ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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リリィとピアノの王子さま
「あのね、リリィ、ピアノが弾けるのよ。助けてもらったお礼に、リリィが演奏してあげる!」
少女は客間を訪ねて来るなり、ご機嫌な口調で自信満々に言い放った。
柔らかそうな栗色の髪はふたつに束ね上げられ、彼女が視線を動かすたびに楽しげに揺れる。
期待に満ちて光り輝く視線を受けながら、マキノをはじめ、同盟軍の面々はどう答えるべきか逡巡した。小さな令嬢の申し出を無下にするわけにもいかないが、このあとすぐにティント市長――少女の父親との会談が控えている。
「えっと。あのね、リリィちゃん……」
わずかな沈黙を打ち破ってナナミが何かを言おうとしたが、上手な対応の仕方が思い浮かばなかったのだろう。彼女はすぐに口籠ってしまう。
代わりに、ギオンがその場を動いた。
「それなら、代表として、僕が演奏会の招待を受けても? 生憎、マキノたちはリリィ嬢のお父上と約束があってね」
彼は恭しく膝を付くと、まっすぐにリリィと視線を合わせる。
「ふふ、あなたステキね! 身だしなみを整えれば、本物の貴公子みたいだわ!」
「フッ……」
ルックは思わず吹き出しかけた。少女と微笑み合っていたはずのギオンの視線がチクリと突き刺さる。ホントのことじゃないか、と胸中でぼやきながら、ルックはサッと表情を引き締めた。
なんにしても、ギオンの返答はリリィ・ペンドラゴン嬢のお気に召したらしい。これで後腐れなく市長との会談に臨めるというものだ。とは言っても、ルック自身は特にすることもなく、単にマキノの護衛のひとりとして付き添うだけなのだが。
――などと考えている間に、「ルックも借りていくね」「はい、どうぞ」とダブルリーダーたちが勝手に話を進めていた。どうやらルックは、ギオンとともにリリィの演奏会に参加する流れになっているらしい。
「なんで僕――」
ルックが皆まで言うよりも早く、少女がこちらへ笑いかけてきた。
「あなたもどうぞ。かっこよくて、見た目だけは本物の王子さまみたい!」
「プフッ」
ギオンとマキノとナナミが吹き出す。
いったいどこに笑うポイントがあったというのだ。ルックはありったけの呪詛を込めて、彼らを睨みつけてやったのだった。
ルックとギオンは、リリィに招かれるままにピアノのある部屋を訪れていた。
ピアノの椅子は、子どもが座っても鍵盤に届く高さになっている。リリィのためのピアノなのだろう。もっとも、あの市長がピアノを弾く姿なんて、微塵も想像がつかないが。
リリィは椅子に腰掛けて楽譜を開くと、慣れた手付きでクリップで留めた。楽譜はレッスンで使われている教本なのかもしれない。ところどころ、大人の筆跡で朱書きがなされている。
少女はキラキラと輝く眼差しをこちらへひとつ送ってから、すぐに自慢の腕前を披露してみせた。小さな指が鍵盤の上を軽快に跳ねたり滑ったりしながら、重音を奏でていく。
正直言うと、ルックは楽譜の見方なんてちっともわからないし、それどころか音楽の良し悪しもよくわからない。ただ、リリィの演奏が、一般的な子どもにできるような芸当でないことは、なんとなく推測できた。
そもそもが、庶民はピアノを習ったりなんてしない。ピアノでは腹が膨れないからだ。よほど並外れた技量でもない限りは、食っていくことができない。音楽の教養がある人間の大多数は、そういったことを考える必要のない富裕層だろう。
元帝国貴族の嫡子であるギオンもまた、いくらか教養があるのだろうか。彼は小さな令嬢の演奏にすっかり聴き入っているようだった。
やがて、そう長くない(と思われる)曲を弾き終えると、リリィは立ち上がり、スカートの裾をわずかに持ち上げて、背筋をシャンと伸ばしたまま膝折礼をしてみせた。
ギオンが手を叩いているので、ルックもそれに倣っておくことにする。
