ルック
坊ちゃん・2主・王子の名前を変換する
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バランスの執行者様はヌン茶をシバき倒したい
「それは一体どうしたの」
凛とした声が背後から聞こえて、ルックは歩みを止めた。
聞き覚えのある声だった。しかし、知り合いに声を掛けられたのだと認識するよりも早く、それが自分に対して発せられた言葉なのだと、ルックは瞬時にして確信していた。
(どうしたのかなんて、こっちが聞きたいよ)
くっきりと深いシワが眉根に寄っているのは自覚している。それでも、表情をやわらげるために労力を割く気など微塵も湧かず、ルックはのろりと声の主を振り返った。
風を受けた髪がかすかに揺れる。と同時に、鮮やかな青が視界の両端でヒラヒラ靡いた。
(鬱陶しいな)
舌打ちをひとつ。ますます眉間のシワが深まっていく。今なら魔法札をも挟めそうだ。
声をかけてきたのは、ルックが思った通りの人物だった。
豊かな黄金の髪の中に、色素の薄い白くて小ぶりな顔面。精巧に作り込まれた人形のような。非常に美しい女性だと、一般的にはそう言われるのだろう。
ソニア・シューレン。
彼女はいつでも、凍てつく冬の湖のような目をしていたように思う。それが今は、露骨なまでに好奇の色に染まっていた。
(くそ)
さらに舌打ちをひとつ。
いっそのこと、眉間のシワに切り裂きの札でも挟んで、この目撃者をただちに始末してやろうか。
物騒なことを空想しながら、ルックは肺の中の空気を外に追い出した。
ほんの半刻ほど前の出来事だ。
ルックは魔術師の塔の大掃除に躍起になっていた。
管理をすっぽかされたままになっていた塔は、結構な荒れようだった。
トラン湖の城で過ごすようになったばかりの頃は、折を見て帰ってきては、マメに掃除をしていた。しかし軍での仕事が忙しくなるにつれ、次第にその頻度は減っていった。最後にルックが掃除をしてから、既に一年くらいは経っているかもしれない。
必要最低限は師がやっていたはずだが、盲目の彼女に細やかな掃除なんて期待できるはずもない。
埃に蜘蛛の巣に羽虫の残骸。さらには祭具やら何やらがあちらこちらに放り置かれている。塔の結界を強固なものにするために用いていたものも転がっているようだが、この度の戦をもってお役御免となったのだろうか。
処分して良いものか迷いながら塵を払っていると、はたきの向こう側に師の姿が見えた。こちらに向かって来るようだ。ちょうどよかった。廃棄の許可をもらっておこう。
「レッ」
「ルック。私、女子会をやりたいです」
ルックが用件を伝えるよりも早く、それどころか呼びかけるよりも早く、彼女はそんなことを口早に言い切った。にこやかに、きっぱりと。
「もうずっと、ずーっと、こんなところに閉じ籠もっていたのですよ。素敵なティーカップとお茶菓子を囲んでガールズトークに興じたいと願うのも、無理のない話だと思いませんか」
「はぁ。掃除が済んだら買い出ししておきますので、いつでもご自由にどうぞ。それより、この燭台――」
「実をいうと、ずっと羨ましく思っていたのです。ほら、トラン城の庭園で、日々お茶会が開かれていたでしょう?」
再び遮られ、ルックは口を閉ざした。どうやら聞く耳はどこにもないようだ。
祭具をその辺りに適当に戻すと、ルックは壁の埃を払い始めた。
不用品の処分はあとからでも構いやしないだろう。いつまでも聞いてもらえないのであれば、最悪、全部こっそり捨ててしまえば済むだけの話だ。
「美しい装いをして、花の咲き乱れる庭で過ごすひととき。なんと優雅なのでしょうか。ああ、私もヌン茶をシバき倒したい……!」
師の言っている意味がわからず一瞬怪訝な表情を浮かべかけるが、
「……っくしゅ!」
ルックはスッと顔から表情を消して、窓を開いた。
換気を怠たってしまっていた。こんなにも埃を舞わせているというのに。師の横槍のせいで、すっかりペースを狂わされてしまったではないか。
やわらかな風が通り抜けていく。心地良い。空は雲ひとつない快晴だ。こんな日は――
「まさに女子会日和! さあルック、私と女子会をいたしましょう!」
洗濯日和だから、カビ臭いカーテンを洗ってしまおう。そんなことを考えていたルックの両の耳元で、ポン、と何かが軽く弾ける音がした。そして視界の両端に鮮やかな青がちらつく。
「?」
青いものの正体を確かめるべく、ルックは両耳の少し上に手を伸ばした。
(布?)
つるつるとした、青くて細くて長い布。つまりは、リボンだ。
(ブルーリボン!)
