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しょんべん小僧、賽を振る
どんぶりのフチに勢いよくサイコロがぶつかる。
お世辞にも小気味の良い音とは言い難い、けたたましく汚い音が耳を突いた。
それと同時に、サイコロのひとつがかなりのスピードで明後日の方向へと吹き飛んでいく。向かう先は、無愛想な魔法使いの顔面だ。これはもう、避けようとしても間に合いそうにない。直撃は免れないだろう。
(地味に痛ぇんだよな……)
せめて目に当たらないでやってくれと祈りながら、シロウはサイコロの行方を見守った。
けれど、あわや直撃かと思われたその瞬間。見えない魔法の壁に弾かれて、サイコロは再び宙を高く舞う。
スローモーションで描かれるキレイな放物線。
コツンと落下した先は、トラン共和国大統領のせがれ――この賽を振った張本人の頭頂だった。
やがてサイコロはそいつの足元に落ちて、少しの間転がったのちに停止した。
三人の視線がサイコロにじっと注がれる……。
沈黙を破ったのは、シロウだった。
「ははッ、下手くそか!」
これはもう、芸術的と呼べるほどの下手くそ加減だ。彼の偉業をたたえて大いに手を叩き、カラカラと笑ってやる。
「五連続しょんべんか。たいしたもんだね」
鼻で笑っているのは魔法使いだ。
「前にタイ・ホーに全敗したとか言ってたけど、逆にこんなんでよく勝てると思ったね?」
「ぐぅっ……!」
大統領のせがれは、頭を抱えて顔を真っ赤に染め上げた。それが羞恥によるものなのか、単に頭が痛かったからなのかは知らないが。
この軽薄そうなぼんぼんと、愛想のない魔法使いとは、まったくタイプの異なる人種だ。二人揃ってチンチロリンに興じている様には、ひどく違和感がある。
親父殿の指示でデュナン城に身を寄せるようになった大統領のせがれは、女という女のケツを片っ端から追って遊び歩いているような軟派野郎だった。彼は数日かけて城内の女たちの顔と名前を把握しきったらしく、今頃になって城の視察という名目で、よりにもよってここ、賭博場へ立ち寄ったのだそうだ。
一方、魔法使いの方はというと、いつでも不機嫌そうなツラ構えで、石板の前におとなしく突っ立っていることがほとんどだ。石板の守護などという地味な仕事を、今日もクソ真面目にこなしていたらしい。それこそ、大統領のせがれにムリヤリ連れ出されて、ここを訪れるまで。簡単にはカモになってくれなさそうな――そもそも、こういった場所には自主的に出入りしなさそうなカタブツと見える。
聞けば、二人は旧知の仲なのだとか。ともに南の大帝国を倒した軍に属していたらしい。
解放軍とかいったか。
その根城では超一流の胴元が賭博場を取り仕切っているという話を、以前耳にしたことがあった。ここいらでも名を聴くような、たいそうな有名人ではあるが――
「くそ。ガスパーだって、よく投げ損ねてただろうが」
今まさに思い浮かべていた名が聞こえて、シロウは顔を上げた。
こちらには気付かない様子で、大統領のせがれの負け惜しみは続く。
「プロでさえああなんだから、このくらいの失敗、よくあることだろ!」
そんなはずがないだろう。
かの人物はサイコロの目にすべての情熱を注いできたというアツイ男だ。こんなしょんべん小僧と一緒にされてはたまらない。
本来ならシロウが口を挟むような場面ではないが、辛抱たまらず声を上げかけたところで――
「ギオン相手にはね。あいつも大概下手くそだったろ。だからリーダーから巻き上げるなって、マッシュからおふれが出てたんだよ」
魔法使いが、もう一度小馬鹿にするかのように鼻で笑った。
「つまり、わざと負けてやってたんだ。知らなかった?」
