ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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ロッテの猫を探す話
「ミナー……、ミナ、どこにいるの……」
聞き覚えのある声だった。
紋章の申し子として、かつて肩を並べて魔法兵団を率いた少女の声だ。
彼女の猫――ミナは、すぐにフラリとどこかに行ってしまう。そして彼女はいつでも猫を探しているのだ。
そもそも猫とはそういったものだろう。忠実に人のそばに寄り添う犬とは違うし、ましてや外套を纏って二足歩行をしてあたかも人であるかのように振る舞うムササビとも違う。
少女が猫を探しているのはいつものこと。
それなのに、ルックは声の主を探さずにはいられなかった。いつもは明るい彼女の声が、今日はやけに悲痛なものに聞こえたから。
噴水のある路地を曲がった先に、赤毛の少女の、小柄な後ろ姿があった。
「ロッテ」
ルックが声をかけると、少女――ロッテが振り返る。
「ルッ、ルックくん……!」
ロッテは肩で息をしながら、声を絞り出した。瞳からは次々と大粒の涙がこぼれ落ち、ひと目で尋常でない様子が伺える。
「いったいどうしたの……」
「お願い、ミナを探して! ミナが、ミナが死んじゃう!」
言うなり、少女は堰を切ったようにわんわん泣き出してしまった。まるで子どもみたいな大声を上げて。
何となく、普段と異なることには気付いていた――だからこそ、気になって様子を見に来たのだが。まさかこんな状況になるとは想定していなかった。
取り乱して泣きじゃくるロッテを、どうにかして落ち着かせなければならない。そんな義務感に駆られながらも、何の手立てもなく、ルックが途方に暮れていると。
「おー? ルックが女の子を口説いてるぞ」
頭の軽そうな男の、頭の軽そうな言葉がルックの耳に届いた。
状況にそぐわない発言が癇に障って、ルックは声の主を思いっきり睨みつけてやった。
「パパとのディナーは終わったの、シーナ?」
「とっくに終わって、マキノも宿に送ってきたよ。これからナンパに――って、あれ? どこのお嬢サンかと思ったら、ロッテちゃんじゃん。ルック、何泣かせてんだよ」
「うるさいな。暇なら手伝えよ。ミナがいなくなったんだって」
最低限わかる情報だけを口にしたが、本当にそれで合っているのだろうか。死んじゃう、とか言っていたような気がするが。
ルックはチラリとロッテの様子を伺ったが、彼女はいまだ喋ることもできないほどに慟哭していて、確かな状況は何もわからないままだ。
「ミナちゃん……? えーっと、どこの女の子だったっけか」
眉間にシワを寄せて真剣に考え込む呑気なシーナに、「猫だよ、猫!」と怒声を浴びせる。
シーナは少し考えてから、「あぁー……?」とわかったようなわかってないような曖昧な返事をした。
「ロッテちゃんが困ってるんなら、俺も協力するよ。そうだな、猫を探すんなら、人手があった方がいいか」
「人手って言っても、今回、僕と君しかいないだろ。まさかマキノに手伝わせるわけにもいかないし」
マキノは同盟軍の軍主だ。話を聞いたら自主的に手伝いを買って出てくれそうではあるが、とんでもない。マキノを出歩かせるためには、更に彼の護衛のための人手が必要となる。
「ルックは真面目だねぇ。シュウにバレなきゃいい話だろ」
「それで何かがあったら、僕らの首が飛ぶよ。
冷ややかに告げると、シーナはみるみるうちに顔を青くして口をつぐんだ。
なんにしても、まずはロッテを泣き止ませて詳しい話を聞くべきだ。いまだむせび泣くロッテの背中を、ルックはトントンと叩きはじめた。当然、そんなことで彼女をなだめることなどできるはずもなく。長期戦を覚悟しながら、諦めにも似た境地で天を仰いだところで――
「あ」
ルックの視界に入ったのは、この街中で三本の指に入るほどの大豪邸だった。
シーナもまた気付いたらしく、館を見上げて「ああ」と声を上げる。
