パルテナの鏡 - 厄災の目 -

6章:魂を求めて


「ピット、出ます!」

暗く長い通路を走り抜け、ゲートから夜かと勘違いしてしまいそうな厚い雲の下に飛び出す。直後、その純白の翼が青白い光に包まれ、一人の天使は宙を舞う。

『いよいよ、ダムドの元に乗り込みます。気合は十分ですね?』

「はい! パルテナ様!」

幾つもの戦いを共にしてきた“パルテナの神弓”を手に、光の天使──ピットは少年らしく大きな声で返す。月桂樹を通して伝わる明るい声に、彼が仕える女神──パルテナは小さく笑った。

「ところでパルテナ様。ブラピはどうしたんですか?」

『ブラピって呼ぶな』

パルテナとはべつに低い男の声──ブラックピットの声が月桂樹から伝わる。どことなく不機嫌そうな声を無視し、ピットは「今回はボク一人?」と目を丸くした。

『聞けよ、人の話』

『ブラックピットなら、もう既に冥府界におるわ』

少女が話す言葉とは思えないその声は──ナチュレ。ブラックピットが所属する“自然軍”のトップであり、自然の女神。ナチュレの言葉に、ピットは驚いた。

「もしかしてボク寝坊した!? すみませんパルテナ様!!」

『違いますよ、ピット』

『少し早めに出たのじゃ。ブラックピットも待ちきれなかったようだしの』

『フン、余計なお世話だ』

ケッと吐き捨てるブラックピットの声に、ピットは安心したように胸を撫で下ろした。『まだ安心するのは早いと思うがの』とナチュレの呆れた声が響く。

『本来なら、冥府界に入り口で合流する予定じゃったが……冥府軍がだーれもいなくての』

「冥府軍がいない……? 確かに、今回は障害が何もないな……」

『前回はシャッタンに待ち伏せされたり、オーンが道を塞いでいたりと、散々でしたからね』

「今回はライトアローもありませんし、良かったですけど。ですが、どうして何もないのでしょうか。みんな家でテレビでも観ているのかなぁ」

『『んなわけあるか!』』

ブラックピットとナチュレのツッコミが重なり、おおっと肩が跳ねた。

『おそらく、ダムドは城の中を徹底しているのでしょう。いくら使い捨ての駒としても、すぐに生み出せるものではありませんからね』

『その証拠に冥府界にも敵はいない。だからオレもここまで来れた』

「なるほど……」

『そうこう話しているうちに、冥府の入り口に近づいてきましたね』

ピットの目の前には、目のようにも見える冥府の入り口が近づいてきていた。同時に、ピットの懐が赤い光を放っている。

「タナトスから奪った宝石がまた光ってます! 一回ポッキリじゃなくて良かったぁ」

『入りますよ……!』

「うわぁぁぁぁッ!!」

瞳の奥底まで届きそうな閃光の中に入っていく。それも一瞬で、次に目を開けるとそこは赤黒い空に、乾き果てた大地が広がる“冥府界”だった。

「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」

「ブラピ!」

「ブラピブラピうるせぇ!」

冥府界を飛行するピットの隣に、黒いピット。ブラックピットが並んだ。怒号が飛び交う中、二人は仲良く本拠地に向かう。

『揃ったところで、今回の任務について確認します』

パルテナの真剣な表情が目に浮かぶ。ピットとブラックピットも同様に目を鋭くする。

『今回は地獄の王ダムドの撃破と、厄災の目を持つ天使サリエルの魂と体の解放──この二つです』

サリエル、と小さくピットが呟く。

天使サリエル。ダムド率いる冥府軍唯一の幹部であるサリエルは、“厄災の目”と呼ばれる“見た者に災いが降りかかる”左目を使い、ピットを悪夢に堕としたことがある。しかしその後、ピットに負け、ピットによって助けられたサリエルはダムドによって魂と体を分離され、冥府界に連れて行かれた。そのときの様子を思い出し、ピットは悔しさから神弓を握る力が強くなる。

『恐らくサリエルは、混沌の遣いによって操られていたピットと同じ状態となっておろう。魂が封じられた物を見つけ、体を戦闘不能に追い込めば助かるはずじゃ』

「戦闘不能にして助かるのはどうかと思うがな」

『それともう一つ。ダムドについてですが、少しだけ情報を手に入れました。
彼はもともと神ではなく、巨大な魔力を持つ悪魔だったようです。冥府の奥深くにある地獄より生まれ、ハデスと対立し、私達によってハデスが討たれたのを好機とみなし、冥府界に君臨した……たった一人の天使と共に』

