第6章 超摩天楼〜魔空間編
「お待たせしましたっ」
「あっ、エレイ。ちょうど良かった」
パタパタと馬小屋に飛び込んだエレイを迎えるのは、一行を支える白馬のヴァイスに鞍を装備し終えたアル。
「今準備が終わったんだ。いつでも出発できるよ」
「こちらから誘ったことなのにありがとうございます。ヴァイスも、よろしくお願いしますね」
まるで応えるように首を縦に動かすヴァイスに笑みをこぼす。
「じゃあ行こうか」
「はいっ」
エレイが自身の腰に手を回したのを確認すると、アルは手綱を優しく引き寄せヴァイスを走らせた。
のどかな平原を軽快に走り抜けるヴァイスに揺られながら、アルはこれまでの冒険を想起する。
育て親の父を亡くし、一人。『ミートピア』へ降り立ったあの日の自分に、今の状況を予測できはしない。
町で貰ったお守りから神の力を授かり、エレイや仲間達と出会い、強敵と戦った日々があって――今に繋がる。
全てはここ、のどかな平原から始まったのだ。
「ありがとう、ヴァイス」
ある程度まで走らせたあと、二人はヴァイスから降りた。アルが頭を撫でつつ礼を述べると、ヴァイスは――馬ながらに気を遣ったのか――二人のもとから走り去る。
アルがエレイに振り返ると、彼女は草原の上に腰を下ろしていた。エレイはにこりと微笑み、隣に座るよう促す。
「ここは、いつ来てもすてきだね」
心地よい風が吹き抜ける中、隣に座ったアルは広大な草原を見つめる。
「はい。大好きです」
エレイもまた美しい光景を前に、頬を綻ばせる。
自然と二人の間に生じた沈黙に身を委ねていると、エレイがふいに口を開く。
「そういえばアル、私に何かご用でしたか?」
「えっ」
思い出したかのような口ぶりに、アルは思わず言葉を詰まらせる。
言おうか言うまいか。数秒の黙考の上――アランから頼まれていたのもあり――アルは正直に尋ねた。
「エレイ。何か悩み事でもある?」
「……悩み事ですか」
繰り返す彼女は睫毛を伏せる。やはり思い当たる節があるらしい。
アルはエレイが抱える『悩み』を引き出すため、さらに畳み掛けた。
「ぼくにできることならなんでも言って! 力になるよ!」
「ふふ、ありがとうございます」
でも、とエレイはアルに笑ってみせる。
「もう叶えてもらっていますよ。充分に」
目を見開いたアルは次に困惑の表情を浮かべた。
「ど、どういうこと⁇」
エレイは変わらずくすくすと笑みを溢し、アルの肩へ寄りかかる。
「……楽しいこと、悲しいこと、苦しいこと。いろんな事がありましたね」
「……うん」
瞼の裏に浮かんでは消えていく数々の思い出。
仲間達が大魔王に連れ去られて、助けられたと思ったら自分を庇って大賢者が体を奪われてしまって。今こうしている間にも苦しんでいるのかと思えば、胸が締め付けられる。
アクシデントも多かったが、それ以上に楽しい旅だった。
「アルがハンバーガーに食べられたり氷漬けにされたりしたのも良い思い出ですね」
「うんうん。……って、それ全部良くない思い出!」
顔を見合わせた二人はそれからぷっと吹き出し、声を上げて笑う。
ややあって笑い声は萎み、エレイは柔らかな笑みを湛える。
「アル。明日の決戦、絶対に勝ちましょう。私達ならどんな相手であろうと大丈夫です」
決意に満ちたエレイの瞳に、アルもまた頷き返す。
「もちろんっ。レヴィを助けて、みんなで帰ってこよう!」
一陣の風が髪を靡く。
アルは慌てて飛ばされそうになった帽子を手で抑えた。
「ふー……危ない危ない」
「――シャッターチャンスはのがさない!」
「うわあっ⁉︎」
死角より現れたカメラの被り物にアルは盛大に肩を跳ね上がらせる。
「わたくし、旅する写真家トルゾーです」
「いや知ってるよ! び、びっくりしたなぁ……」
「こんにちはトルゾーさん。こんなところでお会いするなんて偶然ですね」
微動だにせず応対したエレイの言葉に、トルゾーはいやぁと歯を見せて笑う。
「何やら幸せそうな雰囲気をビビビッとキャッチいたしましてね。つい写真を撮ってしまいました」
「また勝手に撮ったんだ……」
「よろしければお売りしましょうか?」
「そしてお金を要求すると……」
いつものことだけど、と半眼を作るアルを他所に。エレイは懐からお財布を取り出す。
「いただきたいです。おいくらですか?」
「あっ買うんだ」
「お買い上げありがとうございます!」
20Gで購入するや否や、「次の現場に向かわなくては!」とトルゾーは走り去っていった。
「嵐のようだったな……」
「でも素敵な写真ですよ」
「えっそうなの? 見せて見せて」
「駄目です。アルはお金を出していないでしょう」
むぅ、と頬を膨らませるアルを揶揄うようにエレイは片笑む。
「そのうちお見せしますよ」
「それならいいけど……」
あっとエレイが視線を向けた先では、ちょうどヴァイスが散歩から戻ったところだった。
気づけば陽は傾き始め、夜の訪れを知らせる。
「宿屋に戻りましょうか」
「そうだね」
行きと同じくヴァイスに乗り込むと、背中越しにエレイが話しかける。
「アル、私のお願いを聞いてくれてありがとうございました」
「ん? うん、もちろん聞くよ。エレイのお願いならいくらでもっ」
手綱を引き走り出したアルが気づかぬように。
エレイは頼もしくなった背中に顔を埋めた。
(……もう、大丈夫)
「おかえり。二人とも」
宿屋へと帰宅した二人をアランが出迎える。
(どうだった?)
