パルテナの鏡 - 機械仕掛けのレクイエム -

2章:復活の街でのさいかい


「出るぞッ‼︎」

 茨が絡みつくゲートを飛び出すのは黒き天使。緑の光が宿やどりし翼を羽ばたかせ、空に舞う。
 赤き眼に映るのは浮世うきよ離れした景色。静寂に包まれし地に安らかな生命の光も、燃え盛るような地獄の炎も存在せず。在るのは、温もりを感じぬ石山の群。女神の手に掬われることも、冥王に罪を裁かれることもなく、永劫に彷徨い果てゆく虚無の地。
 翼に【飛翔の奇跡】を受けた黒き天使――ブラックピットは、二度目の来訪となる『復活の街』に出撃していた。

『ブラックピットよ。状況は理解しておるな?』

 月桂樹を通じ、上司にあたるナチュレの声が響く。ブラックピットは仏頂面で「ああ」と返す。

『なんじゃ、ま〜だ不貞腐れておるのか』

 ブラックピットは現在、機嫌を損ねていた。近寄ろうとするならば、間違いなく噛み付いてくるほどには。

『そなたがすやすやと寝ていたから、起こさないでやったというのに』
「……」

 前話、冥府の魔物と機械が融合した『からくり兵』襲来時。所属する【自然軍】神殿が襲撃されていたのにも関わらず、ブラックピットは自室にて爆睡していたのだ。それにはもちろんしっかりとした理由があるのだが、ひとりだけ爆睡していたという事実がブラックピットのプライドを傷つけてしまったらしい。
 ナチュレの言葉に「フン」と口をへの字に曲げる。

『全く……可愛げのないヤツじゃ』
『お邪魔しますよ、ナチュレ』

 と、通信に割り込んできたのは光の女神パルテナ。

「オイ、ピットアイツはどうした」
『ピットのことですね。彼なら神殿で待機させています。体力の消耗が大きかったものですから』
『やはり空中戦が原因かのう』
『ええ。未知の敵でしたし、神弓との相性があまり良くありませんでしたからね』

 ピットがからくり兵・ツインベロスと交戦したことはブラックピットも聞かされている。その上で、ナチュレから神器を指定されていた。

『故にブラックピットには、豪腕デンショッカーを装備してもらった。からくり兵のヤツらに、エレカの電撃が効果的面だったのも踏まえての』

 ブラックピットの先輩――自然軍最強戦士、電光のエレカ。稲妻のスピードとパワーを兼ね備えた彼女の電撃は、先のからくり兵の襲撃で大きく貢献した。ナチュレがブラックピットを起こさなかった理由のひとつに、エレカが駆逐してしまったことも挙げられる。

『であれば、水も有効ですね。あの「ミニアーマー」も所詮はからくりということかしら』
『「ミニアーマー」とな? そんな名前だったかのう』
『今名付けましたから』
『そなたも呑気のよう』

 頭の中で会話に花を咲かせている女神達に、ブラックピットは苛立った様子で口を開く。

「今回の目的は何だよ」
『言い忘れておったわ。以前「復活の街」にははぐれ魂が流れ着くと聞いたじゃろ?』

 それはピットの焼け落ちた翼を治す為に、ブラックピットが『巻き戻しの泉』に向かった際のこと。当時健在であったハデスとの会話で知り得た話だ。

『その魂を、からくり兵が回収しているようなのじゃ』
「魂を回収? 一体、何のために?」
『魔物を強化しているミニアーマーの動力源とする為です』

 パルテナの言葉に、ブラックピットは眉をひそめる。図らずもハデスが言っていた『生き物から採れる単なる素材』となってしまっているからだ。

人間サルであれ自然であれ、冷たい殻の中に納められ、延々と一寸違わず働かされる……尊厳もへったくれもない行為じゃ』

 それはナチュレも同じようで、声音に怒気が含まれているのを感じる。

『ここに流れ着く魂は冥府と比べれば少ない。じゃが、だからといって弄んで良い理由にもならん』
『焼け石に水ではありますが、多少なりともからくり兵を抑えられるはずです』
「なるほどな。その回収作業を邪魔してやればいいと」
『うむ。文字通りの“邪魔”をしてやるのじゃ!』

 話している間にもブラックピットは飛行を続け、からくり兵に遭遇することなく街の奥へ進む。

『からくり兵の姿が見えませんね』
『待ち構えておるのか、それとも……』
『はたから配備されていないのか、ですね』
『あくまでもこっちは価値の低いオマケで、冥府の魂がメインじゃということか』
「……なあ、冥府にはいかないのか。元凶はあそこなんだろ?」

 ブラックピットは、ただ考えなしに問いかけた訳ではない。
 冥府界は死者と生者の区別をハッキリさせる為、一部のものが持つ“通行手形”が無ければ入ることが出来ない。ピットとブラックピットはその通行手形を保持している。つまり、いつでも突入することは可能なのだ。

