パルテナの鏡 - 機械仕掛けのレクイエム -
3章:はじまりのまえのお話
世界に夜の帳 が下りる――。
『からくり兵』襲来から、エンジェランドは夜を迎えた。地上よりも一回り大きい月の光に照らされる神殿は幻想的で美しい。
その一角に位置する女神の間に、天使ピットはいた。女神パルテナの隣に並び、共にビジョンを見つめる。
『どうやら、揃ったようじゃな』
ビジョンにはエンジェランドとは異なる自然溢れる部屋が映し出されており、そこには自然王ナチュレの他に、壁に凭 れ掛かるブラックピットの姿も見えた。
「はい、お待たせしました――ペルセポネ」
パルテナはそう、ピットとは反対の方向を見遣る。
『ペルセポネ』と呼ばれた――黒い蝶は、光の鱗粉 を散らしながらパルテナの周囲を飛んでいた。数時間前。ピットが神殿の中庭で保護したこの蝶の正体は、音信不通であった冥府の女神。どういうわけか、肉体と魂が分離しているのだ。
「冥府界で何が起こったのか……。心苦しいでしょうが、説明をお願いします」
『はい……』
蝶の姿となったペルセポネは語り始める。
★☆☆
それは、突然の出来事だった。
ペルセポネは修行をしていた。冥府城にある形だけの王座の間でひとり、神が扱う『奇跡』の練習を。胸の前で手を重ね、瞑目 し意識を研ぎ澄ませる。人の子であるペルセポネにとって、『奇跡』を扱うのは並大抵のことではない。数年……いや、数百年の月日が流れようと、実らぬ努力かもしれない。しかし、やらねば発現出来ないのだ、と。使命に燃えるペルセポネだったが、城全体を甚 だしい揺れが襲った。
体勢を崩しその場に座り込んだペルセポネの眼前――王座を引き裂くように壁が崩壊。ぬっと現れた巨大な影に、ペルセポネは大きく目を見開く。
ギギギ、カタカタ、コトコト、カチカチ。
不協和音を引き連れて、異形の『それ』は女王に歩み寄る。
とてもとても大きな人形 の人形だった。まるで糸操り人形 の如く四肢から線が天に伸び、バツ印の吊り手と繋がっている。おかしな方向へと曲がる手足、ケタケタと嗤う顔が恭 しく会釈 するとぐらぐらと揺れ――ポキリ、と鳴り響けばぐるぐると、回る廻るまわるまわるマワルマワル蝗槭蟒繧九繧上繝槭繝。
筆舌 に尽くせない不快感、不気味さ、恐怖。それらが一様にペルセポネを襲い、彼女の動きを縛る。糸操り人形 の指先から伸びてきた銀の糸を前に、ペルセポネはギュッと固く目を瞑った――が、衝撃が来ないことにそろりと目を開けるとそこでは。
自身を庇うように立ちはだかる堕天使サリエルの体を、銀糸が縛り付ける。締まる糸にサリエルの肌は切れ、ブシュッブシュッと鮮血が噴き出す。このままではサリエルの体は千々に千切れてしまう――のを、助太刀に来た女戦士パンドーラが剣で銀糸を切り裂き、助ける。
解放されたサリエルは謝辞 を述べる暇もなくパンドーラとアイコンタクトを交わし、ペルセポネを抱き抱え、パンドーラと共にその場を離脱。サリエルの体に必死にしがみついていたペルセポネは、見慣れた自軍の魔物が半機械化されているのを目にした。一体なぜこんなことに。誰がこんなことを?
