ケース2 根津美ネルの場合 〜眠り病の同居人〜

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 成人式当日。
 ネルは黒のロングドレスを着て、アップした髪にはネズミのかんざしをさしている。

 駅前で高校の同級生である花森たちと合流する約束だったので、待ち合わせ時間の三十分前に目印である石像前で待っていた。

「ネル! 早かったんだね。待たせてごめん」
「ううん。そんなに待っていないよ花菜かなちゃん。わあ、すごく似合うね」

 花森の振り袖はクリーム地の牡丹柄。高校の時ショートヘアだった髪は伸ばされ、うなじでまとめている。髪飾りも牡丹。花森の快活な雰囲気によく似合っていた。
 ネルの素直な賛辞をうけて、花森は照れて視線をそらす。
 それからネルのドレスを見て少しだけ表情を曇らせる。

「ありがと。ばあちゃんがどうしてもって言ってレンタルしてくれた。……ネルは振り袖じゃないんだね」

 同窓会に参加する人たちが、ネルと花森の横を通り過ぎていく。
 ほとんどの女性が華やかな振り袖で、ドレスの子は片手で数えるくらいしかいない。だからネルはとても目立っていた。

「前撮りで着れたからいいの。ドレスも着れるから、二回楽しめていいわねってお母さんが」
「なるほど。そういう考え方もありね。ネルはもう働いているんだっけ」
「ん。にいさんのクリニックで医療事務してる。楽しいよ」
「そっか。あたしも頑張んないとな。内定は取れているんだけど、どんな感じかは働いてみるまでわからないじゃない」

 花森はもうすぐ短大を卒業する。ネルが通った医療事務の学校は一年制だったため、ネルは他のみんなより先に社会人になっていた。
 実質家族経営なので昼寝の時間も確保されていて、体への負担はほぼなしで働ける。

 ネルは大学生活がどんな感じか聞いてみるが、花森はどこか心ここにあらずといった感じだ。しきりに時計を確認している。

「ネル、あたしどこもおかしくないよね。似合ってるって言ったもんね」
「うん。似合ってる。すごく綺麗」
「そっか」

 花森は深呼吸してから、両手を合わせてネルに言いつのる。

「他の子たちにはチャットで伝えてあるんだけど、東堂が来たらさ、ちょっと協力してほしいんだ」
「協力?」
「ええと、あたしと東堂が……二人きりになれるように」

 顔を赤らめた花森の言葉尻が弱々しくなっていく。高校時代バスケ部のキャプテンをつとめていたときの勇ましさはなりを潜めている。告白するつもりなんだな、とネルにもわかった。

「ん。協力する。がんばって」
「ありがとう」

 話している間に、人混みの間から東堂と他のメンバーが来た。東堂はスーツを着ていて、学生時代よりいくらか大人びている。消防士としての訓練を積んだからか体格もがっしりしていて、背が高くなった。

「よう。久しぶりだな根津美、花森」
「ひさしぶり」

 ネルは東堂と元クラスメートたちに会釈する。
 東堂はネルのドレス姿を見て、事情を察してくれたようだ。

「根津美は晴れ着じゃないんだな。早朝から何時間も準備しないとだって聞くもんな」
「ドレスでも、出席できるだけいいの。にいさんも似合ってるって言ってくれたし」

 衣装屋からここまで初田が車で送ってくれた。ドレスもすごく似合うと、手放しで褒めてもらえてそれだけで今日はもう成人式が終わったような気持ちでいた。

「そうだな、ドレスにかんざしって意外と合うんだな。みるからに良いものだけどお母さんから借りたとかか?」
「かんざし、にいさんが成人祝いにってくれたの」

 そばで話を聞いていた女子たちが固まった。
 ネルの肩をつついて、「その話、あっちで詳しく聞かせて」とひっぱる。このままいけば東堂と花森が二人きりになれると考えて、大人しく事情聴取をされることにした。

「かんざしをくれたお兄さんって、高校の時に同居しているって言っていた親戚の?」
「そう。初斗にいさん。今は自分のクリニック持ってる」
「なにそれ玉の輿じゃん!」
「たまのこし……? 私、恋人すらいないのだけど」

 初田が自分のクリニックを開くのと、ネルが結婚する話がイコールになるという計算式がわからなかった。ネルの困惑をよそに、元クラスメートたちがきゃいきゃい盛り上がっている。
 女子の中でも一番おしゃれだった子が、ネルのネズミかんざしを指して言う。

