坊ちゃん×ルック
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あの雲を突き抜けたなら
魁の周りでチカチカと光ってみせたかと思えば、離れてみたり、また近付いたり。落ち着きのないあの星は、いったい何がしたいんだろう。そう思いながら、この数年の間なんとなく観察を続けていたのだが、その星はついには流れ落ちてしまった。
(ずっと目障りではあったんだけどね)
星が生まれるも流れるも、所詮はただの自然現象にすぎないだろう。だから、星の動向に意味を見出そうとするなんてナンセンスだと思っていた。
けれど、師に言わせれば、すべての現象には意味があるのだそうだ。それが事実だとすれば、あの不可解な動きを見せた星が流れたことも、ただの偶然ではないということになる。
ルックがそれを思い知ったのは、星が流れて数日経ったのち。解放軍のリーダーであるギオンが、遠征先の竜洞騎士団領より帰還してからのことだった。
城の外に出ると、夜風が歓迎するかのように、あるいは励ますかのように、ルックの髪をやわらかく撫でていった。湿りをいくらか含んだ、雨の気配を知らせてくれる、あたたかな風。
空を仰ぐ。
やはり今夜は雲が多いようだ。星を見るには向いていない。それでも、あの金色の星だけは、いつもと変わらずにまばゆい光を放っている。
魁を取り巻く星々がいくつも流れていったのは、ここ数年という短い間での出来事だ。それが何を示しているのかなんて、言うまでもない。
だからといって、ここでルックが星を見張っていても、何が変わるというわけでもないのだが。
夜、休む前に星を見るのは、ルックにとってはほとんど習慣のようなものだった。はじめは師からの課題をやっつけるために必要に迫られてそうしていたのだが、いつしか自らここを訪れるようになっていた。
(特に、最近は暇すぎるからね)
ほんの少し前までは、もっとずっと忙しかったのだ。それというのも、ことあるごとにリーダーに呼ばれて、護衛としてあちこち連れ回されていたからだ。
魔法に不慣れな連中の中で、ルックの才能は群を抜いていた。今でこそ魔法を使う者も増えたが、ルックが護衛として呼ばれなくなったのは、皆が魔法を使えるようになってお役御免になった、というのではなかった。
次第に分厚い雲が流れてくる。やがて魁の光も遮られ、夜闇が濃くなっていった。
(今日はもう無理そうだ)
諦めてため息をひとつ。城の中に戻ろうとしたその時。
「――ルック?」
背後から声を掛けられ、ルックは弾かれたように振り向いた。それは急な出来事に驚いたというよりも、思わぬ相手に声を掛けられたからだった。
暗闇の中であっても、ルックにはすぐに相手が誰なのかわかった。
金色の瞳がこちらに向けられていて、見間違うはずのない緋色の胴着が、ハタハタと夜風になびいている。それがなくても、聞き慣れた声だ。絶対にルックが間違えるはずがない。
待ち焦がれていた声が、瞳が、こちらへ向けられている。
ギオン、と名を呼び返そうとして、ルックは失敗した。胸のあたりが妙につっかえている。
ポツン、と雨粒が頬に落ちてきた。とうとう降りはじめたようだ。
返事をできずにいるうちに、ギオンが「ずっと同じ城にいるのに、なんだか久しぶりだね」と笑った。
(久しぶり? どの口が言うの)
実際、あの星が流れるのを見たあとからは、ロクに口を聞いていないし、護衛の任さえ回ってこなくなってしまっている。もしかしたら、ギオンの方からルックに声を掛けてくることなんて、もう二度とないのかもしれないとさえ思っていた。
「……別に、僕はいつもここにいるけど。そっちが勝手に避けてるんだろ」
声をしぼり出して、わざと嫌味ったらしく言ってやると、ギオンは少し困ったかのような声色で「お見通しかぁ」と苦笑した。
(気付かないわけがないじゃないか)
そうは思うものの、ギオンがルックの言葉を否定しないことが頭にくる。かと言って、否定されたところで、それが口先だけのものだということはハナからわかりきっているのだから、余計に腹が立つことは目に見えているのだが。