グレッグミンスターのシンボルとも言える噴水のある大通り。通り沿いには、かつての英雄の生家があった。
「ギオンくーん、あーそびーましょー」
既に日も暮れた宵の頃だというのに、シーナはまるで真っ昼間のように声を張り上げて、英雄を気安く呼び立てる。
英雄と呼ばれるその男は、数年ぶりにトランに帰郷したばかりだ。英雄遣いが荒いことは百も承知だが、このグレッグミンスターにおいて、今ルックたちが最も気兼ねなく頼れる相手は、件の英雄を置いて他になかった。
なにより、彼にはミナ探しの実績がある。飼い主の滞在先から遠く離れた町を放浪していた猫を、見つけ出して無事保護したことがあるのだ。
屋敷の重厚な扉がゆっくりと開かれる。扉の向こう側にいたのは、ルックの想像通り、英雄の従者だった。
「おや? シーナくんじゃないですか。どうしたんです、こんな時間に……」
「どーもー。ギオンくんいますー?」
「坊ちゃーん、シーナくんが遊びに来てくれましたよー」
シーナの言葉を聞くやいなや、物腰の柔らかな従者は、すぐに屋敷の奥に向かって声を張り上げた。
「えー? またナンパの付き添いかな……。間に合ってます、って言っといてー」
「坊ちゃんは、間に合ってるそうですよ」
室内――おそらく二階で発せられた声を、従者は悪びれる様子もなく反復した。
「アイツ……」とこぼすシーナを横目に、ルックは嘆息した。
仕方なしに、シーナに代わって声を張り上げてやる。張り上げると言えるほど大声ではないかもしれないが、屋敷の二階くらいなら届くはずだ。
「ギオンくーん、あーそびーましょー」
ほどなくして、慌ただしく階段を下りる足音。従者の後ろから、トランの英雄こと、ギオンがひょっこりと顔を覗かせた。
「え? ルック? どうしたの、何?」
ルックの声が聞こえたことと、ルックの発した言葉とが、余程意外だったのだろう。それはそうだ。この街に実家のあるシーナと違って、ルックはグレッグミンスターを訪れること自体が稀だ。
そしてルックの隣には、泣きじゃくるロッテの姿がある。
ギオンは目に見てわかるほどに、特大の疑問符を頭上に浮かべ、こちらを凝視していた。
シーナが「俺との扱いの違い……」とぼやくのが聞こえた。彼はそもそも日頃の行いが悪すぎるのだ。現に、そこの曲がり角でルックたちに出会っていなければ、本当にナンパに繰り出していたところだったし。
ともあれ、これで協力者をひとり――いや、彼に付き添う従者まで頭数に入れるのなら、ふたり確保できたことになる。
依然としてロッテから詳細を聞き出せていないままだが、ルックは「ねぇ、ロッテの猫、ミナを探してくれない?」と、用件を端的に告げた。
応接間に通された後、ギオンの従者――グレミオが、温かいミルクティーを振る舞ってくれた。更にルックとシーナとギオンの三人がかりで、どうにかこうにかなだめたりすかしたりして、ロッテはようやく話せる程度にまで落ち着きを取り戻していた。
ミナは少し前から、どこかへフラリと姿をくらますことが増えていたらしい。
それは別に今に始まったことではないだろう、とルックは思った。おそらくギオンも同じことを考えていたはずだ。しかしふたりともそれは口にせずに、ロッテの話を先に促した。
ミナは昨晩はちゃんと家に帰ってきたらしい。
餌に手を付けないミナを不思議に思いつつも、外で可愛がってくれている誰かが、何かを食べさせてくれたに違いないと、彼女は楽観的に考えた。そして、ミナが籠の寝床を前足で整えて丸まるのを見届けてから、ロッテは部屋の灯りを落とし、眠りについた。
「夢の中でミナの鳴き声を聞いた気がするの」
呼ばれたような気がしてロッテが目を覚ますと、ミナは自力で窓を開けて、隙間から外に出てしまっていたらしい。
「それで、ミナの籠を覗いたら、血、……血が、付いて……て……」
そこまで話して、ロッテの瞳から再び涙が溢れ始めた。
彼女は明け方にミナがいなくなったことに気付き、この時間までずっと、あちこちを探し回っていたのだそうだ。グレッグミンスターの街中はもちろん、ロックランドの方まで足を伸ばしたとか。