「それがサリエル……」

『はい。……近づいてきましたよ』

崖に沿って上昇した先に、その城は聳えていた。

『ほう……ここが冥府城か。思ったよりも綺麗じゃのう』

『メデューサからハデスに覇権が移った際、使われなくなったそうですね』

『近づきます』とこの地に似合わない立派な城に近く。


──来たか。


「!」

月桂樹に響く男の声。忘れもしないその声に、ピットは叫んだ。

「ダムド! サリエルを返せ!」

『天使風情が笑わせてくれる。サリエルアレは元々俺のだ。返す必要もない』

ダムドの言葉に怒りに満ちた表情を浮かべるピット。そんな天使の様子に、何処からか見ているであろうダムドは笑った。

『そうだ。その怒りを、憎しみを、光を、全てを俺にぶつけろ! そして俺に見せてみろ! 怒りを、憎しみを、光を、希望さえもへし折られ、地獄の底に沈む姿を!』

狂ったように笑い始めるダムドに、『悪趣味なヤツめ……!』とナチュレの低く唸りのようにも聞こえる声が響く。


『ピット、突撃します!』

『ブラックピット! 突撃じゃ!』

「「承知!!」」





「ここは……」

『以前、メデューサと戦った間に続く道ですね』

城の内部に突撃した二人が降り立ったのは、メデューサ戦のときにも通った溪谷の底ような空間。初めて城の内部に来たブラックピットは、周囲を物珍しく見渡している。

「城の中とは思えないな」

『確かにの』

『今回もまた、次元が歪んでいるようです。グラインドレールを引きましたが、やっぱりちょっとややこしいルートになってしまいました』

「グラインドレール? パルテナ様、今回はペガサスの翼がありますよ? 敵もまだいないようですし、飛んだ方がはやいのでは?」

実は今回の作戦にあたり、パルテナは神器神ディントスに三種の神器の一つ、ペガサスの翼を二人分頼んでいたのだ。本来から飛ぶことができない二人が自由に飛び回れていたのもこの翼のおかげだった。ピットの質問に、パルテナは困ったようにそれが……と声を漏らす。

『時間切れなんですよ。ペガサスの翼』

はっ? とあんぐりとするピットの翼から光が無くなる。それは同じようにペガサスの翼を携行していたブラックピットの黒い羽からも、光が消えていた。

「どういうことだ」

『ワシから説明しようかのう』

彼らの通信に参加してきたのはヘンテコな神器の生みの親“神器神”ディントスだった。

『パルテナに頼まれて急いで作ったからな、一回ポッキリとなってしまったわい』

「そんなぁ! あわよくばこれからも使おうとしてたのに!」

『世の中そんな甘くないということじゃな。ブラックピットよ』

ナチュレに名指しされ、ギクリと肩が跳ねるブラックピット。どうやらピットと同じ事を考えていたようだ。

『ディントス様。お願いしていた件はどうなりましたか?』

『おうっ。ダムドを倒すための神器の話じゃな』

「おおっ! それでその神器は!」

『良い話と悪い話、どちらが先に聞きたいか?』

「えっ。……じゃあ、良い話から」

『その神器は一撃必殺が出せる。チャージすれば放てるぞ』

「それは頼もしい! で、悪い話って?」

『その神器が手元にないことじゃ。誰かに盗られてしまったらしくてのう』

「「おいコラ!!」」

とても神を慕う天使の発言とは思えない同時ツッコミ。ディントスはその勢いに驚くことなく、長く伸びた自身の髭を触る。

『三種の神器に匹敵する神器はそれだけだからのう』

『犯人に心当たりはあるのですか』

『随分と昔に製作したものじゃからのう……盗まれたか、落としたか……それも分からん。まあ、安心せい。今まさにディントスレーダーで探知しているところじゃ。もうすぐで見つかるはずじゃろう』