「リリィ嬢、僕も小さな頃にほんの少しだけピアノを習ったことがあるんだよ。もうあまり覚えてないけれど……。もし良ければ、教えてもらえるかな」
ピアノの横に立つリリィに近付いて、ギオンは微笑みかけた。
十近く年上の(ように見える)男に丁重に教えを請われて、悪い気はしないだろう。少女はまんざらでもない様子で「いいわよ」と頷いて、髪をユラユラ揺らした。
「この音符が、ここでしょう?」
ギオンが左手で楽譜の図形を指しながら、空いている方の人差し指で鍵盤を押し下げる。ピアノの音がポーン、と響いた。
「そうよ。これは『ド』の音。次のこっちが、この鍵盤……『レ』」
ギオンが叩いた鍵盤のすぐ隣に触れながら、少女はピアノとまったく同じ高さの音を声に出す。
「そうそう、そうだった。なんとなく思い出してきたよ。この楽譜の中に、僕にも弾けそうな曲はある?」
尋ねられて、リリィは「ちょっと待ってね」とページをペラペラとめくっていった。
「これなんてどうかしら。リリィが好きな曲なの」
教本の初めの方のページ。赤いインクで大きな花丸が描かれている。リリィは既に弾きこなせるようになった曲なのだろう。今しがた彼女が演奏してみせた曲よりも、記述された図形が大きくなっていて、明らかに曲中の音の数が少ないのが見て取れる。
リリィが示したページを見て、ギオンは「やってみるよ」と譜面と格闘し始めた。彼はゆっくりと図形を音にしていく。リリィのような滑らかな演奏ではないが、なかなかうまいものだ。
ルックはピアノに近付いて、楽譜を覗き込んだ。五本の長い線の上や間に、黒や白の、旗のついた丸やら点のついた丸やらが羅列してある。どうやら音の高さと長さを示しているようだ。
先ほどふたりが話していた『ド』と『レ』を見つけ出して、ギオンが今弾いている箇所にあたりを付ける。曲は終盤に差し掛かっていた。
「ねぇ、待って」
ふと気付いて、ルックはギオンを制止した。
ふたつの視線が同時にこちらに向けられる。
「今のところ、どうして黒い鍵盤を弾いたの。この音じゃなくて?」
「ああ、それは――」
尋ねるルックに、リリィは得意げな様子で、楽譜内の決まりごとを説明した。
「へぇ。そんなこと、よく知ってるね」
臨時記号とかいう七面倒臭い決まりごとの解説を受けて、率直に感想を述べる。
はにかんで笑う少女に、ギオンは「ルックは生真面目だから、よく学ぶ良い生徒なんじゃないかな」と告げた。
誰が生真面目だ、と抗議しようとしたが、それはリリィによって阻止される。
「ねぇ、あなたも弾いてみて!」
面白いものを見つけたかのような、期待に満ち満ちた瞳で、小さな令嬢がこちらをじっと見上げてきていた。
椅子を明け渡されるがまま、ルックはギオンと交代してピアノの前に腰掛ける。
なんでまた、こんなことになってしまったのだろう。そうは思うものの、この滅多にお目にかかれない楽器に対して、まったく興味がないと言えば嘘になってしまう。
弾けないこともないだろう。楽譜の見方はなんとなくわかるようになった。あとはそれを鍵盤上でなぞりあげて、音で再現するだけだ。
ルックはリリィの教本をパラパラめくって、適当なページで止めた。
「その曲は、リリィもまだ――」
少女が何やら言いかけるが、ルックが鳴らし始めた音が、彼女の声をかき消していく。
譜面の図形を解読しつつ、同時進行で手指を動かして打鍵を繰り返す。
(意外とできるもんだね)
正しく弾けているのか間違えているのかもよくわからないが、ルックには十分に曲らしく聴こえた。
リリィが演奏したものよりも少し長いかもしれない。初めて見る記号が随所に記されている。わかる部分だけを拾いながら、ひたすら終わりに向かって曲を進行させていく。やがてゴールまで辿り着くと、ルックは息をついた。ちょっとしたお遊びだったにもかかわらず、ほんのわずかな達成感を覚える。
視線を動かすと、リリィは目をまん丸にして口をあんぐりと開けてこちらを眺めていた。すぐ隣にいるギオンもまた、似たりよったりな表情をしている。
自分の演奏はそんなにも酷かっただろうかと思いながら、ルックは立ち上がった。
