幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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ルックが掃除するとシュウの雷が落ちるスイッチ
ペンを片手に、マキノはノートを凝視しながら眉間にシワを寄せ、唸っていた。
城を吹き抜けていく風が少しずつ冷たくなってきたように感じる。そういえば昨日、いい加減袖のある服を着るようにと、シュウに小言を言われていたことを思い出した。
それなのに今日もマキノが長袖を着ていないのは、支度を“手伝って”くれる“お姉ちゃん”が「子どもは風の子!」とか言って、いつもの服を寄越してくるからに他ならなかった。ちなみに“お姉ちゃん”ことナナミもまた、いつでも元気いっぱいの半袖姿である。
(ま、いいや。この数式を解いて提出しさえすれば、今日はシュウの機嫌をとれるだろうし)
マキノはキッと表情を引き締めて、長ったらしい数字の羅列を睨みつけた。
ピュウと強い風が吹き抜ける。階下で、ビッキーがくしゃみをするのが聞こえた。(魔法で何かが飛んで行ったらしく、少し離れた場所でワッと誰かの悲鳴が上がった。)
近頃覚えたばかりの公式を記憶の海から引きずり出すべく首を捻っていると、いつの間にか近くに来ていたアップルが、マキノのノートをひょいと覗き込んでいた。
「今日の課題は物理? 随分と難しいことをやってるのね」
「グリンヒルに行くときに、これでもかと叩き込まれたからね」
これまで学問に触れる機会などなかったマキノだが、仮にも都市同盟領最高峰のニューリーフ学院に潜入する以上、無学というわけにはいかなかったのだ。マキノが学院生活をイージーモードで切り抜け、任務に専念することができたのも、ひとえにシュウの教鞭の賜物だと言えよう。
マキノへの教育は、グリンヒルへの潜入を終えた今もなお継続されていた。勉強嫌いの“お姉ちゃん”は、既にリタイアしてしまっているが。
正直な話、こんな座標の計算が一体何になるのだろうかと思わなくもない。やるかやられるかの戦闘中に、攻撃の軌道やら標的の座標やらを悠長に計算している暇などないからだ。今のマキノであれば、公式を思い出す前に斬り捨てられてゲームオーバーだろう。
とは言え、知らなかった知識を増やすことは、マキノにとって今や楽しみのひとつとなっており――
「シュウ兄さん、人に教えるの大好きだものね」
アップルの言う通り、シュウもまた、マキノの教師役を楽しんでいるようなのだ。まさにウィンウィンの関係、というやつだ。
アップルと喋りながら、マキノは問題を解き進めていった。
「あら? これ、間違えてないかしら? 少し考えさせてね、私もこういうのはあまり得意じゃなくて……」
「え、どれ……」
「何でも良いけど、なんでいちいちここに集まるの」
嫌そうな声が聞こえて、マキノはノートから顔を上げた。
「自分の部屋でやりなよ。掃除の邪魔なんだよね」
ハタキで石板の埃を払いながら、ルックがやはり嫌そうにこちらを睨んでいる。正真正銘の“風の子”ルックは、しっかりと厚手のローブをまとっていて、寒さ対策もバッチリだ。
「ああ、ほんとに間違えてる」
彼はチラッとこちらのノートを一瞥すると、クスリと嫌味に笑った。
「ええ、嘘、どこ?」
ルックが言うからには間違いないだろう。いつもいつも石板の前に突っ立って本を読んでばかりいるだけあって、彼の知識は相当なものだ。現に、学院に潜入する前に地獄の勉強合宿をやったときにも、ルックは速攻でシュウの試験をパスしてみせた。
「単に数字の羅列を解くのが目的じゃないだろ。実生活に役立てないと」
ルックの手には、『ル』と書かれたルック専用のお掃除バケツが握られていた。
「要は円柱を座標移動して、一番広い表面積を接着面として終着点にもっていきたいわけだ」
ルックはのそのそと歩いてある地点まで行くと、お掃除バケツを床に置いた。雑巾を折りたたんで厚みを出し、バケツの下に噛ませる。
