幻水2
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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乙女は薔薇色の夢をみる
何がそんなに良いのかって。
まず第一に顔が良い。
お人形みたいに綺麗な顔の人というのは、一定数存在するだろう。実際、紋章学のジーン先生だったり、いつも石板の前に突っ立ってる無愛想な男子だったりとか、ニナがパッと思いつくだけでも数人はいる。
ただ、何と言うか、あの人は綺麗なだけとは違うのだ。美形であることには違いないが、決して造り物みたいに無機質ではない。言葉は悪いかもしれないが、どことなく人間臭さを感じるというのだろうか。クールなように見えて、表情の変化は意外と大きく――、いや、表情だけではない。美しく鍛え上げられた胸に秘められた熱い感情も、しばしばその姿を現してくる。あの人は決してクールな方ではないだろう。感情に任せて突発的な行動を起こすこともあるようだ。それでもうまく立ち回ることができているというのは、彼の強さがあればこそ。だからといって、器用なわけでもないようで、うまくいかずに不機嫌な顔を見せることもままある。そういった姿はいつもの格好良さとのギャップが可愛らしく、そう、
「すごく愛おしいって思うの!」
ニナが鼻息荒く一息に語り上げると、熊みたいな見た目の男が「いいぞいいぞー!」と手を叩いて笑った。
「……飲むと良い」
熊通り越して壁みたいな、更に大柄で物静かな男が、酒場のママに注文してジュースを奢ってくれる。
少々語りすぎたようだ。喉がカラカラになっていたニナは、「いただきまーす」と微笑んでから、フルーツジュースで喉を潤した。
「こんなに想われて、アイツも幸せもんだなぁ」
「ビクトールさん、話わかるぅー!」
一気にグラスを空けて、プハーと息を吐きながらニナは何度も頷いた。
「……ときに」
壁男がボソリと呟いた。
「……フリックがいないときにここに来るのは珍しいと思うが……?」
大きな声でもよく通る声でもないが、低音のその声は、酒場の喧騒の中にあってもニナの耳までよく届く。壁男はジョッキの中の酒から目を離して、チラリとこちらに目線を向けてきた。
「ああー……。さすがハンフリーさん。気付いちゃった?」
上目に壁男を見やる。
酒を飲んでいるところに何食わぬ顔で突入すれば、特に気にされることもないだろうと思ったのだが。冷静な壁男には通用しなかったようだ。いつもいつもあの人の後を追いかけ過ぎたのが仇となったのかもしれない。
「んん〜? 何かあったか?」
つい先程まで馬鹿笑いしていた熊男も、声のトーンを壁男に合わせて、神妙な顔でこちらを見てきた。
ニナの話を真剣に聞く体制に入った大男二人の姿に、思わず眼尻が滲んだ。
優しい。ふたりとも優しすぎる。やはりあの人の友達なだけはある、とニナは思った。残念なことにどちらもあの人の足元にも及ばないけれども。
あの人のいない間に、彼らに聞かなければならないことがあった。
引導を渡されるのが恐ろしくて、二の足を踏んでいたことだ。けれども、決して避けて通ることはできないだろう。
すなわち――
「フリックさんの恋人のこと、教えて下さい!」
ニナは大男たちに向けて勢いよく頭を下げた。テーブルに額がぶつかって、ゴン! と派手な音が酒場に反響した。
山道はしんどかった。
ニナはただの女学生だ。
学院で学んだごくごく基礎の紋章術程度なら扱えるものの、隣を歩く風魔法使いの男子みたいにはいかない。今はニナよりもこの子の方がずっとしんどそうにしていたけれど、それはまぁ、さておき。
加えて、マキノくんやナナミちゃんのように体を鍛えているわけでもなければ、メグちゃんのように旅慣れているわけでもない。
それから、あの人――
(ええと、何ていう子だったかしら……)
麓の村で合流した黒髪の男子。彼もまた、体を鍛えているに違いない。一見、華奢なように見えるが、腕も足もしなやかな筋肉がついていそうだ。スッと背筋が伸びていて、品が良さそうで、顔の作りも悪くない。学院にいたらかなりモテるタイプだろう。彼はマキノくんと似たような赤い服を着ていた。
(赤……)
『よく赤い服を着ていたなぁ』
『ああ……。……似合っていた』
いつか酒場で交わした、大男二人との会話がふと脳裏に蘇る。
(私だって赤がよく似合うのよ、フリックさん。……これは制服だけどね)
思いながら、ニナは皆の後を追った。
少し後ろでは、魔法使いがゼエゼエ言いながらせっせと足を動かしている。ぐんぐん先に進んでいくナナミちゃんたちの後ろで、黒髪の男子はたまにこちらを振り返りながら待ってくれた。
