
ブレイドは遠のく妹に届くように、声を張り上げた。
「お前の帰る場所は俺達のところだってこと、忘れんなよ!」
ヴァニラはぐっと顔を上げ、究極進化を唱える。
“濁世の果て”──。
そう呼ばれるこの場所に、紙片の反応が留まっているとの報告があった。きっとアッシュが待っているのだろう。
暗闇を進むこと数分。狭い道を抜けた先に広がっていたのは……。
「きれい……」
筆舌に尽くし難い神秘的な光景。
拓けた空洞の壁一面に突き出る水晶に、浅い池に揺らめく月光が反射し、美しい光景を作り出している。
呼び名とは正反対の景色。その中心に、彼は居た。
「久しぶりだな。ヴァニラ」
「アッシュ……」
久しぶりに再会したアッシュは、黒いオーラを全身に纏っていた。紛れもなくデビル化の薬。
「ここがどうして“濁世の果て”と呼ばれているか。それは、生きることに疲れたある男がこの場所を訪れ、目の前の景色に感動した。男はその後、自分と同じような者がここを訪れたときに感動してほしいと思い、敢えてこの名前にしたそうだ」
アッシュは淡々と語り、自嘲するような薄笑いを浮かべる。
「この景色を前にして、何も思わなかった私は……人ではないのかも知れないな」
「あっ……!」
ヴァニラが止める隙もなく、アッシュは“半分”残っていた薬を一気に飲み干した。
刹那、急激に増すアッシュの力。
「さあ、来いヴァニラ! 私を超えられるなら、超えてみせろ!!」
「──じゃあ、ヴァニラは一人で戦っているんだな?」
軽装に着替え、宿舎の一階に再集合した三人。
ヴァニラの手紙を簡潔に読み上げたレベッカは、アランにそうねと返す。
「……ねぇ、アラン。部屋に手紙か、メモみたいなのはなかったの?」
「え? あー……ちょっと見てくる」
そう席を立ち、二階に続く階段を上るアランを見送った後。じっと手紙を見つめるレベッカの名を、ベルタは優しく呼んだ。
「ん?」
「怒らないんだな」
「ワタシがいつも怒ってるみたいじゃない」
少しだけ頬を膨らませると、ベルタは一言ごめんと呟いて。
「……頼りにしていても、言えないことだってあるわ」
そうでしょう? と小首を傾ける。
「……そうだな」
ゆっくりと首を縦に振った。
「2人とも、」
と、階段の上からアランが声を掛ける。手には一通の便箋が。
「部屋に、ブレイドからの手紙が置いてあった」
『アランへ
これを読んだとき、俺はすでにそこに居ないだろうな。まあ、そのつもりで書いているんだが。
冗談はさておき、大抵の話はヴァニラが手紙で伝えているはずだから省略。リベリアには俺から言わないでくれってお願いした。
それでヴァニラのことなんだが、必ず連れ戻してくる。そのために俺は一緒に行くことにしたんだ。
だから待っててくれ。二人で戻って来るから。
追記。リベリアに“全部片付いたらぶっ飛ばします”って言われたから早めにどうにかしてくれないかとレベッカに伝えといてくれ。俺の命が消える。』
「ブレイド……」
二人にも読んでほしいと手紙を渡され、内容を一読。レベッカはぽつりと呟いたのち。
ビリリッ!
「「えっ……」」
手紙を真ん中から勢いよく引き裂いた。
「あ、あの……レベッカ?」
「なにが……
な〜にが『俺の命が消える』よ! 完全に自業自得じゃないのよ! どうしてワタシがフォローしなくちゃいけないのよ!!」
ダンッ! と机に拳を力一杯叩きつける。レベッカの迫力にアランもベルタも畏怖する中。乱れた呼吸を整えて落ち着かせると。
「……帰ってきた2人に、キツイお仕置きをしてやるんだから」
フンッと鼻を鳴らすレベッカに、二人は視線を混じえて笑みを溢した。
「今夜は長くなりそうだな」
「そうだな。明日はアラン以外寝坊かもしれないぞ」
「オイオイ……」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──夕闇の地、“濁世の果て”洞窟内。
「【疾鋭刃】!」
「っ……」
黒風を纏いし一撃を、紙一重で回避する。回避された黒風は壁から突き出る水晶に轟音を立てて衝突。ぱらぱらと砕けた水晶の欠片が地面に落ちる。
「はあああっ!」
「ふんっ!」
アッシュが持つ“滅鋭刃”とヴァニラの武器が火花を散らしてぶつかり合う。衝撃で地面が窪むのをよそに、ぎりぎりと押し合いに。
「……武器、変えたのか?」
「うんっ……。アッシュがくれた武器を、少しだけ加工した……の!」
語尾を強めると同時、アッシュの剣を新しい“疾影双刃”で弾く。
「【奇襲鋭刃】!」
腰を落とし、低く跳躍。アッシュの眼前で効果が発動。姿を一瞬だけ消して死角から──。
キンッ!