「ここが始点。君の解答だと、円柱の角度がこうなっちゃてる」
言ってから、再びバケツを持ち上げて、ルックはくるりとひっくり返した。
「じゃなくて、こう。円柱の一番広い面はここなんだから、座標移動したあと、垂直に移動するのなら、最初からこうしておかないと」
「傾いてると駄目ってこと?」
「実際、敵の上に落としたいのなら角の方が殺傷能力は高いだろうけどね。この問題上では面をぶつけたいんだから仕方ないよ。嘘だと思うならやってみなよ」
言われた通りに、ひっくり返ったバケツをそのまま床に置く。
マキノの様子を見ながら、ルックがニヤリとした。
「わ……、わっ! なんか悪い顔してる!」
「これは悪いことを企んでるに違いないわ!」
マキノとアップルが騒ぐのを横目に、ルックは人差し指をペロリと舐めた。そのまま指を一本、宙に立てる。
「あっちが風上だね」
「風?」
続いて、ルックは城の入り口の方へと目を向けた。
「そろそろ正午かな」
「日差しの向きで時間を見たの!?」
「あら、もうそんな時間? 兄さんに昼食の差し入れしなきゃ!」
アップルが踵を返す。
「最後まで見なくていいの?」
「どうなったのか、あとで教えてちょうだい!」
マキノに言い残して、アップルはバタバタと石板の間――改め、ルック先生の物理教室を後にした。
「いいよ。この時間ならシュウは部屋にいるから、ちゃんと成功したところを見られるよ」
ルックがポツリと呟く。
「え?」
聞き返しても、彼は何も答えないままで、石板の近くに歩いていった。そして、床に置き去りにしていたハタキを手に取ると、今度はマキノの横を通り過ぎて、石板の間の一番端へ向かう。
マキノもルックに続いた。階下から見上げるビッキーと目が合う。彼女は朗らかに笑ってひらひらと手を振ってきたので、それに応えていると――
「知ってる? ビッキーの偶発的なテレポートにも、実は法則性があるんだよね。クシャミの強さによって対象物の飛距離が変わるんだ」
ルックもまた、ビッキーに手を振り返しながら言った。
「さぁ、やってみようか」
ルックの握るハタキの先が、キラーンと光った――ような気がした。
ルックがハタキで吹き抜けの手すりの埃を払う。
埃は風に乗りながら、階下へとハラハラ舞い落ちていく。
「あっ、ちょっと!」
それがビッキーの方へと流れていくものだから、マキノは思わず声を上げた。ルックが面白がるようにほくそ笑んだ。とんでもなく悪い顔だ。
案の定、塵はビッキーの鼻先をくすぐり、お約束どおり――
「ハックシュン!!」
特大のクシャミが噴出された。
アップルはパタパタと足早に、シュウの部屋へと向かっていた。
同盟軍が大きくなるにつれ、シュウの机に築かれる稟議書の山は高くなっていく一方だった。そんな忙しい兄を気遣って、事前に本格天ぷらを注文しておいたのだ。食堂で料理を受け取り、シュウの部屋へ運んでいく。
そういえばマキノに勉強を教えるため、ルックが物理講座を開いていたが、そろそろ終わる頃だろうか。課題が終われば、マキノが提出にやってくるはずだった。その前に、兄に昼食を摂らせてあげた方が良いだろう。
我ながら本当によくできた妹である。
部屋の前に着き、ドアをノックする。
「兄さん、昼食をお持ちしま――」
同時だった。
アップルが扉を開けたちょうどその時、何の前触れもなく、シュウの頭上にひっくり返ったバケツが出現した。
バケツはそのまま綺麗にまっすぐ落下してゆき、鈍い音を響かせながら、彼の頭にすっぽりとかぶさる。
アップルの視界に飛び込んできたのは、逆さまになった『ル』の文字だった。
「に、兄さ……」
ワナワナと震えながら、シュウがバケツを頭から取り去る。
バケツの下から現れた兄の顔は憤怒の形相で、頭頂にはたんこぶが。
「わぁー、バケツの跡自慢できちゃうー……」
アップルは血の気が引くのを感じながら、そう呟く事しかできなかった。
かくして、ルックらの物理講座での実験は、見事成功を収めたのだった。
その後、課題を提出しにきたマキノの上に、シュウの雷が落ちたことは言うまでもない。