パルテナの鏡 - 機械仕掛けのレクイエム -

外伝3


 地上は広大だ。
 人間の一生をかけても、その全貌を見渡せることが出来ぬほど。自然も知識も溢れている。

 誰かは言う。「この場所こそが世界の中心だ」。
 誰かは言う。「この場所こそ世界の最果てだ」。

 どちらの言い分も当たっているようで間違っているかもしれない。
 何故なら、彼らを上空から、はたまた地下深くから見守る神々にとっては些事に過ぎないことだから。
 それは人間に取り憑き、祝福や不運を与える『精霊』も同じ。

「ようやく見つけましたよ、我らが王」

 世界のどこかで誰かが笑う。


★☆☆


「今日もみずみずしいね〜! これも君達のおかげかな」

 『ヘパイストス戦あの事件』以降、自身に憑く“精霊”の気配をハッキリと認知した人間──ウィルドは、四大精霊を始めとする精霊達と何となくコミュニケーションを取れるようになっていた。その甲斐あってか、居を構える“精霊郷”での暮らしも豊かなものとなる。
 決して枯れることのない森で育つトマトを収穫しながら、少年は今日も精霊達に愛されながら人生を謳歌していた。それに加え、今日は一段と機嫌が良い。なぜなら今日は、天界、自然界、冥府界に君臨する女神の使徒が来訪する予定なのだ。彼らを手厚く迎えるため、彼はトマトをメインにしたキッシュを振る舞おうと計画を立てていた。誰もが舌鼓を打つ一品でおもてなしするぞー! と意気揚々と拳を振り上げた。──そのとき。

「う、わわわわわわわわ⁉︎⁉︎」

 甚だしい地鳴りが森全体を襲う。立っていられないと姿勢を崩したウィルドが腕に抱える籠からトマトが無造作に転がり落ちる。
 蹲り衝撃に耐えていたウィルドが恐る恐る顔を上げれば──木々の向こう側がばっさりと“消えていた”。正確には、地上から離れた空に浮いていた。

「ええええええええ⁉︎⁉︎」

 瞬く間に“精霊郷”は浮島と化し、緩慢とした動きで漂い始めている。目を白黒させて唖然とするウィルドの前に、まるで英雄譚に綴られる精霊降臨を彷彿とさせる──二体の人型をした精霊がふわりと着地した。

「はじめまして精霊の王。私達は精霊神とその御使」

 驚愕に双眸を大きく見開くウィルドは、そう柔らかな微笑みを湛える男を見つめる。精霊神と自称する男の容姿は常に閉じられている瞼に眼鏡、裸足に貴頭衣トウニカという神々を嫌う精霊でありながらその神々のイメージに近しく。片や、御使と呼ばれた女は多彩色の翅に肌面積が広い緑色の衣とツインテールが愛らしい精霊だった。
 これまでに人型の精霊を見たことも存在していることすら知らずにいた彼は、言葉も忘れて魅入る。人外的な要素を除けば、そこら辺にいる人間と大差はない。
 男──精霊神は、ウィルドの驚愕を置き去りに自分達の目的を告げる。

「ウィルド、貴方にはぜひ私達精霊の王となり、地上を守ってほしい」
「……へ?」

 精霊の王、地上、守る……次々と紡がれる言葉の羅列に鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべた。ただのしがない人間に課すにはあまりにも壮大で手に余る使命。思考が錯綜し膠着するウィルドを見兼ね、傍に佇む御使の少女がやれやれと肩をすくめた。

「話をすっ飛ばし過ぎよ、精霊神。理解できていないじゃない」

 少女の言葉に稲妻の速さで頷いた彼に、精霊神は形の良い顎に手を添えなるほどと頷く。

「順番に説明したほうが良かったですね。ですが……」

 ウィルドから視線を外した先──浮島と化した“精霊郷”に近づく三つの影を薄く開いた瞳が捉える。

「サリエル君、ピット君、ブラピ君……!」



「パルテナ様! “精霊郷”が宙に浮いてしまいましたよ⁉︎ 中にいるウィルドは無事なのでしょうか?」

 【飛翔の奇跡】にて大空を飛行するピットは驚愕を露わにし、月桂樹越しにビジョンで景色を共有するパルテナの返事は曖昧なものとなる。

『どうでしょう……人間であるウィルドの様子を知る術は私達にはありませんから、中に入るまではなんとも言えませんね』
『じゃがひとつ分かるのは、“精霊郷”を飛ばしたのは精霊の仕業だということじゃ。その証拠に、島自体により濃い気配が感じ取れる』