戦闘時に女子が使っているのを見たことがある。
しかし。
リボンは2箇所。ルックの髪を両耳の上の高い位置で束ねるように、しっかりと巻き付けられていた。こんな頭の悪そうな装飾品として用いられているところなど、一度も目にしたことがない。
「レックナート様!」
師の仕業だ。ルックはリボンの端を引っ張りながら、食ってかかった。
「ほほ! 引っ張っても取れませんよ、ルック!」
師は邪悪な笑みを浮かべた。
言葉通り、ブルーリボンはいくら引っ張ってもルックの髪から離れそうにない。
「ルックが私と女子会をやるまで取れないように、呪いをかけておきました!」
「は? なんで僕が!」
「ルックにリボンを装備させれば、それはもうほぼ女子なのですよ! さぁさ、早速女子会の支度をお願いしますね!」
高笑いするレックナートの姿は、彼女の実姉の悪女ぶりを彷彿とさせたのだった……
「――というわけで、取り急ぎ買い出しに来たんだけ、ど、ねぇ、ちょっと。待って何撮ってるの」
ソニアの構えたスマホを遮るように、ルックは手の平を広げた。
「既に撮影済みだ。#彼女とデートなうに使っていいよ、……と……」
「使って良いわけあるか!」
我ながら恐るべき早さでソニアからスマホを引ったくる。ルックは画面に指を滑らせると、「そにぁたそ」とかいうアカウントからの投稿を瞬時に消し去った。次いで、カメラロールからもルックのあられもない姿の画像を削除しておく。
「ふん……。つまらない奴」
不服そうなソニアに、スマホを押し付けて返す。
こんな姿で、誰にも会いたくなかった。全速力で茶葉と甘い食べ物を調達してすぐに戻るつもりだったのに。大きな街の方が買い出しがスムーズだと考えたのだが、ぬかった。グレッグミンスターを選んだのは完全に失敗だ。しかし――
「まぁ、出くわしたのがアンタで良かったのかもしれないね」
怪我の功名というやつだ。
「なぜ? 私のバズ力に期待するのなら、投稿を消すことはなかっただろうに」
真剣な眼差しで小首を傾げるソニアに、ルックは脱力した。
「なにそれ。そんなの期待するわけないだろ」
「では、なぜ」
「アンタが貴族のお嬢様だからに決まってるじゃないか。お茶会にも詳しいだろ。ちょっと支度を手伝ってよ」
「は?」
ソニアの首がますます傾ぐ。
「この私に、お茶会をするような友がいるわけないじゃないか」
「……は?」
思いもしない返答に、今度はルックが首を傾げる番だった。
貴族の御婦人というものは、すべからく女子会という名のお茶会を催すものかと思っていた。そう、エスメラルダのように。
言われてみれば、トラン城の庭園でお茶会に興じていたのは、奇抜な服装をした派手好きな貴族たちばかりだったような気がしてきた。
「母の存命中にはお茶会に出席したこともあったが、なにぶん私も幼く……。そうね、覚えていることと言えば、あのお茶会を主催していたのは確か……」
考え込んでいたソニアが顔を上げる。澄んだ湖の色をした瞳が、ルックの視線とかち合った。
「ほほほほほ……。あらあら、まぁまぁまぁ。なんて、なんて素敵なのでしょう」
頬をほんのりと紅潮させて、レックナートは上機嫌な笑みを浮かべていた。
魔術師の塔の周囲には、自然豊かな森が広がっている。花が多く咲いている場所に、テーブルと椅子を運び出しさえすれば、即席庭園の完成である。
無論、テーブルは転移で運んだ。こんなどうでもいいことのために力仕事をするつもりなど、ルックには欠片もなかった。
「今日は……魔術師の塔は、大変な人ですこと! ほほ、一度言ってみたかったのですよ」
くるっくるに巻き上げられた髪と、一体どれだけの布を使っているのかと思う程にボリュームたっぷりのドレスの裾が揺れる。どう見ても超重量級のドレスを纏っているにもかかわらず、師は優雅な仕草で椅子に腰掛けてみせた。
「お気に召したようで何よりですよ。マドモアゼル」
青と白の縦縞の衣装を纏った男は、真っ赤な帽子(同じく真っ赤な薔薇が何輪も刺さっている)を手に、恭しく頭を垂れた。
(男? 男、だよね?)
長い期間同じ城にいた人間だというのに、唐突に疑念が湧いてしまった。いや、形の整った口髭を蓄えているので、この人は男に違いないと、ルックは己を納得させることにした。
「なぜ、私までっ、この、ような、格好を……」
髪を盛り盛りに盛り上げて後頭部に纏めた姿のソニアが、青いドレスのコルセットをほんの少しでも緩めるべく、指をねじ込んで隙間を作ろうと足掻いている。
「ルックさん、折角ですから貴方にもお召し物を用意しましょう。そのリボンも素敵ですが……」
「結構です」
ルックは派手な出で立ちの男(?)――ミルイヒへ、ピシャリと言い放った。言っておくが、ブルーリボンを気に入ったわけではない。念の為。
ソニアの中の古い記憶と、ルックがトラン城で見かけたお茶会の記憶をすり合わせた結果、たどり着いたのはミルイヒ・オッペンハイマーだった。ソニアと共にグレッグミンスターの彼(?)の屋敷を訪ねたところ、ミルイヒは快くお茶会の支度を引き受けてくれたのだった。
しかしこれで、レックナート悲願の女子会は無事開催できたわけだ。参加者の半分は女子ではないが。
師は上品な笑い声を上げながら、ひたすら自撮りを繰り返している。ルックは十分に役目を果たしたと言えるだろう。
「僕は先に戻ります。では、ごゆっくり」
誰にも引き止められないように一方的に言い放って、ルックは転移魔法を発動させた。
長かった。
これでやっと、塔の掃除に専念できる――……
愛弟子が去った後、レックナートは首を傾げた。
「あら。まだブルーリボンの呪いを解いていなかったのですが……」
「きっと彼もあのリボンを気に入ったのでしょう」
「ああ、たいそう似合っていたからな……」
トランからの客人たちが揃って鷹揚に頷いている。
確かに些細なことだろう。可愛らしい弟子を可愛いもので飾り付けただけに過ぎないのだから。
ルックのことは気にしないことにして、レックナートは女子会(?)を心ゆくまで楽しむことに決めたのだった。