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KISEKI series fan fiction

想いは夜明けのように


 良くも悪くもお人好し。それがリィン・シュバルツァーの性である。

 雨の中、傘を持たない人を見つければ当たり前のように自分の傘を貸し、道に迷った人がいれば自分の時間を割いて目的地まで案内する。困っている人は放っておけない人間なのだ。

 ──そして、その気質は必ずしも良い結果になるとは限らないのも事実。

「がッ……」

 鳩尾に男の膝がめり込む。足から力が抜け、リィンはその場に尻餅をついた。噎せて咳き込んだ瞬間に口の中に広がる鉄の味を飲み込む間もなく、頬を殴られる。奥歯が一本折れたかもしれない。

「い、いや……きゃっ」

 リィンに一方的な暴力を振るうスカーフェイスの男の背後に、若い女性の姿が見える。
 頬骨の浮き出た痩せ男に羽交い締めにされ、首筋に果物ナイフをあてがわれていた。

 リィンがここ、ラクウェルの路地裏でガラの悪い男二人に絡まれている女性を助けようとしたのはほんの数分前の出来事だ。
 男達をなんとか説得したものの、油断した一瞬の隙に女性を人質に取られてしまった。
 この女に傷を付けられたくなければ大人しくしろ、と言われて今に至る。

「!? ぐう……ッ」

 片手で首を絞められ、動揺しているうちにコートのポケットから財布を抜き取られる。

「ケッ、《灰色の騎士》サマがラクウェルに遊びに来たとありゃ、たんまりミラを持ってるモンだと期待したが……」

 男は財布を投げ捨てた。
 他人の財布を勝手に物色しておきながら、酷い言い様だ。
 ラクウェルに来たのは依頼の為だし、そもそも《灰色の騎士》などと呼ばれていたのも今となっては過去の話である。

「ッ! ……がは、ッ!」

 パッと首から手を離され、解放されるや否や脇腹を蹴られる。
 思わず吐き出した血がシャツと地面を真っ赤に汚した。
 全身がじんじんと痛み、頭がくらくらする。意識が朦朧としてきた時だった。

「──そこまでだ」

 聞き覚えのある声に、霞んでいた視界がクリアになる。
 目線を動かした視界の端に、よく知った灰髪が無表情で立っていた。

「クロウ……」
「お仲間の登場ってかァ?」

 目の前の男が、リィンの喉笛にコンバットナイフを押し当てる。

「ッ!」
「残念だが、コイツの命が惜しけりゃそのまま立ち去るこった」

 男二人の下品な高笑いが路地裏に響く。
 しかし、クロウの異様な雰囲気を感知した瞬間、一瞬の沈黙が訪れ──

 ──最初に見えたのは、男の手を離れて飛んでいくナイフ。

 続いて鮮血。目をこれでもかと見開く男の顔。

 耳をつんざく銃声が重なって聞こえた。

 男が悲鳴を上げて後ずさる。
 未だに拘束の解けない身体を動かしてクロウを見やると、彼は冷たい表情をして、小型のオートマチックピストルを構えていた。

 ──撃ったのだ、クロウが。

「ク、ロウ」

 お前は、何をしているんだ。
 コツコツと革靴の音を響かせ、クロウは近づいてくる。

「放しな」

 女性にナイフを突きつけるもう一人の男をクロウが睨みつけると、男は女性を突き放した。解放された女性は一目散に逃げ出す。

「さて……」

 クロウは先ほどまでリィンに暴行を加えていたスカーフェイスの男と対峙する。

「ゆ、許してくれ! 何でもするから!」

 男は両手を挙げて助けを乞う。

「今すぐリィンから離れろ。そうすりゃ善処してやる」

 それを聞いて、男はリィンを突き放した。
 クロウはリィンを背後に庇うと男にゆっくり歩み寄り──

 ──首筋めがけて回し蹴りを喰らわせた。
 打ち所が悪ければ一撃で息絶えていただろう。

「確かに俺は善処するとは言った。──だが命を保証するとは一言も言ってないぜ?」

 そう言ってクロウは男の眉間に銃口を突きつけた。ハンマーが起きている。撃つ気だ。

「せめて苦しまねえように一発で仕留めてやる」

 その声は余りにも冷たい。まるであの日、宰相を撃った時のようで。
 トリガーに掛けられた指に力がこもるのが見えた。

 ──駄目だ、それだけは。

「クロウ!」

 考えるよりも先に身体が動いていた。クロウの背後から肩を掴み、一瞬怯んだ隙に羽交い締めにする。

「もういい、やめてくれ! アンタがそこまでする必要はない!」

 クロウが銃からゆっくりと手を離した。黒く無機質なそれがカシャンと音を立てて固いレンガの地面に落ちる。
 先ほどまで銃口を向けられていた男は失神し、仰向けに倒れていた。

「……チッ」

 吐き捨てるような舌打ちが聞こえて。気づけば手首を掴まれ、コンクリートの壁に追いつめられていた。

「──甘えんだよ」

 鋭い瞳。背筋から全身が凍りつくような錯覚を覚えた。

「害虫は潰す。当然のことだろ? そんな甘ちゃんだからこんな目に遭うんだろうが」

 クロウは淡々と告げる。

 ──そうだった。
 分かっていたはずだった。
 クロウには時に非情とも取れる一面があることも、かつてテロリストとして活動していた経歴も鑑みれば推して知るべしことだったのだ。
 それを肯定することは出来ないが、否定するつもりはなかった。
 否定してしまえば、それはすなわちクロウそのものを否定することになってしまうから。