 会話に参入したのは同じく【飛翔の奇跡】でブラックピットを飛ばすナチュレ。自然王である彼女は、この中で最も精霊に詳しい。そんな彼女が言うのだからと、ピットとブラックピットの隣を自力で飛行するサリエルは納得とともに安堵する。

「精霊は神々や天使に敵意を剥き出しにしても人間には手を出さないはず……きっとウィルドは大丈夫。でも、」
「オレ達はそうじゃないってことだな」

 ブラックピットの言葉にサリエルやピットも気を引き締める。

『サリエル君、みんな……気をつけてね』

 サリエルが仕える冥王ペルセポネがビジョン越しに不安げに無事を祈る中、三人は浮島の端に着地した。と同時、森の中から向けられる数多の精霊達の視線が常より鋭く、体を射抜くような敵意あるものへと変化しており、明らかな異常を察知。護身用のためと召喚した神器を構えた瞬間──四方から火、氷、風、土の攻撃が流れ込んできたのだ。三人には女神の指示を待つより速く地を蹴り、五月雨のような攻撃の合間を縫いながら回避する。

『そのまま回避しつつウィルドのもとへ!』
『攻撃の合図を下した何者かがいるはずじゃ! そいつを止めい!』


「──よく分かってるじゃない」


「ぐぅ⁉︎」
「「ピット!」」

 精霊の対処に追われていたピットの眼前に躍り出た少女が、身の丈以上もある大剣を振り翳す。神弓を双剣に割りクロスさせて防御するが、あまりの威力に大きく後方へと吹き飛ばされた。

『【回復の奇跡】!』
「っ……ありがとうございます、パルテナ様っ」

 骨がひび割れた音が耳朶にこびりつく中、女神の【奇跡】によって間一髪粉砕を逃れる。その隙を見逃さず肉薄する少女の行手を阻むようにサリエルの銃が足元に撃ち込まれた。距離を離さ追えなくなった少女は後方に飛び退き、「ふぅん」と口角を上げる。

「あたしの力に対応出来ないようじゃまだまだね」
「オマエも……精霊なのか?」

 ブラックピットの問いに少女は大剣を軽々と肩に担ぎながら、そうよと不敵に笑う。

「力と音を司る精霊、それがあたしよ」
「名前はないのか?」
「精霊は固有の名前を持たないもの。あるとしたらそれは、自分を使役する主によってかしら」
『その精霊がウィルドに何用でしょうか』

 トーンを落としたパルテナの明確な敵意にも狼狽えず、少女もまた色を正す。

「この世界から神々を排除するため」
「「「⁉︎」」」
「地上に混乱だけを齎らす神々の争いに精霊こちらは飽き飽きしているの。私達が憑く人間や自然、はたまた建造物のために──ウィルド君を王として迎え、あなた達を排除するわ」

 少女は大剣を肩から下ろすと、空き手でくいくいっと手招き挑発。

「倒せるものなら倒してみなさい、女神の矛。あたしは他の精霊と一味違うわよ!」

 発走する少女を合わせ、三人は斬りかかりにいった。


★★☆


「神々の排除……⁉︎」

 同時刻。ピット達と精霊の少女が死闘を繰り広げる中、ウィルドも精霊神から似た内容の話を聞いていた。今まさに目と鼻の先で激しい戦闘音が響くのを耳朶に、冷や汗がウィルドの体からぶわっと噴き出す。

「ええ、ええ、その通り。ですが、いくら精霊神と呼ばれる私でも使役されなければ本来の力を発揮出来ない。……そこで、貴方の存在が必要なのですよ、ウィルド」

 伊達に精霊神と名乗るだけあり、ウィルド自身に憑く四大精霊を除き、ここ“精霊郷”に棲みつく精霊達は皆、精霊神の御名のもとに、ウィルドの願いも虚しくピット達を排除しようと牙を向いている。底知れぬ実力の持ち主に喉を鳴らす。