「ディントスレーダー? そんなものがあるのか?」

『あるわけなかろう』

「んがっ」

『見つけ次第転送してやるから、先にサリエルとやらを助けたほうがよいのではないか?』

『それもそうじゃな』

『では予定通りこのまま進みます。ディントス様、そちらはよろしくお願いしますね』

『わかったわかった』

ひとまず神器の件はディントスに任せると、ピットとブラックピットはパルテナが奇跡の力で引いたグラインドレールに乗り、崖の合間を通り抜ける。

『冥府軍が誰もおらぬの。見当違いだったようじゃな』

『えぇ……ですが、嫌な予感はします。警戒は怠らぬように』

『そうじゃな。……ん? どうした、ソイヤッサ?』

と、ナチュレビジョンを見つめているナチュレのもとに、自然軍の兵士であるソイヤッサが何かを伝えにきた。

「おい、どうしたナチュレ」

『ヤツらめ……こういう事だったのじゃな。ソイヤッサ! 皆に出撃命令を伝えるのじゃ! アロン、エレカの指揮に従え!』

少女の命令が下され、ソイヤッサは足早にナチュレの部屋から出て行く。声だけしか聞こえないが、ただならない雰囲気にブラックピットは眉をひそめる。

『パルテナ! ヤツらめ、この自然軍拠点に大軍を率いて攻め込んできたぞ!』

『! なるほど、外にも城の中にもいなかったのはこのためでしたか……!』

『恐らくヤツらは、おぬしの所にもやってくるであろう。パルテナ、そなたは自軍の指揮を取るのじゃ。わらわがまとめてピットとブラックピットの援護をする!』

少しの間、無言になるパルテナだったが、やがてお願いしますと告げた。

「パルテナ様……」

『ピット。貴方が帰る場所であるエンジェランドは私が守ります。ですから、貴方もすべき事をやり遂げるのですよ』

「……ハイ!」

力強く頷くピット。ビジョンを通して伝わってくる想いに、パルテナも頷くと指揮を取るべくその場から離れた。

「よっと」

『ピットよ。この扉であっておるか』

「うん。この先は確か……見えない道が続いているんだよな」

グラインドレールから降りた先に佇む扉を抜けると、そこはピットが言っていた空間ではなく、血のようなもので出来た海の上に浮かぶ決戦場……メデューサと対峙した場所に繋がっていた。

『ピット!』

「ううう嘘は言ってないぞ!」

「バカ! 前を見ろ!」

緑色の光が怪しく光を放つステージの上。その中央に、生気を感じられないサリエルとその隣に立つ黒ローブを身につけた男。男は二人の姿を捉えるとニヤリと口角を上げ、ローブを脱ぎ捨てた。

「はじめまして、光と自然の矛ども。俺はダムド。新しい冥府王であり、地獄から生まれた悪夢」

緩いズボンに羽衣を巻いただけのとても悪魔には見えない男──ダムドはそう挨拶した。

「ここまで退屈だっただろう」

「むしろオマエをふっ飛ばす体力が有り余って好都合だな」

「そうだろうな。そうでなければ、楽しくなどあるわけがない」

ダムドが纏うオーラが冷えたものに変わり、ピットとブラックピットはそれぞれ神弓を構える。

「──行け」

「来るぞ!」

ダムドから下された命令に従い、空の器と化したサリエルが、狙杖エクリプスを手に二人に突撃する。

「かはッッ」

そのまま弾を撃ち込むと思いきや──サリエルは、全力の一撃を込めた蹴りをブラックピットの腹に入れた。ミシミシと骨にまで蹴りが達した音がすると、ブラックピットは勢いよく後方に吹き飛んだ。そのブラックピットを追うように、サリエルも飛行する。

「ブラピ! !?」

助けに駆け出そうとしたピットだったが、グンッと足を引っ張られる。いつの間にか自身の足元には、真っ赤な色をした沼のようなものが出来ており、だんだんとその中に体が引き込まれている。

「な、……なんだコレ……!」

抜け出そうともがくが、返って引きずり込まれる速度が速くなっていく。

『えぇい……! 【飛翔の奇跡】!』

「無駄だ」

ナチュレはピットのその羽に奇跡を宿らせるも、ダムドの一言により現れた無数の手がピットの体を掴み、一気に引きずり込んだ。

「パルテナ……様……」

その言葉を最後に、ピットは完全に沼の底へと消えた。


「地獄の底で泣き喚くがいい。光の天使よ」


5章:堕ちた翼に祝福を
            7章:地獄での再会
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