幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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雪降るデュナン城の話
今朝の石板の間はしんしんと染み入るように冷え込んでいた。年間通して比較的穏やかな気候に恵まれるデュナンにおいて、ここまで冷えることは珍しいかもしれない。北の方はどうだか知らないが、少なくともルックの知るデュナン城は、魔術師の島よりもだいぶ温暖なイメージだ。魔術師の島はここよりもやや南に位置するが、海に囲まれている分、冬の寒さはもっと厳しかった、ような気がする。
(ここみたいに、たくさん人もいないしね)
冷たく乾いた風に乗って、わぁわぁと賑やかな声が流れてくる。いつもはあちらこちらでザワザワしているが、今日は外がやけに騒がしかった。
(旅の一座が何かやる日だったかな? よく覚えてないや)
思いながらも、バケツの水に雑巾を浸す。濡れた雑巾を絞ると、白かった手に赤みが差した。指先が凍ってしまいそうなくらいに水が冷たい。白い息を吐きながら、ルックはかじかむ手で石板の拭き掃除を始めた。
(一日くらいサボっても、誰も困りはしないだろうけど。まぁ、仕事だしね)
遠征中は放ったらかしにせざるを得ないため、せめて城にいられる間くらいは毎日欠かさずにやろうと決めているのだった。
それにしても寒い。厚手の肩掛けがずり落ちかけていることに気付き、空いている左の手で握り込む。暖をとるために持ってきたものだが、拭き掃除をするには不向きだったかもしれない。それに、この気温の前ではどうしても役不足感が否めない。
(掃除を終わらせたら、すぐに部屋に戻ろう。今日はマキノも城で過ごすって言ってたし。どうせ誰も来やしないだろ)
けれど、ようやく拭き掃除が終わったかという頃。
ルックの思惑に反して、石板の間に来客があった。
「ルックー。お願いがあるんだけど……」
マキノと、その姉のナナミだった。
実はふたりは血はつながっていないらしいのだが、姉弟であることを疑う余地もないほどにまったく同じ表情で、ニコニコとこちらを見ている。
この寒さにも関わらず、ふたり揃っていつもと変わらぬ薄着姿で外に出ていたようだ。ハイランドに比べれば、たいして寒くもないということなのかもしれないが。
外の気温を想像しただけでゾクゾクと寒気がするような気がして、ルックはぶるりと身を震わせた。
「何か用? 今日は城で過ごすから護衛はいらないんじゃなかったの」
問うと、マキノは大きく頷く。
「うん、護衛じゃないんだ。ただ、ちょっとルックに来てもらいたくて」
「ね、ね、ちょっとだけでいいの。ね、いいでしょ?」
ふたりは「お願い」とキラキラ目を輝かせながら、ルックの両脇を固めた。
(お願いっていうより、もはや実力行使だよね、これ……)
腕力で彼らにかなうはずもなく。かといって魔法を使ってまで逃げ出すほどに嫌なわけでもなく。
ルックはされるがままに、城の外へと引きずられていったのだった。
「へぇ、結構降ったんだね」
城の外は一面の銀世界だった。吐く息までもが日の光を受けて銀色にきらめいている。
寒い寒いとは思っていたが、その寒さゆえに今朝は部屋の窓も開けておらず、外の様子はまったく見ていなかったことに気付く。
子どもだけでなく大人までもが、この地では珍しい大雪を見るべく城外に繰り出していた。
(どうりで、外が賑やかなはずだ)
コボルトは喜び庭を駆け回り、ムササビは真っ白な木から木へと雪を巻き散らかしながら飛び回っている。
(こんなに寒いっていうのに、もの好きばかりだね)
見回すと、あちらこちらに雪だるまやら何やらが作られていて、広場では雪合戦が行われているようだった。
「それで、僕に何の用なの」
ルックはここまで連れてきた張本人たちに問いかけた。
「実はジュドさんが超大作を作ってて。どうしてもルックに協力してもらいたいって言うから」
「そうそう。とってもすごいんだから。ルックくんもきっとびっくりするよー」
「こっち!」と小走りになる姉弟のあとを追って、ルックはゆっくり雪を踏みしめて足を進めた。
図書館の方へと向かっていくと、今までここになかったはずのものがどっしりとそびえ立っていた。初めて見るものではなく、むしろルックがよく見知っているもの。けれど、ここにあるはずのない――今の今まで石板の間でルックが磨き上げていたものが、なぜか目の前にあったのだった。
「約束の石板!?」
の、雪像。
あまりに出来が良すぎる。なんと宿星の名前までもがしっかりと刻み込まれていた。本物と違うのは色くらいだろうか。妙な感覚に陥りかけて、ルックは目をパチパチとさせた。
こちらの反応に満足したらしい姉弟は、なにやら嬉しそうにハイタッチをしている。
「やぁ、マキノくん。彼を連れてきてくれたんだね」
バケツいっぱいの雪をひっくり返し、うず高く積み上げながら、ジュドがこちらに笑いかけてきた。石板にあきたらず、さらに何かの雪像を作るつもりなのだろうか。
「で、用って何? 見たところ石板は完璧にでき上がってるみたいだし、僕の監修なんて必要なさそうだけど」
もし石板がまっさらで、そこに全員分の名前を刻み込めなんて言われたら、この雪像は即座にバラバラに切り刻んでやるところだが。そういうわけではないようだ。ならば、一体――?