魔神タナトスと合流後、サリエルはペルセポネをパンドーラに預け、告げた。
『僕は神弓オルトロスの回収に向かいます。ですのでお二人はペルセポネ様を連れて、「海底神殿」へと向かって下さい。あとで必ず追いつきます!』
と、サリエルはペルセポネが制止するのも構わず。ひとり城へと踵 を返した。
残されたペルセポネはタナトス、パンドーラと『海底神殿』へと退避する――。
★★☆
『……その道中から記憶がないのです。気がついたらこの姿で、エンジェランドに居ました……』
ペルセポネの話に、ピットは苦しげに眉尻を下げ、パルテナは静かに瞑目、ナチュレは髪を掻き分け、ブラックピットは眉を吊り上げる。重苦しい沈黙を破ったのはパルテナだった。
「ペルセポネ。気を失う前に不審な音は聞きませんでしたか? 例えば、羽虫のような音など」
それは『混沌の遣い』の特徴であるが、ペルセポネは否定した。
『いえ……機械の音はずっとしていましたが……』
「そうですか……」
『混沌の遣い』が復活したという線は薄くなった。ならば、とパルテナは問いかける。
「では、タナトスかパンドーラが不審な動きをしていたのを見ませんでしたか?」
ハッとピットが隣を見遣る。ペルセポネに問いかけるパルテナの目は――真剣であった。
『……パルテナ様は、タナトスさんかパンドーラさんが裏切ったと……?』
僅かにペルセポネの声が上擦っている。
「可能性としては」
『……そう……ですよね。でもわたしは見ませんでした……』
「分かりました。……ごめんなさい」
『いえ……そんな、パルテナ様は悪く……ないです』
気まずい雰囲気を変えるように、ナチュレが口を開く。
『そなたの話を整理すると……正体が知れぬ敵に城が襲撃され、退避の途中でサリエルが離脱。「海底神殿」へ向かう途中でそなたは肉体と分離し、タナトスとパンドーラは行方知らず……とな。流れを考えれば、タナトスとパンドーラは「海底神殿」に居る可能性が高いが……』
『どうして「海底神殿」なんだ? 何か関係があるのか?』
『「海底神殿」の地下には、地上と冥府界を行き来できる門 があるからです』
ペルセポネの説明に、ブラックピットはなるほどなと返す。
「でも、ペルセポネの体もどこにあるかわからないですよね……?」
『いや、つい先程ブラックピットと邂逅 しておる』
「『え⁉︎』」
ピットとペルセポネの声が重なる。
ナチュレは『復活の街』での出来事を2人に説明する。自身の肉体がオルトロスを手にしていたという事実に、ペルセポネは言葉を失う。それは、サリエルがオルトロスの奪還に失敗したと告げているのと同意だからだ。
「だ、大丈夫だよ! きっとサリエルは無事だから!」
「ピットの言う通りです。憶測で判断するにはまだ早いのでは?」
『……はい。ありがとうございます』
ピットとパルテナに励まされ、ペルセポネの声音も少しだけ明るくなる。
『今後の作戦を練る必要がありそうじゃな。パルテナ、そなたにも付き合ってもらうぞ』
「分かりました。ピット、ペルセポネ、貴方達は進軍に備えて先に休んでください」
進軍に備えてとは言葉ばかり。ペルセポネの心が擦り切っているのを見越して、パルテナはピットにこの場から連れ出すよう誘導する。
頷いたピットはペルセポネに「行こうか」と声を掛け、女神の間を後にした。
「……あら?」
『どうしたんじゃ、パルテナ』
「ブラピの姿が見えませんね」
『え? ……あやつ、わらわに黙って行きおったな』
「ふふ、やはりピットに通ずるところがありますね」
★★★
「部屋はボクと一緒になるけど許してね。パルテナ様が、有事に備えて同じ部屋がいいって」
『うん、大丈夫だよ。ごめんなさい、迷惑かけて……』
「ペルセポネのせいじゃないよ! だから気にしないで」
ペルセポネを連れて自室へと向かう途中、ピットは足を止める。
『? ピット君……?』
「……ねえ、少し寄り道していかない?」
にっと歯を見せて笑うピットに、戸惑いながらも『うん……』とペルセポネは返す。
神殿の外へ歩き出すピットに追従 すること数分。辿り着いたのは、満開に咲き誇る花々が織り成す花畑。
『きれい……』
月の光に当てられた花々は淡い光に包まれ個々が持つ色が控えめとなり、代わりに白で統一される。その景色は太陽の下で見られるものよりも上品だ。思わずペルセポネもそう溢していた。
「ちょっとは元気出た?」
『え……』
「ゴメン。どう声をかけたらいいかわからなくって……でもキレイな景色を見たらと思ったから」
ピットなりの気遣いに、ペルセポネは少しして謝辞を述べる。
『……ありがとう。とてもきれいな場所だね』
ペルセポネは花の近くに寄り、ちょんと触れる。肉体があれば指先を触れていたのだろうが。
「ここに居たのかよ」
「ブラピ!」
