ケース1 中村コウキの場合 〜猫の首を狩った少年〜

 接待ゴルフが終わり、得意先のお偉いさんがポルシェに乗って帰っていく。
 それを見送り、秀樹も家までのタクシーを呼ぼうとした。
 だが、スマホのバッテリーが切れている。

 仕方なく敷地内の公衆電話ボックスに入る。何年前に貼られたのか、【指名手配犯情報求む】の張り紙が朽ちかけた状態でかろうじてガラス面についている。

 老人の顔が並ぶ中、唯一若く端正な顔立ちの男が写っている。
 嘉神平也かがみへいや
 罪状・殺人 父を解体し死体を放置した容疑で追われているーー
 書かれた年齢から計算して、生きているなら三十八歳。

 解体、という単語でネズミを解体したコウキの顔を思い出し、吐き気をもよおした。

 次に狩るなら貴方でしょうね、とこともなげに口にした初田の言葉を思い出す。
 洗濯が終わったスーツを家に取りに戻らなければならないが、コウキの顔を見たくない。
 笑顔で猟奇殺人鬼みたいなことをするコウキ。コウキが、この嘉神のように秀樹を殺すんじゃないかという恐怖にかられる。 

 震える手で財布を取り出し、うまく掴めなかった五〇円玉が床に落ちた。

(何を動揺しているんだ、あんなのハッタリだ。コウキがネズミを殺したのは反抗期というやつだ。中学の時クラスのバカどもが窓ガラスを割っていた、アレと同じようなものだ。放っておけば収まる。精神病院なんて大げさな話にしやがって礼美のバカが)

 なんとか自分を落ち着かせ、電話ボックス内に貼られた最寄りタクシー会社に電話をする。
 礼美がサボりさえしなければ帰る頃にはスーツの洗濯とアイロンかけが終わっているはずだ。
 クリーニングに出せば高くつくが、礼美がやるならタダ。専業主婦なんだからそれくらいやってもらわないと困る。

 秀樹が自宅に帰り着いたときには、夕方六時をまわっていた。

「帰ったぞ礼美。洗濯は終わったのか」
「は、はい!」

 リビングに入ると、礼美がスーツとシャツ、下着をトランクに詰めているところだった。見たところアイロンもされている。
 及第点だ、と秀樹は口角をあげる。
 ゴルフバッグをリビングに置き、代わりにトランクを持つ。

「来週また持ってくるから洗濯やれよ」
「……そ、それだけ、ですか? コウキが作ってくれたタルトを捨てたことに関して、悪いとは思わないんですか」
「要らないものを捨てて何が悪い」

 礼美は絨毯に膝をついたまま、唇を噛みしめる。

(作るなら礼美が作ればいいものを。なぜコウキに作らせるのか理解できない)

 

「何だその顔は。文句あるのか、オレの給料で食わせてもらっている分際で」
「あなたが働くことを認めなかったからでしょう」
「現にオレの給料だけで生活できているだろう。くだらない。話がそれだけなら、オレはもう行くぞ」

 玄関で靴を履くため屈むと、後ろから大きな物音が聞こえた。

「コウキ! だめ、やめなさい!」

 切羽詰まったような礼美の声。
 振り向くと、顔のすぐ横を何かが通りすぎた。
 ゴン、と重たい音がする。
 背後にいたのはコウキ。コウキが何かを振り下ろした。

 手には、さっきリビングに放り投げたゴルフクラブが握られている。

 コウキがゴルフクラブで自分を殴ろうとした事実を、秀樹は数秒おいて理解した。
 コウキは父親を殺しかけたのに、罪悪感や恐怖にかられる様子もない。
 それどころかもう一度クラブを振り上げ、視線は秀樹を追う。

 頭に当たればほぼ即死。
 秀樹は弾かれたように玄関扉に手をかける。

 その時、来客をつげるインターホンが鳴った。
 外の人物は二回鳴らし、のんびりした声で名乗る。

「こんばんは、初田です」

 初田。うさぎのマスクをかぶった変人医師だ。
 なぜ日曜日に来たのかは不明だが、この際誰でもいい、初田を盾にすれば逃げられるーー。

 初田の声を聞いた瞬間、コウキの表情がほんの少しだけ和らいだ。
 それも一瞬のことで、振り下ろされた二投目が玄関床を割る。

 靴を履くのももどかしく、秀樹は靴下のまま玄関扉を開けて飛び出した。
 もちろん目の前には初田がいる。

 初田は青ざめた秀樹と、ゴルフクラブを握りしめたコウキを見て事態を悟った。
 悟った上で、秀樹の腕を掴む。

「は、離せ! このままじゃ、オレは」
「なぜ逃げるんです中村さん。これは、あなたの教育の結果ですよ」
「オレは何もしていない!! なんでオレがこんな目に遭わされなきゃならない!」

 コウキが冷たい目で秀樹を見ている。

「お母さんから電話で聞きました。コウキくんが作ったタルトを捨てたでしょう。自分にとっては不要なものだからって」
「それがどうした!!」
「だからあなたの教育方針に則って、コウキくんは要らないと思ったあなたを処分しようとしている。父親の教えに忠実な良い子じゃないですか」

 初田の声は秀樹を責めるでもなく怒るでもなく、楽しそうだ。

「お前医者だろ! なんとかしろ!」
「あいにくわたしはヤブ医者なので、正常な人間は治せないんですよ」

 初田は秀樹に「ヤブ医者」と言われたことと、「コウキは正常だ」と言われた事を引き合いに出す。

「あなたの論で言うならコウキくんは正常なので、わたしはこれでお暇しますね」

 他人事のように言い捨てて、初田は玄関扉を閉めようとする。

「待て、クソが! 医者のくせに患者を放り出すのか!?」

 自分で言った暴言を棚に上げて、秀樹は初田に掴みかかった。ウサギマスクの耳を力任せに引く。

 秀樹はウサギマスクを床に投げ捨て、初田の素顔を見て戦慄せんりつした。




 そこにいたのは、父親を解体した容疑で追われている嘉神平也かがみへいやだった。

design



image
ツギクルバナー
image
16/19ページ
感想