幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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空気清浄ルックの話
暖かな風が吹き抜ける。かすかに花の香りが漂って、春の訪れを告げた。採光窓からは柔らかな日差しが差し込んでいる。城に満ちる穏やかな空気の中、見るからにボロボロの出で立ちで、軍主がひとり帰城した。
「最悪だ……」
そういえば今朝から彼を見かけていなかったような気もするが、一体いつの間に外に出たのだろう。そもそも軍主はひとりで出歩いてよい立場ではない。外出には必ず誰かが護衛として付き添う決まりになっていたはずだ。
ルックは魔力の強さを買われて、かなりの確率で軍主の護衛の任についているのだが、今回外出の知らせは聞いていない。
ヨロヨロと歩いてくる軍主――マキノの方へ、少しだけ近付いて、ルックは足を止めた。
必要があれば回復魔法をかけてやろうかと思ったのだ。しかし、それには及ばなかったようだ。おそらく自分で魔法を使ったのだろう。衣服はところどころ破けたり裂けたりしているが、少なくとも見える範囲に外傷はなさそうだった。
「どうしたの。暗殺でもされかけた?」
「いいや。ひとりで広野に放り出されてた」
「なんて?」
今にもべそをかきそうな、しょぼくれた顔のマキノに、ルックは聞き返した。
「昨晩、酒場に顔を出したら、ハンフリーさんと話が盛り上がっちゃってね。遅い時間になってしまったんだけど、部屋に戻ろうと思ってその辺を通ってたら――、気付いたときには全然知らないところにいたんだ」
いったいどんな会話をすればハンフリーとの話が盛り上がるのか甚だ疑問ではあるが、ルックは話の続きを聞くことにした。
「遠くに明かりを見つけて、頑張って歩いたらクスクスの街に辿り着けたんだけど、出かけるつもりなんてなかったから、お金なんて持ってないでしょ。宿にも泊まれないし、仕方なく夜通し歩いて帰ってきたんだよ。丸腰だし、誰も連れてないし、棒切れで魔物と戦いながらだよ? まったくひどい目にあったよ……」
よよよと泣き崩れるマキノを慰めるように、吹き込んできた春風がふわりと彼の周りを舞っていく。
階下から「くしゅん!」と盛大な声が聞こえて、ルックは条件反射時にリフレクト魔法を展開した。
魔力で編み上げた障壁にぶち当たって跳ね返った
ルックは魔法の発生源を探して、階下を見下ろした。ビッキーがズビームと鼻をかんでいる。
昨晩マキノの身に起きたのと同じことが、ルックのバケツにも起こったのだと見て間違いないだろう。
軽くて使いやすいからお気に入りだったのだが、消えてしまったものは仕方ない。
「あー。なるほど」
ぬくぬくと暖かな風が吹く。季節はすっかり春だった。
風が砂埃や花粉を運んで来ない場所――例えば地下などに、ビッキーの居場所を作ってはどうだろうか。マキノにそう提案すると「女の子を地下に閉じ込めろっていうの!?」と、まるでルカ・ブライトを見るような目で非難を受けた。
(別に地下牢に入れろって言ってるわけじゃないんだけどな。実際トラン城では、彼女の持ち場は地下にあったわけだし)
思ったところで、彼が納得しなければ仕方がない。
それならば、ルックのようにリフレクト魔法を活用してはどうだろうか。マキノはもともとそれなりの魔力を持っている。戦闘中の学びを積み重ねて、リフレクトの成功率もなかなかだ。けれど、百パーセントにはまだ程遠く、突如
もしくは今すぐトランに渡って、どこかに残されているであろうまたたきの手鏡を手に入れて、常時携帯する。
あるいは、丸腰でひとり野に放たれても生き抜けるように、役に立ちそうな紋章を宿しておく。マキノに関して言えば、既に盾の紋章を所持しているため、生命維持には事欠かないだろう。であれば、複数の魔物を一網打尽にできる火の紋章辺りが妥当だろうか。
それから、いくらかお金も携行していた方が良いだろうし、おくすりやすり抜けの札、何なら身代わり地蔵も持っていた方が良いかもしれない――
「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ!」
マキノに制止されて、ルックはミステレポート対策のプレゼンをストップした。
「どうやって飛ばされないようにするかを考えてもらってたのに、いつの間にかミステレポートありきの話になってない!?」
「そう言われてもね。自分で防げないのならどうしようもないだろ」
