坊ちゃん×ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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穏やかな未来の話
――あの人は変わらず元気でやってるよ。
この空の下を駆け抜けてきたお節介者の風が、こっそりとルックに教えてくれた。
労いの言葉を掛けて、ルックは風を見送る。背中まで伸びた長い髪が靡くと、それを束ねている深緑の布がはためき、ルックの視界の端にちらついた。
木々を揺らしてゆく風の音が、懐かしい歌を思い起こさせる。
次々と舞う木の葉の様子に、冬の近付く気配を知った。人肌恋しいだなんて柄でもないが、この村で過ごす冬が寒く厳しいものであることは確かだ。
(そうだね、そろそろ帰ろうか)
ここに来てから、もう幾度目かの冬が訪れる前に。
「ルックさん、本当に村から出て行っちゃうの?」
声を掛けられて、ルックは荷物を纏めていた手を止めた。声の主である小さな少女へと目を向ける。出会った頃に比べると、少女は随分背が伸び、ほっそりとしてきたように見える。
彼女と知り合ったのは、ルックがこの村に来てすぐの頃だ。成り行きで彼女の母親の手助けをして以来、少女はすっかりルックに懐き、たびたびこの小屋に顔を出すようになっていた。話していくのはいつでも他愛のないことばかりだが、少女との会話はルックにとって楽しみのひとつとなっていた。
「ルックさんのことを『魔女』って言う人たちがいるから、この村のことが嫌になっちゃった?ルックさんは『お医者様』なのにねぇ!」
両手を腰に宛ててプンスカと怒る少女の姿に、ルックは笑いをかみ殺す。
「残念ながらどちらも不正解だね。僕は魔女ではないし、お医者でもない」
「だけど、妹が生まれるとき、ルックさんが母さんを助けてくれたでしょ。風邪引いたときも、お腹痛いときも、お薬作ってくれるじゃない。怪我だって治してくれるし……。皆助かってるんだって、母さんは言ってたよ」
少女は難しい顔をして、ルックが何者なのかを考え込み始めてしまった。
実際のところ、ルックはこの小屋で外傷の治療をしたり、薬の調合をすることを生業としていた。そういった労働にあたる者を医者と呼ぶのならそうなのかもしれないし、魔女と呼ぶのならそうなのだろう。
――少なくとも、この小屋のもとの持ち主は間違いなく魔女なのだが。
高齢の魔女がこの世を去った後、ルックは彼女が生前やってきたことをなぞっていった。ルックが今ここで携わっている仕事は、もとはその魔女が長年してきたことだ。
魔女が遺した膨大な記録には、ルック自身が彼女に教えた知識も含まれていれば、ルックと魔女が共に学んだことも含まれていた。中には、ルックが今までに知り得なかったことも多々ある。それらを紐解きながら、ルックは魔女の真似事をしてここで過ごした。
「それなら、僕は『魔女の弟子』ということにしておこうか」
人差し指を立てて、少女に提案してみる。少女は答えを得て満足気に頷いた。
この素直で愛らしい少女と話していると、ルックがかつて共に暮らしていた者のことを思い出す。彼女とは似つかないが、色素の薄い真っ白な肌とキラキラ光るプラチナブロンドの髪をもつ少女の姿が、ルックの脳裏にちらつくのだ。
それはルックと出会った頃の、幼い日の魔女の姿だった。
魔女はここでひとり暮らして生きた。
村人たちにとって必要不可欠な仕事に携わっていたとはいえ、余所者――それも得体の知れない魔法使いを住まわせ続けてくれたのだから、ここの人たちは良心的だったと言えるだろう。彼女がいた場所が冷たい所でなくて良かったとルックは思った。
ルックは小屋の片隅に立てかけてある魔女の杖に目を向けると、誰にともなく「また来るよ」と呟いた。
荷造りを終え、ルックは村の少女に別れを告げた。彼女を見送り、小屋を厳重に施錠する。
