坊ちゃん×ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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エスケープデート
少年は時折ここへやって来た。
大きな石板が置いてある後ろ、その狭くて薄暗い場所に居座り、彼はひとり過ごすのだ。居眠りをしたり、だらだらと本を読んだり、お菓子を持ち込んだり、悪戯した相手から隠れたり、ぼんやり休憩したりと。
湖の古城は増築を繰り返されて、今やたいそう立派なものとなり、彼にあてがわれた部屋は、その中でも特に豪勢な作りとなっているはずだった。
それなのに、なぜ自分の部屋で過ごさないのか。
ルックが尋ねると、少年は笑って「ひとりになりたいから」と答えた。
その少年いわく、ここは彼の秘密の隠れ家なのだそうだ。
昼夜問わずたびたび呼び出しがかかるために、部屋でゆっくりと過ごす時間などほとんどないらしい。リーダーを呼び出しに来た者に『らしからぬ姿』を見せるわけにもいかず、自室にいる間さえ気を抜くことができないのだと笑っていた。
少年がここにやって来たときは、ルックはお望み通りに『ひとりに』してやることに決めていた。
ルックが石板の前にいる間も、少年には一切構わない。もちろん彼がお菓子のお裾分けをくれたり、ふたりで悪戯の相談をするときは別だが、それ以外でルックから彼に話しかけることはしなかった。
リーダーの行方を探している者がいても、何も伝えない。自分は何も知らない。ここにいるのは悪戯好きのひとりの少年であって、リーダーではないのだから。
そうやって、ずっと過ごしてきたのだが――。
「ねぇ、どこか行こうよ」
ルックはみずから石板の後ろを覗き込んで、ギオンに声をかけた。
彼は膝に埋めていた顔を上げてゴシゴシと擦ると、ぼんやりとした表情でこちらに目を向けてくる。
焦点が合っているのか合っていないのか、よくわからない。聞いているのか聞いていないのかもわからないが、ルックは続けた。
「君は海に行ったことはある? 前に魔術師の島に来たときは、船じゃなかったんだろう? ほら、港町なんてどうかな」
思いついたことをそのまま適当に言葉にしていく。本当は、行き先などどこでもかまわないのだ。
何も言わず座り込んだままのギオンの前に、ルックは膝をついた。言いようのない痛みがルックの心臓を貫く。
いつも通りに『ひとりに』しておいてやれば、この人はそのうち勝手に立ち上がって自分の居場所へと戻っていくのだろう。そして、いつも通りの笑みを顔面に貼り付けて、いつも通り立派に振る舞い、いつも通りに戦い抜いて、皆に勝利をもたらす。
しかし、それでこの少年が得るものはいったい何なのだろうか。
ギオンがまばたきをすると、睫毛を伝って大粒の雫がポタリとこぼれ落ちた。
「行こう」
答えは待たずに、ルックは魔法を発動させた。
見渡す限り雲ひとつない青空の下、ギラギラと降り注ぐ太陽の光を浴びながら、ルックは早くも後悔し始めていた。
(失敗したかもしれない)
潮のにおいを含んだ、じめじめと湿った暑い風。
何も考えずに選んだ行き先だったが、もう少し過ごしやすい場所にすれば良かった。目的は帝国領の外に出ることだったため、この地の環境まではまったく考慮していなかったのだ。
同じ海に囲まれた島でも、魔術師の島に吹く風を暑いと感じたことはない。群島諸国がこんなにも気温の高いところだなんて、今の今まで知りもしなかった。
全身から汗が吹き出すのがわかる。頭髪の隙間を汗が伝って流れていく。ベタベタと全身に纏わり付く衣が、あまりに鬱陶しかった。
顔面はジリジリ焼かれているかのように暑いし、酸素も薄いのだろうか、呼吸さえも円滑にできず息苦しい。
ルックがパタパタと顔を仰いでいると、ギオンがこちらに手を差し出してきた。
「暑いね。まず服を買いに行こうか」
つい先程までひとり隠れて泣いていた少年とは思えないくらい、『いつも通りの』笑顔を浮かべている。
