ゲオルグ
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
継続的な食事療法の支援を受ける話
確かに近頃、以前に比べると外傷の治りが遅くなったように感じることがあった。だがそれは加齢のせいなのだろうと、ゲオルグは思っていたのだ。
「甘いものの摂り過ぎでしょうね」
ゲオルグの腕に残る切創を手当てしながら、ホウアン医師はにこやかにそう断言した。
「甘いものの摂り過ぎ、だと……?」
甘いものとは栄養が豊富に含まれているのではないのか。栄養の有るものを多く食べることが治癒を阻害している?
耳を疑って聞き返してみたものの、どうやら聞き間違いではなかったらしい。ホウアンは大きく頷くと話を始めた。
「これは経験的に言われていることですが、甘いものを習慣的に食す者、体を動かす習慣のない者などは、加齢とともに徐々に巡りが悪くなりやすいとされています。摂生に努めた者と比較した場合、この差は歴然です」
小さな弟子――トウタが包帯を差し出す。それを受け取ったホウアンは、鮮やかな手付きでガーゼの上に巻き付け始めた。
「トウタ、巡りが悪くなった者が外傷を負うと?」
「はい、一般の健康な人に比べると治りが遅くなります」
「その通りです。では、そういった方たちが体の末梢に外傷を負うと、どうなると思いますか?」
「末梢はより巡りが悪くなりやすいので……、悪化して化膿したり、酷ければ壊死を起こすと思います」
「壊死の治療法は知っていますか?」
「はい、その組織をまるごと除去します」
まだあどけない様子の弟子は、そんな物騒なことを笑顔でハキハキと答えてみせた。
突如として始まった師弟の問答をはじめは興味深く聞いていたが、ホウアン医師の言わんとすることに気付き始め、ゲオルグは次第に居心地の悪さを感じ始める。早く手当を終わらせてもらってここから立ち去りたい。
だが、ホウアンは時間を掛けてやけに丁寧に包帯の端を留めている。話を聞いていけということなのだろう。
ホウアンは弟子へ「正解です」と告げると、ゲオルグの方へと向き直った。
「ゲオルグ殿は戦士ですから、これからも負傷することはあるでしょう。毎回浅い傷で済むとは限りません」
「……つまり、傷を悪化させたくなければ甘い物を控えろと?」
「ええ、チーズケーキを食べるための腕を失いたくなければ、是非そうされることをおすすめします」
小さな傷の手当てのためにここを訪ねたはずだったのに、まるで死を宣告されたような気分になって、ゲオルグは天を仰いだ。
(チーズケーキを食べるための腕を守るために、チーズケーキを我慢しろと言うのか)
目的を果たそうが果たすまいが、どのみち食べられないのなら、どちらでも同じことなのでは?と頭を抱えながら、ゲオルグは書類に目を通していた。診療室を出る時に、トウタから手渡されたものだ。よく整った読みやすい文字だが、筆跡にどことなく幼さを感じる。ホウアン医師から学んだことを、トウタが書き記したものなのだろう。
あの弟子はいずれ優秀な医師になるに違いないとゲオルグは思った。幼い子供が書いたものとは思えない程に、摂生についての助言がみっちりとしたためてある。
いわく、食事は栄養の偏りを無くすべし。まずは野菜からよく噛んで食め。次に主菜。魚の脂は巡りを改善する。肉食に偏ってはいけない。最後に主食。量はわずかばかりにせよ。早食いは禁物。間食は控えよ。甘味を摂る場合は食後に少量のみ。空腹時には大敵。……
食生活に関する事項の末尾には、参考におひたしのレシピが記してある。
(……こんな食生活の何が楽しいんだ?)
それがゲオルグの率直な感想だった。
別に嫌いな食べ物があるわけではない。世界中を転々としていれば、その分様々な食文化に触れることになる。ゲオルグは今までどの地方にいるときにも、食で困った覚えはなかった。
(ただ、甘いもの……そうだ、チーズケーキがあれば、それだけで構わない)
口の中でとろけていく滑らかでしっとりとした食感。甘味と酸味の絶妙なバランス。思い出しただけで腹の虫が大きな鳴き声を上げそうだ。
(ソルファレナのものが一番好みだが、ここのチーズケーキも悪くない)
欲望のままに食堂の方へ足を向けかけたところで、ゲオルグははたと立ち止まった。つい先程、ホウアン医師に脅されたばかりではないか。トウタから手渡された書類もまだ最後まで目を通していない。
なんとなく後ろめたい気持ちに苛まれ、ゲオルグは食生活の次に記されている項目に目をやった。
(うん……?これなら簡単にできそうだ)
体をよく動かすこと。そこには運動に関する内容が記述されていた。
体を動かせそうな広い場所を探して城内を歩いていたところで、ゲオルグは少年たちに出くわした。
「よう」
「ゲオルグ殿!」
声を掛けると、その中のひとりが目を輝かせながら駆け寄ってくる。この少年はゲオルグのことを随分と気に入ってくれている様子だった。
ゲオルグはこの少年の父と旧知の仲である。彼はおそらく、自身の父親を尊敬するのと同じようにゲオルグにも接してくれている。
「ギオン、時間があるなら俺と手合わせしないか」
「本当ですか!光栄です」
