パルテナの鏡 - 厄災の目 -

4章:一つの決着


「お待たせ!」

元気な少年の声が空に響き渡る。

女神パルテナに仕える天使、ピットはゲートから雲海へ飛び立つ。飛ぶことができないピットは重力に従い落ちていくが、背中の羽に光が灯る事によって浮かび、雲海を眼下に飛行する。

「パルテナ様! 久しぶりの出番ですね!」
『貴方だけ居ませんでしたからね』
「ハイ、ナスビ地獄に負けました」
『天使大敗北の巻かしら』

頭につけた月桂樹を通じ、上司であるパルテナと通信しながら、ピットは久しぶりの飛翔に心を躍らせた。

『……楽しいですか?』
「ハイ!」
『ではピット。今回の任務についておさらいしますよ』

あ、はい。とちょっぴり残念そうにピットが会釈する。

『今回、貴方に向かってもらうのは"逢魔おうまの神殿"と呼ばれる場所です』
「前々回は"常闇の神殿"、前回は"光明の神殿"……冥府軍って、天界や地上界に自分達の施設持ちすぎじゃないですか?」
『魔王ガイナス戦でも、タナトス戦でも確かそうでしたね。
それで、話を戻しますと。"逢魔の神殿"攻略後、いよいよ敵の本拠地……冥府界に攻め込みます。
ですので、出来るだけピットには冥府軍幹部サリエルの戦力を削いで欲しいのです』
「了解です! ……パルテナ様、サリエルの左目をブラピが貫いたと聞きましたが……」

冥府軍幹部サリエルは天使でありながら、冥府軍に仕える者。そのサリエルの隠された左目には、見た者に災いが降りかかる呪いがかけられており、ピットは前々回、その目を見てしまい、半身とも言えるブラックピットがサリエルの左目を潰したことで呪い……悪夢から解放された。

『恐らく、その傷も回復していることでしょう。直視しないように気をつけるのです。
……見えてきました。"逢魔の神殿"です』

そこは暗い地下でも明るい空上でもなく、地上界から見えてしまいそうな場所に存在していた。外は厚い雲に覆われ、中の様子は窺えない。

パルテナはピットをコントロールし、空中に留まっていると、厚い雲の一部に穴が開き、誘われるようにその穴に進む。

『入りますよ、ピット!』
「ハイ!」





「よっ……と」

翼を使いながら華麗に着地を決めたピットは、手にしていた黄金に輝く武器"パルテナの神弓"を構えた。……が、いつもならわんさかと溢れ出てきた冥府軍の雑魚は一匹もおらず、ピットはアレ? と拍子抜けしていた。

『おそらくサリエルは、お主と一対一で戦いたいのじゃ』
「ナチュレ!」

月桂樹に届いてきたのは、現在協力関係である自然軍長ナチュレからの通信。

「ナチュレ、ブラピが胸を撃たれたって聞いたけど……」
『誰がブラピだ』
「ブラピ! 生きてたのか!」
『勝手に殺すn……っう…………』

お決まりのセリフを返しながら入って来たのは自然軍幹部ブラックピット。しかし、ブラックピットは前回サリエルに撃たれた場所がまだ痛むのか、苦しそうに唸る。

『これ! いつものように返しては傷に響くじゃろ!』
『うるさい……このぐらい……』
『仕方ないのぉ……【拘束の奇跡】!』

ナチュレが奇跡を使い、実力行使でブラックピットを安静にさせたようだ。ピットは心の中で静かに合掌する。

『あら、出番がなくともブラピにはセリフがあるのですね』
「泣いてなんか……いないっ……!」

滲み出た涙を乱暴に拭くと、ピットは一歩踏み入れた先に広がる暗闇の手前まで来た。どうやら、この先にサリエルがいるようだ。

『準備はいいですか?』
「もちろんです!」

片腕を突き上げ、先に進もうと踏み出した。


──次の瞬間。



「えっ……うわあぁぁぁぁ!!」



ピットは何者かにより背中から蹴飛ばされ、暗闇の中……深い深い穴へと体を投げ出された。

『なんと……! 暗かったのは落とし穴だと分からなくするためか!』
『ピット! 体制を整えてください! 上から……サリエルが来ます!』

きりもみ状に落ちていたピットは、パルテナに言われ何とか食いしばり、滑空体制に入ることが出来た。するとすぐ隣に、アメジスト色の瞳をした黒い天使……サリエルが並んだ。

