その4
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その人に初めて会ったのは、多分もう、十年も昔……夏の終わりのことだと記憶している。
今にも山間に沈んでしまいそうに、実際はしぶとく燃え永らえる赤い夕陽。街中に位置する筈なのに寺門を潜った途端に耳を賑やかす虫の声。蝉はもう鳴いていなかった。蜩と、境内の樹木が鳴らす羽音だけが辺りに攪拌する。
そんな風景の中、オレとその人は邂逅した。
その人は寺に続く階段をゆっくりと昇って来ていて。オレはその最上段に腰掛けて。
オレが何故そのとき、そんなところに座り込んでいたのかは覚えていない。
ただ、ひとつ言うならば当時は恐らく寺に引き取られて間もない頃で。面倒を見てくれている盲目の住職さんの、親は気取らないながらに保護者としては揺るがない、そんな冷静な優しさに本当に頼ってしまって良いのかと手探っていた時期だったように思う。
若草の髪に、深緑の瞳。その人、今より十も年若い、黒い詰襟の学生服を着たフリッピーはやがて長い石段を登りきり、その視線は座り込む子供を飛び越すように閑散とした境内をくるりと見渡した。
『やっぱり、いつ来てもたくさん
だんだん薄暗くなっていく、黄昏の時間の中、オレはそのときフリッピーが何を言っているのか分からなかった。お客様だろうか、住職さんを呼んできた方がいいのだろうか。そんなことを考えていれば、その恐らくは中学生の少年が、だらりと下ろした手に異常なほど磨耗した御守が握られているのを見咎める。
それには見覚えがあった。住職……モールさんが自ら画いた御札が入っている、限られた人にだけ譲り渡している御守。
やっぱり誰か呼びに行ったほうが良いのかもしれない、と視線を彷徨わせれば、少し疲れたような少年と目が合った。
『ねえ君は……君は
黄昏、誰そ彼、その名の通りに人々の輪郭を曖昧にする薄暗さに、オレはその何かを諦めたような少年の表情を、あるいは誰かに重ねてしまったのかもしれない。
不意に差し出された御守を何の警戒も疑問も無く受け取った。お世辞にも発育の良くなかった、小さなオレの掌にさえすっぽり収まるその布袋はその瞬間、何かの役目を終えたかのようにブツリと真二つにその身を裂いた。無表情な子供もその時ばかりは驚いて、目を見開いて『その人』を見上げた。
黒い詰襟の学生服を着た、若草の髪の中学生。
──御守を手放したその少年は、さっきまで確かに深緑だったその双眸を鈍く光る金に染めていた。
【story of addition - 4】
634:ふりかけ
うぅーん、一応、御守り持ってるし……多分、僕は大丈夫……
もしかしたらスレには来られなくなるかもしれないけど…いや、
「……わかった」
オレは呟いて、そして同じ文言を掲示板に書き込んだ。
ふりかけ……フリッピーにはそれで伝わったのか、後には事情を知らない人たちの困惑したレスポンスと身内の喧騒だけが続いていく。
適宜応対しながら視線をやれば、隣ではリフティが苦虫を噛み潰したような顔で愚痴を零した。
「クッソ、み、耳鳴り?おさまんねぇ……うっとーしいっつーの、っとにアホディドにまかしてだいじょーぶなのかよ!」
誰かと接していなければ凍えてしまうかのように、その肩はオレの二の腕に触れている。多少立ち直ったとはいえ恐怖がまるで消えたわけではなさそうである。もしくは、ついさっき手洗いに立った片割れの不在が気に掛かるのかもしれない。自然と丸まるような格好になっているのだが、寧ろ都合が良いのか自信を抱き込むような体育座りで片手にスマートフォンを、そしてもう片方にはもう一つ別の、小型の携帯端末を握り締めていた。その足元には、先程引っこ抜いたイヤホンが力なく打ち捨てられている。
「分からないけど、とにかくこういうのは『終わらせるのが大事』だって」
そんな悪友を横目に、オレは小刻みに、過剰な程にF5キーを叩きスレッドを更新し、流れていく画面の向こうの問答、雑談に、置いていかれないよう頭を廻してキーボードを叩く。
「それもジューショクかよ?」
「そう、モールさんの受け売り……繋がった?」
「──いや、」
尋ねるのは、リフティが器用にも片手で操る二つの端末の、より機能の少ない方。所謂ガラパゴスケータイと呼ばれるその黒い機体は実はオレの携帯で。ネットに繋げる代わりに、先程から引っ切り無しに件の住職、オレの保護者であるモールさんに電話を掛け続けてもらっているのだが……、
「ぜんっぜん、画面かわんねーし、通じねー……」
かこかこ、っとボタンを操作しながら向けられた小さな画面。その右上には相変わらずの圏外の二文字が表示され、スピーカーは電子音さえ漏らさず沈黙を保っている。そんな不毛な光景に、先程から微かに感じていた頭痛がジワリと侵食した気がした。
「ん……」
「おい?」
「なんでもない……でも掛け続けてたらモールさんなら気付いてくれるかもしれないから、頼む」
言えば、リフは不足そうな顔を隠さずに、しかしながらも引き受けてくれる。爪の伸びた親指がリダイアルキーをまた、押した。