ゲオルグの提案に、彼は二つ返事で頷く。相手がいた方が、運動にも熱が入るというものだ。タイミングよく、ちょうどよい相手が見つかった。
「それじゃあ、マキノは久しぶりにお姉ちゃんと手合わせしようね!」
一緒にいた少女は、そう言うと弟の首根っこを捕まえた。その荒っぽい扱いに不満を漏らすことなく、弟の方は隣に立つ魔法使いの少年へ顔を向ける。
「ルックも一緒に行く?」
「いや、僕は……。……集中力?の鍛錬?のために、部屋に籠もって本でも読むことにするよ」
「ルックくんは偉いね!」
魔法使いの少年の言葉を受け、姉の方がそう言った。
「……それって偉いの?」
言いながら、弟の方が訝しげに首を傾げるのが見える。
魔法使いの少年は、肌も青白く体つきもひょろひょろとしていた。健康的な他の少年たちと比べると、かなりひ弱な様子だ。もう少し筋肉を付けたほうが良いに違いないとゲオルグは思った。
(今度トウタに言っておこう)
あの名医の弟子のことだから、貧弱な体付きの魔法使いにはきっと体を動かすことの重要性を説いてくれることだろう。
「ゲオルグ殿、今日は手合わせありがとうございました。大変勉強になりました」
向かいの席に優雅に腰掛けた少年がそう言った。
ゲオルグはしっかりと体を動かした後、ギオンを誘ってお茶をすることにした。食堂のテーブルに並ぶのはたくさんのデザートだ。
「いや、俺も久しぶりに思い切り体を動かせて良かった。また頼む」
疲労した筋肉が甘味を欲しているのがわかる。普段より多めに運動したのだから、甘いものを多少摂ったところで問題ないはずだ。何よりも、もう本能には抗えそうになかった。
(それに、このほうれんそうケーキなんて、実質おひたしのようなものじゃないか)
野菜から食べるように記述されていたことを思い出し、ゲオルグはほうれんそうケーキから手を付けることにした。淡く緑色に染まったきめ細やかなスポンジ生地は、舌の上でフワッととろけて口の中に上品な甘みを残した。
トウタの書類にはよく噛むようにと書かれていたが、これは難しそうだとゲオルグは思った。噛む前にとろけて胃袋へ直行してしまう。
主菜は新鮮な卵をふんだんに使った食べごたえのあるプリンで(卵のたんぱく質は体に良いらしい)、主食ははちみつを垂らしたバターたっぷりのホットケーキ(要するにパンである)、デザートは溢れんばかりのカスタードが詰められた甘い甘いクリームパイ(デザートくらい好きなものを食べれば良い)。そして大本命のチーズケーキだ(チーズケーキは別腹だ)。栄養のバランスは決して悪くないと言えるだろう。
目の前にいる少年は、何故か紅茶しか注文しなかった。若者が少食なのはよろしくない。
どうかしたのか問うと、彼は「昼に食べすぎてしまって、まだお腹空いてないんです」と答えた。ひとりで食べるときはそうでもなかったが、この城に来てから明らかに食事量が増えてしまっていると彼は笑った。
仲間と会食するのはいいことだとゲオルグは思った。食とは楽しいものであるべきだ。しかし、体を動かした後にデザートを食べないというのは何とも勿体無い話である。甘味が疲労した肉体を潤してくれるというのに。
少年と談笑しながらデザートフルコースを胃袋の中に収め、満足して腹をさすっていたところでーー
「ゲオルグさん」
背後から冷ややかな声を掛けられて、ゲオルグは汗をかき始めた。今取った砂糖が全部汗に溶け込んで体の外に出ていってしまうのではないかという程の大汗だ。
すっかり忘れてしまっていた。懐に仕舞った書類のずっしりとした重みを感じる。
刃物のような視線を感じ、おそるおそる振り向くと、トウタが仁王立ちでこちらを見ている。
「ゲオルグさん、僕がお渡しした参考書類、最後まで読んでないでしょう?」
その通りだった。ゲオルグは食生活と運動の項目までしか見ていない。そういえば書類にはまだ続きがあったようだ。動揺しているゲオルグに構わず、彼はジト目で続ける。
「あくまで食事療法が基本なんです。運動療法はそれに追加して行うものですよ」
「つまり……?」
「運動したところで、食生活に気を使わないのなら何も変わらないってことです」
トウタは手に持っていた診療バッグの中から、スッ……と巻き尺を取り出した。
「これから定期的に腹周りを計測して記録しましょう。今後の目標も決めます。最終目標と短期目標を決めましょうね。計測値によって短期目標は都度修整していきます。数値は毎回ホウアン先生にも報告しますので」
「……はい」
ゲオルグは小さな見習い医師を前に、うなだれることしかできなかった。
「ゲオルグ殿、頑張って下さいね。運動くらいなら、またいつでもお付き合いしますので……」
向かいの席の少年が、同情するかのように声を掛けてくれる。
「……はい」
腹周りを計測されながら、ゲオルグはそう返すのがやっとだった。
ゲオルグの意志に関わらず、この生活習慣の見直しは決定事項となってしまったようだ。
体の巡りを改善してチーズケーキを食べる腕を守るために、チーズケーキを我慢する。少なくともこの城にいる間はトウタに見張られ続けるのだろう。
今まで数々の戦に首を突っ込んできて、こんなにも切実に早く戦が終わるようにと願ったことがあっただろうか。
食堂のショーケースに並ぶチーズケーキに向かって、ゲオルグは平和への祈りを捧げた。