幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ナナミの治療にあたるトウタくんとルックの話
応急処置に問題はなかったはずだ。
矢傷の手当なら嫌というほど見てきた。実際に手当をしたこともあるし、今までにルック自身が傷を負ったこともある。実に不名誉なことだが、魔法使いというのは弓隊からしたら恰好の的であるらしい。
ルックがあのとき平静を保っていられたのは、そういった経験による裏打ちがあってこそだった。
深々と突き刺さった矢は、同行者にうまく抜き取ってもらった。ルックが即座に回復の魔法をかけたため、出血もさほど多くはなかったように思う。
本来ならばマキノひとりでも手当をできそうな状況だっだが、彼は動転しており魔法に集中できる状態ではなかった。
軍医が駆けつけるまでの間に、こちらでできるだけのことはやったはずだ。後から医師による処置も施され、毒の治療も適切になされていた。
それなのに、ナナミの熱はなかなか下がらない。
発熱程度で済んで良かった、と言ってしまって良いものなのかどうか。ルックにはよくわからなかった。今の彼女の状態が実際のところどうなのかもよくわからなければ、ナナミ自身がどう思っているのかもよくわからない。
手ぬぐいを冷たい水に浸して絞り、少女の額に乗せる。何にしても今ルックにできるのは、それくらいしかないのだ。
引き戸がそっと開いて、朝の陽光が部屋に差し込んでくる。ルックは目を細めて朝陽の方を振り返った。
「もう来てたんですね」
戸の向こう側からトウタが入ってきた。眠っている少女を起こさないよう気遣ってだろう、小声で話しながら静かにルックの方へと近付いてくる。
「今日は進軍の準備でバタバタするだろうから、朝のうちに来ておこうかと思ってね」
「忙しいんでしょう?それなのに、わざわざありがとうございます」
少年が深々と頭を下げる。彼はいつも礼儀正しく、外見の幼さとその態度がちぐはぐに見えた。
「僕もしばらくは顔を出せなくなると思う。ホウアン先生に急ぎで伝えたいことがあるなら、今のうちに言っといて」
ルックの言葉に、トウタは頭を振る。
「いえ、指示箋を持って来てくれてたでしょう。あれだけ指示があれば、僕でもどうにかなると思います」
「もう読んだの」と驚くと、トウタは年相応の少年らしくはにかんだ。
ルックは治療に関する書類の束をホウアン医師より言付かってきた。ここに着いてから居間の机の上に置いたのだが、この小さな少年は早くもそれに目を通してしまったらしい。
表向きトウタはホウアン医師のおつかいで城の外に出ていることになっている。しかし実際に彼が任されているのは、ナナミの負傷後の経過管理だ。深手を負ったばかりの少女を一人きりにしておくわけにはいかないと、ホウアン医師は判断したらしい。
それにしても、軍という組織は脳筋の集まりに違いないとルックは思った。いくら少年が医師見習いだとはいえ、負傷した少女と小さな子供だけで、険しい山道を抜けて国境を越えようとするだなんて、無謀にも程がある。
護衛を付けるなり、状態が落ち着くまで隠れて過ごせる場所を確保するなり、あの軍師なら造作もないことだろうに。――と、文句のひとつでも言ってやりたいところだが、軍が重要な局面に立たされているこの状況において、たったひとりの少女のためにあれこれ取り計らう余裕などない、というのが実際のところなのだろう。いくら少女が、軍主にとって唯一の、掛け替えのない家族であったとしてもだ。
あの戦いで命を落としたということにして欲しいという、彼女の願いを聞き入れる。それが関の山だったということだ。
ナナミが生きていることにルックは薄々気付いていた。
ひどい違和感を覚えたのだ。
回復の魔法をかけたときの手応え、彼女が命を落としたと聞いたときのギオンの反応、そしてルック自身が管理を任されている石板。