なるほど、とシロウは口を閉ざした。
要するに軍主殿への接待チンチロリンというわけだ。逆イカサマでもしない限り、確実に負けに行くにはしょんべん以外の道はない。彼はそうせざるを得なかったのだ。接待の結果――ひいては自らの処遇を賽の目に賭けてしまうなんていうのは、ギャンブル狂というよりもただの阿呆だろう。
「あれを真剣勝負だと思っていたのなんて、君とギオンくらいじゃないか? さては頭の中お花畑だろ」
魔法使いのよく動く口は、ペラペラと大統領子息をこき下ろし続ける。
「ねぇ、君とギオンとで、しょんべん選手権開催してみなよ。どっちが先にサイコロみっつをどんぶりに入れられるだろうね?」
「待て待て待て、そんなに言うならルック、お前はどうなんだよ」
散々馬鹿にされて、しょんべん小僧はついに反撃に出始めたようだった。大浴場に飾り付けられた呪い人形のように、目をギラリと怪しく光らせている。
勝算があるのだろう。
確かに、この口の悪い魔法使いはチンチロリン初心者と思われる。加えて、彼が壊滅的運動音痴なのは、幾多の戦闘を見てきた限り疑いの余地もない。どれくらい運動音痴なのかというと、それはもう運動神経がズタズタに寸断されていると言っても過言ではないほどだ。とうてい賽をうまく振るとは思えない。
これは存外いい勝負になるかもしれなかった。賭け事というのは、勝敗がわからないからこそ燃え上がる。それがたとえ、『賽の振り方下手くそ選手権』であったとしてもだ。
シロウは大統領のせがれの足元からサイコロをひとつ回収した。
「どうする? やるかい?」
どんぶりの中のサイコロふたつも合わせて、魔法使いへと差し出す。
しょんべん小僧ごときに下に見られたことが、よほど癇に障ったのだろう。彼はいつにも増して眉間のシワを深くした不機嫌顔で、サイコロをバッと受け取った。
「いいよ。やってやるよ」
魔法使いはみっつのサイコロを指の間に挟み込むと、スチャ……と構えの姿勢をとる。
彼はどうも負けず嫌いのようだ。
そうこなくては。
俄然面白くなってきて、シロウはニッと笑った。
「手持ちがないから、賭け金はシーナ持ちね」
「まぁ、少しならな」
財布の中身をチラリと確認しながら、大統領のせがれは頷く。
ケチケチするようなところではないだろう。何と言っても大統領子息なのだ。遊ぶときは派手に豪遊すべし。
「いくら賭ける?」
「三千ポッチ!」
肝っ玉の小さいしょんべん小僧が「えっ?」と声を上げるのとほぼ同時に、シロウは「おれの番だ」と賽を振った。
いかなる理由があろうとも、勝負は待ったなしなのだ。
「おいおいおいおい、またピンゾロかよ!」
「ヒィィィ……」
一の目がみっつ揃ったどんぶりを見て、シロウとシーナは揃って声を上げた。
シロウは膝を叩いて大笑いしながら。一方のシーナは、涙目で頭を抱えて顔を青くしながらだ。
「どう? 一度もしょんべんにはならなかっただろ」
「何ドヤってんだ、大負けだろうが!」
「もう一回やってみせようか? あらしの予感しかしないけど」
「いや、ここまで来れば逆にすげぇよ」
五回挑戦。うち四回が一のゾロ目、残り一回が一・二・三。
地方によっては『一・一・一のピンゾロを最強の役とする』なんていうルールもあるようだが、ここら一帯ではあらしの三倍払いというのが通例となっている。
つまり、結果は記録的大敗である。
しかし少なくとも、サイコロは毎回どんぶりの中に収まってはいた。賽の振り方のみなら、風魔法使い――改め、嵐魔法使いの方がしょんべん小僧よりも一枚上手だと証明されたわけだ。
「出た目の悪さは問わないでよね。僕の運のなさは筋金入りなんだからさ」
魔法使いはしょんべん小僧の方へ手のひらを差し出した。ここらで仲直りしましょ、のポーズなどではない。とっとと財布寄越せのポーズだ。
