坊ちゃん×ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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ラストデート
城の中でこんなにゆったりと過ごすのはいつぶりだろうか。文字を追い続けて疲れた目を休ませようと、ルックは窓の外に目を向けた。
空の上で重たくなった雲が、今にも雨粒となって落ちてきそうに見える。
雨降りは好きじゃない。服は濡れるし、髪は湿気でボサボサになるし、足元も悪い。ブーツの中が水浸しになるのなんて、最悪としか言いようがない。百歩譲って魔法を使っての外出ならともかく、歩いての移動などもっての外だ。
こんな日は室内で過ごすに限るとルックは思っていた。
しかし――
(ああ、これは……外に出ようとしてる)
城の玄関口である船着き場辺りに、彼の紋章の気配を感じる。ルックは読みかけの本をパタンと閉じると、重い腰を上げた。
魔法で船着き場へ向かうと、すぐに目当ての人物を見つけた。深緑色の外套を纏った少年――ギオンだ。難しい顔をした船頭と何やら話し込んでいる。
ルックは二人の方へ近付いて行くと、聞こえよがしにため息をついた。
「ホラ、また一人でどこか行こうとしてる」
ギオンがルックの方を振り向く。いつもの精悍な顔付きはどこへやら、彼は悪戯を見咎められた子供のような顔をした。一方、険しい顔をしていた船頭は、ルックを見るなり『助けが来た』とばかりに表情を輝かせている。
――どうやらビンゴだったようだ。
「どうせうまいこと言って船を出させようとしてたんだろ。護衛もなしでリーダーを外に放り出せるわけないじゃないか」
護衛など大した意味がないとギオンは考えているのかもしれないが、立場というものがある。少なくとも、この気の毒な船頭にとっては大問題に違いなかった。
「さすが、ルックは目敏いな。誰にも言わずに出てきたのに」
「誰に言うも何も、君の場合、紋章の気配がだだ漏れなんだよ」
言いながら、ギオンの右腕を掴む。
お忍びの外出に失敗して悔しがるかと思いきや、ギオンは何故かルックを凝視して黙りこくった。あまりに長くそうしているので、ルックはすっかりタイミングを見失って、ギオンの腕を離し損ねてしまった。
何か気に障ることでも言ってしまっただろうか、紋章の話題を出したのは失敗だっただろうかと、次第に不安が募る。
ルックは思考を追い払うように頭を振った。思い切ってギオンの腕を解放し、もう一度大仰にため息をついてみせる。
「それで、どこ行くの。用事なら付き合ってやってもいいよ」
「本当?嬉しいな」
ルックの言葉にギオンの表情が和らぐ。ルックは悟られないようにこっそりと胸を撫で下ろすと、気を取り直して大汗を垂らしている船頭の方へと向き直った。
「そういうわけで僕が護衛に付くことになったから。船出してもらっていいですか」
船頭は青い顔をしながらすぐにコクコクと頷いた。心なしか彼は何かに怯えているように見える。
ギオンの特技を真似して愛想良く笑いかけてやったはずなのだが、もしかしたら失敗したのかもしれない。念の為断っておくが、脅したつもりなど決して無い。
湿った風を受けながら、船は町へと向かう。船上で髪を靡かせ、ギオンがポツリと呟いた。
「今更かもしれないけど、見張りを言い付けられてるの?俺が勝手に外出しないようにって」
「ホント今更だね」
ルックが答えると、ギオンは「マッシュでしょう?信用ないなぁ」と笑った。
(信用……それは少し違う気がする)
そう思うものの、では具体的にどう違うのかと言われると、それはよくわからない。
先代の解放軍リーダーは、他人を庇って命を落としたのだそうだ。
ギオンは正義感が強い上に、非情な人間にはなりきれない。何かが起きたときに、彼がいつ先代と同じような行動をとるか知れないという懸念は拭えない。勿論、ギオンが感情だけで動くほど愚かな人間でないことも、マッシュは重々承知の上なのだろうが。