電話と掲示板に集中しているのか、僅かに重みを増したリフティの肩を感じながら、双子と違いネットに不慣れなオレはやがてスレッドの問答に気を取られ始める。がしゃがしゃとキーボードをうるさく叩きながらも、モールさんへの電話はまだ明かさない。
……繋がると、絶対には言い切れない。
モールさんを頼れると決まったわけじゃない。子供の頃のように下手な遠慮をしている訳では決して無いが、不確定な救いに油断するべきじゃ、ない。
殆ど言い聞かせて、ともすれば縋りそうになる甘えを凌ぐ。
軽く目を閉じて気を引き締めれば、画面上では丁度、発足した《救助隊》が出発の旨を告げていた。脳裏に二人の先輩の姿が浮かぶ。会長……意識無意識を問わず自助努力で右に出る者の居ない、スプレンディドはなにがあっても大丈夫だろう。問題はもう一人の方だ。
「……気をつけてね」
視えて聴こえる、その対価なのか『引き寄せやすい』体質で、幼い頃から苦労してきたフリッピー。これだけ事が大きくなれば、御守があったとしても遠からず……もしかしたら部屋を出ただけで
そう悩んでいれば不意に、ほんの一瞬痛みに似た冷気がチリッと項を掠めた。両腕を走り抜ける悪寒。嫌な予感。驚いて目を見開けば急に腕を引かれる。犯人は当然隣に居たリフティで。
「なぁ、なんか、いま音が、」
目を向ければ、まるでオレの懸念に引き摺られたかのように難しげな顔。いつの間にかその手は止まり、瞳は不安そうに揺れている。
「おと……声?」
「バッ、か違ぇよ怖いこというじゃねーっつーのっ」
背筋を這う冷気を往なしながら聞き返せば、妙に顰めた叫びを返される。
「フツーに物音……廊下の方から」
両目を眇めて、まるで居ないはずの誰かを憚る様に静かに呟く。
それはどうやら無意識らしいが、だからこそ嘘や冗談でない事は明確だった。警戒しているのか掴まれた腕が少し痛い。
しかしそれは単に、シフティが歩いているだけじゃないのかと言おうとして、
同時に気付く。
あの策士が部屋を出てから何分経った。
それ程広くはない家の中、廊下はそんなに長くない。
「リフ」
引き攣る舌を叱咤して、呼び掛ければ目が合う。きっと同じ事を考えている。
「シフティが、帰ってきてない」
決断は、一瞬だった。
言い切ると同時に立ち上がったオレと、その勢いに引かれながらも留めようとするリフティ。その口が開いて何かを言おうとしたその時、まさに目指そうとしていた部屋のドア、木目調の一枚板が爆発したかのように質量を増した。
どごんッ!!と容赦の無い打撃音。向こう側から恐らくは、とんでもない勢いで殴りつけられたのであろうその扉は、跳ね上がる衝撃を逃がすかのように開いた。元から内開き、過ぎた威勢を除けば何の問題もない。そしてその、開いた先に立っていたのは。
「ッッんだ、よ、あれぇえええぇええっ!?」
他ならぬシフティで、弟と悪友を見咎めた途端慟哭に近い悲鳴を挙げたのもシフティだった。
…………五体満足に顔色悪く、目尻を光らせながらも明らかに元気そうなシフティだった。
「シフ、ティ、えっ、」
「はぁあッ、あ!?あにき!?」
この状況ならどちらかというとオレ達のほうが叫び声を挙げる立場なのではないかと思うが。実際片割れの方は吼えかけていたのだが。
何処ぞの元生徒会長のように扉をぶち開けたのが、得体の知れない異形でも幽霊でもなく実の兄だと気付いたリフティは、こちらも涙目のまま悲鳴を呼びかけにシフトした、の、だが……、次の瞬間、
「いッ!?痛ってぇえっ、つーッ、の!!」
やり直しのように叫び直した。
但し恐怖ではなく身体的な痛みが故に。
原因は叫び終わると同時に振りかぶり、シフティが放り投げた何か。それが直撃したのかリフは両手で額を覆う。そして落ちてきたそれを反射的に受け止め、そのまま投げ返そうとする、その腕を咄嗟に掴んで止める。
「うっせぇよテメエら安全地帯でぬくぬくしやがってテメエらは!!」
オレ達の心配を察しろとまでは言わないまでも、少し元気すぎやしないだろうか。そもそもトイレに行ったのは自分だろうに。
しかしその、いつもと違い動揺を隠さない語調と身形を省みない様子はどうやら、シフティが何か尋常ならざるものと遭遇した事に間違いは無さそうである。何か。恐らく、さっきまでの特性を鑑みるに、何か、視た。
掴んだ手に思わず力が入りすぎたのか、はっとしたようにこっちを向いたリフティの、その隙を突いて掌から奪い取ったのは、
「テメっ、シフてめぇ便所にケータイ持ってってたのかよ!」
「ったりめーだろうが!!丸腰で単独行動やってられっかよ!!」
言い合う二人を他所に、リフとは色違いのその端末に目を落とす。
カメラモードが起動したままの画面を手付き危うく操作して、最後に撮られた一枚を呼び出した。
シフティの言う、あれ、とは。
はたしてそこに映っていたのは、見慣れたこの家の玄関。灰色をした石床の靴脱ぎ場。そしてそこに、まるでたった今到着したかのように脱ぎ散らかされた、いつか見た夕焼けよりもずっと赤い、
「赤い、ハイヒール……?」
【continue?】
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