大統領のせがれは目尻にうっすら涙を浮かべつつ、財布から抜き取られる紙幣を見送った。
「お兄さん、ルックに負け方習っときなよ。マキノに負けてやるときに、きっと役に立つぜ」
「あ? その必要は――」
儲けを受け取りながら、シロウが首を傾げたその時。
「シロウさーん! 遊びましょー!」
底抜けに明るくて陽気で、しかしシロウが憂鬱にならざるを得ない声が、賭博場に響く。
嫌な汗が頬を伝った。
「まぁた来やがったか!」
賭博場の入口にはデュナン城の主、マキノの姿があった。
大統領のせがれも魔法使いもまだまだガキだが、マキノはもっと幼い雰囲気の残るガキンチョだ。にも関わらず。
「僕の目は六! 僕の勝ちだね」「あらしで三倍もらいだよ」「四・五・六で二倍もらいだね」
彼はいつでも天真爛漫な笑みを浮かべたまま、エグイくらいにむしり取っていきやがるのだ。一瞬で身ぐるみ剥がされるんじゃないかとヒヤヒヤするほど、文字通り『あっ』という間に。
そうして、ほんの短時間で大儲けをしては、爽やかに賭博場を去っていく。
シロウにとっては災厄に等しい存在だった。
ひと稼ぎした軍主の背中を見送った後。
魔法使いは「うまいもんだね」と感心したような声を上げた。
「マジでな。おかげでこっちはスッカラカンだ」
シロウがげんなりと同意すると、「そうじゃなくて」と彼は言い直した。
「アンタのことだよ。どうやってそんなにうまく負けてやってるの。悪い目を出してるわけでもないのに」
「ハァ?」と首を捻る。捻りすぎてゴキッといい音がしそうだが、それでも捻り足りない。
「負けてやってなんかねぇよ。ガチンコ勝負だ」
「は? マジかよ。強運の持ち主ってやつ?」
目を真ん丸にしたしょんべん小僧に頷いてやってから、シロウはハァァァと長く息を吐いた。
肺の中が空っぽになる。
解放軍の軍師がどんなやつなのかは知らないが、少なくともうちの軍師は商売事への理解が深い。というよりも、シロウ程度では太刀打ちできない程に知識も経験も備えた、根っからの商人だ。チンチロリンという商売に横槍を出してくるようなケチくさい人間ではない。
そういうわけで、マキノとの勝負に一切の忖度は不要なのだ。
だというのに。何故か勝てない。当然手加減はしていない。マキノがイカサマをしている様子もない。けれども、彼がやってくるとシロウの懐の中はすっかり空っぽになる。
「運だけじゃなくて、投げ方も悪くなかったよ。誰かさんと違って」
「うっせーな。マキノの半分も運を持ち合わせてないくせに。その辺で犬のう●こ踏んでこいよ」
「汚いこと言うな、しょんべん小僧。サウスウィンドゥで売り捌いてやろうか」
凸凹コンビは何やら騒々しく目くそ鼻くそな言い合いを続けているが。
今日はもう店じまいだ。なんせ、出せる金が尽きてしまった。
彼らを見送りつつ、シロウは「お前ら、また遊びに来いよな。今日は楽しかったぜ」と人の良さそうな(と自負している)笑顔を無理やりに作って見せた。
賭博場から帰る客(マキノ以外)には必ずこうやって声をかけるようにしている。賭け事に興じた今日という日を忘れず、あわよくばまた遊びに来てもらうための挨拶のようなものだ。チンチロリンで商売をしていく上での、シロウなりの流儀だった。
今日彼らと遊んで、シロウが楽しめたのも嘘ではない。
そうだ、彼らには是非ともまた遊びに来てもらいたい。
軍主にたびたび身ぐるみ剥がされてもシロウがこの商売を続けていられるのは、何と言っても彼らのような客――いいカモがいてくれるからこそなのだ。
凸凹コンビとのチンチロリンに興じる巻き上げ放題の一時は、シロウにとって心の奥底から楽しい時間だった。