「ここの回収を阻止したところで焼け石に水なら、本丸を一気に攻めたほうがいいんじゃないのか?」
『……一理あります。ですが、その入り口が消えてしまっているのです』
「消えてる? 閉じてるじゃなくてか?」
『おっと、続きは後でじゃ! 見えてきたぞ!』

 高くそびえる石柱を越えた先、前方に現れたのは不思議な造形をした大型の人工物。全体は円盤の形をしており、そこから6本ものくだが伸びている。

『あの管で魂を吸い取っているのですね』
アレを壊せばいいのか?」
『豪腕程度じゃ壊れはせん。中に入るしか方法はなさげじゃの』

 弧を描くように周囲を飛行する。ぐるりと一周するも、ナチュレは『ううむ……』と唸る。

『突入出来そうな穴がないのう』
「なら、あの管から行くしかないな」
『まあ。大丈夫かしら?』
「それしかないだろ。いざとなれば豪腕でぶっ壊せばいい話だ」

 不安ではあるが【飛翔の奇跡】の時間切れ限界も近い。何より本人がそう言うのであればとナチュレは笑う。

『男気があるのよう、ブラックピットよ。飛ばすぞよ!』

 一際奇跡の光が強まり、ブラックピットの体は管に向けて加速する。青白い灯火――魂の吸い取り口に飛び込む。

「ぐううううう……‼︎」

 尋常ならない風の流れと圧を耐え凌ぎ、ブラックピットは本体へと押し流されていった。


★☆☆


「イデッ‼︎」

 空中に放り出されたブラックピットは受け身の体勢を取り、床に着地。体を打ちつけるも痛みは最小に抑えた。

『おーおー、無事なようじゃな』
『良かった……怪我はありませんか?』
「フン……この程度!」

 豪腕を拾い、腕に装着。周囲に視線を這わせる。複雑に絡み合う幾つもの管に、吸い込まれた魂が流されているのが見える。

『中は結構クリーンなんじゃな』
『無機質とも言いますけどね』

 ブラックピットは途中で放り出されたらしく、管はさらに先まで続いている。辺りには大小様々な石片が転がっているが。

『ほほう、ここは“ゴミ捨て場”じゃな。魂以外の不純物をここに吐き出しておる』
「ゴミッ……⁉︎」

 驚くブラックピットのすぐ近くに一回り大きい石片が落下してきた。早めに移動しなければ下敷きになりかねない。
 ブラックピットは石片を避けながら壁際へと向かう。

『扉らしきものがありませんね』
『元より必要ないのじゃろ。じゃが、そこの壁は脆そうじゃ』

 ナチュレのナビ――緑色の矢印が指し示す壁にヒビが入っている。恐らく石片がぶつかったのだろう。

「フンッ‼︎」

 少し離れた地点から駆け出し、勢いのままに豪腕をヒビに叩きつける。重い豪腕の一撃は見事壁を打ち砕き、ブラックピットは廊下らしき細い道へと出た。

『動力源まで道は一本ときたか』
『からくり兵の姿もありませんし、今回は戦闘シーンカットでしょうか』
『舞台裏のことを言うでない!』
「ならさっきのことを聞きたい。冥府の入口が“消えている”と言ったな?」

 最低限の注意を払いながら道なりに進むブラックピットは、突入前にパルテナが言った言葉を聞き返す。

「具体的にはどういうことなんだ?」
『地上界と冥府界は遠いようで近い存在。ひょんなことで迷い込んでしまう可能性がある。それを防ぐ為に通行手形と、複数の出入口を作った。……出入口は目立つものからそうでないものといった多岐に渡り、そのうちの“目立つほう”の入口が消えています』
『厳密に言えば全てが消えたわけではないのじゃが、残された入口にはからくり兵が陣取っておる。強行突破するには骨が折れそうじゃ』
「つまり、からくり兵も“知らない”道をゆくと」
『はい。そう簡単には見つかりませんが』

 つまるところパルテナ達は、ミニアーマーによって強化されたからくり兵との戦いを極力避けて冥府界に向かうべく、別の道を探している最中とのこと。
 理解したブラックピットは軽く頷いた。

『おお、見えてきたぞ。アレが動力源じゃ!』

 円状のフィールドの中心。筒状のガラスに護られているのは、心臓を模った機械。その身を覆う光は断続的に明滅めいめつを繰り返しており、まるで鼓動のようだ。気持ち悪い、と顔をしかめる。
 さっさと壊してしまおうとブラックピットが豪腕を構えたと同時――ナチュレが叫ぶ。

『左に回避じゃ‼︎』
「ッ⁉︎」

 反射的に左へと回避したブラックピットの足元に、純白の光の矢が突き刺さる。キッと目端を吊り上げ、矢が飛んできた方向に顔を上げたが。

「なっ……⁉︎」
『アレはまさか……』


『『ペルセポネ!』』


★★☆


 ヴァイオレットの瞳に、銀のストレート。紫紺色のドレスに身を包む華奢きゃしゃな女性。――間違いない。連絡が途絶えていた冥府の女神、ペルセポネだ。
 だが、ブラックピットは鋭く睨みつける。