「風の魔法でビッキーの周りの空気を清浄に保つこととかはできないの? っていうか、ルックなら絶対にできるでしょ」
「……こういうこと?」
軍主の指示に従って、ルックは紋章に魔力を込めた。ほんのそよ風程度に調節してから、ビッキーを中心に風を巻き起こす。
「わぁ、なにこれ!」
階下から大声が聞こえた。下を覗いて手を上げて挨拶すると、ビッキーは嬉しそうにブンブンと手を振ってみせた。
「これ、ルックくんの魔法? 急に息が楽になったみたい!」
「なんだ、これで解決じゃないか!」
ホッとしたようにマキノが言うが――
「そんなわけないだろ」
ルックはげんなりして息を吐き出した。
「昨日飛ばされたのは深夜だったんだろ? そんな時間まで、ビッキーに張り付いてなんていられないよ」
それに、そよ風を起こしているだけとはいえ、四六時中魔法を使い続けていたら、魔力の消耗が激しすぎる。一時しのぎくらいにはなるかもしれないが、この方法は現実的ではないだろう。
「もう、しばらくの間、城の外にいれば? 何か用はないの? 護衛が必要なら一緒に行ってやってもいいよ」
「そうもいかないよ。僕が被害を受けなくても、この城の誰かが飛ばされるかもしれない。もしかしたら、石板がどこかに飛んでっちゃうかもしれないでしょ」
マキノの言い分はもっともで、ルックは腕組みをして唸った。
確かに、その危険性は常にあった。ビッキーの持ち場からかなり近い場所に石板が配置されているせいで、いつ被害を被るか知れない。現に、お掃除バケツも消されたばかりだし。石板をどこかにやられでもしたら、一番困るのはルックなのだ。
「ルック、なんとか頼むよ! ビッキーの体調が落ち着くまでの間だけでいいんだ! ね? ね?」
彼の姉そっくりの仕草でチラチラとこちらを伺ってくるマキノを半眼で睨んで、ルックはため息をひとつ吐き出した。
「……いつまで続くかもわからないのに?」
「じゃあさ、ほら、この期間、一日頑張ってくれるごとに休暇を二日……いや、三日つけていいことにしよう? 今日からでどう?」
「よし乗った」
ルックは大きくひとつ頷いた。
石板の紛失は何が何でも阻止しなければならなかった。決して休暇に目がくらんだわけではない。
翌日。
階下から、ズビズビ鼻をすする音と、時折ゴホゴホと咳が聞こえてくる。
ルックは踊り場から下を覗き込んだ。
「あ、ルックくんおはようー。昨日からちょっと冷え込んでるね?」
「そう?」
ビッキーの言葉に首をかしげる。今日も昨日も、ぽかぽかと暖かくて、わずかに汗ばむほどの陽気だと思うが……。
ルックは休暇取得――もとい、ビッキーのミステレポート阻止のために、今日もそよかぜ風魔法を展開しようとして――
「あっ!?」
すんでのところで魔力を霧散させて、発動をキャンセルする。
恐ろしいことに気付いてしまったのだ。
「ねぇ、君、もしかして昨日一日寒かった……?」
「うん、昨日は寒かったねー」
鼻をすすりながらビッキー。
「君、もしかして、風邪……」
「っっっ、クシュン!」
あっ、と思ったときにはもう遅かった。
リフレクト魔法の発動も間に合わず、ルックの視界はなすすべもなく塗り替えられる。
石造りの城の内部にいたはずが、辺りは新緑の木々でいっぱいになってしまっていた。
見覚えのある木を見つけて、ルックはそちらへと足を向けた。小さな頃からルックのお気に入りだった木だ。どっしりとした大きな幹にくぼみがあって、背もたれにして座るのにちょうど良いのだ。
(魔術師の島……)
ルックがビッキーのテレポート魔法に巻き込まれて飛ばされたのは、故郷とも呼べるその場所だった。
このくらいの距離ならば、ルックの転移魔法ですぐにでも戻ることはできるが――
(でも、ビッキー完全に風邪ひいてたからな)
今戻っても、昨日のそよ風魔法ではビッキーのクシャミを止めることはできそうにないし、下手すればまたどこかへ飛ばされてしまうかもしれない。
そもそも、ビッキーの風邪の原因はルックの魔法にあるのかもしれないのだ。良かれと思って使ったそよ風魔法だが、一日中風に吹かれて、可哀想なビッキーは体を冷やしてしまったのだろう。
大ブーイング待ったなしのこの状況で、当然すぐ城に戻る気など起こるはずもなく。
ルックは心地よい春の風を感じながら、塔に向かって歩みを進めた。日差しがぽかぽかと顔を照らす。自生している野花があちらこちらで花開いていた。
(せっかく帰ってきたんだから、のんびりしていこう)
慌てて城に戻る必要なんてないだろう。時間はたっぷりある。
なにせ、軍主様直々に三日分もの休暇を賜ったのだから。