軽々と受け止められる刃。視線そのままに、ヴァニラは刃から手を離し、
「っ」
隠し持っていた小刃でアッシュの肩を狙う。体を反られ、避けられるとすぐさま大刃を回収。後退し、距離を空ける。
“双刃”の意味を理解したアッシュは、成る程なと呟く。
「戦闘スタイルを一新したのか」
ヴァニラは今まで大刃だけのスタイルで戦っていた。が、今回アッシュと戦うにあたり、師匠から教え込まれた戦闘スタイルを封じ、大刃と小刃。アッシュが用いるものと同じ戦い方を身に付けたのだ。
「この短時間で良く習得したな」
「うん。慣れなかったけど、アッシュが戦っているのをずっと見てきたから」
幼い頃からずっと。
その姿に、幾千と守られてきた。
「……そうか」
アッシュが剣を一振りすれば、黒風が髪を靡く。
「私もお前をずっと見てきた。お前の姿は、昔の私と重なるものがあった。……だがな。
私は二人も要らない。“俺”一人で十分だ!」
向けられる殺気が、肌をビリビリと刺激する。速さと力を兼ね備えた一撃を、大刃を使い軌道を逸らすが、白い肌に赤い線が幾つも生まれる。
「ぐっ……!」
続けて振り落とされた重い二撃目を受け流した隙を突かれ、鳩尾に深く膝がのめり込む。小さく唸りフラついた体に回し蹴り。ヴァニラの体は大きく吹き飛ばされ、数個の岩を破壊したのちに止まった。とても人間とは思えない威力に、アッシュ自身も驚いていた。
「これが“七つの大罪”の力……。成る程、確かにそこらの悪魔とは比べ物にならないな」
──次の瞬間。ヴァニラを覆う砂埃が一斉に掻き消された。
アッシュの双眸が鋭く変わる。
──我望みしは恩恵の解放。解けし時こそ進化を遂げよ──
「ジェダル様。力をお借りします」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「……ヴァニラが加護を使ったな」
「分かるのか?」
“濁世の果て”入り口にて待機中のジェダルがぽつりと呟く。ブレイドの問いかけに、ジェダルは無言を貫いたまま。
ブレイドもそれに頬を膨らませることはなく、ただじっと入り口を見つめて不安を口にする。
「この洞窟……大丈夫なのか? ヒビが目立つようになった気がするんだが……」
「気のせいではない。間もなく崩壊するだろう」
ヴァニラ、と呟くブレイドに対し。
「我の加護が途絶えたら走れ。最悪、外に出られなくとも構わない。生きてさえいれば」
「それじゃあ生き埋めになるだろ!」
「それは無い」
意味を汲み取れず、口籠るブレイドを一瞥。
「我らが何故に“五戦神モルス”などと謂れているか。その真髄を、貴様等は知らん」
「見たことの無い力だな」
傷だらけの体に鞭を打ち、立ち上がる少女に冷たい眼差しを向ける。
“黒魔王”の力を解放したヴァニラは、“疾影双刃”の柄を強く握りしめ、地を踏みしめる。
「【ツインブレード】」
大刃と小刃、それぞれに淡く灯る光。キラリと光を放つと、十字形の光線となり放たれた。
「【滅鋭刃】!」
黒風を纏し一撃で【ツインブレード】を相殺。己と対等となる力を前に、アッシュは動じることなく素早くヴァニラとの距離を詰め、剣を振るうも。
「分身術っ……」
蜃気楼のように揺れ、消滅する分身。小さく舌打ちを洩らし、背後から忍び寄る二体のヴァニラを掻き消す。
「お前はとても……分身術が得意だったな」
四方から飛びかかるヴァニラを危なげなく躱し、間入れずに消滅させてゆく。
「はあああっ!」
覇気と共に吹き荒れる黒風。一気に分身達が消滅し、たった一人の本物が現れる。
アッシュが地を蹴ると同時、ヴァニラも地を駆け抜け衝突する。
洞窟中に鳴り響く剣戟の音。金属と金属が激しくぶつかり、火花を散らす。
勝負は拮抗──かに思えたが、僅かにヴァニラの方が劣勢を強いられていた。
「アッシュっ……!」
ギリギリと押し込まれ、苦悶の表情を浮かべながらも師の名を呼ぶ。
「……どうしてお前は……」
その呟きを、聞き逃すことは出来なかった。
一瞬だけ緩んだ隙を見逃さず、アッシュはヴァニラの大刃をその手から弾く。
「これで、終わらせる……! ──【極滅鋭刃】!」
これまでとは比にならない威力で地面を抉り、一直線に向かってくる。
絶対不可避の一撃を前に、ヴァニラは小刃の柄を握りしめて“飛び込んだ”。
──この距離なら直撃は避けられるけど余波で体が吹っ飛ぶ。かと言って守るようなスキルはわたしにはない。……でも、“避ける”ことは出来る──
「ーーー」
直撃まで後数ミリ。
口を動かしたヴァニラの姿が光に溶ける。
ドオオオオオオオオン!!!!
耳を劈くような轟音。辺り一帯を震わせる揺れが洞窟を襲う。
「……」
その場に立ち尽くすアッシュの表情は、喜びでも悲しみでもなく──ただ茫然としていた。
鼻を伝う一筋の血。額に触れると、巻いていたバンダナごと軽く切られていた。他でもない。
ヴァニラの手によって。
「……驚いたな。あの一撃を避けるなんて……」
地に落ちたバンダナを拾い上げるヴァニラ。彼女は加護の力を切っていたが、大ダメージを喰らった様子は一切無い。アッシュの言葉通り、“完璧”に回避したのだ。
「“あの技”は、俺が教えたものではないな」
「……うん。教えてもらったの。時間がなかったから基礎しか習得できなかったけど」
「十分じゃないか」
「……そうだね」
ギュッとバンダナを握りしめる。
「……さっき、なにを言おうとしたの?」
──……どうしてお前は……──
刻一刻と近づく崩壊の時。刹那の沈黙を経て、アッシュは続きを紡ぐ。
「……お前は、何故俺に構う。お前はもう……光のもとに居るのだろう。俺に構う必要はない筈だ」
光……。
アッシュから離れ、右も左も分からない自分を仲間達は優しく導いてくれた。それは彼と一緒にいたなら得られなかったものなのかもしれない。
アッシュはわたしを“もう一人の自分”と言いながらも、自分と同じ道に歩ませたりはしなかった。最後はわたしの自由にしていいと、いつも言ってくれた。