むこうの方では、ナナミが雪で作ったこたつに入って、みかんの皮を剥き始めていた。雪のこたつなんて逆に寒いのでは、と思いながら、視線をジュドに戻す。
「ルックくんにはモデルをお願いしたくて、マキノくんに呼んできてもらったんだ」
「……モデル?」
オウム返しにする。
当のマキノは、あっちの方で雪をかき集めて、ペタペタと何かを作り始めていた。
「実は、近いうちに君の像を作りたいと思っていてね」
「は? なんでまた。僕の他に需要のある人材はいくらでもいるだろ」
例えばリーダーのマキノであったり、軍師や将軍、それに――「ほら、あの紋章師とかさ」と、思い浮かぶ人物を列挙する。
「なにも変な意図があるわけじゃないんだよ。軍に最も貢献した人物の像を建てようとしたら、それが君だったというだけさ」
ジュドの言葉に、ルックはなるほどね、と漏らした。
確かに間違いなく、ルックは軍の中で一番の働き者だろう。もっとお給金をはずんでもらってもいいくらいに。
「マキノにあちこち連れ回されたおかげだね」
雪遊びをしているリーダーを睨むと、こっちに気付いたらしい彼は「僕のこと褒めてくれてた?」と微笑みかけてきた。断じて褒めてなどいない。
「本当はずっとモデルを見ながら石像を彫りたいところなのだけど、君はたびたびマキノくんの護衛で留守にするだろう? だから、一度、時間のかからない雪像で練習をさせてもらえたらと思ってね。それに、この石板の雪像に添えるとすれば、やはり君以外にないだろう。いや、そんなに時間を取らせはしないから」
まさか自分の石像がデュナンに建立されることになっているとは思わなかった。別に嬉しくも何ともないが。それにしても、この気温の中でモデルをやれというのも随分酷な話ではないだろうか。
「見返りは何かないの。時間を取らせないっていっても、数秒ってわけでもないんだろ」
この雪がやめば、またマキノの護衛としてあちこちお供しなければならなくなるはずだ。せっかく雪で休めると思っていたのに、外で何時間もモデルをやったせいで風邪でもひいてはしかたないだろう。
言うと、ジュドは真顔で答えた。
「冬の間の石板掃除で手を打とうじゃないか」
「乗った」
目を光らせるジュドに、ルックもまた目を光らせる。交渉成立だ。
約束の石板は決して小さくはない。百八もの宿星と名前が刻み込まれてあるのだ。それを春夏秋冬問わずに毎朝ピカピカに磨き上げる。特に、冬場は水が冷たいから最悪だと思っていたところだった。
しかも、それを引き受けてくれる相手がジュドというのも、ルックにとっては有難いことこの上ない。彼は彫刻家だ。大切な石板をぞんざいに扱うことは決してしないだろう。
「ねぇ、もちろん、僕が留守の間もやってくれるんだよね?」
「お安い御用だよ」
よし、言質は取った。
これでこの冬のつらい水仕事とはおさらばだ。
ジュドの指定したポーズを取ってから半刻ほど経っただろうか。そろそろ体が芯まで冷えてきた。温かい飲み物でも欲しいところだ。
こたつでみかんを食べながら漫画を読んでいるナナミが温かそうに見えて、無性に腹が立ってくる。
(いや、あれは雪のこたつだし。温かいわけないだろ)
あやうく寒さで冷静さを失うところだった。頭を振ると、無心でポージングを続けた。
そのルックの元へ、マキノが駆け寄ってくる。
「ほら、ルックのうさぎが出来たよ!」
彼の手のひらには、小さな雪うさぎが乗っていた。確かにうさぎ、ではあるのだが。
「僕のうさぎって何」
「いつもルックの後ろにあるやつ」
「ああ、マスコッ……いや、守護神ね」
「僕が作った守護神だね。いい出来だ!」
ジュドはマキノの雪うさぎに感性を刺激されたのか、なにやら火がついたかのように猛烈な勢いで雪の塊を削りはじめた。
その数ヶ月のちの話。
デュナン湖のほとりにある城の、偉大なる魔術師像の隣には、なぜか愛らしいうさぎの像が寄り添うかのように建てられていたとかなんとか。