序 天狗ノ章
『チチチーー! なんであっしまでーー!』
雀が悲鳴をあげて、振り落とされまいとフェノエレーゼの肩にしがみつきます。
崖から飛び降りたフェノエレーゼは一心に考えていました。
人間たちの村や屋敷がある場所は、フェノエレーゼが生まれた頃はまだ豊かな森でした。
森には数多の動物や妖怪が思い思いに、平穏に暮らしていました。
いつしか人間が山々を我が物顔で切り開き、屋敷や村を作るようになりました。
まだ妖力もまともにないただの白烏だったフェノエレーゼもまた、人間に不気味な烏と罵られ、森を奪われたのです。
以来、フェノエレーゼは人間を見るとやり場のない怒りを覚えるようになりました。
「人間なんて嫌いなのに、何をやっているんだ、私は」
その呟きは飛び降りたときの風にかき消されて、誰の耳にも届きませんでした。
うまくヒナがいる岩場に着地して、ヒナを見下ろします。
「わぁ! あそこから飛べるなんて、へのえさんはすごいのね。天狗だから?」
ヒナは目を丸くしてさかんに手を叩きます。
ヒナがいる岩場は、草花や枯れ葉が布団のようにこんもり降り積もり山になっていました。
これがあったお陰で、ヒナは落ちたときの衝撃を和らげられたのです。見たところ元気そのもの、怪我も特にないようです。
「おい小娘。お前、なぜこんなことをした」
「へのえさん、昨日、あの大きな烏さんに羽をとられて、羽がないととべないって言ってたでしょ。だからね、山に他にも羽が落ちてないかさがしてたの。はい、これ」
一歩間違えば仏になっていたのに、本人はまるでわかっていません。
ヒナは泥だらけの手を帯の隙間に突っ込み、二枚の真っ白い羽を出しました。
鳥にしては大きく、雪よりもなお白いそれは、間違いなくフェノエレーゼから離された羽でした。
「へのえさん、二枚あれば飛べる? わたし、役に立てた?」
『チチチ……まさかこの子は、旦那の羽を探すために迷子になったんで?』
雀がくちばしをあんぐり開けてヒナを見ます。
ヒナは満足そうな笑みを浮かべて、フェノエレーゼに羽を渡してきました。
「なぜ、お前になんの得もないのに羽探しなんて」
「へのえさん、羽が足りなかったから泣いてるの? もっと探してきたら旅に連れていってくれる?」
フェノエレーゼがヒナ探しを受けたのは善意からではありません。
あわよくば呪いをとけはしないかという打算だけで動いていました。
形だけの善。損得勘定。
偽善、虚栄、動機のひとかけらもヒナのためではありませんでした。
なのに、ヒナはそんなフェノエレーゼのために、フェノエレーゼを天狗にするために、どこにあるかもわからない羽を探すために家を飛び出したのです。
──こんな人間がいるなんて。
予期しなかった行動の理由に、フェノエレーゼは胸があたたかく、ふしぎな気持ちになりました。
焼けるような痛みを左腕に覚え、袖を捲るとほんの少しだけ、呪のアザが薄れていました。
「泣いてなどいないし、何度言えばわかる。私はへのえではない。笛之絵麗世命 だ。ついてくる気ならきちんと笛之と呼べ、チビ!」
「うん。フエノさん!」
何が理由かはわからないけれど、呪を解く道に一歩前進したことだけはわかりました。


雀が悲鳴をあげて、振り落とされまいとフェノエレーゼの肩にしがみつきます。
崖から飛び降りたフェノエレーゼは一心に考えていました。
人間たちの村や屋敷がある場所は、フェノエレーゼが生まれた頃はまだ豊かな森でした。
森には数多の動物や妖怪が思い思いに、平穏に暮らしていました。
いつしか人間が山々を我が物顔で切り開き、屋敷や村を作るようになりました。
まだ妖力もまともにないただの白烏だったフェノエレーゼもまた、人間に不気味な烏と罵られ、森を奪われたのです。
以来、フェノエレーゼは人間を見るとやり場のない怒りを覚えるようになりました。
「人間なんて嫌いなのに、何をやっているんだ、私は」
その呟きは飛び降りたときの風にかき消されて、誰の耳にも届きませんでした。
うまくヒナがいる岩場に着地して、ヒナを見下ろします。
「わぁ! あそこから飛べるなんて、へのえさんはすごいのね。天狗だから?」
ヒナは目を丸くしてさかんに手を叩きます。
ヒナがいる岩場は、草花や枯れ葉が布団のようにこんもり降り積もり山になっていました。
これがあったお陰で、ヒナは落ちたときの衝撃を和らげられたのです。見たところ元気そのもの、怪我も特にないようです。
「おい小娘。お前、なぜこんなことをした」
「へのえさん、昨日、あの大きな烏さんに羽をとられて、羽がないととべないって言ってたでしょ。だからね、山に他にも羽が落ちてないかさがしてたの。はい、これ」
一歩間違えば仏になっていたのに、本人はまるでわかっていません。
ヒナは泥だらけの手を帯の隙間に突っ込み、二枚の真っ白い羽を出しました。
鳥にしては大きく、雪よりもなお白いそれは、間違いなくフェノエレーゼから離された羽でした。
「へのえさん、二枚あれば飛べる? わたし、役に立てた?」
『チチチ……まさかこの子は、旦那の羽を探すために迷子になったんで?』
雀がくちばしをあんぐり開けてヒナを見ます。
ヒナは満足そうな笑みを浮かべて、フェノエレーゼに羽を渡してきました。
「なぜ、お前になんの得もないのに羽探しなんて」
「へのえさん、羽が足りなかったから泣いてるの? もっと探してきたら旅に連れていってくれる?」
フェノエレーゼがヒナ探しを受けたのは善意からではありません。
あわよくば呪いをとけはしないかという打算だけで動いていました。
形だけの善。損得勘定。
偽善、虚栄、動機のひとかけらもヒナのためではありませんでした。
なのに、ヒナはそんなフェノエレーゼのために、フェノエレーゼを天狗にするために、どこにあるかもわからない羽を探すために家を飛び出したのです。
──こんな人間がいるなんて。
予期しなかった行動の理由に、フェノエレーゼは胸があたたかく、ふしぎな気持ちになりました。
焼けるような痛みを左腕に覚え、袖を捲るとほんの少しだけ、呪のアザが薄れていました。
「泣いてなどいないし、何度言えばわかる。私はへのえではない。
「うん。フエノさん!」
何が理由かはわからないけれど、呪を解く道に一歩前進したことだけはわかりました。