それでも何の手がかりも掴めず、このままでは当てもなく世界中を彷徨う羽目になると思い、一旦戻ってきたところだったらしい。
行方の知れない猫を当てずっぽうで見つけ出すというのは、よほどの偶然でもない限り――もしくは猫の方が自ら戻ってこない限りは、ほとんど不可能なことのように思えた。
実際、ギオンがカクの町でミナを保護できたのも、偶然の重なった結果に過ぎない。ミナがたまたまカクの町をウロウロしていて、ギオンがたまたまカクの町の船着き場を頻繁に利用していたというだけだ。
前と違うのは、ミナが外傷を負っている、あるいは何らかの病に冒されているだろうと思われることくらいか。
「ちなみに君のその紋章。死期の近い動物の魂なんかもわかったりするものなの?」
ロッテには聞こえないよう、ルックは声をひそめてギオンに耳打ちした。
「遠くなければ、おそらく。試してみようか」
「あ、ここではやめてよ」
小さく頷くギオンに、ルックは慌てて釘を刺す。
ロッテはれっきとした魔術師だ。それも、真の紋章をもつルックにほとんど引けを取らないほどの、偉大な魔女である。近くで魔法を使おうとすれば、それがどんな構成のものかすぐに悟られてしまうだろう。
死期の近い猫は姿をくらませるとはいうものの、目の前で、
「わかってるよ」
小声で言って、ギオンは立ち上がった。
「坊ちゃん、どこへ?」
「ベランダ。猫って高い場所好きでしょ。何か見えるかも」
「それならグレミオもお手伝いを――」
「いや、グレミオはミルクティーのおかわりを。ロッテにはとびきり甘いやつを出してあげて。ルックとシーナは、もう少しロッテから話を聞いててくれる? 何かヒントが見つかるかもしれない」
付き従おうとする従者を制し、彼はうまいことひとりで応接間を抜け出していった。
その後、ルックとシーナがロッテから聞き出した話は、どれも大した情報とは言えそうになかった。
少し前からミナの餌の減りが早くなった気がするだの、ミナがどのくらい重たくなっただの、お腹がだらしなくなっただの。病であれば痩せそうなものなので、ミナの出血は病ではなく、外傷によるものなのかもしれない。しかし何が原因であろうと、それはミナの行方を特定するヒントとはなり得ないだろう。
ギオンが紋章の力を使ってみたとしても、もしもミナが既にどこか遠くに行ってしまっていたら。もしも既にその命が尽き果ててしまっていたら。
(完全に手詰まりだ)
猫を見つけることができなければ、彼女はあの家にひとりきりで暮らすことになるのだろうか。
三年前、猫との穏やかな暮らしを夢見て小さな家を買った少女の結末として、これはあんまりではないだろうか。
いつも調子のいいシーナまでもが沈痛な面持ちを浮かべていた。無性に何かを呪いたい心持ちになって、ルックがため息を吐き出そうとすると――
「ルック、逆だ!」
重苦しい空気が唐突に動いた。扉を勢いよく開けて、ギオンが応接間に戻ってきたのだった。
彼は頬を上気させていて、興奮している様が見て取れる。
「逆?」
言葉の意味がわからずに誰もが首を傾げる中、ギオンは足早にロッテのそばに駆け寄った。そして、彼女の方へスッと手を差し伸べる。
「行こう、ロッテ」
「どこへ……?」
困惑しながらおずおずとギオンの手を取るロッテに、彼は満面の笑みを浮かべた。
「ミナのところだよ。見つけたかもしれない!」
ギオンに連れられて街の北端に向かうと、色とりどりの花の咲き乱れる庭園が姿を現した。敷地の奥には、大きな――もはや宮殿と呼んだ方がいいのではないかという規模の、豪奢な屋敷がそびえ立っている。
ルックはグレッグミンスターの地理には明るくないが、屋敷の主人が誰であるのかは、容易に推し量れた。灯りが灯っておらず、門は閉ざされている。主人は不在のようだが……。
ガシャガシャと金属音がして、ルックはそちらへ目を向けた。ギオンが門扉に足を掛け、敷地内に入り込もうとしている。
「ちょっと! 不法侵入……!」