紳士的でなかなか気遣いのある子だとニナは思った。フリックさんほどの男らしさはないけれど、学院にいたらきっと男女問わずに好かれるタイプではないだろうか。
年の頃はニナと同じくらいだろうか。
メグちゃんは元からあの子と知り合いのようだった。山道ですっかりバテてしまっている魔法使いの子も、おそらくそうなのだろう。
『解放軍の元リーダーだよ。フリックは副リーダーだった』
熊男の言葉を思い出して、ニナはこの男の子もかつて“解放軍”にいた人なのだろうと思った。
(それなら、この子はフリックさんとも知り合いなのね)
漠然とこちらの方へ向けられていた金色の瞳をじっと見つめながら、ニナは歩みを進めた。
『うん? どんなタイプかって、どういうことだ? 目がキラキラしてるとか、そういうことか?』
『……髪がサラサラしている』
その瞳が、サッとニナの背後へと向けられる。先ほどまでの穏やかな表情が途端に厳しいものに変化して、何かあるのだろうかと、彼の視線の先を追って振り向こうとした刹那――
最初に視界に入ったのは、すぐ脇を通り過ぎていく赤い衣だった。
バランスを崩して地面に尻もちをつく感覚に続いて、頭上で鈍い音が響いて、赤い衣の向こう側で獣の悲鳴が聞こえる。
たたみかけるように風が巻き起こった。
それから獣が森の中に走っていくのを、ニナは赤い背中越しに、ただ呆然と眺めていた。
「援護、助かったよ」
「あんなトラくらい、君ひとりで十分だったろ。それよりも僕の方が近くにいたのに、咄嗟に動けなくて悪いね」
黒髪の少年と無愛想な風使いが、ニナの目の前で親しげに話をしている。
「ニ、ニナちゃん大丈夫!?」
背後からナナミちゃんの声がした。こちらに駆けてくる複数の足音。彼らはずっと先を行っていたのに、騒ぎに気付いて慌てて戻ってきたのだろう。
少年は風魔法の余波にサラサラと黒髪を靡かせながら、こちらを振り返った。右手に棍をたずさえ、地べたに座り込んだままのニナの方へ左手を差し出してくる。
どうやら彼は、獣の存在にいち早く気付き、一瞬でニナの背後に回り込んで、獣を撃退したらしかった。そんな神業のような芸当をできる人が、この世にフリックさん以外にもいるなんて知らなった。
ニナの姿を映して微笑む男の子の瞳が、あまりにキラキラと輝いていたので――
ニナは彼の手を取って立ち上がりながら、確信めいたものを感じた。
「あなたが解放軍の元リーダー? そうでしょ!?」
彼はなぜか困ったような笑みを浮かべながら、小さく頷いて見せる。
(やっぱりそう、そうなのね……)
赤い服に、サラサラの髪の毛に、キラキラの瞳の、解放軍の元リーダー。
気遣いができて、強くて、まさにこの人こそフリックさんの隣に立つに値する人だ。
頬にかかる黒髪がやけに艶っぽい。筋肉質なはずなのに、首筋はほっそりとしていて、
(こ、ここにっ、フリックさんの唇が這っ、てっ)
黒い腰紐の結ばれた腰もほっそりとしていて、
(こ、こっ、これをっ、フリックさんの指が解いてっ)
スラリと伸びた足が、
(この足をっ、フリックさんの大きな手の平がっ……)
「ニナ、気付けなくてごめんね、怪我はない?」
「けっ、けがっ?」
覗き込んできたマキノくんの言葉を意味もわからずにただオウム返しにする。と――
「ニナちゃん、血! 血がっ!」
「ちっ、ちがっ?」
ナナミちゃんに指摘され、ニナは自分が鼻からボタボタと血を垂らしていることに気付いた。
「う、ひゃは……っ、大丈夫っ、少しばかり栄養過多でっ」
「栄養過多で?!」
ナナミちゃんが疑問符を浮かべて目を丸くしながら声上げた。その隣に、ひょこりとメグちゃんが姿を現す。
「ああ〜、ギオンさん格好良いもんね。助けられたらときめいちゃうよね。わかるわかるぅ」
「かっこい……うん、ええと、……うん」
格好良い。格好良いのかもしれないけど、それよりもあの子は綺麗だ。そして、どことなく艶めかしさを感じるような。
フリックさんには秘密にしておいてあげるね、と小声で言いながら、メグちゃんがハンカチを差し出してくれた。ニナはそれを受け取ろうとして――
「フリックさん……」
この子と、フリックさんが隣に並ぶと、さぞや絵になるのだろう。いや、もはや絵になるどころの騒ぎではない。
(耽美にも程があるわ)
思った瞬間、出血の勢いが増した。
「アッ――」
目の前が真っ暗――もとい薔薇色に染まって、ニナは意識を手放した。
「ニナちゃん! ニナちゃーん!?」
どこか遠くで名前を呼ばれているような気がした。
しかし、今のニナにとってそんなのはどうでも良いことだ。
めくるめく薔薇色の美しい夢の中で、花弁に鼻血をしたたらせながらニナは朗らかに笑っていた。
さて、戦士の村においては、戦士は最も大切とするものの名を自らの剣に冠する習わしがあるのだが。
ニナがそのことを知って己の勘違いに気が付くのは、まだまだ先の話なのだった。