(その不安は、わからないでもない)
ギオンはいつかフッといなってしまうのではないだろうかと感じることがある。そのたびに、ルックは鬱々とした気持ちに苛まれるのだ。
棒術にしろ魔法にしろ、彼ほどの力を持つ者はそうそういない。意志も強く、強大な力を持つ真なる紋章までその手に宿している。儚さとは無縁の存在のはずなのに、消えて無くなってしまいそうにも思えて、不安な気持ちにさせられることがある。
この戦争が終わりを迎えるまでに残された時は、もう残り僅かだ。すべて終われば、ルックと彼との間に関わりは無くなる。つまり、今後彼がどうなろうと、どこかへ消えてしまおうと、ルックにはもはや関係のないことなのだ。
(それなのに、ギオンが手の届かないところに行ってしまいそうに感じて――こんな虚しい気持ちになるなんて)
二人きりでいると、どうしても互いに黙り込む時間が長くなり、取り留めのないことばかりを考えてしまう。
(考えても無駄なだけだ)
ルックは沈黙を破るべく、思いついたことをそのままに口にした。
「マッシュ、大丈夫かな」
ギオンが右の拳をギュッと握るのが見えた。彼は苦々しく笑ってから、掠れた声を絞り出した。
「……あまり、良くないと思う」
話題選びを完全に失敗したようだ。ルックはそれ以上何も言えなくなり、船上は再び沈黙に包まれた。
先程からもう何度目になるだろうか。ルックは深い深いため息を重苦しく吐き出した。仰いだ空は、黒く厚い雲に覆われている。
船を降りてから、ルックはギオンと共に町を歩いた。今回のギオンの外出には特段の目的はなかったらしいが、装備品を新調したり、新たに解放軍に参入してくれる者に出会うこともできた。
ここまで天気がもってくれたのも幸いだったと言える。何より、しばらくの間ずっと戦続きだったため、城外で過ごすことで幾分気が晴れたようにも感じられる。
ギオンと話すのはルックにとって楽しみのひとつとなっていた。トラン湖の城に来るまで、ルックは同じ年頃の人間と話す機会がほとんどなかったのだ。
ギオンは何でもよく知っているから、いつもルックの好奇心を掻き立ててくる。彼と話をしていて退屈することはまずなかった。
話を聴きながら緩みきっていたルックの頬に、水滴がひとつ落ちてきた。
とうとう降り出したと思うが早いか、雨脚は急激に強まり、二人は建物の庇の下へと逃げ込んだ。
この雨はおそらく数日間は降り続くだろう。そして止んでしまったら、解放軍は帝都に向けて進軍を開始することになるはずだ。
ギオンは今日、最後の外出のつもりで出てきたに違いないとルックは思った。
(僕がギオンと一緒に出かけるのも、これが最後になる)
隣に立つギオンの顔を見る。ルックと目が合うと、彼は優しく笑った。
その笑顔が、ルックの胸をぎゅうっと締め付ける。
(ああ、嫌だ。何も考えたくない)
息を吐き出すと肺が震えた。
目を逸らす言い訳が欲しくて、ルックは手巾を探し始めた。取り出してギオンへと押し付ける。バンダナと外套に守られているとはいえ、彼は全身ずぶ濡れになってしまっていた。リーダーに風邪でも引かせてしまってはいけない。
「もう君の用事は済んだんだろ?帰ろう。魔法で移動すれば濡れないから」
「……船が待ってるよ」
「城に戻ってから知らせをやればいい」
ギオンは何も言わずに手巾をルックの頭の上に被せると、わしわしとルックの髪を拭き始めた。
「なにするの」
「ルックがビショビショだから」
「僕のことはいいんだって」
ルックがギオンの手を払ってやめさせると、彼は力なく笑った。
「拭けば何とかならないかなって思ったんだけど……こんなに濡れてしまったら、帰らないわけにはいかないか。あーあ、雨のおかげでもう少し一緒にいられると思ったのにな。急に土砂降りになってしまったのは誤算だった」
「なに……」