アイコンタクトを受け取ったアルはエレイにはバレぬように首を横に振る。
苦笑気味に眉が下がったアランをエレイは不思議そうに見つめた。
「どうかしましたか?」
「ううん、何でも。それより、もうすぐパーティーが始まるよ」
「やった! 早く行こうっ!」
駆け足で会場であるダイニングルームへ向かったアルの背に、アランは「転ばないでね」と声を掛けた。
「僕達も行こう。みんな待ってる」
「はいっ」
普段通り自身の後ろを追従するエレイに――胸のつかえは消えないまま――アランは前だけを向く。
キッチンクロスが敷かれた丸テーブルの上にずらりと敷き詰められた豪華な食事に、料理担当ミミルの本気度が窺える中――。
「魔空間の禍々しい雰囲気の中だけど、」
エレイを始めとする仲間達の視線がアルに集中。
「今夜はパーティでーす!」
誰もが少なからず不安を抱くも、努めて明るく拍手を送る。
「……僕達の旅も終わりが近いね」
「そうだな……」
感慨深いものだと瞼を閉じるアランにシオンが同意。
「本当に終わってしまうんですね……」
ベルデの呟きに「そうだね」とアルが頷く。
「超魔王をやっつけたら『ミートピア』に平和が戻るはず。そうしたら……旅をする理由もなくなるからね」
しんと静まり返る一同。
縁もゆかりもなかった誰かと誰かが手を取り合い、歩んできた軌跡。
離れたくない、と本心を言えればどれほど良かっただろうか。
「アル」
満ちる静寂を破ったのは、普段より控えめなエレイの声音。
「アルは、旅が終わったらどうしたいですか?」
「んっ? んんーーー……」
腕を組み首を捻って思案してみるも。
「まだ思いつかないや」
こめかみを掻きつつそう苦笑いする。
「今はとにかくレヴィを助けることが目標だからね! その先のことは……未来の自分に任せるよ」
「アルらしいですね」
手の平を合わせたエレイに頷き返し、アルはティーカップを手に持つ。
こほん、とわざとらしく咳払い。
「ではみなさん。来るべきミートピアの平和に!」
全員がカップを手にしたのを確認。にっと破顔したアルは高く掲げた。
『カンパーイ!』
そこかしこで咲き乱れる笑い声。
束の間の休息はあっという間に過ぎ去り、夜の闇は深くなる。
「フワァ〜ア……」
大きな欠伸を洩らし、うつらうつらと船を漕ぎ始めたヨツバに優しい眼差しが降り注ぐ。
「もう良い子は眠る時間だな」
「明日のこともあるし、この辺りでお開きにしましょう」
サイモンが軽くヨツバの頭を撫でながら言えば、ミミルはそう目を細める。
「ヨツバ、部屋に戻ろう」
「ウン……」
「お先に失礼します」
重い瞼を擦るヨツバの手を引き、ベルデが一足先にダイニングルームを後にする。
「メルシィ達は後片付けしようか」
「そうですわね」
メルシィの言葉にリズが頷くも、「大丈夫よ」とミミルが緩く手を振る。
「みんなは先にお風呂入って来なさいな」
「でも……」
「ワタシ達まだ使うのよ」
ね、とサイモンとリリスを見遣れば、両者は思い出したかの如く目を開く。
「そういえば約束してたな」
「未成年はさっさと退場しなさ〜い」
(飲み会する気だなこれ……)
強制的に排除された未成年らは、パタンと閉められた扉を前に顔を見合わせる。
「明日酔い潰れてないといいけど……」
「酔い潰れていようがいまいが、責務はしっかりと果たしてもらいますわ」
「はは……」
扇片手に冷ややかな眼差しを向けるリズに対し、アルは乾いた笑いをこぼした。
「明日のことは明日に任せて、メルシィ達も休も!」
「そうだな!」
夜が深けても元気いっぱいなメルシィとシオンを横目に、アランはとある事に気づく。
(エレイがいない……)
エレイの姿が見当たらないのだ。つい先程までは一緒にいたはずなのに。
「アラン、どうかしまして?」
きょろきょろと辺りを見渡すアランにリズが首を傾げる。
「いや、エレイの姿が見えなくて」