「って言っても、ミルイヒはずっと留守だし。……子どもの頃にも、よくこうやって忍び込んでたし……」
言いながら、ギオンは門の向こう側へと飛び降りた。
ルックは、グレミオがマクドール邸で留守番をしてくれていることに感謝した。もしも彼がこの場にいたら、まず間違いなく卒倒していたことだろう。
「見かけの割に、意外とチョロいんだな」
ギオンに続いて、シーナも敷地内へ踏み込む。
「シーナの家のセキュリティが異常なんだよ」などとのたまう英雄の声を聞きながら、ルックは半ばやけくそで魔法を発動させた。光がルックとロッテを包み込むと、次の瞬間にはふたり揃って庭園の中に立っていた。
「ギオンさん、本当にこんなところにミナがいるの? どうしてここだって思うの?」
ギオンは「行けばわかるよ」と、庭園の奥へ急いだ。
「確かにこの中は探せてないけど……」と続けながら、ロッテは半信半疑な様子でギオンを追っていく。
ミナがここにいることを紋章の力で知ったのだとすれば、それはミナの魂が弱って尽きかけているからに違いない。ミナを見つけ出したところで、ロッテは間もなく愛猫を失うのだろう。
複雑な思いのまま、ルックもまた彼らに続いた。
やがて、庭園の一番奥に辿り着き、屋敷の裏側に続く細道に差し掛かった。灯りのない屋敷の裏は、真っ暗で何も見えそうにない。
ルックは魔力を込めた光の玉を宙に放った。
照らされた先。細道の中程に、茶と黒の、何かふわふわした塊が見える。
「ミナ!」
ロッテが叫び声を上げた。
間違いない。あれは三毛猫の背中だ。
ルックがそう思ったときには、ロッテは既に屋敷の裏へと駆け出していた。
「わーん、やっと見つけた! 探したんだからね、ミナ!」
ミナが甘えたような鳴き声をひとつ上げる。しかし、座り込んだ体勢のままで、一向にその場所を動こうとしない。
愛猫のすぐ近くまで全力疾走したロッテが、はたと立ち止まった。
「……どういうこと?」
ロッテは何かを見たのだ。そして、足を止めた。
彼女がこちらを振り向く。魔法の光に照らされた彼女は、再び涙をボロボロとこぼしていた。
「ロッテちゃん?」
「ギオンさん……もしかして、これで、気付いたの……?」
声をかけてくるシーナには目もくれずに、ロッテはまっすぐギオンを見据えて問いかける。
ギオンが少し困ったような笑みで頷いた。
「そんな……、ミナが、ミナが……」
離れた場所からでも、ロッテの足が震えているのがわかる。
「ミナが……っ、お母さんになっちゃってたなんて……!」
叫ぶなり、ロッテはわんわんと泣き出した。
「お母さん……? ……は?」
思いもよらぬ突飛な単語をオウム返しにして、ルックは首を傾げた。
(なんの話をしてるの? お母さんになった? ロッテの猫が?)
言われてみれば、確かに三毛猫の背中に隠された向こう側で、何か小さな物がモソモソと動いているようにも見える。
ルックは答えを求めてギオンに目を向けた。
彼はルックと目が合うと、「どう言ったらいいんだろう」と、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「ええと、つまり『死』とは逆なんだ。この紋章が、子猫たちの受けた『生』に――新しい魂に反応してくれたおかげで、ミナを見つけられたんだ」
「ミナって、メスだったのか」
シーナが「へぇー」と何かに感心するかのように、そんなどうでもいいことを口にする。
「そりゃあ、三毛猫だからね」
言いながら、ルックはほっと胸を撫で下ろしたいような、がっくりと膝から崩れ落ちたいような、妙な気分になった。
おそらく昨晩産気づいたミナは、人気のない場所を求めてここに来て子猫を出産したのだろう。つまり、死にかけている猫なんて、最初から存在しなかった。
何とも言い難い複雑な心地だが、しかしこれだけは言いきれそうだ。
これからもロッテは、猫のミナといっしょに、小さな家で暮らしていくのだろう。
ロッテが「もう〜! 言ってよ、ミナ!」と猫に話しかけている。
言えるわけがない。ミナは猫なのだから。