たしかにわたしは光に触れた。いろいろなことを知った。自分自身のこともたくさん。その中で一つだけ、揺るがない意識がある。
「違うよ。」
ハッキリとヴァニラは言い放つ。
「わたしは影。月の光すら届かない影にいる。わたしに光は眩しすぎる。だから、このまま影の中に居続ける。でも、同じ影にいる人が助けを求めるなら、誰かの温もりを求めるなら……手を差し伸べることはできないけど、手を繋ぐことはできるから」
幼い頃に身をもって知った世界の残酷さ。
それを不幸など嘆き悲しまなかったのは、アッシュが居たから。
“生きたい”と願えたのは、全て貴方のおかげ。
「一緒に泣こう? アッシュ。今までの分全部」
溢れる涙が止まらない。
「ヴァニラ……」
振り向いたアッシュに、ヴァニラは泣きながら笑う。それにアッシュの頬も緩みかけたその時──。
「ごふっ……!」
「アッシュ!」
突然吐血し、膝をつくアッシュに駆け寄る。
「くはっ……はっ……」
「しっかりして!」
「そいつはもうダメよ。もうすぐであの世行きね」
「──誰!」
ヴァニラが目を向けた先──宙に浮かぶのは人ならざる悪魔。
「ほんっとよく聞かれるわね。何回答えればいいのかしら」
もしかして、とヴァニラは気づく。この悪魔はアッシュが服用していたデビル化の薬に使われていたのではないか。
「ヴァニ、ラ」
「アッシュ……」
「っは……逃げろ……早くっ……」
血溜まりが少しずつ大きくなる。荒い呼吸を繰り返すアッシュを見下ろし、悪魔──七つの大罪“嫉妬”を司るレヴィアタンは嘲笑う。
「あっははははは! 随分と落ちぶれたものね、“灰色の悪魔”さん」
レヴィアタンは異空間から魔杖“カレオストロビラ・インヴィディア”を呼び出し、先端を二人に向ける。
「安心して、選択肢ぐらいあげるわ。そいつを置いて逃げるか、そいつと一緒にあの世に逝くかぐらいわね!──【イレイズブラスター】!」
直撃したのは二人の真上にある大水晶。ぐらりと傾き、重力に従って下に落ちる。
「さようなら」
ほくそ笑み、レヴィアタンは洞窟から姿を消す。残されたヴァニラは、アッシュを庇うように強く抱きしめた。
「ヴァニラ!!」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──数秒前。“濁世の果て”入り口近く。
「……現れよ、我が半身」
一人待機するジェダルの前に、彼が使用する剣が魔法陣から出現する。柄に左右から両手を添えると、また新たな陣が足元に浮かび上がる。
溢れる光粒に顔を照らされながら、ジェダルは夜空に輝く月を見上げ、
「──時は満ちた」
「【ハルドラガスト】!」
頭上で真っ二つに分かれた大水晶が両端に落ちる。
「ヴァニラ! 無事か!」
“影切丸”を鞘に収めるのはブレイド。二人のもとに駆け寄るも、アッシュが吐く血の量に眉を顰める。
「どうしたんだこいつ」
「多分薬の影響だと思う。早く治療しないとっ」
「分かった。俺が外まで運ぶ。よく分かんねぇけど、ジェダルが外で何かやってんだよ」
「ジェダル様が?」
「ああ。ヴァニラ、お前は走れるよな?」
「うん」
ブレイドは背中にアッシュを乗せ、ヴァニラと共に出口まで走る。
──次の瞬間。
「っ!?」
「ブレイド! アッシュ!」
地面が割れ、ブレイドとアッシュの体が奈落へと投げ出される。ギリギリでヴァニラがブレイドの手を掴み、ブレイドもまたアッシュの手を掴んで持ち堪えた。
「ぐっ……」
「踏ん張ってくれヴァニラ!」
「もちろんっ……!」
流石に大人の男二人は辛く、歯を食いしばり必死に耐える。
もう吐くほどの血も無くなったアッシュは、朦朧とする意識の中、ブレイドに告げた。
「……手を離せ。……もう俺は助からない」
更に強く握りしめられる掌。落とすもんかという意思がひしひしと伝わってくる。
「何決まり文句言ってんだよ。外に出たら、頭突き食らわしてやるから駄目だ」
「ははっ……落ちても地獄。生きても地獄か……」
ガクンと揺れる。
「……おい。返事しろよ……」
「アッシュ……?」
アッシュは項垂れたままピクリともせず。
「やだ……」
ブレイドの手を掴みながら、ヴァニラは涙を。
「アッシュ……!!」
──同時刻。ジェダルは伏せていた目をすっと上げて、唱える。
「【永遠の支配者たる我に跪け】
──【永遠なる支配 】」
「えっ……?」
「何だこれ……」
二人の目に映る光景。それは摩訶不思議なものだった。
吸い込まれるように元の場所へ戻る幾つもの水晶や土壁の欠片。崩壊から一転、元の状態に戻る“濁世の果て”。
ブレイドとアッシュが落ちかけた地面の狭間も、音を立てて元のようにくっつこうとしている。このままでは挟まれると焦るも、ふわりと宙に浮く体。
「痛っ」
ぺしょっと安全地帯に落とされる。地面がくっついたが最後、“濁世の果て”は完全に元の姿へと“戻った”。
「ブレイドっ、アッシュが……」
ヴァニラに言われ、横たわるアッシュの体を見遣る。
「血が……全く無いな」
服にべっとりと付いていたはずの血が、一滴も付いていなかった。息があるのを確認すると、ホッと胸を撫で下ろす。
「わたしの怪我も、バンダナも治ってる」
「何が起こったんだ一体。まるで時間が戻ったような……」
「その通りだ」
現れたジェダルに肯定され、ブレイドは二、三度瞬きを繰り返し、膠着。
「な、何だと……」
「ジェダル様は時を戻せるのですね」
「正確には、この地域一帯に存在する凡ゆる物の支配権を我に移し、書き換えた」
疑問符を浮かべる二人に、ジェダルは息を吐くと説明した。
「我ら五戦神には、地でのみ発動可能の絶対的な力が存在する。我が力は“支配”。範囲内に存在する物や人を支配し、望むがままに変化させることが可能だ」
崩壊しかけていた“濁世の果て”が元通りなのも、アッシュとヴァニラの傷が元の状態になったのも、ジェダルの力によってなのだと言う。