「だからなんだよそのブラピって‼︎」
遅れて花畑にやって来たのはブラックピット。先程まで自然軍の神殿に居たはずの彼の登場に、ペルセポネは疑問を抱く。
『ブラックピット君はどうやってここに? かなり距離があったんじゃ……』
「『光の戦車』だ」
『光の……戦車?』
「超高速で空を駆け抜ける戦車だよ。……元々はボクが受け取ったものなんだけど」
その辺りの事情をよく知らぬペルセポネは蝶の体を傾けた。
「とにかく。そいつが速いからすぐ着いただけだ」
『そうなんだ……すごいね』
ブラックピットはその場に脚を崩して座る。ピットもその隣に腰を下ろすと、ペルセポネに向けて人差し指を差し出す。差し出された指先に止まり、ペルセポネも翅を休めた。
「そういえばペルセポネはブラピのこと、ブラピって呼ばないね」
『愛称は親しい人が呼ぶものだからって……サリエル君が言ってたの』
再びペルセポネの声音が弱々しいものへ変わってしまい、ピットはどうしようと眉を八の字に曲げるがブラックピットは鼻で笑った。
「フン、どうせ生きてるだろうよ」
荒々しいが、彼なりに心配はしているのだ。不安も恐怖もひっくるめて不敵に笑うブラックピットに、ペルセポネは勇気付けられる。
『そうだね……きっと、サリエル君も頑張ってる』
「うんうん、その通り!」
「なんでお前がドヤってんだよ」
呆れた表情を浮かべるブラックピットに、「なにおう!」とピットが声を上げる。2人の小競り合いを微笑ましく見つめながら、ペルセポネは思う。
(守られてばかりじゃ嫌……わたしも、出来ることを探さないと……。大切な人を失わない為に……)
←2章:復活の街でのさいかい
4章:名もなき奇跡→
世界に夜の
『からくり兵』襲来から、エンジェランドは夜を迎えた。地上よりも一回り大きい月の光に照らされる神殿は幻想的で美しい。
その一角に位置する女神の間に、天使ピットはいた。女神パルテナの隣に並び、共にビジョンを見つめる。
『どうやら、揃ったようじゃな』
ビジョンにはエンジェランドとは異なる自然溢れる部屋が映し出されており、そこには自然王ナチュレの他に、壁に
「はい、お待たせしました――ペルセポネ」
パルテナはそう、ピットとは反対の方向を見遣る。
『ペルセポネ』と呼ばれた――黒い蝶は、光の
「冥府界で何が起こったのか……。心苦しいでしょうが、説明をお願いします」
『はい……』
蝶の姿となったペルセポネは語り始める。
それは、突然の出来事だった。
ペルセポネは修行をしていた。冥府城にある形だけの王座の間でひとり、神が扱う『奇跡』の練習を。胸の前で手を重ね、
体勢を崩しその場に座り込んだペルセポネの眼前――王座を引き裂くように壁が崩壊。ぬっと現れた巨大な影に、ペルセポネは大きく目を見開く。
ギギギ、カタカタ、コトコト、カチカチ。
不協和音を引き連れて、異形の『それ』は女王に歩み寄る。
とてもとても大きな
自身を庇うように立ちはだかる堕天使サリエルの体を、銀糸が縛り付ける。締まる糸にサリエルの肌は切れ、ブシュッブシュッと鮮血が噴き出す。このままではサリエルの体は千々に千切れてしまう――のを、助太刀に来た女戦士パンドーラが剣で銀糸を切り裂き、助ける。
解放されたサリエルは
魔神タナトスと合流後、サリエルはペルセポネをパンドーラに預け、告げた。
『僕は神弓オルトロスの回収に向かいます。ですのでお二人はペルセポネ様を連れて、「海底神殿」へと向かって下さい。あとで必ず追いつきます!』
と、サリエルはペルセポネが制止するのも構わず。ひとり城へと
残されたペルセポネはタナトス、パンドーラと『海底神殿』へと退避する――。
『……その道中から記憶がないのです。気がついたらこの姿で、エンジェランドに居ました……』
ペルセポネの話に、ピットは苦しげに眉尻を下げ、パルテナは静かに瞑目、ナチュレは髪を掻き分け、ブラックピットは眉を吊り上げる。重苦しい沈黙を破ったのはパルテナだった。
「ペルセポネ。気を失う前に不審な音は聞きませんでしたか? 例えば、羽虫のような音など」
それは『混沌の遣い』の特徴であるが、ペルセポネは否定した。
『いえ……機械の音はずっとしていましたが……』
「そうですか……」
『混沌の遣い』が復活したという線は薄くなった。ならば、とパルテナは問いかける。
「では、タナトスかパンドーラが不審な動きをしていたのを見ませんでしたか?」
ハッとピットが隣を見遣る。ペルセポネに問いかけるパルテナの目は――真剣であった。
『……パルテナ様は、タナトスさんかパンドーラさんが裏切ったと……?』
僅かにペルセポネの声が上擦っている。
「可能性としては」
『……そう……ですよね。でもわたしは見ませんでした……』
「分かりました。……ごめんなさい」