「根津美さん、かんざしの意味を知らないの?」
「なに」
「男が女に櫛やかんざしを贈るのは、結婚してくださいって意味なのよ。うちのママ和装雑貨の店で働いているから分かるの」

 ネルはようやく合点がいった。前撮りのときに友子も驚いていたけれど、そういう理由だった。贈った当人である初田はそもそも意味を知らなかったので、ネルと同じように首をかしげていた。
 贈り物の意味を聞かされて、ネルはふと考える。

(最初から意味を知っていたら、初斗にいさんはかんざしをくれなかったかな)

 ネルが一緒に暮らしてきた五年間で浮いた話が一つも無かった。
 嘉神平也のことがあったとしても、初田の人となりを知れば結婚を望む人はいると思う。

 いたけれどネルが知らなかっただけか、それとも、ネルを引き取ったがゆえにお流れになったか。
 お荷物ネルを抱えたりしなければ、今頃白兎のように人の親になっていたかもしれない。

 頭を左右に振って考えを振り払う。
 初田は何でも素直に口にするタイプだ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、要らないものは要らないとハッキリ言う。
 勝手に憶測で邪魔になっていたんじゃないかと考える方が失礼だ。

「根津美さん、ほらあれみて」

 他のみんなも事前の予定通りサッとあの場から離れたから、花森と東堂が二人きりになっている。声が届かない範囲だから会話の内容まではわからない。
 みんなが息をのんで見守る中、東堂が首を左右に振って、花森が暗い面持ちでうなだれる。

 それが答えだった。
 東堂はみんなが遠巻きに見ているのに気づいてこちらにやってきた。ものかげに隠れていた男子の襟首を捕まえて、東堂が眉をつり上げる。

「お前ら趣味悪いぞ」
「わりーわりー。東堂って彼女ほしいって言ってたからOKするかと思ったぜ」
「誰でも良いって訳じゃない。高校の時さんざんチビチビからかわれたの忘れてねーからな」

 高校の時、花森と東堂は顔を合わせるたびに口げんかをしていた。花森が東堂の背が低いことをからかって、東堂が言い返すのが主だった。

「俺は気遣いできる優しい子が好みなの。助けられたお礼に飴をくれるような」
「やたら具体的だな」

 東堂はネルの方に来て、視線を合わせる。

「根津美。ここで会えたら言おうと思っていたんだ。高校の時、お前のこと好きだった。あ、別に付き合いたいとかじゃない。伝えなきゃ後悔する気がして」

 花森の気持ちを聞いているので、ネルは困った。
 東堂に対して友だち以上の気持ちを持ったことがない。なにかと気を遣ってくれていたことに感謝はしているけれど、それは恋愛的な好きではなかった。
 だからネルは素直に答える。

「気持ちには応えられないけど、感謝してる。東堂くんが助けてくれていたから、ちゃんと卒業できた」

 人の心はままならないと、ネルは思う。
 好きな人が自分を好きでいてくれるとは限らない。一方通行のこともある。

「そういう答えだってわかってたさ。根津美はいつもお兄さんの話ばかりしていたから」
「にいさんには、感謝してもしたりないから」

 いつもそばにいて、まぼろしと現実を区別できるように、ネルが確かにここにいるのだと呼びかけてくれる。
 だからネルは安心して歩ける。
 大切にしてもらえた分、ネルも初田に返したい。初田が迷うときは道標になりたい。

 初田のクリニックで働くのも、導いてもらったお礼と、同じように迷う人を導く手助けをしたいから。
 初田との関係は、親子ではないし兄妹ではない、友だちとも恋人とも違う。分類する言葉がみつからない、不思議な形をしている。

 ネルの言葉に、東堂は苦笑する。

「俺に対する『感謝』と、お兄さんに対する『感謝』ほんとうに同じか考えてみなよ」
「うん。よくわからないけど、考えてみる」



 成人式が終わってから、ネルは同窓会を辞退してまっすぐクリニックに帰った。
 初田がお茶を用意して待っていてくれて、伸ばした手を取ってくれる。ネルの胸は温かいもので満たされる。

「ただいま、にいさん。にいさんは今、ここにいる?」
「はい。わたしはここにいて、ネルさんと手を繋いでいますよ」

 出会った頃から変わらない、柔らかい笑顔で答えてくれる初田。これからもネルが聞くたびに答えてくれると信じられる。
 この気持ちに、関係に、なんと名前をつけるべきか、ネルは考え続ける。




閑話2 名前をつけられない関係 終


ケース3 有沢アリスの場合 〜自傷癖のアリスと美貌のロリーナ〜に続く

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