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【外伝】ポケモン博士と安楽椅子探偵

ホウオウ。明智は喉の奥でそう繰り返した。彼は驚きつつ、感心したように頷いた。

「ホウオウを奉るのなら合点のいくね。ホウオウは再生を司る存在だから」
「エンジュに住む君なら納得がいきすぎるだろう。ナントカに説法というやつだったか」
「充分驚いたさ。さあ、話を続けて」
「……一度だけこの目で確かめたい、と工藤に懇願された。仕方なく僕ら二人はその宗教の本拠地へ行くことになった。」

と宇津木は答えた。彼は眼鏡の奥の眼球を動かし、記憶を手繰り寄せるように天井を仰いだ。

     ***

 ほんの二日前のことだというのに、宇津木にとっては遠い昔のように思い出すことが困難だった。霞のかかった海馬を掻き分けると、彼は背筋に冷たいものを感じた。そうだった、あれはひやりと冷たい場所だった。
 ヒワダタウンからバスを乗り継ぎ、宇津木と工藤はひたすら東へ進んだ。緊張と期待でこわばる工藤を横目に、宇津木は自らの知的好奇心が膨れてきていることに気が付いた。不謹慎ながら研究者としての性が働いてしまっているようだ。ちょうど卒業論文に手間取っているのだからなおさらだ。
 宇津木の、ポケモン進化の研究は、明確に行き詰っている。
 彼の追う謎というものは、端的に言うと、ポケモンの誕生の秘密だ。
“ポケモンは一体どのように産まれるのか”
胎生なのか卵生なのか、現代の研究ではそれすら明らかになっていない。
そんな題材を、宇津木という研究者は選んでしまった。選んでしまった、というと責任を放棄しているように聞こえるが、彼の知的好奇心が、彼の理性を押し切って勝手に選んでしまったのだ。
 高鳴る鼓動とは裏腹に、宇津木は小さくため息を漏らした。
 せめて今回の遠出が卒業論文を一ページでも進めてくれることを祈った。いつの間にか乗客は彼と工藤だけになり、バスは終点へ到着した。

「ここからは歩きだ」

それまで黙っていた工藤が、やや震える指先で細い道を指した。

「この道をずっと行けば村に着く。本拠地というのは、その村にある寺だそうだ」

工藤の言葉に従って、宇津木は歩き出した。
 一本道は背の高い木々に囲まれている。二人は木々に見下ろされながら歩き続ける。まだ正午だというのに辺りは暗い。木の影だけではない、道の先から霧が流れてきているからだった。
 足を進めるごとに霧が深くなる。行き止まりに着く頃には一メートル先すら見えず、宇津木と工藤はお互いを見失わないようにぴったりと隣り合っていた。
八方塞がりという言葉がぴったりだった。
 しかしながらしばらく立ち止っていると、霧が少しずつ晴れてきた。二人は安堵しながら明るくなった辺りを見回す。
 林の中だと思っていたそこは件の村の中だった。いつの間にか到着していたようだ。
 家々の様子はヒワダタウンのそれらと似た造りをしている。歩いている村人にも恐ろしげな雰囲気が無い事に宇津木は密かに驚いていた。宇津木は自分が地方民に対して偏見を抱いているとは思っていなかったが、噂の村はどんな未開の地かと内心では心配していたようだった。

「ここがそうかい? 工藤」
「あ、ああ。一本道だったし……」

村の奥には確かに寺のような建物がある。目的地に着いたことが分かるとそれまでの疲労と緊張がどっと押し寄せ、ひどく喉が渇いた。
 二人は休憩のため、近くの酒屋に立ち寄った。他に客はおらず、店番をする女店主が見慣れぬ二人を持て成した。

「あんた達も御本尊を拝みに来たのかい?」

中年ほどの女店主は二人を店の縁側に座らせ、急須と湯飲みを用意しだした。
 工藤はハンカチで額を拭いながら、「ええ、まあ」とぎこちなく答えた。

「私たちも、ということは他にも同じような人が?」
「そうだねぇ、最近は結構増えたねぇ」

信仰者が本当にいるのだ。工藤と宇津木はいよいよ現実味が湧いてきて緊張の面持ちを向け合った。
 そんな二人を他所に女店主は呑気な口ぶりで続ける。

「ほら、新興宗教だろう? 変な人が増えて嫌だねぇ、なんて最初は言っていたんだけど。その人たちが買い物をしてくれればあたしらの懐が潤うし、まあ、良し悪しよね。ははは」

店主はぺらぺらと話しながら、部屋のテレビの電源を付けた。テレビ画面にポケウッド映画のコマーシャルが映し出された。宇津木も見た事のある、人気作品だ。

「ほら、この若手の俳優。ええっと“はちく”さんだっけ? 昔この村にロケしに来たことあるのよ。あたしサイン貰っちゃったわ。ははは」

店主の笑い声と、テレビから流れてくる映画の主題歌。その二つを聞いていると緊張が解きほぐされていった。
 怪しげな新興宗の本拠地と聞くと、電波も通じないおどろおどろしい秘境を想像したが、実際には呑気に笑う村人と現代的なテレビがある。宇津木も、その隣に座る工藤も、例の寺を除けばこの場所に親近感を覚えた。

「はいよ、お茶」

店主は人懐こそうな笑みを浮かべながら、二人に湯のみを差し出した。
 甘い香りのする不思議な味のお茶だったが、二人はすぐさまそれを飲み干した。


 ――……村の中心部に位置する寺が、“ホウオウの巫女”の住処、もとい本殿なのだろう。和様建築と呼ぶらしい、末広がりの屋根と平べったい一階建てが特徴的な、黒っぽい寺だった。
 工藤は緊張と僅かな期待を隠しきれず、先ほどから小刻みに震えている。宇津木は相変わらず好奇心を抑えきれず、それでもやや緊張しながら隣を歩いている。
 寺に二人以外の訪問者は無く、玄関には巫女服の若い女が立っていた。
 女は生気のない顔を二人に向け、会釈をした。

「ご参拝でしょうか?」
「え、ええ。あなたがホウオウの巫女さん……ですか?」

工藤がたどたどしく尋ねると、巫女服の女は少し困ったように眉知尻を下げた。

「いいえ、私は鈿女(うずめ)様の……ご教主様のお世話や、参拝のご案内をさせていただいているだけで」

お手伝いのようなものだと、彼女は自称する。

「ご教主様にお会いするのでしたらご案内いたします。こちらへ」

二人はその女に続いて寺の中へ入った。
 長い廊下を、巫女服の女、工藤、宇津木の順で歩いていく。
足裏から伝わる板の冷たさと、辺りを薄っすらと漂う霧の冷たさが背筋をなぞる。しかし薄ら寒いのは体の表面だけで、頭の芯はぐつぐつ煮えるように熱かった。
最奥の部屋に着くと、そこで座って待つように女は言った。部屋の襖を開けると甘い匂いが漂い溢れた。
香を焚いているのだろうか、それとも線香の匂いだろうか。正体が分からないまま二人は臆することなく敷居を超え、用意されている座布団へ座った。


ああ、不思議だ。宇津木はぼんやり呟いた。
先ほどまで二人とも体を強張らせていたのに、今この瞬間、体は羽のように軽い。頭は揺れているのに視界ははっきりとしている。畳みの一本一本の筋が、肉眼ではっきりと数えられるようだ。部屋中の甘い香りも心地よい。何度も胸一杯に吸い込んだ。


「お待たせいたしました。ご参拝の方々」

部屋の奥の襖が開かれ、そこから一人の老女がやってきた。
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