「それに……貴方も旅路の途中で聞き及んでいるでしょう。今や人間は神々ではなく、我々精霊に信仰を寄せていると」

 その言葉に、ウィルドは思わず眉を顰めた。
 【冥府軍】、【自然軍】、そして乱心した【パルテナ軍】による地上界での戦いに巻き込まれた人間達は、身勝手な神々を憎み、微力ながらも自分達の味方をしている精霊を信仰する者が増えつつあるのは、ウィルドも旅先で知っている。信仰とは力。より多く信仰を得るものこそが、この世界を巡る戦いを制するのだ。
 ウィルドが精霊と結託すれば、神々ですら超越する存在になりうるかもしれない。
 今こそ反撃の狼煙を上げるときだと、精霊神は訴える。

「ぼく、は……」

 ピット達には伝えていないが、ウィルドの両親は【冥府軍】の魔物によって殺された。それも、光の女神パルテナが乱心(『混沌の遣い』に操られていた)し、人間を攻撃するようになった最中で、不運にも故郷の村が戦場になったのが背景にある。
 唯一の生き残りであり、幸運にも“精霊郷”に辿り着いたことを鑑みれば。無惨にも殺された両親や村人のため、自分を生かしてくれた精霊達のため、御旗を振り翳すべきなのかもしれない。

(だけど……)

 物心つく前で記憶がないのに。助けられたという理由だけで。神々に怒りの矛先を向けるのは果たして正解なのか? それで自分は満足するのだろうか?

 ──思い出せ。

 ウィルドは少し前に冥府界にて、サリエルと交わした会話を想起した。



 ──ウィル。

 幾度となく交流し、友として絆を深めた堕天使が自分を愛称で呼ぶ。いつになく真剣な面持ちに、それまで仕事の手伝いをしていた少年は目を丸くする。
 どうしたの、とやや揶揄うように問えば、堕天使の友は気もそぞろに羽ペンの手を止めて。

 ──もし……もしもだよ? 僕がペルセポネ様を守るためにパルテナ様やナチュレ様と対立することになったら……ウィルは誰の味方をする?

 そんなことにならないでよ、と口を衝いて出た言葉に、そうだよねと友は眉を八の字に曲げた。
 そうして自然と話は終わってしまったが、ぼくは……。



 ──思い出す。あのときの気持ちを。

「ぼくは、人間を守りたい」

 ウィルドの答えに精霊神は笑みを浮かべ──損ねる。

「でも、神様とだって生きていきたい」

 彼が自身の思惑とは異なる答えを指し示したから。

「だってそれが、精霊のみんなに助けてもらえるぼくだけの特権だと思うから」

 神々や精霊にはない、いつか『終わり』を迎えるウィルド人間だからこそ言える“我儘”。
 人間らしい貪欲さを併せ持つウィルドの想い。

「あなたの力も貸してくれませんか?」

 精霊神の瞳が僅かに開かれた──そんな風に見えた。


★★★


『着地しますよ、ピット』
「ハイッ、パルテナ様!」

 天界と地上界の狭間をパトロール飛行中、見つけた“浮島”に着地したピットの羽から【飛翔の奇跡】が解除される。
 青々とした森の中を進むと、「ちょっと待ちなさい!」と肌を痺れさせるほどの音量で叫びながらこちらに大股で近づく少女が。

「何勝手に入ってきてるのよ!」
『少し休ませてもらおうと思いまして。お邪魔しますね』
「ここは天使のいるような場所じゃないの。さっさと帰りなさい!」

 そう、ここは“精霊郷”。ウィルドが使役する精霊神──もとい、精霊神ダエグによって管理される浮島。
 そしてピットと対面する御使の少女──もとい、ウルははた迷惑そうに腕を組む。
 数日前のあの日、精霊神を傘下に入れたウィルドは即座にピット達と交戦していたウルを含めた精霊を宥め、攻撃を中断。新たな精霊王として【精霊軍】をおこし、『いつでも神々の戦いに参入できる』ようにと浮島と化した“精霊郷”で暮らすことにした。
 肝心の本人はというと、地上にて仕事をしているようだ。今はいないと帰されてしまう。
 苦笑いを浮かべつつ、彼らしいとも感じる。精霊に愛されていようが、ウィルドは自分のペースで生きている。それこそ他の人間に紛れながら。
 そんな彼を──否、人間達を守るため、今日も白き翼は空を駆けゆく。

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