『いえ……そんな、パルテナ様は悪く……ないです』
気まずい雰囲気を変えるように、ナチュレが口を開く。
『そなたの話を整理すると……正体が知れぬ敵に城が襲撃され、退避の途中でサリエルが離脱。「海底神殿」へ向かう途中でそなたは肉体と分離し、タナトスとパンドーラは行方知らず……とな。流れを考えれば、タナトスとパンドーラは「海底神殿」に居る可能性が高いが……』
『どうして「海底神殿」なんだ? 何か関係があるのか?』
『「海底神殿」の地下には、地上と冥府界を行き来できる
ペルセポネの説明に、ブラックピットはなるほどなと返す。
「でも、ペルセポネの体もどこにあるかわからないですよね……?」
『いや、つい先程ブラックピットと
「『え⁉︎』」
ピットとペルセポネの声が重なる。
ナチュレは『復活の街』での出来事を2人に説明する。自身の肉体がオルトロスを手にしていたという事実に、ペルセポネは言葉を失う。それは、サリエルがオルトロスの奪還に失敗したと告げているのと同意だからだ。
「だ、大丈夫だよ! きっとサリエルは無事だから!」
「ピットの言う通りです。憶測で判断するにはまだ早いのでは?」
『……はい。ありがとうございます』
ピットとパルテナに励まされ、ペルセポネの声音も少しだけ明るくなる。
『今後の作戦を練る必要がありそうじゃな。パルテナ、そなたにも付き合ってもらうぞ』
「分かりました。ピット、ペルセポネ、貴方達は進軍に備えて先に休んでください」
進軍に備えてとは言葉ばかり。ペルセポネの心が擦り切っているのを見越して、パルテナはピットにこの場から連れ出すよう誘導する。
頷いたピットはペルセポネに「行こうか」と声を掛け、女神の間を後にした。
「……あら?」
『どうしたんじゃ、パルテナ』
「ブラピの姿が見えませんね」
『え? ……あやつ、わらわに黙って行きおったな』
「ふふ、やはりピットに通ずるところがありますね」
「部屋はボクと一緒になるけど許してね。パルテナ様が、有事に備えて同じ部屋がいいって」
『うん、大丈夫だよ。ごめんなさい、迷惑かけて……』
「ペルセポネのせいじゃないよ! だから気にしないで」
ペルセポネを連れて自室へと向かう途中、ピットは足を止める。
『? ピット君……?』
「……ねえ、少し寄り道していかない?」
にっと歯を見せて笑うピットに、戸惑いながらも『うん……』とペルセポネは返す。
神殿の外へ歩き出すピットに
『きれい……』
月の光に当てられた花々は淡い光に包まれ個々が持つ色が控えめとなり、代わりに白で統一される。その景色は太陽の下で見られるものよりも上品だ。思わずペルセポネもそう溢していた。
「ちょっとは元気出た?」
『え……』
「ゴメン。どう声をかけたらいいかわからなくって……でもキレイな景色を見たらと思ったから」
ピットなりの気遣いに、ペルセポネは少しして謝辞を述べる。
『……ありがとう。とてもきれいな場所だね』
ペルセポネは花の近くに寄り、ちょんと触れる。肉体があれば指先を触れていたのだろうが。
「ここに居たのかよ」
「ブラピ!」
「だからなんだよそのブラピって‼︎」
遅れて花畑にやって来たのはブラックピット。先程まで自然軍の神殿に居たはずの彼の登場に、ペルセポネは疑問を抱く。
『ブラックピット君はどうやってここに? かなり距離があったんじゃ……』
「『光の戦車』だ」
『光の……戦車?』
「超高速で空を駆け抜ける戦車だよ。……元々はボクが受け取ったものなんだけど」
その辺りの事情をよく知らぬペルセポネは蝶の体を傾けた。
「とにかく。そいつが速いからすぐ着いただけだ」
『そうなんだ……すごいね』
ブラックピットはその場に脚を崩して座る。ピットもその隣に腰を下ろすと、ペルセポネに向けて人差し指を差し出す。差し出された指先に止まり、ペルセポネも翅を休めた。
「そういえばペルセポネはブラピのこと、ブラピって呼ばないね」
『愛称は親しい人が呼ぶものだからって……サリエル君が言ってたの』
再びペルセポネの声音が弱々しいものへ変わってしまい、ピットはどうしようと眉を八の字に曲げるがブラックピットは鼻で笑った。
「フン、どうせ生きてるだろうよ」
荒々しいが、彼なりに心配はしているのだ。不安も恐怖もひっくるめて不敵に笑うブラックピットに、ペルセポネは勇気付けられる。
『そうだね……きっと、サリエル君も頑張ってる』
「うんうん、その通り!」
「なんでお前がドヤってんだよ」
呆れた表情を浮かべるブラックピットに、「なにおう!」とピットが声を上げる。2人の小競り合いを微笑ましく見つめながら、ペルセポネは思う。
(守られてばかりじゃ嫌……わたしも、出来ることを探さないと……。大切な人を失わない為に……)
←2章:復活の街でのさいかい
4章:名もなき奇跡→