(この顔が見たかったわけじゃないんだけど)
思いながらも、ルックは彼の手をとった。
この辺りでは、軍人ですら袖のない軍服を着るものらしい。腕どころか、足まで剥き出しだ。島の住人たちも、みな似たり寄ったりな格好をしている。
当然、店に置いてある服も、どれもこれも袖のないものばかりだった。
「背中とかお腹とかあいてる方が涼しそうだけど、ルックは日焼けしたら酷そうだよね」
「僕は暑くなければ何でもいいよ」
あれこれと言い合いながら、薄手の服をふたり分買い揃えていく。袖なしのシャツに、膝下丈のパンツ。ブーツもサンダルへと履き替えた。
「ルック、これも」
ギオンはルックの後ろ髪を手で纏めると、何かでパチンと留めてくれた。
「見て」「あ、見えないか」などと言いながら、ギオンが合わせ鏡を作る。
ルックの髪を纏めているのは、緑色の石をあしらった髪留めだった。
「ほら、似合ってる」
ギオンがあまりに眩しい笑みを浮かべるものだから、ルックは気恥ずかしくて、ただただ黙って頷いた。
島の港には立派な軍艦が停泊していた。何といったか、太古の英雄の長ったらしい名前を冠しているのだそうだ。
赤月帝国では見ることのない規模の軍艦に、「一度乗ってみたいね」と、ギオンは子どものように目を輝かせた。
商店では、珍しい形の稚魚が売られているのを見つけた。
面白がって見ていると、店主が店の奥から成魚を持ってきてくれた。店主に促されてギオンがつついてみると、その魚は風船のようにまん丸に膨れた。ルックはギオンと目を見合わせて笑った。
通りでは人形劇の巡業公演をやっていた。ルックとギオンは子どもたちに混じって饅頭を齧りながら、観劇することにした。
ほんの十数年前に、南の大国で実際に起こった内乱がモチーフのストーリーだ。英雄とされる王族が立ち回る場面で、ルックはギオンが何か不快な思いをしやしないかと気になったが、それは杞憂に終わった。ギオンはストーリーにのめり込んで、終演までしっかりと楽しんでいるようだった。
日が沈み始めて、夕食を摂ることにした。
鰹のたたきという、島の名物料理をふたりで分け合って食べた。表面を炙っただけの魚など、生臭いに違いない。そう思っていたのに、味見のつもりで一口齧ってみたところ、思いのほか食べやすく、気が付いたときには皿は空っぽになってしまっていた。
この小さな島の北は小高い丘になっていて、魔術師の塔ほどではないものの、かなり立派な灯台がある。ギオンはそこに登ってみたいと言った。
おそらく、群島諸国連合によって管理されている施設なのだろう。出入口には軍人が立っていて、部外者は立ち入ることができそうにない。
(でも、魔法を使えばいけそうだ。長居しなければ、見咎められもしないだろ)
ルックが灯台の外観を見て、人のいなさそうな場所にあたりをつけているうちに、ギオンは灯台の横へ回り込んで手招きしてきた。
「この梯子で登れそうだよ、おいで」
ギオンはニヤニヤと悪戯な笑みを浮かべて、こちらへ手を伸ばしてくる。
差し出されたギオンの手を取ると、彼は「気をつけて」と言いながら、ルックを先に登らせてくれた。
(魔法で忍び込もうかと思ったけど……、まぁいいか)
促されるがままに、ルックは梯子を登った。ところどころ屋根の上で休憩を取りながら、いくつもの梯子を登る。
やがてルックが疲れ果ててきた頃、ふたりはようやく頂上に辿り着いた。開け放たれた窓から、灯台の最上階と思われる狭い小部屋へと忍び込んだ。
「昼間に来たら、水平線までよく見えるんだろうね。でも、夜は星が見えて綺麗だ」
入ってきた窓から夜空を眺めて、ギオンが続ける。
「今日は久しぶりに羽を伸ばして気分転換できたよ。ルック、いつかまた連れてきてくれる?」
外へと向けられた顔には、やはり『いつも通り』の笑みが浮かんでいた。解放軍のリーダーをしているときと変わらない、いつもの笑顔だった。
ルックはこの表情が好きではない。
それが作りものの笑顔だと知っているからだ。
「ギオン……」
ルックが呼ぶと、星空を背にしてギオンが振り返った。