「……まほう?」
思わぬ言葉がリリィの口から発せられる。
それはルックの得意分野だが。
「魔法がどうしたっていうの」
ルックは意味がわからずに聞き返した。
「ルック、今、魔法使った?」
なぜかぼーっとこちらを凝視する少女に代わり、ギオンが話し出す。
「使うわけないだろ。いったい何の話をしているの」
ルックはますます意味がわからなくなって首を傾げた。
「魔術師の塔にピアノがあるの?」
「あるわけないだろ」
それどころかピアノに触ること自体が初めてだ。もしルックがピアノに慣れ親しんでいれば、こんな風に、ものも言えぬほど呆れさせてしまう演奏にはならなかったに違いない。
「おーじさま? ……ピアノの妖精の国の王子さま!」
よくわからないことを口走りながら、リリィは頬を真っ赤に染め上げた。
「王子さまがリリィを助けにきてくれたのね! オルガンジジイをやっつけてくれたんでしょう?」
「オルガンジジイ……」
「ネクロードかな」
ギオンの補足を聞いて、「ああ」と納得する。
それならルックの破魔魔法でタコ殴りにしてやった。ギオンお得意の闇魔法は威力を削がれてしまっていたので、ネクロードは実質ルックが倒したと言っても過言ではない。いや、他のメンバーもいたので、それはさすがに過言か。
「迎えに来てくれたのね……!」
リリィは何やら感極まった様子で、瞳をうるうると潤ませていた。そのうちに、彼女はハッと顔を上げて、「こうしてられないわ!」と部屋から大慌てで飛び出していく。
「お父さーん! 王子さまがお迎えに来たのー! リリィ、結婚するのよー!」
廊下の方で、小さな令嬢の大きな叫び声と、令嬢らしからぬドタドタ駆ける足音とが響いた。
「……なんだって?」
「熱烈なプロポーズだね?」
嵐のように少女が出ていったあと、静かになった部屋でルックとギオンは目を合わせる。
変なことになってしまった。ごくごく初心者のピアノ演奏の、いったい何が彼女をそうさせたのだろうか。全くもって謎だ。しかし、それは今気にすべきことではないとルックは思った。
「ねぇ、これ。もしかしなくても、かなりマズイんじゃないの」
「そう? 彼女がおとなになるまで待ってればいいんじゃないかな」
「そうじゃなくて」
ネクロードと一緒にするなと蹴り飛ばしてやりたい衝動を抑えつつ、ルックはリリィの去った方へ目を向けた。
「あの市長だよ。娘が『結婚』とか言ってデュナン城までついてきたりなんかしたら、ティントの同盟軍参入が破談になるんじゃないか……」
「なるだろうね。それどころか、ノースウィンドゥに侵攻してきそうだ」
ルックの懸念にたたみかけるかのように、ギオンが恐ろしいことを口にした。あの激烈親バカ市長の様子からすると、絶対にあり得ないとも言い切れない。
ルックはゴク、と喉を鳴らして、ギオンへと向き直った。
「僕はひと足先にデュナン城に戻らせてもらうよ。マキノに謝っといて」
「わかった。リリィにも伝えとくよ。王子さまは妖精ピアノ王国に帰ってしまった、って」
リリィが言っていたのはそんな国だったろうかと思いつつも、ルックは転移魔法の構成を展開しはじめる。魔力を注ぎ込んで発動しようかというとき、「あ、ルック」とギオンに呼び止められた。
「なに」
ルックは苛つきながら返事をしてやった。リリィが戻ってきたら厄介なことになるから、本当は一刻も早くここから消え去ってしまいたいのだが。
「カシオスの弟子になるつもりはない? ルックがそうしたいのなら、僕から話をしておくけど」
ギオンはそんなわけのわからないことを口にした。
(僕のピアノが下手すぎるから、カシオスのところで少しでも学んでこいってこと?)
ルックは眉根を寄せた。そして、きっぱりと言い放つ。
「余計なお世話だよ。僕はレックナート様の一番弟子だからね」
「うーん、そうだね……」
ルックは一方的に話を切り上げて、即座に魔法を発動させた。時は一刻を争うのだ。なんせ、都市同盟の存続がかかっているのだから。
光の向こう側。
ギオンがなにやら「もったいないなー」と呟く声が、聞こえたような気がした。