幻水1以前の話
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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レックナート様のワンオペ育児の話
無数のダンゴムシを拾い集めるレックナートの横顔は、かつて見たことがないほどにやつれていた。
なぜダンゴムシが彼女の書斎に散らばっているのか。少年が両手いっぱいに拾ってきて、そこでつまずいたからだ。
「私は新刊の進捗をうかがいに来たはずなのですが。貴女は一体いつから慈善事業をはじめたのですか」
床にうずくまる彼女の背中に向け、ゼラセはため息混じりの皮肉を投げかける。
レックナートの雑多な作業台には、上質な紙が所狭しと広げられていた。星見の結果を記すものより高級そうなその紙には、申し訳程度に文字が書き記されているのみだった。これが作業中の原稿用紙だ。
「私にも予見できないことばかりが日々起こり続け、対処に追われているのですよ」
「……つまり?」
「つまり。進捗ダメです」
レックナートの背中からは、憔悴しきった様子がうかがえた。魔が差したのか何なのかは知らないが、彼女はなぜ子供を拾ってきたのだろうか。
レックナートはバランスの執行人でありながら、赤月帝国においては星見を託されており、なおかつ知る人ぞ知る書物を不定期に刊行している売れっ子作家なのである。魔術師の塔で一人暮らす多忙なレックナートに、別のことをはじめる余裕があるとは到底思えなかった。元より彼女は浮世離れした――率直に言えば人間味のない女性である。人の子を育てられる要素などどこにあろうか。
「すべてワンオペでこなしながら原稿が進むとでも? この子供は今すぐ元いた場所に返すべきです」
少年に対して敵意があるわけではないが、好意があるはずもない。彼がこちらを見ていることには気付いていたが、ゼラセは視線を返すつもりはなかった。どこの誰かも知れぬ子供に関わることに、意味を感じない。
ゼラセはそう考えていた。――少年が口を開くまでは。
「レックナート様、この怖いオバサン何ですか?」
心底嫌そうな声音で言い放つ少年に、ゼラセは瞬時に目線を移した。
「何なのです、この躾のなってない子供は……!」
荒らげかけたゼラセの声を遮り、少年は続ける。
「『指で梳いたゾンタークの髪は、月明かりを反射して銀色に煌き』……」
「ルック! おいたはいけません!」
ダンゴムシを集めていたはずのレックナートが光の速さでルックの手元から原稿を奪い去る。
「レックナート様、読んだ本はちゃんと片付けないとダメですよ」
「ルック! 星見の結果を薄い本と混ぜてはいけません!」
「そういえばこの前見つけたカマキリの卵、どこにやったかな……」
「ルック! 思い出すのです……!」
「『その瞳は揺らめくフェイタス河のように、』」
「ルック! 音読やめて!」
「この黒いオバサンいつまでいるんですか?」
レックナートと小さな弟子との攻防は果てしなく続く。
奔放な男児に振り回され続けた魔女は、とうとうその場に膝を付き、ワンワンと泣き崩れてしまった。
ゼラセは彼女の背中をポンポンと叩いてやった。
――だから言ったのだ。ワンオペオタ活は無理ゲーですよ、と。
「いいですか。これからしばらくの間、私がこの子供を見ています。貴女はまず休みなさい」
「ですが、それでは原稿が……」
「早く寝なさい! 死にたいのですか!?」
口答えするレックナートを一喝して黙らせると、男児の首根っこを捕まえる。いらぬことばかりやらかすクソガキを片手に、ゼラセはレックナートの書斎から退散していった。
レックナートの手助けというわけではないが、少なくともこの生意気な子供はしっかりと躾けて教育しなければ。さて、まずは何から叩き込むべきか――
使命感にも似た思いを抱きつつ、ゼラセは小さな魔法使いと向き合うことに決めたのだった。