「……ん? なら俺が加護状態のままなのは?」
「貴様は闇属性では無いだろう。我が支配出来るのは闇属性だけだ」
「そうなのか……。ちょっと聞きたいんだが、ハルドラはどんな力を持ってるんだ?」
「……二度と繁栄出来ぬ地と化す力だ」
「やべぇな……」
「……それが“モルス”と呼ばれる由縁だからな」
最後の呟きを掘り下げようとした時。意識を失っていたアッシュが目覚めた。
「うっ……」
「アッシュ……」
「ヴァニラ……? ……生きてる」
自身の掌を見つめる。あの状況下で、生きているのが不思議だと言いたげに。
「そうだよ。みんな生きてる」
「……そうか」
頬を緩ませ、ゆっくりと上体を起こす。
ここで一人増えていることに気付く。
「……誰だ」
「『モルス』の一人だと言えば分かるか」
「そうか……」
「……」
ジェダルは踵を返し、洞窟の外に歩き出しながら。
「懺悔する時間ぐらいはくれてやる。……話をしてやってほしい」
そう言い残し、立ち去るジェダルの後に続くようにブレイドも。
「俺も外で待ってるな」
「うん。ありがとう」
駆け足で洞窟から出るブレイドを見送ると、アッシュは自分の隣を叩いて座るよう合図。
「何を聞きたいんだ?」
「……アッシュの、昔の話」
隣に腰を下ろし、じっと顔を見つめる。
「聞いたんじゃないのか。俺の話は」
「聞いた。でもアッシュからは聞いてない」
「……分かった。話そう」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
二人だけとなった洞窟内に、アッシュの声が響き渡る。
「俺は物心ついた時から、“夕闇の地”にある教会で暮らしていた。所謂孤児って奴だ。親の顔も名前さえも知らなかったが、教会には沢山人も居たし、それ程寂しくはなかった。義理の家族に引き取られる彼らを見て、いつか自分もと心を躍らせていた。……だが、ある夜の日に見てしまったんだ」
「なにを……?」
「……悪魔に贄として捧げられる。孤児達の姿をな」
引き取り手が見つかったなんて真っ赤な嘘。
本当は教会の地下で行われている儀式に、贄として捧げられていたのだ。
「その時に召喚していた悪魔に、俺は体を乗っ取られてな。教会に居た奴らを全員、この手で……」
真っ赤に染まる手。真っ赤に染まる視界。
真っ赤な炎に包まれた空間で、悪魔はアッシュに手を差し伸べた。
「……その後はどうしたの?」
「その悪魔も切り裂いた。……全部から逃げるように教会を飛び出した後は……そのまま旅に出たな」
聞きたいことを聞けたというのに、ヴァニラは上手く返事が出来なかった。そんなヴァニラにアッシュは気にしなくていいと微笑む。
「……ありがとう。ヴァニラ」
「……わたしの方こそ、ありがとう」
アッシュは立ち上がり、ヴァニラに手を差し伸べる。
「そろそろ行くか」
「……うん」
ヴァニラはその手を借りて立ち上がり、二人並んで洞窟の外へと向かう。
「では彼 の者の身柄は、此方で預からせて貰う」
“濁世の果て”から外に生還後、ジェダルはヴァニラとブレイドに向けてそう告げる。無理もない。それ相当の騒ぎを起こしたのだから。
ヴァニラが今一度アッシュの名を呼ぶと、彼は微笑みながら。
「それはお前が持っていてくれ」
「……うん」
バンダナを大切そうに握りしめるヴァニラ。
「拠点入口まで転送する」
ジェダルが指を鳴らせば、ヴァニラとブレイドの足元に転送陣が展開。視界が薄れゆく最中、ジェダルはヴァニラに対して言った。
「……貴様が悲しむような真似はしない」
ヴァニラが小さく笑うと同時、二人の姿は“夕闇の地”から消えた。
「……あの子には随分と甘いようだ」
「……歯車さえ狂っていなければ、我がなっていた」
「……それはどういう意味だ」
「さあな」
──“はじまりの地”、第14小隊拠点前。
「いいか、ヴァニラ。こういう時は敢えて強気で行った方がいい。寧ろ『何で怒られなきゃいけないんだ』ぐらいに開き直った方がいいぞ」
「なるほど」
嘘情報である。
開けるぞ、と一言。ドアノブを捻り、一気に開けて中へ。
「──ぐへらっ!」
ブレイドの顔面にのめり込むクッション。受け身も取らずに倒れるブレイドを見つめるヴァニラの前に、クッションを投げた張本人のレベッカが近付いては、
「いたっ」
強めのデコピン。額を抑えるヴァニラに、レベッカは優しく笑いかける。
「これで許す! おかえり、ヴァニラ」
自分が帰るべき場所に、自分は帰ってこれたのだと。
「……ただいま!」
ヴァニラは嬉しそうに笑い返した。
「……酷くね?」
「それで済んだなら良かっただろ。キャノン撃とうとしてたしな。あとリベリアさんが『今度手伝いに来い』って」
「……まじかよ」
夜の帳が下り、月が満ちた頃。
とある宿舎の屋根に並ぶ三つのシルエットのもとに、一羽の鳩が舞い降りる。
嘴に咥えていた書簡を、少女の前に差し出す。
書簡の内容を確認した少女は、傍らに座る二人とそれぞれ頷き合い、一人の男が転送陣を発動させる。
三人の姿が消え去った後、鳩は空高く翼をはためかせた。
パタタタタッ──……。
「ん……?」
羽ばたく音に、宿舎の中で眠っていたレベッカが目を覚ました。目を擦りながらもむくりと体を起こし、窓の外に視線を向けると。白い羽根が隙間からひらりと部屋の中へ。やがてその羽根は、無人のベッドの上に落ちる。
「ヴァニラ……?」
ベッドの所有者である仲間の姿が見えないことに疑問を抱く。もう一人の仲間に目をやれば、行儀良く眠っていた。
一階にでも居るのだろうかと考えたが、ふとベッドの上に置かれた手紙に気付く。宛先は……。
ワタシとベルタ宛──?
今一度ベルタを見遣った後、レベッカは封を切り中身を一読。読み終わると同時、部屋を飛び出しては隣の男子部屋の扉を──壊す勢いで叩いた。
ドンドンドンドンッ!!