「どういうつもりだ」
「……」

 光り輝く神弓をペルセポネは静かに構え、放つ。明らかに意思を感じない彼女を前に、ブラックピットは舌を鳴らし回避する。

『ペルセポネ! わらわじゃ、分からんのか‼︎』
「……」
『答えようとしませんね。本物……であることには間違いないようですが……』
『とにかく攻撃してはならぬ! 攻撃を受けるのもじゃ‼︎』

 神弓オルトロス――ペルセポネが現在使用している神弓は、6年前のダムド戦にて勝利へと導いた切り札。秘めたる力は三種の神器にも匹敵する。一撃でも被弾してしまった時のダメージは未知数だ。ブラックピットは追尾する矢を避けつつ、フィールドを駆け巡る。

『この異様な感じ……忘れもしません、“あの時”と似ています!』
「『混沌の遣い』か!」

 かつて、冥府の王ハデスが創造した混沌をもたらす生物。魂を奪い喰らうだけでなく、奪った魂の持ち主も支配する能力は、パルテナを始め、彼らを窮地へと追い込んだ。最終的に混沌の海へと沈んでいったが、大きな爪痕を残した。

「ヤツが復活したと⁉︎」
『分かりません。少なくともこの場にはいないようです』
『じゃがひとつだけ分かる。アレは“抜け殻”じゃ。魂だけでなく、女神としての力も感じられん』
「それはつまり……」
『女神ペルセポネとなる以前の体――「人間」の体です』

 少女はもともと、地上で暮らす平凡な少女であった。ところがある日、口に入れたザクロの実が――あろうことか、ハデスの力が宿るものであったのをきっかけに、地上で暮らすことが困難となる。そこに、お迎えに来たのが堕天使サリエルであり、彼女は冥府の管理者――ペルセポネの名を得たというわけだ。
 『人間』に逆戻りしたなら余計に傷つけてはならない。脆い人間の体では簡単に絶命へと至らせてしまう。

『ですが、これはチャンスです。ペルセポネの体力を出来るだけ削ぎなさい。弱った隙に、【催眠の奇跡】で眠らせます!』
「ナチュレ!」
『無駄にするでないぞ!』

 【軽量化の奇跡】を得たブラックピットはその速さでペルセポネを翻弄ほんろう。ブラックピットを撃ち抜こうとペルセポネは体を動かし続けていたが、やがて体力の限界を迎える。

『動きが鈍ってきたようじゃ!』
『【催眠の奇跡】!』

 パルテナの奇跡が発動し、ペルセポネの体を青白い光が包む。人間となった彼女であれば、容易に眠らせる――はずだった。
 パンッ! と弾ける奇跡の光。呆けていたブラックピットはすんでのところで矢を躱す。

『奇跡が弾かれた……⁉︎』
『……ん? 動きが止まったぞ』

 ペルセポネは矢を番えたまま、口を動かした。

「『鬲ゅ?縺ゥ縺薙↓縺ゅk』」

「な、なんだ……?」

 見知った顔の人物が聞き取れぬ言語を発する異様さに、ブラックピットはたじろぐ。暫しの間、ペルセポネは身動ぎひとつせず見つめていたが。

「……」
「! 待てッ‼︎」

 奇跡や魔法とはまた異なる、文字の羅列となってペルセポネの体はその場から消えてしまう。駆けつけたブラックピットの手は空を切る。

『ひとまずこの動力源を破壊するのじゃ』
「……、ああ」

 『復活の街』で猛威を振るっていた機械は破壊したものの、ペルセポネの肉体はみすみす逃してしまった――。


★★★


 同時刻。待機命令を下されたピットは、休憩しようと射撃場を離れた。
 神殿の回廊かいろうを歩いていたピットは不意に足を止める。近くにある庭の水場から、水が跳ねる音を拾ったからだ。近づいたピットは僅かに肩を震わせる。

(黒い蝶……不吉だなぁ)

 エンジェランドには似つかわしくない黒い蝶が、小さな池で溺れ掛けていた。かと言って見て見ぬふりは後味が悪い。ピットは掌で掬うように蝶を助けてあげた。

『た、助かった……』
「……えっ?」

 聞こえてきた声に周囲を見渡す。中庭に居るのは自分、ただひとり。

『ピット君? ピット君だ!』

 音速の速さで黒い蝶に視線を向ける。気のせいか、黒い蝶がビックリしたようにも見えた。

「キミは……?」

 恐る恐る黒い蝶に話しかける。

『わ、わたしは――


ペルセポネ……なの』


1章:安寧の終わり
         3章:はじまりのまえのお話
2/6ページ