幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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ニューリーフ学院の七不思議の話
「ルック、目を覚まして!」
鼓膜がビリビリと震える衝撃で、ルックの意識は急速に現実に引き戻された。
パッと見開いたはずの瞳は、何の姿も、形も、色さえも映していなかった。自分がいま暗闇の中にいるのか、はたまた目が機能しなくなったのかがわからない。なにしろ体を動かすことができないから、確かめようがなかった。
こういうのを金縛りとよぶのかもしれないとルックは漠然と考えた。石化の魔法と似ているようにも思うが、試しに力を入れてみると、指先を曲げることはできる。手首も、足首も動いた。ただ、大きな関節が動かせない。鉛のように体が異常に重たい、というのが一番しっくりくるかもしれない。
(何かが体の上に乗っている……?)
ますます状況がわからなくなって首を捻ろうとするが、頭が重たすぎてルックはあえなく失敗した。
事態を何ひとつ飲み込めていないが、いまルックを取り巻く状況の中でひとつ確かなのが、誰かがずっとルックの名を呼び続けているということだ。馴染みのある声のはずなのに、それが誰のものなのか、どうしても思い出せなかった。
絶対的に脳に酸素が足りていないらしい。重圧に押しつぶされて呼吸器がペシャンコになっているのだろう。喘ぐように口を開いても、そこから新鮮な空気を取り入れることもかなわない。
どうにかして今の状況を打破できないかと考えをめぐらせるが、まともに機能していない頭で思いつくのは、当てずっぽうに魔法を放つことぐらいだ。ルックを害するもの――何者かが体の上に乗っているのだとすれば、狙う場所はおのずと決まってくるのだが。
(確信は持てないけど、やってみるしかないか)
ためらう理由はどこにもなかった。成功するかどうかは賭けだが、このままではどのみち遠からず窒息することになる。
紋章に意識を集中していく。使い慣れた風の力を感じた。
(少なくとも紋章は奪われてない!魔法を使える!)
肌で感じとることはできないが、いつも通りの手応えはある。風を生み出し、渦を巻かせて、刃を形作り――
ルックにできたのはそこまでだった。風の刃は標的に向かう前に霧散して消え失せる。
ぐらりと頭が傾く感覚。体が限界を迎えたらしい。
(ああ、もう駄目だ……)
抗う間もなく、ルックの意識は再び深い闇の底へと落ちていった。
(ここはどこだろう)
ぼんやりとした頭のまま、決して寝心地が良いとは言えない寝台の上に、ルックはただただ横たわっていた。
寝汗をかいていたのだろう。寝巻きはしっとり濡れて、露出した肌が冷え切っている。体のあちこちが痛むのは、慣れない枕のせいだろうか。
(僕は何をしていた?)
なにか酷い危機に瀕していたかのような、焦燥感の残骸が意識の底に残っている。ぼうっとしている場合ではないかも知れない。体を緊張させて、思考にかかるモヤを追い払おうとしていると――
「気が付いた!」
声と同時に、視界に人影が飛び込んできた。心配そうにこちらを見つめているその顔は、ルックがよく知るものだ。
「マキノ……」
ホッと息をついて、体を強張らせていた緊張の糸をゆるませる。
「良かった! 死んだかと思った! あんな話を聞かされた後だから、なんかよくわかんないけど、そういう感じの祟りかと思った!」
一気にまくし立てられたマキノの言葉は、耳から入ってきて、そのまま流れ出ていく。なんかよくわからないのはこっちの方だ。彼が何を言っているのかが、さっぱり理解できない。その上、なにやらひどく物騒な単語が飛び出してきた気がするのだが。
言葉の内容も気になるが、それよりもルックには気になって仕方がないことがあった。
マキノが珍しく緑色の上着を着ている。まったく似合っていない。いつもの動きやすそうな赤い服はどうしたのだろう。
緑色のマキノを捉えた視界の端には、バインバインと音を立てながら壁から壁へ縦横無尽にバウンドして回っているものがうつる。ムクムクがこうやって遊ぶのはいつものことだ。いつものことなのだが。青とピンクと緑と黄色の残像が見える。ムクムクのマントは赤なのに、これは一体どうしたことだろう……
「何これ」
目をこすってみるが、やはり五色だ。ムササビは五匹いる。色違いだ。
「何って、ムクムクとマクマクとミクミクとメクメクとモクモクでしょ」
「名前なんて知らないよ!」