「ッ!?」
それまで寝ていたアランは飛び起き、おぼつかない足取りで扉に飛び付いた。
「ど、どうしたレベッカ……」
「ブレイド」
「え?」
「……居る?」
真剣な表情のレベッカに困惑しながらも振り向き確認。居ないなと呟く。
「そう……」
「アイツがまたなにかやらかしたのか?」
「残念だけど違うのよ。……あ、ベルタ」
騒ぎに起こされたベルタも、うとうとしながら合流。
「どうしたんだ……?」
「コレ、ヴァニラからの手紙」
ヴァニラから? と二人の頭に疑問符が浮かぶ。眠気が引いたベルタが中身を確認すると、一瞬にして驚愕の表情に変わる。
「な……なんなんだ一体……」
一人状況が掴めないアランに、レベッカは静かに告げた。
「ヴァニラが、アッシュと決着をつけに行ったのよ」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──エレメンタル大陸、夕闇の地。
ジェダルの力により転移した一同は、“夕闇の地”の端にやって来た。すぐ近くが海と言うのもあり、潮風が鼻をくすぐる。
「ここから先はわたし一人で行く」
出口が見えない暗い洞窟の入り口。ここまで付いて来てくれたブレイドとジェダルの二人と向き合う。
「ありがとう。ブレイド、ジェダル様。……行ってきます」
柔らかく微笑み、洞窟に足を踏み入れる。
「……ヴァニラ!」
兄に名を呼ばれても、振り返るどころか立ち止まることすらしない。
ブレイドは遠のく妹に届くように、声を張り上げた。
「お前の帰る場所は俺達のところだってこと、忘れんなよ!」
ヴァニラはぐっと顔を上げ、究極進化を唱える。
“濁世の果て”──。
そう呼ばれるこの場所に、紙片の反応が留まっているとの報告があった。きっとアッシュが待っているのだろう。
暗闇を進むこと数分。狭い道を抜けた先に広がっていたのは……。
「きれい……」
筆舌に尽くし難い神秘的な光景。
拓けた空洞の壁一面に突き出る水晶に、浅い池に揺らめく月光が反射し、美しい光景を作り出している。
呼び名とは正反対の景色。その中心に、彼は居た。
「久しぶりだな。ヴァニラ」
「アッシュ……」
久しぶりに再会したアッシュは、黒いオーラを全身に纏っていた。紛れもなくデビル化の薬。
「ここがどうして“濁世の果て”と呼ばれているか。それは、生きることに疲れたある男がこの場所を訪れ、目の前の景色に感動した。男はその後、自分と同じような者がここを訪れたときに感動してほしいと思い、敢えてこの名前にしたそうだ」
アッシュは淡々と語り、自嘲するような薄笑いを浮かべる。
「この景色を前にして、何も思わなかった私は……人ではないのかも知れないな」
「あっ……!」
ヴァニラが止める隙もなく、アッシュは“半分”残っていた薬を一気に飲み干した。
刹那、急激に増すアッシュの力。
「さあ、来いヴァニラ! 私を超えられるなら、超えてみせろ!!」
「──じゃあ、ヴァニラは一人で戦っているんだな?」
軽装に着替え、宿舎の一階に再集合した三人。
ヴァニラの手紙を簡潔に読み上げたレベッカは、アランにそうねと返す。
「……ねぇ、アラン。部屋に手紙か、メモみたいなのはなかったの?」
「え? あー……ちょっと見てくる」
そう席を立ち、二階に続く階段を上るアランを見送った後。じっと手紙を見つめるレベッカの名を、ベルタは優しく呼んだ。
「ん?」
「怒らないんだな」
「ワタシがいつも怒ってるみたいじゃない」
少しだけ頬を膨らませると、ベルタは一言ごめんと呟いて。
「……頼りにしていても、言えないことだってあるわ」
そうでしょう? と小首を傾ける。
「……そうだな」
ゆっくりと首を縦に振った。
「2人とも、」
と、階段の上からアランが声を掛ける。手には一通の便箋が。
「部屋に、ブレイドからの手紙が置いてあった」
『アランへ
これを読んだとき、俺はすでにそこに居ないだろうな。まあ、そのつもりで書いているんだが。
冗談はさておき、大抵の話はヴァニラが手紙で伝えているはずだから省略。リベリアには俺から言わないでくれってお願いした。
それでヴァニラのことなんだが、必ず連れ戻してくる。そのために俺は一緒に行くことにしたんだ。
だから待っててくれ。二人で戻って来るから。
追記。リベリアに“全部片付いたらぶっ飛ばします”って言われたから早めにどうにかしてくれないかとレベッカに伝えといてくれ。俺の命が消える。』
「ブレイド……」
二人にも読んでほしいと手紙を渡され、内容を一読。レベッカはぽつりと呟いたのち。
ビリリッ!
「「えっ……」」
手紙を真ん中から勢いよく引き裂いた。
「あ、あの……レベッカ?」
「なにが……
な〜にが『俺の命が消える』よ! 完全に自業自得じゃないのよ! どうしてワタシがフォローしなくちゃいけないのよ!!」
ダンッ! と机に拳を力一杯叩きつける。レベッカの迫力にアランもベルタも畏怖する中。乱れた呼吸を整えて落ち着かせると。
「……帰ってきた2人に、キツイお仕置きをしてやるんだから」
フンッと鼻を鳴らすレベッカに、二人は視線を混じえて笑みを溢した。
「今夜は長くなりそうだな」
「そうだな。明日はアラン以外寝坊かもしれないぞ」
「オイオイ……」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──夕闇の地、“濁世の果て”洞窟内。
「【疾鋭刃】!」
「っ……」
黒風を纏いし一撃を、紙一重で回避する。回避された黒風は壁から突き出る水晶に轟音を立てて衝突。ぱらぱらと砕けた水晶の欠片が地面に落ちる。
「はあああっ!」
「ふんっ!」
アッシュが持つ“滅鋭刃”とヴァニラの武器が火花を散らしてぶつかり合う。衝撃で地面が窪むのをよそに、ぎりぎりと押し合いに。
「……武器、変えたのか?」
「うんっ……。アッシュがくれた武器を、少しだけ加工した……の!」
語尾を強めると同時、アッシュの剣を新しい“疾影双刃”で弾く。
「【奇襲鋭刃】!」
腰を落とし、低く跳躍。アッシュの眼前で効果が発動。姿を一瞬だけ消して死角から──。
キンッ!