今後も継続した療養が必要となる村人のことは、隣町の医師に頼んである。その医師は、小さな頃に魔女に助けられた恩が有るのだと言っていた。そのおかげで、ルックの頼みを快く引き受けて貰えたのだ。
彼女が逝く前に、もっと自分にできることはなかっただろうかと考えることがある。その人のことをよくわかっているつもりでいても、本当にわかり合えていることなんてわずかばかりだ。
彼女はここで人々のために尽くし、自らが去った後もこうやって村人たちを守り続けているほどの立派な魔女だった。彼女がそうやって生きてきたことを知れた。今となっては、それだけで十分だと自分に言い聞かせることしかできない。
ルックがこの村で思い残すことはもう何もなかった。
(帰ろう……)
懐かしい人の顔を浮かべる。そろそろあの人とも向かい合わなくては。
光を放ちながら、ルックの姿はその村から綺麗に消え去った。
レンガ造りの小ぶりな建物が、西日の差し込む森の奥にポツンと一軒。ルックがここを出た頃と何ひとつ変わっていない。帰ってきた。
薪を割る小気味の良い音が響いている。ルックは音のする方へ足早に向かった。赤や黄に染まった木々の中に探していた姿を見つけ、胸を撫で下ろす。
――彼だ。
離れている間にも、気まぐれな風が彼の様子を伝えに来てくれることがあった。それでも己の目で直接その姿を確認すると、やはり安心するものだ。
何と声を掛けようか迷っているうちに、薪割りをしていた男はルックに気付いた。顔を上げて柔らかく微笑む。
「おかえり」
朝出かけた者が夕方に帰って来たのを迎えるような、そんなとても軽い挨拶だった。彼の姿形がいつまでも変わらないことも相まって、離れていた時間の長さなどすっかり忘れてしまうほどだ。
「ここはちょっと冷えるね。家に入ろうか」
彼がルックに手を差し出した。ルックのよく知る、いつもの彼だ。何とも言えないくすぐったさを感じながら「ただいま」と告げ、ルックは彼の温かい手を取った。
「そろそろ君が寂しがっているんじゃないかと思って帰ってきたけれど、随分と元気そうじゃないか」
ルックはソファに腰掛け、彼ーーギオンの背中に向かって声を投げ掛けた。
「寂しかったよ。ルックときたら、口喧嘩して出て行ったきり帰ってこないんだもの。もう三年ぐらい経つかな?」
ギオンは笑いながら向き直り、ティーカップとお茶の入ったポットを持って戻って来た。そしてルックの隣へと腰掛ける。年季の入ったソファの軋む音が響いた。
「行き先の見当は付いてたけど、だからって僕に余裕なんてないよ。ずっと気が気じゃなかったんだ。もしもルックが帰ってこなかったらどうしようかって」
ルックはギオンの話を聞きながら、彼が持ってきたポットを手に取り、ふたつのカップにお茶を注ぐ。
「そう。まだ僕の信用は戻ってないのかな」
湯気の立ち込めるカップをひとつ、ギオンの前へ置いた。
「理由も言わずに振られた挙げ句、傷心旅行の行き先まで指定された男の話でもしようか?」
彼は未だに昔の話を持ち出してくる。
こっぴどく傷付けて遠ざけたはずの彼が、往生際悪く共に在ることを望み続けていなければ、ルックはもうここにはいなかっただろう。あの村で高齢になるまで生きた魔女も、若くして命を落としていたはずだ。
この話をされると、ルックにはもうどうしようもなくなってしまうのだ。
「悪かったよ」
もはや何度目になるのかもわからない謝罪の言葉を彼に告げた。
温かいカップを手に取り、お茶にフーッと息を吹きかけて一口飲み込む。冷えていた体が芯から温められるのを感じた。
(――あ、違う)
体が温もると、気持ちにも余裕ができるのかもしれない。ルックは、本当に伝えるべきは謝罪の言葉ではないことを思い出した。
いい加減に彼としっかり向かい合わなければならないと、ずっと思っていたのだ。この男をいつまでもいいように振り回し続けるわけにもいかないだろう。