生きていることをわざわざ黙っているのは、相当の事情があるためだろう。
しかし口を出さずにはいられなかった。余計なお世話なのかもしれないが、どう考えても、ルックが彼らを魔法で送るのが一番早くて安全だ。必要ならば、医師の師弟間の連絡を取り持つことだって容易にできる。
これをまさかビッキーに依頼するわけにもいくまい。正直者の彼女がマキノに隠し事をできるはずがない。
患者の事情を他に漏らさないことは、医師にとっては信用問題に関わる重要な事項なのだそうだ。トウタがそう教えてくれた。
ルックがこうやって城をあけるときは、ギオンにだけ一言告げるようにしていた。なるべく短時間で戻るようにしているし、城にいないと思われてもギオンが適当に誤魔化してくれるはずだ。
「ナナミさんの熱がもう少し落ち着いたら、僕もそっちに戻ります」
「折を見て迎えに来るよ。それで良い?」
今後、トウタはトウタで軍の中でやるべきことが増えていくだろう。戦は一層激化していくはずだ。当然負傷兵が多数出ることも見込まれる。
「お願いしても良いですか」
少年は深刻な表情でルックにそう依頼した。
トウタは外見が内面に伴っていない。
彼は医師の弟子だ。血生臭い戦場に身を置いて救護にあたる。この幼い子供が、命を落とす落とさないといった場面に、一体何度関わってきたのだろう。
(皆、そうだ。このナナミも、マキノも、ギオンだって……)
ルックは大きく息を吐いた。
ここで考えても仕方のないことで気分を沈めるのは馬鹿げている。今日はこれからやらないといけないことが山のようにあるのだから。
二人揃って静かに部屋を出る。居間に戻り、ホウアン医師への報告書をルックへ預けながら、トウタがポツリと口を開いた。
「大きな外傷を受けた人はだいたいこうやって熱を出すことが多いんです。中にはあっという間に亡くなっていく人も」
言った後に、彼はハッとした表情を浮かべる。
「あ!いえ、ナナミさんはもう落ち着いてきてて、大丈夫だと思うんですけど!」
慌てて言い繕うが、その後彼の表情はまた暗く沈み込んでいった。
「……前に」
俯きがちに、独り言のようにトウタは続けた。
「ルックさんが来るよりも前に、マキノさんたちから聞いた話があるんです。成り行きでシンダル族の遺跡に入ることになったらしいんですけど――」
彼らが言うには、シンダル族の宝とされる薬草はみるみるうちに熱を下げる効能を持ち、様態の悪かった患者をあっという間に救ったのだと言う。
「そんなお薬がいつでも手に入ればいいのにって思います。きっと、ナナミさんもすぐに良くなるのに」
「じゃあ何、君は将来シンダルの研究者かトレジャーハンターにでもなりたいの?」
ルックが冗談混じりに言うと、トウタは声を上げて笑った。
「なんでですか。僕はホウアン先生みたいになりたくて勉強しているのに。あんなお薬も、いつかきっと僕が調合してみせます」
大昔の技術の方が僕たちより遥か上をいっているなんて悔しいじゃないですか、とトウタは続けた。
この少年がそんなことを言うのは意外だった。ただ大口を叩いているだけでないのは、彼の目を見ればわかる。しかし、彼はホウアン医師のもとでコツコツと医術を学んでいる、とても真面目で控えめな弟子だとルックは思っていたのだ。
「随分熱血だね」
「はい!やる気がないと、ホウアン先生のようにはなれません!」
率直な感想を告げると、トウタの暗い顔は消え去ってしまった。
ルックが城に戻る支度を整えていると、引き戸が開き、「おはよう」と明るい声が聞こえる。
ルックは失敗した、と思いながら振り向いた。ナナミだ。顔はにこにこと笑っているが、いつも血色の良かった顔が青白く見える。それに、少しやつれたようだ。
「ルックくん、いつもマキノを守ってあげてって言ってるのに、また来ちゃったの?」
「……アイツはまだ起きてもないと思うよ」
答えながら、ルックはこっそりとため息を漏らした。