「サリエル……!」
「天使ピット。空を飛べないお前が助かるには、僕を倒す他道はない。……僕と戦え」
「っ……!」

サリエルの眼帯がつけられていない右目がピットを捉える。ピットは驚き、目を見開いたが、すぐに神弓を構えるとサリエルに向けて一発放つ。

それが開戦の合図となった。





「ぐっ……!」

滑空体制だったピットは、くるりと反転し背中から落ちていく体制へ切り替えた。その状態でピットは神弓を引き、矢を放つが自由に空を動けるサリエルに当たるわけがなかった。焦りから冷や汗が流れる。

『ピッ…………こ……す……』
「(パルテナ様の声が聞こえなくなってる……多分、ジャミングのせいだ。おそらく奇跡も使えなくなってるはず……。このままじゃボクは……
いや、考えるなピット! とにかく今は、この状況をどうにかするんだ! 勝ってエンジェランドに帰るんだ! ……は言わない!)
……えぇ!?」

突然驚愕するピット。

「なんでここにガーディアンズが!?」

ピットの周りに浮遊するのは"衛星ガーディアンズ"。なぜ衛星なのだろうかと考えたピットだったが、衛星ガーディアンズの特殊な能力を思い出した。

「(なるほど、そういうことですねパルテナ様! 
ピット、行きます!)」
「天使ピット。お前はもうすぐでただの肉片となる」
「天使の丸焼きは美味しくないんだぞ!」
「……僕が痛みなく、浄化してやる」

サリエルの神器"狙杖エクリプス"の銃口がピットに向けられる。エクリプスは狙杖の性能が無くなる代わりに、極稀に即浄化の一撃を放てるレアな神器だ。何年のも付き合い故か、サリエルは即浄化が付加された一撃がいつか分かるようだ。

その性能を知った上で、ピットは抵抗せずサリエルの一撃を待つ。

「……」

引き金が引かれ、真っ直ぐにピットの元に向かう。

「っ、守れ!」

タイミングを見計らい、ピットはガーディアンズの特殊能力である半透明な盾を一瞬出現させると、サリエルの一撃は盾によって跳ね返り、エクリプスを手にする主人へと帰る。

「がはっ……」

即浄化が付加された一撃が自身に跳ね返ると思っていなかったサリエルは避けきれず、肩に一撃が掠る。掠れただけだったため浄化することは無かったが、襲い来る強烈な痛みに、サリエルは口から血を吐き、空中で意識を失った。

戦いが終わり、ピットとサリエルは共に穴の底へと落ちて行く。

「サリエルっ……」
『ピット、ピット! 聞こえますか!』
「バッチリです! パルテナ様!」
『あぁ、無事で良かったです。ガーディアンズも、転送されたようですし。それでは回収しま……』
「待ってください、パルテナ様! サリエルを助けないと!」

ピットの必死な声が穴に響く。

『ジャミングはもう既に解除されておる……それなのに回収されないとなると……。こやつは、ダムドに捨てられたことになる。
簡単に捨てられるということは、こやつには重大な情報を聞かされていないということになる。例え連れ帰ったところでじゃ、厄災の目の影響で二次災害が起きるのかもしれないのじゃぞ!』

ナチュレが言い放った言葉を否定するように、ピットは天をキッ! と睨みつけた。

「そんな理由でサリエルを見捨てることは出来ない! ボクは目の前にある命を捨てるような真似はしたくないんだ!」
『ええい! 往生際が悪いやつめ!』
「誰がなんと言おうと! 例えパルテナ様がやめろと仰られても! ボクは! 後悔したくないんだ!」