軽々と受け止められる刃。視線そのままに、ヴァニラは刃から手を離し、
「っ」
隠し持っていた小刃でアッシュの肩を狙う。体を反られ、避けられるとすぐさま大刃を回収。後退し、距離を空ける。
“双刃”の意味を理解したアッシュは、成る程なと呟く。
「戦闘スタイルを一新したのか」
ヴァニラは今まで大刃だけのスタイルで戦っていた。が、今回アッシュと戦うにあたり、師匠から教え込まれた戦闘スタイルを封じ、大刃と小刃。アッシュが用いるものと同じ戦い方を身に付けたのだ。
「この短時間で良く習得したな」
「うん。慣れなかったけど、アッシュが戦っているのをずっと見てきたから」
幼い頃からずっと。
その姿に、幾千と守られてきた。
「……そうか」
アッシュが剣を一振りすれば、黒風が髪を靡く。
「私もお前をずっと見てきた。お前の姿は、昔の私と重なるものがあった。……だがな。
私は二人も要らない。“俺”一人で十分だ!」
向けられる殺気が、肌をビリビリと刺激する。速さと力を兼ね備えた一撃を、大刃を使い軌道を逸らすが、白い肌に赤い線が幾つも生まれる。
「ぐっ……!」
続けて振り落とされた重い二撃目を受け流した隙を突かれ、鳩尾に深く膝がのめり込む。小さく唸りフラついた体に回し蹴り。ヴァニラの体は大きく吹き飛ばされ、数個の岩を破壊したのちに止まった。とても人間とは思えない威力に、アッシュ自身も驚いていた。
「これが“七つの大罪”の力……。成る程、確かにそこらの悪魔とは比べ物にならないな」
──次の瞬間。ヴァニラを覆う砂埃が一斉に掻き消された。
アッシュの双眸が鋭く変わる。
──我望みしは恩恵の解放。解けし時こそ進化を遂げよ──
「ジェダル様。力をお借りします」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「……ヴァニラが加護を使ったな」
「分かるのか?」
“濁世の果て”入り口にて待機中のジェダルがぽつりと呟く。ブレイドの問いかけに、ジェダルは無言を貫いたまま。
ブレイドもそれに頬を膨らませることはなく、ただじっと入り口を見つめて不安を口にする。
「この洞窟……大丈夫なのか? ヒビが目立つようになった気がするんだが……」
「気のせいではない。間もなく崩壊するだろう」
ヴァニラ、と呟くブレイドに対し。
「我の加護が途絶えたら走れ。最悪、外に出られなくとも構わない。生きてさえいれば」
「それじゃあ生き埋めになるだろ!」
「それは無い」
意味を汲み取れず、口籠るブレイドを一瞥。
「我らが何故に“五戦神モルス”などと謂れているか。その真髄を、貴様等は知らん」
「見たことの無い力だな」
傷だらけの体に鞭を打ち、立ち上がる少女に冷たい眼差しを向ける。
“黒魔王”の力を解放したヴァニラは、“疾影双刃”の柄を強く握りしめ、地を踏みしめる。
「【ツインブレード】」
大刃と小刃、それぞれに淡く灯る光。キラリと光を放つと、十字形の光線となり放たれた。
「【滅鋭刃】!」
黒風を纏し一撃で【ツインブレード】を相殺。己と対等となる力を前に、アッシュは動じることなく素早くヴァニラとの距離を詰め、剣を振るうも。
「分身術っ……」
蜃気楼のように揺れ、消滅する分身。小さく舌打ちを洩らし、背後から忍び寄る二体のヴァニラを掻き消す。
「お前はとても……分身術が得意だったな」
四方から飛びかかるヴァニラを危なげなく躱し、間入れずに消滅させてゆく。
「はあああっ!」
覇気と共に吹き荒れる黒風。一気に分身達が消滅し、たった一人の本物が現れる。
アッシュが地を蹴ると同時、ヴァニラも地を駆け抜け衝突する。
洞窟中に鳴り響く剣戟の音。金属と金属が激しくぶつかり、火花を散らす。
勝負は拮抗──かに思えたが、僅かにヴァニラの方が劣勢を強いられていた。
「アッシュっ……!」
ギリギリと押し込まれ、苦悶の表情を浮かべながらも師の名を呼ぶ。
「……どうしてお前は……」
その呟きを、聞き逃すことは出来なかった。
一瞬だけ緩んだ隙を見逃さず、アッシュはヴァニラの大刃をその手から弾く。
「これで、終わらせる……! ──【極滅鋭刃】!」
これまでとは比にならない威力で地面を抉り、一直線に向かってくる。
絶対不可避の一撃を前に、ヴァニラは小刃の柄を握りしめて“飛び込んだ”。
──この距離なら直撃は避けられるけど余波で体が吹っ飛ぶ。かと言って守るようなスキルはわたしにはない。……でも、“避ける”ことは出来る──
「ーーー」
直撃まで後数ミリ。
口を動かしたヴァニラの姿が光に溶ける。
ドオオオオオオオオン!!!!