食い気味に言うと、マキノは不思議そうに首を傾げた。
「あれ? さっき話に出てきたじゃない」
「話?」
そういえばマキノが『あんな話』がどうとか言っていたような気がする。
「ああ、ルックは話を聞かなかったんだっけ。じゃあ知らなくてもしょうがないか!」
先ほどから彼の言うことが何ひとつわからないままで、ルックの中に溜まったストレスがそろそろ爆発しそうだった。ひとり納得して満足そうな顔のマキノを睨みつけてやる。
「ねぇ、なんの話? ちゃんと説明してよ」
ムササビたちはなおも部屋中を激しく飛び回っていた。
グリンヒル市、ニューリーフ学院。ルックは今、その寮の一室にいた。グリンヒル市長代行のテレーズ・ワイズメルなる人物を探すため、学生と身分を偽って潜入しているところだ。
目的はあれど、学生に扮している以上、夜間は出歩くわけにもいかない。そういうわけで暇を持て余したマキノは、先ほどまで学生らと怪談話をして過ごしていたのだそうだ。すっかりと学院に溶け込んでいて何よりだ。
ルックにもお声がかかったが、友達づくりを目的にここにいるわけではない。「興味ないね」と丁重にお断りして、早々に部屋に戻ることにしたのだった。本を読んでひとりゆっくりと過ごすつもりだったが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。ノースウィンドゥからグリンヒルまでの行程は、思った以上に疲労を蓄積させていたのだろう。
そうしてマキノがお喋りを終えて部屋に戻って来たときには――
「ムクムクたちが五匹に増えて、ルックの上で眠っていたんだ。顔にも乗ってるし、あまりに苦しそうだったから、慌てて起こしたんだよ」
つまり、あの金縛りと呼吸困難は、このムササビたちの仕業だったということらしい。
言われてみれば、舌の上にあるもさもさとした異物感に気付く。指でつまむと、ムササビの毛らしきものが数本、唾液を纏って口の中から出てきた。酸素を求めて必死にムササビを吸っていたということか。そういえば、目もゴロゴロして痛痒いような気がした。
「最悪……」
ルックは頭を抱えた。懐かれているのか殺そうとされたのかは知りようもないが、死因がムササビによる窒素だなんて、あんまりだろう。
ルックは動きの緩慢な黄色のムササビを捕まえた。仕返しとばかりに、両手でほっぺたをブニュと潰してやる。マクマクだがミクミクだかメクメクだかモクモクだか知らないが、とにかくそのムササビは、嫌がる素振りも見せずに、されるがままになってこちらを見上げていた。
「それで、どうして五匹に増殖してるの。こんなの一匹いれば充分だろ」
「だから祟りだって言ったんだよ」
それはマキノが学生らから聞いた話だった。この学院には七不思議の伝説があり、そのひとつに――
「『怪奇! いつの間にか増えているムササビ』っていうのがあるらしいんだ」
(そのまんまじゃないか)
思いながら視線を動かすと、窓が開け放したままになっていることに気が付く。
(ああ。あそこから入ってきたのか)
デュナン城から連れてきたムクムクが、近辺の仲間でも呼んだのだろう。グリンヒルの森にムササビが生息していてもなんら不思議ではない。
(何がどう解釈されて七不思議になったのか、逆に不思議なくらいだよ)
ルックは黄色のムササビを窓から外に追いやる。地面までの高さはそれなりにあるが、ムササビは落下することなく、風を受けてスイーッと飛んでいった。次いで、足元に擦り寄ってきていたピンクのやつを捕まえると、ポイと放り出す。
「七不思議、もっと聞きたくない?」
「興味ないってば」
動きが早くて捕まえるのに苦労したが、どうにか青と緑もつまみ出したところで、ルックは勢いよく窓を締めた。しっかりと施錠しておく。これでもう戻って来られないだろう。
「『恐怖! 消えたチーズケーキ』とか『私を眠らせて! 散歩するお化け』とか」
「どうでもいいって」
ムクムクが抗議の声を上げて威嚇してくるのを適当にあしらいつつ、マキノの話も適当に聞き流す。
マキノは仕入れたばかりの話のタネを披露したくてたまらないといった様子だが、生憎ルックには付き合ってやるつもりなど毛頭なかった。根拠のない噂話に割く時間は持ち合わせていない。そんなもの、時間の無駄以外のなにものでもないだろう。
今はまだ、そう思っていた。
懐かしい感覚。幼い頃からよく知る、大いなる魔力の流れを感じる。
ルックは夢を見ていた。広い海に浮かんでゆったりと揺られているような、そんな夢。
(レックナート様……?)