夜の色をした髪が潮風になびく。星と同じ色の瞳が、じっとルックを捉えていた。
ギオンはいつでも真っ直ぐに相手の目を見据える。
星の光とギオンの瞳はどっちが真っ直ぐなのだろうかと、とりとめのない思考がルックの脳裏をよぎっていく。
ルックは続きを口にすることができず、言いかけた言葉を飲み込んだ。
「……いつでも言ってくれていいよ」
代わりに口をついて出た言葉は、何とも当たり障りのないものとなってしまった。
ギオンは今までに多くのものを失くしてきた。
それは故郷であったり、それまでの地位、家族、友人――
民衆のために大義を掲げて帝国と戦ってきたが、ギオンは個人的な目的のひとつとして、囚われた親友を救い出すことを考えていたようだった。
しかし、彼はその目的までも失くしてしまった。ここに来る直前の話だ。
ギオンが親友の名を呼ぶ声は、いつまでもルックの耳に残っている。
その後城に戻り、皆の前では気丈に振る舞っていたようだが、ひとりの時間ができると、彼は石板のところまでトボトボと歩いてきた。
とうてい見ていられなくて、ルックは彼を連れ出したのだった。
必ずしもギオンがあの場所に立ち続けなくても良いのではないかと、ルックは思った。
なぜ、こんなにも彼が苦しまなくてはならないのか。
それが運命だと言うのなら、運命の手の及ばぬ場所まで逃げてしまえばいい。大義のためだけに、これ以上ギオンが傷付き続ける必要などないだろう。
このまま城に戻らずに、誰も知らない所で静かに過ごしてはどうかと提案するつもりでいた。
ルックなら、ギオンが望む場所、どこにだって連れて行ける。紋章を制御する術にも長けているし、ギオンの力にだってなれるだろう。ここからふたりで逃げ出して、ずっと一緒に穏やかな生をいつまでも送ることだってできるはずだ。
(でも本当は、そうさせたいのは僕の方だったんだ)
ギオンの真っ直ぐな目を見て、ルックは気付いてしまった。
ギオンは運命から逃げ出すことなんて、これっぽっちも考えていない。
彼が運命に傷付けられる様子を見たくなかったのは、他でもない、ルック自身だったのだ。
それ以上は何も言えなくなって、ギオンが飽きるまでの間、ルックは夜空にきらめく星々をただ眺め続けた。
(ああ、あの一番眩しい星が、天魁星――)
ふたりの沈黙は、遠くから聞こえる波の音にやわらかく包まれていた。
湖の古城に帰ったら、ルックはリーダーをかどわかした罪に問われるのではないかと思ったが、その心配は無用だった。
ルックが連れ出さずとも、ギオンは隠れ家でひとり過ごしていたはずだった。隠れ家から自室への戻りがほんの少し遅れた。ただ、それだけの話だ。
ギオンはルックの名前を出しもせず、心配していた者には「少しひとりになりたかっただけ」だと説明したようだった。
そうして、ふたりは解放軍での日常へと戻っていった。
その後、城を抜け出してあの暑い島へ行くことはなかった。
あれ以来変わったことといえば、ギオンが毎日ここへやって来るようになったことくらいだろうか。それも石板の後ろの隠れ家でひとり過ごすのではなく、表立ってルックと立ち話をしに来るのだ。
ルックは、ギオンの作り笑いがさほど気にならなくなっていた。ともに過ごす時間が増えるごとに、年相応の少年らしい表情を目にすることが増えてきたように感じる。
解放軍の一員としてルックがここで過ごすのも、あと残りわずかだろう。役目を終えればルックは魔術師の島に帰ることになり、ギオンとは離れることになる。
解放軍からギオンと逃げ出そうと考えていたくせに、いざ解放軍がなくなるとなると、なんだか名残惜しいような気がしてきて、なんとも複雑だった。
(いや、すべてが終われば、君は今度こそ本当に自由になれる――)
そのために、ルックは力を尽くすつもりでいた。
ギオンがリーダーの役目を終えれば、いつかまた一緒に、あの島の灯台に行くことだってできるだろう。
緑の石が埋め込まれた髪留めを手の平の中でいじりながら、ルックは今日もギオンの話に耳を傾けた。