耳を劈くような轟音。辺り一帯を震わせる揺れが洞窟を襲う。
「……」
その場に立ち尽くすアッシュの表情は、喜びでも悲しみでもなく──ただ茫然としていた。
鼻を伝う一筋の血。額に触れると、巻いていたバンダナごと軽く切られていた。他でもない。
ヴァニラの手によって。
「……驚いたな。あの一撃を避けるなんて……」
地に落ちたバンダナを拾い上げるヴァニラ。彼女は加護の力を切っていたが、大ダメージを喰らった様子は一切無い。アッシュの言葉通り、“完璧”に回避したのだ。
「“あの技”は、俺が教えたものではないな」
「……うん。教えてもらったの。時間がなかったから基礎しか習得できなかったけど」
「十分じゃないか」
「……そうだね」
ギュッとバンダナを握りしめる。
「……さっき、なにを言おうとしたの?」
──……どうしてお前は……──
刻一刻と近づく崩壊の時。刹那の沈黙を経て、アッシュは続きを紡ぐ。
「……お前は、何故俺に構う。お前はもう……光のもとに居るのだろう。俺に構う必要はない筈だ」
光……。
アッシュから離れ、右も左も分からない自分を仲間達は優しく導いてくれた。それは彼と一緒にいたなら得られなかったものなのかもしれない。
アッシュはわたしを“もう一人の自分”と言いながらも、自分と同じ道に歩ませたりはしなかった。最後はわたしの自由にしていいと、いつも言ってくれた。
たしかにわたしは光に触れた。いろいろなことを知った。自分自身のこともたくさん。その中で一つだけ、揺るがない意識がある。
「違うよ。」
ハッキリとヴァニラは言い放つ。
「わたしは影。月の光すら届かない影にいる。わたしに光は眩しすぎる。だから、このまま影の中に居続ける。でも、同じ影にいる人が助けを求めるなら、誰かの温もりを求めるなら……手を差し伸べることはできないけど、手を繋ぐことはできるから」
幼い頃に身をもって知った世界の残酷さ。
それを不幸など嘆き悲しまなかったのは、アッシュが居たから。
“生きたい”と願えたのは、全て貴方のおかげ。
「一緒に泣こう? アッシュ。今までの分全部」
溢れる涙が止まらない。
「ヴァニラ……」
振り向いたアッシュに、ヴァニラは泣きながら笑う。それにアッシュの頬も緩みかけたその時──。
「ごふっ……!」
「アッシュ!」
突然吐血し、膝をつくアッシュに駆け寄る。
「くはっ……はっ……」
「しっかりして!」
「そいつはもうダメよ。もうすぐであの世行きね」
「──誰!」
ヴァニラが目を向けた先──宙に浮かぶのは人ならざる悪魔。
「ほんっとよく聞かれるわね。何回答えればいいのかしら」
もしかして、とヴァニラは気づく。この悪魔はアッシュが服用していたデビル化の薬に使われていたのではないか。
「ヴァニ、ラ」
「アッシュ……」
「っは……逃げろ……早くっ……」
血溜まりが少しずつ大きくなる。荒い呼吸を繰り返すアッシュを見下ろし、悪魔──七つの大罪“嫉妬”を司るレヴィアタンは嘲笑う。
「あっははははは! 随分と落ちぶれたものね、“灰色の悪魔”さん」
レヴィアタンは異空間から魔杖“カレオストロビラ・インヴィディア”を呼び出し、先端を二人に向ける。
「安心して、選択肢ぐらいあげるわ。そいつを置いて逃げるか、そいつと一緒にあの世に逝くかぐらいわね!──【イレイズブラスター】!」
直撃したのは二人の真上にある大水晶。ぐらりと傾き、重力に従って下に落ちる。
「さようなら」
ほくそ笑み、レヴィアタンは洞窟から姿を消す。残されたヴァニラは、アッシュを庇うように強く抱きしめた。
「ヴァニラ!!」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
──数秒前。“濁世の果て”入り口近く。
「……現れよ、我が半身」
一人待機するジェダルの前に、彼が使用する剣が魔法陣から出現する。柄に左右から両手を添えると、また新たな陣が足元に浮かび上がる。
溢れる光粒に顔を照らされながら、ジェダルは夜空に輝く月を見上げ、
「──時は満ちた」
「【ハルドラガスト】!」
頭上で真っ二つに分かれた大水晶が両端に落ちる。
「ヴァニラ! 無事か!」
“影切丸”を鞘に収めるのはブレイド。二人のもとに駆け寄るも、アッシュが吐く血の量に眉を顰める。
「どうしたんだこいつ」
「多分薬の影響だと思う。早く治療しないとっ」
「分かった。俺が外まで運ぶ。よく分かんねぇけど、ジェダルが外で何かやってんだよ」
「ジェダル様が?」
「ああ。ヴァニラ、お前は走れるよな?」
「うん」
ブレイドは背中にアッシュを乗せ、ヴァニラと共に出口まで走る。
──次の瞬間。
「っ!?」
「ブレイド! アッシュ!」
地面が割れ、ブレイドとアッシュの体が奈落へと投げ出される。ギリギリでヴァニラがブレイドの手を掴み、ブレイドもまたアッシュの手を掴んで持ち堪えた。
「ぐっ……」
「踏ん張ってくれヴァニラ!」
「もちろんっ……!」
流石に大人の男二人は辛く、歯を食いしばり必死に耐える。
もう吐くほどの血も無くなったアッシュは、朦朧とする意識の中、ブレイドに告げた。
「……手を離せ。……もう俺は助からない」
更に強く握りしめられる掌。落とすもんかという意思がひしひしと伝わってくる。
「何決まり文句言ってんだよ。外に出たら、頭突き食らわしてやるから駄目だ」
「ははっ……落ちても地獄。生きても地獄か……」
ガクンと揺れる。
「……おい。返事しろよ……」
「アッシュ……?」
アッシュは項垂れたままピクリともせず。
「やだ……」
ブレイドの手を掴みながら、ヴァニラは涙を。
「アッシュ……!!」
──同時刻。ジェダルは伏せていた目をすっと上げて、唱える。
「【永遠の支配者たる我に跪け】
──【
「えっ……?」
「何だこれ……」
二人の目に映る光景。それは摩訶不思議なものだった。
吸い込まれるように元の場所へ戻る幾つもの水晶や土壁の欠片。崩壊から一転、元の状態に戻る“濁世の果て”。