心地の良い魔力が、少しずつ遠のいていく。
(待って、待って下さい。まだ行かないで……)
このぬくもりの中で、まだ微睡んでいたいのに――
「ルックくん、起きて!」
脳髄をぐらんぐらんと揺り動かされる衝撃で、ルックの睡眠は強制的に終了させられた。
ムクムク以外のムササビは、すべて部屋の外に追い出したはずだ。体も動かせるし天井も見える。窒息だってしていない。生命を脅かされる状況でないのは明白だ。
こう度々起こされては、ちっとも休まりやしない。これだから相部屋は嫌いなのだ。
文句を言ってやろうと、体を揺さぶる人物に焦点を合わせる。当然、同室者のマキノだとばかり思っていたのだが――
「ナナミ?」
ルックの網膜に像を結んだのは、マキノの姉の姿だった。
「なんでここに」
彼女は問いかけには何も答えず、大粒の涙をこぼして泣きじゃくっている。
ナナミの後ろには、ピリカがフラフラしながら突っ立っていた。上の瞼と下の瞼が今にもくっつきそうなくらいに、その瞳はほんの僅かばかりしか開かれていない。かわいそうに、こんな深夜に無理矢理起こされて連れてこられたのだろう。たしなめようにも、ナナミが泣きやむ気配はなかった。
(弟に責任取らせるか)
対処に困ったルックは、隣の寝台に足を向けた。マキノがムクムクと並んで高いびきをかいている。
「マキノ」
優しく呼びかけながら勢いをつけて頬を引っ叩いてみるが、起きそうにない。
「起きなよ」
ロッドを振りかぶって頭頂を殴打してみても、なおもマキノは眠ったままだ。
「火事だよ」
ルックは周囲に風を集め始めた。腕力には自信はないが、魔法なら任せて欲しい。 しかし風がマキノを切り裂くよりも先に、ナナミがどうにか声を絞り出す。
「うっうっ、マキノは、もう、起きないよ……」
「は?」
「だって、わたし見たんだもん。わたし、七不思議が怖くて眠れなくって。ピリカちゃんと一緒にここに来たの。そしたら……」
「う~ら~め~し~や~」
「いやぁぁぁ!」
ナナミの絶叫。そして、楽しそうな笑い声が響く。
声のした方に目をやると、そこには白い何かがいた。人間だ。どこからどう見ても、シーツを被った人間でしかない。シーツの隙間から、ポニーテールが覗いている。
「人をからかって、何がそんなに楽しいの。メグ」
声をかけると、白いシーツを脱ぎ捨てて、ポニーテールの少女が姿を現した。くりくりとした瞳を面白がるように光らせて、ケラケラ笑っている。
「ううっ、メグちゃんひどいよー、ひどいよー……」
「ナナミちゃんがあまりに怖がるものだから、つい楽しくなっちゃって!」
会話を聞きながら、ルックはピリカを呼び寄せた。立ったまま今にも眠りそうなので、ひとまずマキノの隣に寝かせてやることにする。ムクムクがマキノの右隣にいるから、ピリカはマキノの左隣だ。この小さな子どもがムササビで窒息しないよう、我ながら配慮もバッチリだ。マキノの掛け布団を剥がして、ピリカに掛けてやった。
二人の会話はなおも続いている。
「ナナミちゃんてホント面白いわよね。マキノくんが『もう起きない』って、なぁに?」
メグは心底楽しそうだった。対するナナミはまだ浮かない顔だ。
「なに。どうしたの」
ルックが声をかけると、ナナミは再び瞳を潤ませた。
藪蛇だったかもしれない。まだ長引くのだろうか。まさか女子たちを窓から投げ捨てるわけにもいくまい。
どうやって追い出せば良いものだろうかと思案しているうちに、ナナミが歯切れ悪く話し始めた。
「七不思議の伝説の中にね、あるの……。マキノの枕元に立って襲おうとしてた……」
(また七不思議か!)
