周年短編 君がいたから


「おーっす、ヴィル」
「おはよう、マリオ。こんな時間に珍しいね」

 朝食時間の一時間前。
 日課である『マスターの部屋に行く』道中、ヴィルヘルムはマリオと遭遇した。

「ボクだってたまには早起きぐらいするさ」
「ごめんごめん。じゃあ僕行くね」

 と、去ろうとしたヴィルヘルムをマリオは呼び止める。

「あ、ヴィル。マスターならさっき見たぞ」
「え?」

 ヴィルヘルムは足を止め、振り返る。
 すでに起床済みのだったことはこれまでにもあったが、部屋の外に出ていることはなかなかない。彼はいつも、部屋でヴィルヘルムがやって来るのを待っているから。

「どの辺で見かけた?」
「え〜と……庭園辺り? だったか」
「ありがとう」

 マリオに見送られながら、颯爽と向かうヴィルヘルム。
 庭園に着いたものの、花壇に植えられた花より抜きん出ているはずのマスターは見当たらない。

「マスター様〜」

 名を呼びつつ庭園を歩いていると、静寂の中に「う〜ん……」と小さく唸る声が混ざった。声を頼りに周囲を見渡せば、草地に横たわる男の姿が。

「誰か呼んだ〜……?」

 仮眠していた男は朧げな意識の中で声に応えようと体を起こすも。

「動くな。」
「ぎゃあああああああああ⁉︎⁉︎」

 《ルミナス・クロス》を弓杖ゆんづえ形態にしたヴィルヘルムが矢を番えており、少しでも不審な動きを見せれば即座に射抜く勢いだった。

「え、あ、え⁇ 『ぼく』何かした……⁉︎」

 男の容姿は――宰相マスターの姿にそっくりであった。
 そっくりと言えど瓜二つではなく、長い髪は伸びたままだし、ローブのデザインも異なる。
 が。気になるのは、マスターを見かけたというマリオの言葉。

(マリオがマスター様を見間違えるなんてありえない)
「本物のマスター様は何処だ」

 矢に収斂しゅうれんされていく光の魔力。双眸を細めるヴィルヘルムに、男は両手を挙げて身の潔白を示す。

「待って待って! 本物もなにも、ぼくがマスターだよ‼︎」
「……」
「あーッ! 無言で魔力強めないで〜‼︎」

 慌てふためく様子はヴィルヘルムの気を逆撫でた。
 明らかに違う。異様だ。マスター様は命乞いなんてしないし、こんなにテンションも高くない。
 すると、ハッとした男はポツリとこぼす。

「もしかして君……ぼくが『誰』だか分からないの?」
「何?」
「やっぱりそうなんだ。なら、戸惑うのも無理はないね」

 男の言葉に、ヴィルヘルムはただただ疑問符を浮かべるばかり。
 そんな彼に――目尻を落とした男は小さく頷く。

「ならちゃんと説明するね。どうして『ぼく』がここにいるか」

 先程と打って変わり。真剣な面持ちへと様変わりした男に、ヴィルヘルムは警戒しながらも矢を霧散。杖を片手に聞き手へと回る。

「ありがとう、ヴィル君」
「その呼び方はやめていただきたい」
「ごめんごめん。……じゃあ、ヴィルヘルム君。まずは自己紹介からかな。


『ぼく』の名前はマスター。君も知るマスターの異世界版……って言ったら分かるかな」


 話に聞いたことがある。
 僕達が暮らす宇宙は無限大にあり、中には自分達の世界とよく似た――所謂『パラレルワールド』と呼ばれる世界線が複数存在する、と。
 嘘だ、と否定するには早急だ。なぜならマリオといった異世界の住人らが、この世界には具現化されているのだ。並行世界が存在していてもおかしくはない。

「……もしそうだとして。貴方はなぜここにいるのですか? それに、本来のマスター様は?」
「……ぼくがそうお願いしたからだよ」
「お願い?」

 草地の上で胡座を描く男は「うん」と正直に話す。

「一日だけぼくと変わってほしいって」
「どうしてそのようなお願いを?」
「それは……ちょっと言えないや」

 そう顔を背ける男に嘆息をもらす。
 一日だけ、という約束らしいし、もし一日過ぎても戻らなければ――全力で対処するだけだ。
 長杖を消したヴィルヘルムは「分かりました」と警戒心をそのままに頷く。

「王国に何も危害を加えなければ構いません。無駄な企みなどはされぬように」
「うんっ! お城からは出ないよ。ぼくはファイター達がどう過ごしているか見ていたいからね」

 立ち上がり服の汚れを軽く叩く男を横目に流す。
 こうして不思議なマスターと過ごす一日が幕を上げたのだった――。
2/5ページ