言いかけて、ルックは言葉を飲み込む。ギオンの顔を見上げたところで、ルックの心臓がドクンと跳ね上がった。ギオンの表情は先程から変わらず笑みを浮かべたままなのに、何だか泣き顔のように見えたのだ。
「天候のおかげで急に余暇の時間ができて……、ルックと二人で過ごすチャンスは、もう今しかないって思ったんだ。ひとりで外に出ようとすれば、ルックがすっ飛んでくるのは大体想像ついてたし」
「……それについては、気付いてない方がおかしいと思ったよ」
言いながら、ルックはギオンの前髪を伝ってポタポタと垂れる雫に目をやった。水が目に入りそうだと思って、彼の前髪を梳きながら横に流す。
そのルックの手首を、ギオンが掴んだ。反射的に手を引っ込めようとしたが、ギオンはびくともしない。力のある大きな手。触れている場所が温かい。
ギオンの顔からはいつの間にか曖昧な笑みが消え失せていた。真剣な表情でルックのことを見据えている。瞳を捉えられ、目を逸らすこともかなわない。
「ルックはいつも、無自覚でこういうことするよね。俺の気も知らないで」
雨音と心臓の音だけが聴こえる。
至近距離で見つめ合ううちに雨脚が更に強まり、庇の中にも雨雫が降り注ぎ始めた。
「――なんて。これが最後かもしれないからって、ちょっと感傷的になってしまってるみたいだ」
ギオンの体温が手首から離れていく。
「ごめん、忘れて」
彼は取ってつけたように明るい笑みを浮かべた。
ルックの指先が僅かに震えた。ルックの手首に残るギオンの体温が徐々に消えていく。濡れた体が冷え始めて寒気を感じた。
それに、よくわからない感情が胸の奥底に渦巻いているような気がする。
(何か……苛つく)
ルックは震えを誤魔化すように、ギオンから乱暴に手巾を奪い取ると、彼の顔をゴシゴシと擦った。顔がびしょ濡れだ。これでは雨に濡れているのか涙に濡れているのか判別も付かない。
(君はそうやって、少し近付いたかと思ったらすぐに距離を置こうとするんだ)
ルックは自分の顔がいまだ濡れたままであることに感謝した。
(――僕の気も知らないで)
終わりの時が近付いてきている。雨が止んで解放軍の進軍が始まったら、いよいよこの戦争は終結へ向かう。互いに生き残ったとして、そのあとギオンがどうするのかは知らない。少なくともここに居続けることはないように思える。そしてルック自身はというと、魔術師の塔に戻ることになっていた。
(このままずっと、雨が降り続けばいいのに)
そうすれば、もう少しの間は仲間でいられるのに。
例えば急な土砂降りでなければ、体が濡れていなければ、雨を言い訳にしてここに居続けられたのだろうか。
例えば移動魔法が使えなければ、雨脚が弱まるまで二人寄り添って雨宿りでもしたのだろうか。
例えばギオンの持つ紋章が別のものであれば、彼はもっと近付いてきてくれたのだろうか。
例えば僕がーー……
考えかけてルックはやめた。無駄だ。思案したところで何も変わりやしない。
隣で雨宿りをしている彼は、ルックの行動を無自覚だと言った。
(そう。勝手にそう思っていればいい)
「――行こう」
ルックは無自覚のフリをしてギオンの手を取ると、フワリと握り締めてやった。
終わりが訪れるのならせめて、今だけでもこの男を思い悩ませてやりたいと思ったのだ。もっと戸惑わせて、どうしようもない程に困らせてしまいたい。全部雨で流れていってしまわないように、この記憶だけでも彼の胸に留まり続けるように。
そう意図して、何かを言ってやろうと思ったのに、また失敗してしまったようだ。ルックの意図を裏切る言葉を、口が勝手に紡ぎ出す。
「またいつか、会えるといいね……」
囁いた声は消え入りそうなほどに弱々しく、雨音に溶け込んでいった。
言葉がギオンの耳まで届いたのか確かめる術も持たないまま、ルックには握り締めた手にただ力を込めることしかできなかった。
淡い光が二人を包み込んで、その場から姿を隠すかのように消し去っていく。
あとに残された二つの人型の光は、ほんの少しの間雨を照らし続け――やがて名残惜しそうに消え去った。