本当にわかり合えることなんて、わずかばかりしかない。まして言葉に出さずに伝わることなんて、どのくらいあるのだろうか。
ルックの視線に気付き、ギオンが優しく微笑んだ。この男はいつもこうやって愛情に満ちた目でルックを見る。知っているのに知らないふりをして、いつでもルックはいいところだけを掠めとり続けてきた。
伝えないわけにはいかない。伝えずにはいられない。
「ねぇ、僕、まだ言ってなかったよね?」
彼の瞳を捉えながら口にするのは、今まで一度も口にしたことの無い言葉だ。
「君を愛してるって」
ルックをじっと見つめる目が一瞬だけ驚いたように丸くなったかと思うと、ルックの身体はすぐにギオンの方へと引き寄せられた。腕が絡みついてぎゅうっときつく抱きしめられ、圧迫された肺から空気が漏れ出た。
「ギオン、苦しい」
「ごめん。でも、もう離せないかも」
「……駄目だろ、離したら」
ギオンは笑いながら「そうだね」と相槌を打った。
「ルックの気持ち、ずっと前から知ってたよ」
「だろうね」
ルックの耳元で囁かれる彼の声が、少し鼻にかかっているように聴こえる。
ギオンに向かい合うことで、この関係が悪くなることはないとわかってはいた。彼の気持ちを疑ったことなんて一度もないし、今後ルックの気持ちが変わることもないと言い切れる。それなのに今までずっと避け続けてきたのは、この男を独り占めにする資格が果たして自分にあるのだろうかと、どうしても考えてしまうからだ。
(とっくの昔から独り占めし続けといて、何を今更……)
思いながら、ギオンの背中に腕を回す。
もう一度謝罪と、そしてルックをずっと待ってくれていたことへの感謝を小さく呟いた。
彼の体温を感じながら、こめかみに、瞼に、鼻筋に、頬に、唇に、キスの雨を受け続ける。
彼にくっついてされるがままになっていると、ギオンの手がルックの髪を撫でた。温もりが心地良い。
「ねぇ、ルック。髪が伸びたね。よく似合ってるよ」
「お陰で何度魔女と間違えられたことか」
肩をすくめてぼやくルックの髪を一房、ギオンが掬い取る。
「ルックは綺麗だからね」
彼は目を細め、緑がかった髪の束にそっと口付けた。
その拍子にルックの髪を束ねていた緑色の布が緩み、するりと滑り落ちる。ギオンの手がそれを掴み取った。
「これって……」
それはずっと昔に彼が使っていたものだ。以前ギオンから借りて以来、勝手に使わせてもらっていた。
「あれ、気付いてなかったの。返せって言われても返さないからね」
ギオンはルックの後頭部に手を回して髪をひとつにまとめると、その布できゅっと結い直した。
「いいよ、持ってて。これはルックのための色だ」
ギオンがあまりに恥ずかしいことをサラリと言ってのけるので、ルックはどう反応すれば良いのかわからなくなってしまった。気恥ずかしさを誤魔化すように無理やり話を続ける。
「この髪、前に君に切って貰ったきりなんだ。あとで切ってよ」
「いいけど、短くしたら結べなくなっちゃうな」
ギオンが残念そうにするので、ルックは少し考えて付け加える。
「……じゃあ、結べるくらいの長さでいいからさ」
実を言うと、ルックはこの布のことをかなり気に入っていた。丈夫で使い勝手も良いし、ギオンの言う通り色も好みだ。身に着けているといつでもギオンが隣にいるような気分になれるのも良い。
(言ってやったら喜ぶんだろうけど、もう十分だろ)
慣れない愛情表現で、ルックは腹いっぱいな心地がしていた。
(また今度。ちゃんと言葉にして伝えるから、今日はもう勘弁して欲しい)
言葉の代わりにルックはギオンの手を取り、ギュッと握りしめた。
ルックがいなければ自分は生きていけないだろうと、ギオンはよく口にする。二人の想いが通じ合った頃から、ずっと繰り返し、何度もだ。
