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KISEKI series fan fiction

あの頃と同じ距離


 クロウがリィンの頭を撫でてこない。

 それは彼が戻ってきた夏からずっとだ。
 もともとのスキンシップの多さは健在だが、特に近頃は親密なコミュニケーションは心なしか少なくなってしまったような気がする。

 きっと、クロウにとってリィンはもう、そうやって可愛がるような“後輩”ではないのだろう。
 内戦の時から二年も経って、成長して。理不尽なことも数多く経験して、クロウの足を引っ張らないくらいには強くなったと思う。

 クロウにとって、信頼できる仲間になれたのなら、それ以上に嬉しいことはない。

 ──あの大きな手が髪に触れることがないのは、少し寂しいような気もするけれど。

 ***

「ごめんね、リィン君。こんな時間まで付き合わせちゃって」

 放課後、分校校舎にて。
 リィンはトワを手伝い、一緒に書類整理をしていた。
 年度の終わりが近いこともあって書類の数は膨大で、気がつけば陽がほとんど落ちていた。

「大丈夫です。トワ先輩も大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。リィン君も、無理しちゃ駄目だからねっ」

 そうしている内にうずたかく積まれた書類はほとんど片付き、あと一息といったところで。

「──よっ、トワ。リィンも一緒か」

「!」
「あっ、クロウ君!久しぶりだねっ」

 トワが突然の来訪者──クロウに駆け寄る。
 その後ろ姿はまるで人懐っこい小動物のようだ。

「元気にしてたか~?」
「えへへっ、クロウ君こそ。確かセントアークに行ってたんでしょ?」
「まーな。さっき帰ってきたとこだ」

 クロウとトワの仲睦まじいやりとりは相変わらずだ。
 二人は元同級生であり、共にACUSの試験班だったとのことだが、おそらくこれほどまでに仲が良いのは相性も関わっているのだろう。
 マイペースなクロウと、しっかり者のトワ。まさに割れ鍋に綴じ蓋だ。

(──でも……)

 胸が、キュッと締め付けられる。
 手元の書類に目を向けても内容は入ってこず、リィンの思考は完全に上の空だった。

「わわっ、クロウ君!?」

 少し焦ったようなトワの声。
 二人の方をちらりと見て、心臓がドクリと飛び跳ねた。

 ──クロウがトワの頭を撫でていたのだ。

「ッ……」

 何てことはない、ただのスキンシップ。今までも何度も見てきたはずだ。
 けれど、どうして。どうして俺は。どうしてトワ先輩は。
 胸がますます苦しくなる。心の中に、暗雲が立ち込める。

(俺は……、俺、は……)

 ぐるぐると思考の渦に呑まれそうになった、その時。

 ──バサッ!!

「リィン君!?」

 トワの声でハッと我に返る。
 足元に、手に持っていたはずの書類が散乱していた。

「! す、すみません!」

 慌ててそれをかき集め、漏れがないことを確かめる。
 そのまま作業に戻ろうとした時だった。

「リィン」

 クロウが目の前にしゃがみ、顔を覗き込んでくる。

「え……っ?」

 整った顔が間近に迫り、落ち着かない。

「トワ、しばらく離れててくれるか。コイツと話したいことがある」
「えっ、ちょ、クロウ!?」

 クロウが何を考えているのか解らない。
 トワは少し考え込んだ後、分かった、とだけ言って資料室を出て行った。

「…………」
「………………」

 気まずい。
 二人の間に沈黙が流れる。

「……リィン」

 先に話を切り出したのはクロウだった。

「何だ」
「その……何かあったのかよ? さっきから妙に様子がおかしいが」
「それ、は」

 言えない。よりにもよってクロウに言える訳がない。

「もしかして熱でもあんのか? それとも魔獣にやられたとか……」
「ち、違う! そんなのじゃなくて……その」

 額に手を当てられ、慌てて後ずさる。
 クロウはますます訝しげな表情になる。

「その……何だって?」

 クロウがずい、と前のめりになる。その表情は真剣で。
 どうやらこのまま、理由を言うまで解放してくれそうにない。降参だ。

「…………クロウが……最近、頭を撫でてくれないな、って思って……少し寂しくなって」
「…………」
「クロウに撫でてもらうと、少し恥ずかしいけど……なんだか胸のあたりがじんわりして……嬉しかった、のに……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「…………………………忘れてくれ」

 沈黙が居たたまれない。
 気まずい。さっきとは比べものにならないくらいに気まずい。
 クロウは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
 それを見て、リィンの顔がどんどん熱くなっていく。

「──す、済まない。別に対したことじゃないんだ。今のは忘れて──」
「…………クク」
「クロウ? ──わっ」

 ポン、と頭に手を置かれた。
 そのまま優しい手つきで髪を撫でられる。
 久しぶりの感覚は嬉しいけれど、少し恥ずかしい。

「いや~、何を言われるかと思いきや、まさかそんなことで悩んでいやがったとはな」
「……二十の男に遠回しに撫でて欲しいとか言われて、子どもっぽいとか思わないのか?」
「確かにそうかもしれねえな。……でも、俺にとっちゃお前は幾つになっても“可愛い年下の悪友”なんだよ」

 可愛い年下の悪友。その言葉に何故だかトクンと胸が高鳴った。
 クロウはリィンの髪を梳くように指を通す。その擽ったさが心地いい。

「だから良かった。お前がスカした大人になっちまって、こうやって子供扱いするなとか言い出したらお兄さんの出る幕がねえしな」
「……何だ、それ」

 少し意地悪な笑みを浮かべるクロウ。でも不思議と悪い気はしなくて。
 クロウの手が離れて、思わず俯いて、もっと、と続きを催促してしまう。

「甘ったれめ」

 なんて言いながら、その声は楽しそうで。つむじにもう一度、大きな手が降りた。

 ***

「クロウ君、リィン君──って」

 クロウとリィンの様子を見るために資料室に戻ってきたトワは、入り口の隙間から仲睦まじい様子の二人を見て微笑む。

「ふふっ……」

 ──彼らが最近、微妙によそよそしくなっているのは気づいていた。
 原因はおそらく一年半という決して短くない時間を隔てたことで、お互いに接し方がわからず距離を取ってしまっていたことだろう。
 それが今のこの状態はどうだ。他愛もないことを話し合い、クロウがリィンの頭を撫でるその光景は、学院生時代の二人とそっくりだ。

(なんだか、邪魔しちゃ悪いかな)

 トワは踵を返し、戸締まりの確認とリィンの荷物を取りに行くために教室に向かう。
 二人に声を掛けるのは、その後でも遅くない気がした。
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