(でも、このままじゃ……)

 もし誰かに見られていたら。そう逡巡した時だった。

「──見つけたぞ、クロウ・アームブラスト!」

 軍用ライフルを構えた領邦軍が駆けつけて来た。

「ぁ……」
「チッ、お出ましかよ」

 クロウはリィンを解放し、肩をすくめた。

「民間人に暴行を与えているとの通報があった。先ほどの発砲音も貴様だな?」
「詰所まで同行願おうか」

 言われるがまま、クロウは領邦軍の元へ向かう。

「陛下の御言葉もあって今まで放っておいたが……所詮は愚劣なテロリストか」
「! 違う、これは……」

 クロウのせいじゃない。咄嗟にそう言いかけたが、それを止めたのは他ならぬクロウだった。

「もうそれ以上言うな、リィン。こいつは俺が勝手にやったことだ」
「だけど、このままじゃ……!」
「これで良いんだよ、俺は」

 拒絶と諦めが混ざったような目。

 ──クロウはいつだってそうだ。いつも一人で罪を背負って、自分を大事にしない。
 手錠を嵌められ、バレルで背中を突かれながら兵士達について行くクロウの後ろ姿を、ただ見ていることしか出来なかった。

 最悪の結果を招いてしまった悔しさに、手をきつく握り締める。
 爪が食い込んで破れた掌の皮膚から流れた血が地面に落ちたことにも気づかないまま。

 ***

 目的の為なら手段を選ばない。
 どんな冷酷非情な手段を使ってでも必ず成し遂げてみせる。

 祖父が死に、かの鉄血への復讐を決めた時に誓ったことだった。
 そうでもしなければ、あの怪物に一矢報いることは出来なかったから。

 気づけば、昏い夜闇の中でこの手はどうしようもないほどに汚れていて。
 復讐を曲がりなりにも果たした今でも、身体に深く染み付いた血と火薬の臭いが消えることはない。

(それで、良い)

 クロウは薄暗い独房に一人佇む。──これで良かったのだ。

『──俺には、俺たちにはお前が必要なんだ!』

 その一言で、復讐を終えてから存在の意義を失った己の長い彷徨の旅が終わった。
 打算も策謀も関係なく、リィンはただ自分が自分でいる事を認めてくれたから。

 そして決めたのだ。己の総てを尽くしてリィンを守ると。

 たとえ罪に問われることになったとしても、元々の人生があまり誉められたものではない以上当然の結果として受け入れるつもりだったし、それがリィンを守るためなら本望だった。

 自分が銃を握るたび、リィンは悲しそうな顔をする。
 ──解っているのだ。これはただの独り善がりだと。リィンが、自分のために誰かが傷つくことを嫌う人間だということも。

 ──それでも。

(それで良いんだ)
 
 そうすることしか、自分には出来ないから。

 ***

「クロウ・アームブラスト。貴様を釈放する」

 ちょび髭の兵士長にそう告げられ、クロウが釈放されたのは暴行事件から三日後のことだった。
 前科持ちの男をお咎めすらなしで簡単に釈放するのかと拍子抜けしたのは言うまでもない。

 留置所の門を潜り時計を見ると、午前三時。
 夜更けを過ぎても眠らない街ラクウェルの喧騒は相変わらずで、どぎつい色の看板の店から漏れる音楽と男女の歓声や嬌声が街中に響いている。

「クロウ!」

 駅に向かうと、聞き慣れた声に呼ばれた。
 視線を向けると、そこには予想通りの黒髪の姿。

「リィン……」
「良かった……ずっと、心配してたから」

 リィンと目が合うや否や、強く抱きつかれた。
 その肩は震えている。
 ──ああ、俺はまたこいつに不安な思いをさせてしまったのか。

(……クソ……)

 口に出すことすらなかった言葉は誰に向けたのか、自分にも分からない。
 目の前の甘ったれの過ぎる後輩にか、もしくは彼に不安を抱かせてしまった己にか。

「クロウ……その、」

 腕に力を込め、より深く抱き寄せられる。

「ありがとう、あの時助けに来てくれて」

「……え」
「言いたいことはあるけど……あの時クロウが来なかったら、俺もどうなっているか分からなかった」

「怖くねーのか?」
「そんなの今更だろ? 確かにやりすぎだとは思ったけど……俺はただ、クロウとまた離れ離れになるのが怖かっただけなんだ」

 我儘だよな、とリィンは自嘲気味に笑う。

(……こいつは、)

 つくづく変なところで強引で、甘ちゃんで。
 ……そんな彼の真っ直ぐな言葉にいとも簡単に心を動かされる己もまた、どうしようもない奴なのだろう。

(──だけど、これでも良いのかな)

 短くはない人生の中で身体に染み付いた獰猛な性は消えることはきっと無いけれど、それでもこうして求めてくれるなら。

「……クク」
「クロウ? ……わっ」

 ──今日の所はここが落とし所、か。
 以前よりも幾分か逞しくなった背中に腕を回して、そっと抱き返す。
 長い夜がようやく明けて、眩い朝焼けに照らされていた。
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