「言われてみれば……」
「僕、もう解散したよって伝えてくるね」
「待って」
それを引き留めたのは意外にもアルだった。
不思議そうに見つめ返される中、アルはふっと表情を和らげる。
「今はそっとしておいてあげよう。エレイは一人になりたいんだと思うから」
そう言われてしまえば反論の言葉も消え失せてしまう。
分かったよ、とアランは出入口へ向けていた足を戻した。
「待っている間に寝ちゃいそうだし、お風呂みんなで一緒に入る〜?」
「メルシィ。」
「ひえっ⁉︎ な、なんで怒ってるの⁉︎」
「オレも良いと思うけどな」
「だよねー!」
「「絶対やだ」」
「何もそんなに否定しなくても良くないか……?」
「もう四人とも静かにっ。ヨツバ起きちゃうよ」
ひとりの夜はとても静かに感じた。
空に浮かぶ月はこの世の惨状を素知らぬふりして白く輝きを放つ。
己の手を翳せば、明滅を繰り返す輪郭に目を細める。
(もうお祖父様の御声すら聞こえない……)
あと少し。あと少しだけでいいから。
どうか私の体よ消えないで。
明日まで……。
「――やはりそうなったか」
頭上から降り注ぐ声に、宿屋の外で佇んでいたエレイは顔を上げた。見れば、黒きマントを靡かせたルシファーが浮遊している。
「こんばんは、ルシファー。リリスが会いたがっていましたよ」
『透過』しているエレイの体に目をすぼめ彼女の前に降り立ったルシファーは、掛けられた言葉を無視して手首を掴み上げた。
「……忠告はしたぞ」
「はい、ありがとうございます。……ごめんなさい」
「謝る気などないくせに」
エレイは困ったように眉を八の字に曲げる。
「ルシファーは明日の決戦、来てくれますか?」
「行くわけなかろう」
「ふふ、そうですよね。では今日が……最後になりますね」
軽く瞠目したルシファーの手から解放される。
胸の前で両手を重ねたエレイは呼吸を整えた。
「私のこと、ずっと心配してくださってありがとうございます。今の私に昔のような気持ちはありませんが……ルシファーのことも、ずっと大好きですよ」
はにかむエレイの肩を――表情を歪めたルシファーの爪が深々と食い込む。
「貴様が消えようものなら、貴様が愛した者共を皆殺してやるッ……‼︎ あの島の奴等と同じようになぁ!」
鬼気迫る表情を前にしても、エレイの笑みは絶えない。
脅しとも捉えられる言葉を、ルシファーが実行することはないと信じている――いや、信じられるから。
「……」
ずるりと肩から滑り落ちたルシファーの手。エレイは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「エレイ。」
久方ぶりに名前で呼ばれたことを驚きつつ、小首をかしげる。
「はい。ルシファー」
真剣な面持ちから一転。不敵な笑みを浮かべたルシファーは、ガッと力強くエレイの顎を掴んでは強引に引き寄せ――唇を重ね合わせた。
エレイが目をぱちくりさせて状況を飲み込めないうちに、ルシファーは唇を舌でなぞり彼女から離れる。
「あの男にも教えてやれ」
そんな台詞吐き捨て、ルシファーは颯爽と夜空に飛び出していく。
呆然としていたエレイはハッと意識を戻すも。ルシファーの姿は既に小さくなっていた。
完全に見えなくなるまで見つめていたエレイだったが、ふいに自身の手のひらに視線を落とす。
先程まで消えかかっていた手のひらの輪郭が戻っていることに気づき、ルシファーが力を分け与えてくれたのだと察する。
「……ありがとうございます」
彼のおかげで今夜中に消滅する懸念は無くなった。
エレイは月に背を向け、仲間達が眠る宿屋へと歩み出す。
そして夜が終わり朝がやって来た。
いよいよ今日、世界の命運をかけた戦いが幕をあげる――。
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