ここへ来たときは、いつもトウタとだけやり取りをして早々に城へ戻るようにしていた。ナナミに見つかると厄介だった。彼女はどうしてもルックを客としてもてなさなければならないと感じてしまうようなのだ。情に厚い彼女らしいと言えばそうなのだが、少なくともルックは怪我人にお茶汲みをさせる趣味は持ち合わせていない。
「ナナミさん、まだお熱がありますよ。寝てて……」
トウタが声を掛けようとしたところで、ナナミの体がゆらりと傾ぐのがわかった。ルックが反射的に腕を差し出すと、ナナミの小さな体がそこへすっぽりと収まる。
「あ、ごめんね。ちょっと立ちくらみ……。元気になったらまたちゃんと鍛え直さなきゃね!」
彼女は元気な口調でそう言うものの、顔色は悪いし額には脂汗が浮かんでいる。焦点も合っていないようだ。おそらく自力で立っていられないのだろう、ルックの腕にぎゅっと捕まっている。
こんな小柄な少女のひとりくらい、彼らならヒョイと抱えて寝床まで連れて行くのだろうなとルックは思った。ルックの腕ではそれは難しそうだ。だからといって何か困ることがあるわけではない。ルックは魔法使いだ。
「行くよ」
言って魔法を発動させる。
ルックとナナミは先程のナナミの寝床がある部屋へ戻ってきていた。
「悪いね。マキノたちだったら、抱きかかえて寝かせてあげるんだろうけど」
横になったナナミの上に掛け布団を被せながらルックは言った。
「ルックくんはもしかして、マキノやギオンさんみたいになりたいの?」
先程より多少落ち着いたのか、ナナミの目はまっすぐにルックを見ていた。彼女の言う言葉は突拍子もないものだった。マキノやギオンのように?意味がわからない。彼女が何を言っているのだろうかと考えているうちに、居間の方からトウタが笑顔を覗かせる。
「いえ、ルックさんはいつも冷静で的確に対応できるので、医術を極めるのもいいと思います!一緒にホウアン先生の下で勉強しませんか!」
トウタが言っているのは明らかに冗談だとわかる。シンダルの研究者になればいいと言ったことの仕返しだ。
だが、ナナミの目はーー
ルックは息を吐いた。長々と雑談に興じているだけの時間はない。もう城に戻らなければならない。
マキノの元にいることがルックの本来の役割だ。それはナナミ自身の望みでもある。
「――僕はレックナート様の弟子の、魔法使いだよ」
一言返し、ルックはトウタのいる居間の方へ戻った。
身支度を整えた英雄がルックを出迎える。
「おかえり」
「変わりはないよ」
ルックは至極簡単に報告を済ませた。
ギオンにはナナミの熱のことまでは伝えていない。彼はややこしい紋章を宿しているが故に、近くにいる者が死ぬことを極端に恐れているきらいがある。詳細を下手に知らせる必要はないと思ったのだ。医師にとって患者の情報を守ることは重要だとトウタも言っていた。
(……いや、僕はただの魔法使いなんだけどね)
と、言い訳めいた思考に囚われながら、ルックは自身が先程の会話をまだ引きずっていることに気付く。
(ギオンのようになりたいだなんて思ったことは一度もない。僕とギオンは違うから)
彼がまた傷付いてしまうかもしれないのが嫌で、マキノがかつてのギオンのように傷付いてしまうかもしれないのが嫌で、ただただ自分にできることをやってきた。それだけのことだ。
ルックと目の合った英雄が口を開く。
「あとで広間に集まるようにって連絡があったよ」
――いよいよだ。
全てが終わった時に、あの少女はまたマキノに会うことができるのだろうか。それは彼らが決めて進む道だから、ルックには関係のないことだ。早いところ彼女の体調が戻れば良いと思っているのも、ルックのひとりよがりで大きなお世話なのかもしれない。
(僕は最後まで、やらないといけないことをやるだけだ)
トウタのように熱血にはなれそうにないけれど。
思いながら、ルックは目の前の英雄に向かって、静かに頷いた。