げんなりしながらも、ルックは早く終われと祈りつつ先を促した。なんでもいいので、とっとと話してとっとと部屋に戻ってもらいたい。
「……何が」
「わたし見ちゃったの! 『いやんやめて! 夜這いをかける魔女』を! ……あれ? ルックくんどうしたの。急にへたり込んで……」
「ルックくんまで怖いだなんて言わないわよね?」
「ま、まさか、ルックくんも魔女に夜這いをかけられて……?」
「美少年だもの。頭のてっぺんから爪先まで平らげられててもおかしくないわ」
心配そうに覗き込んでくるナナミとメグ。ルックは大丈夫だと言う代わりに軽く片手を上げた。
「ねぇ、ちょっとそれ。詳しく教えてくれない?」
頭を抱えながらルックが尋ねると、メグが語りだした。心配そうな表情は消え去り、満面の笑みだ。一体何が楽しいのだろう。こちらは酷いめまいに襲われているというのに。
『いやんやめて! 夜這いをかける魔女』は白い衣を纏っており、長く艶やかな黒髪をもつ、この世のものとは思えぬほどに美しい容姿の女性なのだとか。その魔女は美しさゆえに瞳に呪いをかけられており、夜な夜な美少年の枕元に立っては、その瞳から若く美しい生命を喰らうという。
「それでナナミちゃんは、マキノくんの命が魔女に食べられたと思ったのよね?」
「だって! 本当に魔女がマキノの枕元に立っていたんだもん! なんかどこかで見たことある人のような気がしたけど!」
「いやそれは気のせいだね!」
ルックは間髪入れずにナナミの言葉を否定した。
「ルックくん、本当に体調が悪いんじゃないの? 顔色悪いし、目が、なんていうか……泳いでる?」
心配してくれているメグには悪いが、その指摘は聞かなかったことにしようとルックは心に決めた。
どっと疲れた気分に陥り――実際めまいどころか頭痛もズキズキとしているのだが、ルックがふらつきながらベッドに腰掛けると、少女らは気遣ってようやく自室に戻ることにしてくれた。
帰り際にメグが神妙な面持ちで呟く。
「『いやんやめて! 夜這いをかける魔女』の目撃証言によると、『一枚足りない! 仮面を数えるお菊さん』と同一犯な気がして仕方がないのよねー」
「もうやめようよーメグちゃん……」
閉じられた扉の向こう側から、ナナミの涙声が聞こえた。
窓から朝日が眩しいほどに差し込んでいる。マキノは今朝もスッキリ元気に目を覚ました。
なぜか隣にピリカが寝ている。いつの間にこっちに来たのだろう。ピリカはナナミと同室のはずなのだが。
両隣のピリカとムクムクを起こさないように細心の注意を払いながら、マキノは身を起こす。
窓を全開にすると、朝の清々しい空気が室内を満たした。体のリズムも整い、この学院での生活に随分と慣れてきたようだ。
実を言うと、寝ている間にレックナートの声を聞いたような気がするのだが、昨夜はぐっすりと眠っていて記憶が定かではなかった。彼女が何か大切なことを伝えに来てくれたのだとすれば、悪いことをしたかもしれない。だが、睡眠は大切なので、こればかりはどうしようもない。
そのレックナートの弟子であるルックへと目をやった。まだ眠っているようだ。彼はいつも白い顔をしているが、今朝はそれ以上に顔色が悪く見える。昨夜ムササビの襲撃にあって疲れたのだろう。もうしばらく寝かせておくことにしよう。
マキノは手早く服を着替えて顔を洗うと、朝の鍛錬をすべくトンファーを手に部屋を出る。
静かに閉じた扉の向こう側で、ルックが寝言をこぼすのが聞こえた。
「レックナート様……一枚盗って、ごめんなさい……」