ブレイドとアッシュが落ちかけた地面の狭間も、音を立てて元のようにくっつこうとしている。このままでは挟まれると焦るも、ふわりと宙に浮く体。
「痛っ」
ぺしょっと安全地帯に落とされる。地面がくっついたが最後、“濁世の果て”は完全に元の姿へと“戻った”。
「ブレイドっ、アッシュが……」
ヴァニラに言われ、横たわるアッシュの体を見遣る。
「血が……全く無いな」
服にべっとりと付いていたはずの血が、一滴も付いていなかった。息があるのを確認すると、ホッと胸を撫で下ろす。
「わたしの怪我も、バンダナも治ってる」
「何が起こったんだ一体。まるで時間が戻ったような……」
「その通りだ」
現れたジェダルに肯定され、ブレイドは二、三度瞬きを繰り返し、膠着。
「な、何だと……」
「ジェダル様は時を戻せるのですね」
「正確には、この地域一帯に存在する凡ゆる物の支配権を我に移し、書き換えた」
疑問符を浮かべる二人に、ジェダルは息を吐くと説明した。
「我ら五戦神には、地でのみ発動可能の絶対的な力が存在する。我が力は“支配”。範囲内に存在する物や人を支配し、望むがままに変化させることが可能だ」
崩壊しかけていた“濁世の果て”が元通りなのも、アッシュとヴァニラの傷が元の状態になったのも、ジェダルの力によってなのだと言う。
「……ん? なら俺が加護状態のままなのは?」
「貴様は闇属性では無いだろう。我が支配出来るのは闇属性だけだ」
「そうなのか……。ちょっと聞きたいんだが、ハルドラはどんな力を持ってるんだ?」
「……二度と繁栄出来ぬ地と化す力だ」
「やべぇな……」
「……それが“モルス”と呼ばれる由縁だからな」
最後の呟きを掘り下げようとした時。意識を失っていたアッシュが目覚めた。
「うっ……」
「アッシュ……」
「ヴァニラ……? ……生きてる」
自身の掌を見つめる。あの状況下で、生きているのが不思議だと言いたげに。
「そうだよ。みんな生きてる」
「……そうか」
頬を緩ませ、ゆっくりと上体を起こす。
ここで一人増えていることに気付く。
「……誰だ」
「『モルス』の一人だと言えば分かるか」
「そうか……」
「……」
ジェダルは踵を返し、洞窟の外に歩き出しながら。
「懺悔する時間ぐらいはくれてやる。……話をしてやってほしい」
そう言い残し、立ち去るジェダルの後に続くようにブレイドも。
「俺も外で待ってるな」
「うん。ありがとう」
駆け足で洞窟から出るブレイドを見送ると、アッシュは自分の隣を叩いて座るよう合図。
「何を聞きたいんだ?」
「……アッシュの、昔の話」
隣に腰を下ろし、じっと顔を見つめる。
「聞いたんじゃないのか。俺の話は」
「聞いた。でもアッシュからは聞いてない」
「……分かった。話そう」
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
二人だけとなった洞窟内に、アッシュの声が響き渡る。
「俺は物心ついた時から、“夕闇の地”にある教会で暮らしていた。所謂孤児って奴だ。親の顔も名前さえも知らなかったが、教会には沢山人も居たし、それ程寂しくはなかった。義理の家族に引き取られる彼らを見て、いつか自分もと心を躍らせていた。……だが、ある夜の日に見てしまったんだ」
「なにを……?」
「……悪魔に贄として捧げられる。孤児達の姿をな」
引き取り手が見つかったなんて真っ赤な嘘。
本当は教会の地下で行われている儀式に、贄として捧げられていたのだ。
「その時に召喚していた悪魔に、俺は体を乗っ取られてな。教会に居た奴らを全員、この手で……」
真っ赤に染まる手。真っ赤に染まる視界。
真っ赤な炎に包まれた空間で、悪魔はアッシュに手を差し伸べた。
「……その後はどうしたの?」
「その悪魔も切り裂いた。……全部から逃げるように教会を飛び出した後は……そのまま旅に出たな」
聞きたいことを聞けたというのに、ヴァニラは上手く返事が出来なかった。そんなヴァニラにアッシュは気にしなくていいと微笑む。
「……ありがとう。ヴァニラ」
「……わたしの方こそ、ありがとう」
アッシュは立ち上がり、ヴァニラに手を差し伸べる。
「そろそろ行くか」
「……うん」
ヴァニラはその手を借りて立ち上がり、二人並んで洞窟の外へと向かう。
「では
“濁世の果て”から外に生還後、ジェダルはヴァニラとブレイドに向けてそう告げる。無理もない。それ相当の騒ぎを起こしたのだから。
ヴァニラが今一度アッシュの名を呼ぶと、彼は微笑みながら。
「それはお前が持っていてくれ」
「……うん」
バンダナを大切そうに握りしめるヴァニラ。
「拠点入口まで転送する」
ジェダルが指を鳴らせば、ヴァニラとブレイドの足元に転送陣が展開。視界が薄れゆく最中、ジェダルはヴァニラに対して言った。
「……貴様が悲しむような真似はしない」
ヴァニラが小さく笑うと同時、二人の姿は“夕闇の地”から消えた。
「……あの子には随分と甘いようだ」
「……歯車さえ狂っていなければ、我がなっていた」
「……それはどういう意味だ」
「さあな」
──“はじまりの地”、第14小隊拠点前。
「いいか、ヴァニラ。こういう時は敢えて強気で行った方がいい。寧ろ『何で怒られなきゃいけないんだ』ぐらいに開き直った方がいいぞ」
「なるほど」
嘘情報である。
開けるぞ、と一言。ドアノブを捻り、一気に開けて中へ。
「──ぐへらっ!」
ブレイドの顔面にのめり込むクッション。受け身も取らずに倒れるブレイドを見つめるヴァニラの前に、クッションを投げた張本人のレベッカが近付いては、
「いたっ」
強めのデコピン。額を抑えるヴァニラに、レベッカは優しく笑いかける。
「これで許す! おかえり、ヴァニラ」
自分が帰るべき場所に、自分は帰ってこれたのだと。
「……ただいま!」
ヴァニラは嬉しそうに笑い返した。
「……酷くね?」
「それで済んだなら良かっただろ。キャノン撃とうとしてたしな。あとリベリアさんが『今度手伝いに来い』って」
「……まじかよ」