その割に、彼は一人で何でもできてしまう。賢く器用で、適応力もあって逞しい。現にルックがここに戻ってきた時点で、冬支度もきっちりと進められているようだった。
これだけ生活力がある様子を見ていると、この人は本当に貴族のお坊っちゃんなのだろうかと疑いたくなることがある。
(まぁ、そんなの大昔の話なんだけどね)
ルックはその頃から少しも変わらない艷やかな黒髪を手で梳いた。彼の髪はいつでもこざっぱりと整っている。
(僕なんて、自分の髪すら放ったらかしにして、冬支度もまともにやったことない。何でも全部ギオン頼みなのに)
本当に一人で生きていけないのは一体どっちだろうかと思いながら、ルックは隣に座るギオンの肩に頭を預けた。
微睡みの中、遠くで、近くで、唄が聞こえる。
子守唄だ。
詞がうろ覚えのままだから、ところどころ鼻唄になってしまうのだとギオンは笑っていた。昔ギオンに歌って聞かせた人に直接確かめられたら良いのだが、それはもうかなわない。だから何十年経っても、同じフレーズだけが鼻唄のままだった。
ルックが夜眠れなかった時期にも、ギオンはよくこの唄を聴かせてくれた。
隣で歌われて寝付けるものかと文句を付けたが、不思議なことにギオンの唄はルックの気分を宥めてくれるのだ。
ギオンの唄を聴きながら、ルックはゆっくりと瞳を開けた。
既に日は落ちかけ、明かりの灯されていない部屋は夕日に照らされ赤く染まっている。
ここに帰ってきたことで安心したのか、疲れが一気に出たのか、ギオンに寄りかかったまま眠ってしまっていたようだ。
「起きたね。寒くない?」
ルックが目を覚ましたことに気付いて、ギオンが声を掛けてくる。
「動けなかっただろ、悪いね」
身を起こし、まだ開ききらない瞼をゴシゴシと擦って欠伸をひとつ。
「気にしないでいいよ。時間ならいくらでもあるんだ。ルックがすぐにどこか行ってしまうなら話は別だけど、しばらくはここにいるんでしょう?」
また、この表情だ。夕日の色みたいな温かい笑顔。
「またすぐに喧嘩しなければの話だけどね」
触れていた場所に残るギオンの温もりが冷めてしまう前にと、ルックは再び体を傾け、彼の膝の上に頭を乗せて寝転んだ。
「……言っておくけど、ここは僕の家でもあるんだ。そんなにしょっちゅう留守にはしないよ」
「うん、良かった」
温かいギオンの手が、ルックの髪を優しく撫でた。
(ギオンは僕のこと甘やかしすぎなんだ)
甘やかされることに慣れすぎて、自分勝手に拍車が掛かりそうだとルックは思った。
(いや、僕が勝手なのはずっと昔からか)
もう、とっくに手遅れなのかもしれない。彼なしに生きていくことなんて、ルックには考えられなかった。
「ねぇ、ギオン。僕、ギオンが作ったごはんが食べたい」
「いいよ」
ギオンは間髪入れずに承諾する。絶対に嫌だなんて言わない。それがわかっているから、ついつい必要以上に甘えてしまうのだ。
「そのあと、髪を切って」
「うん」
「それから、寝るときはまた歌ってよ」
「ルックは甘えん坊だなぁ。今からでも歌ってあげようか?」
クスクスと笑いながら、ギオンが朗々と歌い始めた。
「今はいいのに」
言っても止める気配が無いので、ルックも一緒になってうろ覚えの唄を口ずさんだ。ところどころ間違えては笑い合う。詞もよくわからないままに笑い声混じりに歌い上げる、無茶苦茶でデタラメな子守唄だ。
やがて日が落ち、窓から差し込んでいた赤が夜の色に染まる。
ギオンの膝の上に寝そべっていると窓の外は見えないが、冷たく澄んだ空の上では星たちが煌々と輝いているに違いない。
今まで彼と何百、何千回と共に見てきた星空と同じのはずだ。そしてこれからも、同じ空を彼と何千、何万回と見上げ続けるのだろう。
ギオンがルックの髪を優しく梳く。その手を捕まえると、ルックは自分の指を絡めていった。
暗がりの中でも彼を見失わないように、もう二度と解けることがないようにと、ありったけの愛情を込めて。