片手を自身の少し上にいるサリエルに向けて伸ばす。その様子にナチュレは『甘い……甘すぎる……!』と呟く。

『……ピット』
「パルテナ様っ」
『貴方が彼を助けたとしても、彼はその恩を忘れ、貴方に牙を剥くかもしれない……私はそれを恐れているのです。
……ですが。ピットが望むなら、彼を私のところで保護しましょう。ただし、私が出す条件を飲み込んでくれるというなら』
「……分かりました」

パルテナの冷たい声に、ピットは頷く他なかった。

『転送!』

二人の天使は、深淵の淵から生還した。





なんで……どうしてこんな……


お前がいるだけで不幸が来る。


災いをもたらす天使なんていらねぇんだよ。


テメェは天界じゃなくて地上で生きるべきだ。


おら! こっちこい!


やだぁ! 離して、離してよ!





「……」

ゆっくりとアメジスト色の右目を開ける。

光さえ入らない暗闇の牢屋。パルテナが乱心した三年間以来、使われていなかったその場所の一角に、サリエルは囚われていた。

ひんやりとして固いコンクリートの上で過ごすこと早三日……。定期的に出されている料理も口にしないまま、サリエルは命が尽きるのをただひたすらに願っていた。

「サリエル……」

そんな彼の元にやって来たのは、サリエルを救った張本人ピットだった。ピットは檻の前で床に座ると、持って来たご飯を檻の中へ渡す。

サリエルがエンジェランドに来てから、今日初めてピットは会うことができ、安心したように笑う。

「やっとパルテナ様が君と会うことを許してくれたんだ。それでね、ボク、喉に通りやすいものを作ってきたんだけど──」

ガシャン! と音を立てピットが持って来たご飯が床に散らばる。コロコロとお粥が入っていたお椀がサリエルの近くへ転がってくると、サリエルはお椀を拾い上げ、檻の外にいるピットに向けて投げつけた。もちろんそれは鉄の棒に阻まれて届くことはないが。

「……お粥っていう気分じゃなかったよね、ごめんよ」
「どうして助けた。あのまま、ほっといてくれれば良かったのに」

割れて破片となったお椀をピットが片付ける。サリエルの問いに、ピットは答えない。

「女神の加護せいで僕は傷一つ付けられなくなってしまった。もう……疲れたのに……どうして休ませてくれないんだ……」

サリエルの右目から涙が溢れる。

「僕は……全てに拒絶されてるのに……」

再び閉じられてゆく右目。

しかし、すぐ近くで聞こえた破壊音にパッチリと見開かれる。

「サリエル」

檻を破壊して中に入って来たピットは、サリエルの肩を掴み目を合わせる。

「眼帯を、外してほしい」
「──ッ!?」

サリエルは自分の肩に置かれたピットの手を弾き飛ばすと、睨みつける。

「そんな事をして何になると言うのか」
「確かめたいことがあるんだ。大丈夫。また悪夢を見たとしても、今度は弾き飛ばしてみせる!」
「今度は悪夢だけとは限らないのに」
「それでも耐えてみせる。だから……」

譲らないピットに、サリエルは動揺した。

「ボクはサリエルの事、助けてよかったって勝手に思ってるよ」

サリエルの心に、暖かい何かが流れ込む。


ずっと昔に失った何か……。


サリエルは最後の願いとして、眼帯を外した。

「……違う」

不気味な左目を目にしたピットがそう溢した。

「初めて見た時の不気味さが……ない」

途端にピットの表情は明るくなり、サリエルの手を掴む。

「サリエルの左目は、きっと二度目から効果ないんだ!」
「嘘……」
「だってホラ、その証拠に目を合わせられてるよ!」

初めて知った左目の性質に、サリエルは今まで流せなかった左目から涙を流した。



「うぅ……
あああああああああ!!」



冷たい空間に木霊するサリエルの嗚咽。

ピットはサリエルを優しく抱きしめると、良かったねと囁く。




「……ピット」

その様子をピットの月桂樹を通じて見ていたパルテナは、目を閉じた。

「貴方はもう一つ。厄災の目の秘密を、明かしてくれましたよ」

固かったパルテナの口角が、少しだけ上がった。


3章:闇を貫く一条の光
5章:堕ちた翼に祝福を
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