「忙しいくせに、こんなところでなにしてるの」
「ただの鍛錬だよ」
ギオンは手に持った棍を持ち上げてこちらに見せてくる。
「カイ師匠にはまだまだ及ばないからね、指導をしてもらってるんだ」
「こんな時間まで? 休めって言われないと休まないのなら、僕がマッシュにチクっといてあげるけど」
「特訓後の自主練だったんだ。今日はもう休むよ」
ギオンの言うことは何ひとつおかしくない。
師に学べば、それを自分の技として昇華するために訓練くらいして当然だ。それに、解放軍のリーダーたる者が自己研鑽を怠って、低レベルなままで良いわけもない。
(そんなことくらいわかってる。だけど君は、たったひとりでそこに立ち続けるつもりだとでも言うの)
何でも独力でこなせるようになって、周りを頼ることも寄りかかることもなく、誰も近寄らせず、ひとりっきりで。
周囲の星が次々に流れていっても、たったひとつでまばゆい光を放ち続けている、あの魁の星のように。
「――僕が、ここにいるのに」
ポツリとこぼした言葉は、強まっていく雨音に溶けてしまい、おそらくギオンまでは届いていない。
彼は、聞き返すような目でこちらをじっと見ていた。
むしゃくしゃして、ルックはギオンの尻を蹴っ飛ばした。
「わっ……」
「雨! が! 降りはじめただろ! さっさと屋根のあるところに入りなよ! ここにいたら、僕まで濡れる!」
彼の腕を引いて、ズンズンと大股歩きで城の中へ向かう。
なんでもできるくせに、雨に降られたままで自己管理さえまともにしようとしない。かと思えば、棒術も魔法も既に一人前以上の力をもっているにも関わらず、上を目指すことをやめようとしないのだ。
以前のギオンであれば、彼の師匠であったり、付き人であったり、周りの力を存分に借りていた。もちろんそこには、ルックも確かに含まれていたはずだった。
並んで階段をのぼっているのに、彼が遠く感じられる。
「ちゃんと雨拭いてから休みなよ。できないっていうのなら、押しかけて世話を焼いてもらえるように、マリーにチクっとくから」
睨みつけてやると、ギオンは困ったように笑いながら頷いた。
あとほんの少しで、階段も終わりにさしかかる。
彼とまともに話すのは、もしかしたらこれが最後なのかもしれない。たくさん文句をつけてやりたかったはずなのに、胸のつっかえがひどすぎて、何ひとつ伝えられないまま、三階に着いてしまった。
「それじゃ」
たったひとことだけ。どうにか告げると、ルックは三階のフロアに向かう――、はずだった。
だがそれを阻んだのは、ギオンだった。
ギオンの左手が、歩きだそうとしたルックの手首を強く掴んでいる。
振り返ると、ギオンはまるで見捨てられでもしたような目で、まっすぐにルックを見ていた。
『何?』と尋ねて、『痛いんだけど』と振り払って、先に進むところなのに、ルックはどれひとつとして実行に移せず立ち尽くす。
(だって、僕の方が君を手放したくないと思ってるのに!)
息が詰まる。苦しくてたまらないと思いはじめた頃、ギオンはルックからパッと手を放した。
「ごめん、驚かせるつもりじゃなくて」
言われて、ルックは自分の瞳からほろりと一粒、雫がこぼれ落ちたことに気付く。
(なんだ……?)
手のひらでごしごしと目を擦る。
「その、ルックも、風邪をひかないように……。ちゃんとあったかくして休んで……」
いつのまにか、ギオンはもとの困ったような笑顔に戻っていた。
言い繕うように告げられたのは、やはりルックが聞きたい言葉とはかけ離れたもので。
「君といっしょにしないでくれる!?」
できうる限りの嫌味を返すと、思い切ってそっぽを向く。そして、そのまま三階のフロアへと駆け込んだ。
外からルックにくっついて来た風がやたらと湿っぽくて、息を吸うことさえままならない。
魁の星も、きっと分厚い雨雲の向こう側に隠れてしまっているに違いない。
(早く晴れればいいのに……)
震えるように脈打つ手首を、ルックはそっと撫でた。