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「起きろ、名無し」
「んっ…春日局…さま…?」
華やかなに咲き誇っていた桜は既に散り終わり、葉桜が青々しくお生茂っている季節。
午前の公務が終わり、午後からの公務は無く久々に恋人同士ののんびりとした時間を過ごそうと思い葵の間にて春日局を待っていた名無しは、いつの間にか眠っていたようだ。
体を揺すり起こされた名無しはまだ働かない頭でぼうっと、自分の瞳に映る春日局の姿を見ていた。
「眠いのなら褥で寝ろ名無し…こんな所で寝ていては風邪をひいてしまう」
ぼうっとしたままの名無しに、春日局はそっと名無しの髪に触れ撫でる。
(気持ちいいな…春日局様の手)
恋仲になってからもう随分とこうして春日局に名無しは触れられている。
何度も触れられているのに、春日局が撫でる手はほんの少し不慣れで、でもそれが名無しにとってはとても心地いいものだった。
そしてふと何かを思い出したかのように、名無しはぽつりと呟いた。
「さっき…」
「どうかしたか?」
「…夢を見ていました」
「夢を?」
突然の言葉に春日局は首を傾げ聞き返す。
「はい、夢を…見ていました、とても懐かしい…初恋の夢を」
まだうまく働かない頭で、幼い日の自分を懐かしむように、…先ほど見た夢を名無しは言葉に紡いだ。
今から数十年も昔。
「グスッ…お、かあさっ…おとう、さんっ…ヒック」
広い広い屋敷の庭で、幼い名無しは泣いていた。
両親の仕事でとあるお屋敷の用に着いてきた名無しは、広いお屋敷にはしゃぎ気がつけば両親の姿はなく自分ひとりだけが見知らぬ屋敷の庭に居たのだ。
右を見ても左を見ても似たような造りのせいもあった。
闇雲に歩きようやく庭に出たものの、誰もいないのには変わらず、名無しはその場にしゃがみこみ父と母を呼びながらうずくまった。
一体どれくらいの間うずくまり泣いていただろう…ふと誰かが名無しの傍に近づき「…どうかしたか?」と尋ねる。
「ヒック…っ…だ、誰っ…」
涙でくしゃりと歪んだ顔を上げれば、そこには自分よりも背の高い男性が名無しを見下ろしていた。
淡い藍色の羽織に薄鈍色の着物をきっちりと着こなし、白藤色の髪が太陽の光のせいかきらきらと輝いて見える。
紫色の瞳には、泣いてみっともない姿をした名無しの姿が映っていた。
一向に泣き止まない名無しに対し、男は淡々と言葉を紡ぐ。
「この屋敷の者だ…貴女は迷子にでもなったのか?」
「う…んっ…」
男の言葉に、名無しは素直に頷いた。
「おかあさっ…おとう、さんっ…」
「…大丈夫だ、泣くな」
そう言いながら幼い名無しの髪に手を伸ばし触れる。
不慣れなせいなのか男が名無しの髪に触れる手はどこかぎこちないものだったが、不安でいっぱいの名無しにとってはそれすらも安心できるものだった。
数刻もしないうちに、男は他の屋敷の者に知らせ名無しは両親と再会する事ができた。
母はぎゅっと我が子を抱きしめる。
父は怒るような事はしなかったが「よかった…見つかってよかった」っと、泣きそうな声で名無しの頭を撫でた。
「申し訳ありません、うちの子がご迷惑をおかけしてしまって…ありがとうございます」
両親がそう言いながら男に挨拶をし終わると、名無しはとてとてと両親から離れ男の着物の裾を引っ張る。
引っ張られた男は不思議そうに視線をの方へと向ける。
「わたし、大きくなったらお兄さんのお嫁さんになる!」
「ほう…貴女が私の嫁にか?」
「うん!だから私が大きくなるまで待ってて、お兄さん」
真っ直ぐと男の瞳を見つめながら、名無しは大声で叫んだ。
「仕方がないな」
「やくそく…だよ?」
「あぁ、約束だ」
そう返してくれた男に、名無しは「絶対だよ!」っと、笑いかけた。
今となってはあのお屋敷がどこにあって、あの男の人が今どんな生活を送っているのかすら名無しには知る由もないままで――――…
「ほう…それが貴女の初恋の相手の話か」
「はい、今となってはもう会う事すら叶わないんですけどね…」
何処か寂しそうに呟いた千影に、春日局は突然名無しを抱き寄せて自分の膝の上に乗せる。
「きゃっ…ど、どうしたんですか」
“春日局様?”っと、言葉を紡ぐはずだったのにその言葉は紡げず、名無しは春日局の唇によって唇を塞がれた。
そしてゆっくりと唇を割り、自分の舌と名無しの舌を絡める。
「んっ…ふっ…あっ…」
この行為を恋仲になって何度もしているというのに、変わらない艶めいた声が名無しの口から溢れる。
唇を離し開放すれば、顔を真っ赤に染め、涙で潤んだ瞳が春日局の姿を移す。
「…貴女があまりにも嬉しそうに初恋の相手の話をするのが気に入らない。貴女にそのような嬉しそうな顔をさせていいのは私だけだ」
「っつ…」
ゆっくりと膝の上に乗せていた名無しを畳の上に押し倒し、春日局は口付けをする。
「っ、か、春日局様っつ?!」
「時間なら…たっぷりあるだろう?」
恥ずかしそうに焦る名無しを見ながら、春日局は愉しそうに笑みを浮かべた。
“お仕置きだ”っと名無しの耳元で呟きながら―――――…
名も知らない幼い子を見送った男…春日局は一刻ほどその場に佇んでいた。
庭に咲いている薄紅色の日本桜草が風につられ、右へ左へとゆらゆらと揺れる。
(まさか、あのような幼子に…あんな言葉を言われるとはな)
今まで誰かが真っ向と向かって言葉を紡ぐものなどいなかった、居たとしたらそれは我侭な家光か、上皇である水尾くらいだろう。
他の者は皆真っ向と向かうどころかただの言いなりになる者しかいなかった。
――――“だから私が大きくなるまで待ってて、お兄さん”
(この私に待てとはな…)
先ほど幼子に言われた言葉を思い出し、春日局の頬は自然と緩む。
「…春日局様っ!!!」
佇んでいた春日局を呼ぶ声がして、振り返るとそこには息を切らした幼い稲葉がいた。
「家光様がっ、…み、見つかりました…」
「して、家光様はどちらにお隠れになっていたのだ?」
「それが…お屋敷の屋根裏部屋に隠れていました」
「全く…あの方は一体何をしているんだ…」
稲葉の言葉に思わずこめかみを抑えてため息をこぼした。
将来将軍である方が…否、それ以前に家光は幼いながらも女だ。
どこから屋根裏部屋にどのようにして登ったのだと、はしたないと教え込まねばならないと考えれば頭が痛くなる。
そんな春日局を、幼い稲葉は見上げながら「あの…春日局様」と呼ぶ。
「…どうかしたのか、稲葉?」
「いえ、…ため息をつかれておりましたが…愉しそうな表情をしていましたので何かいい事でもあったのかと思いまして…」
おずおずと放った稲葉の言葉に、春日局は一瞬目を大きく見開くが、すぐに目細め「そうかもしれないな」っと呟いた。
数十年後、再び再会することなど…この時の春日局も幼い名無しも、思いもしなかった―――…
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