後日談Ⅴ
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恐らくは昔から鍛えていたのだろう、体格も良く、そして退役してからも変わらず軍の隊服に身を包むその人は、見た目に反してかわいらしいものや甘いものを好んでいる事を気にしている。“似合わない”からと、以前のように気に病むとまでは行かないらしいが──それはそれということで恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。
その証拠に、
「…………」
外観もファンシーに愛らしく、パステルカラーのこじんまりとしたケーキショップのその前に。
戸口の横、客の出入りの邪魔にならないぎりぎりの立ち位置で。
光量たっぷりに撮影された季節限定のパンケーキが載る立て看板へ、ちらちらと横目で視線を送りながら苦渋の表情で立ち竦むフリッピーの姿はまるで結界に阻まれたハロウィーンのお化けのようだった。
「ご、ごめんね、付き合ってもらっちゃって……」
自身の葛藤を見られたのが恥ずかしかったのか、それとも今この瞬間における状況自体が照れくさいのか、目元をやや赤く染めながらフリッピーは言う。
状況というのはつまり、件のケーキ屋の、例に漏れず可愛いテーブルにオレと二人差し向かいで腰掛けている訳だが。
「いつもフレイキーが一緒に来てくれるんだけど今日は先約があったみたいで、その……うぅん、どうしても一人で入る勇気が出なくって……」
そしてフリッピーの目当ては
実に情けなげにそう言うのだが、なるほど気持ちは分からないでもない。店の内装は柔らかいピンクを基調にしているし、飾られている細々としたぬいぐるみだか置物だかも随分と可愛らしい様子で、他のテーブルではギグルスに似合いそうな服装の女の子達が楽しげに歓談している。
男性の客も居ないではないが大抵は連れの女の子と顔を突き合わせていて、もしもここに一人で座っていたらと考えると……性別だとか似合うとか似合わないとか好む好まざる以前に居心地としてあまり良くない、ということは流石に分かる。
「というか、オレこそ良いのか」
目の前に置かれた、甘そうなホットケーキ。正式なメニュー名は難しくて覚えられないそれを……御馳走してもらうほどの事はしていない、というのはもちろん、サイズを考えると全て食べきる事が出来るかも怪しい。当然、入店時にもそれは伝えたのだけれど。
「もちろん。残った分は僕が貰うから、好きなのを好きなだけ食べてね?」
ぱっと答えながら、にこにこと幸せそうにカトラリーを握る姿は無理をしているようには見えない。ので、まぁ、良いか。
ちなみにフリッピーの前には念願のパンケーキが鎮座している。塔のように重なる丸くて黄色い分厚いパンケーキにたっぷりのホイップクリームとフルーツのジャムが載っているそれは、その一皿だけでも中々のボリュームだがやはり身体が大きい分たくさん食べられるのだろう。
「それは……いいな、いつも残すのが悪くて外ではあんまり頼めないから」
「ああ、イチちゃんも小食だものね。大丈夫、任せて!」
やけに嬉しげに堂々と残飯処理係に挙手するところから相変わらず天然が漏れてはいるけれど。聞けばいつもフレイキーとも同じような役割分担をしているらしい。なるほど。「次は三人で来られたら良いなぁ、そうしたら皆で三種類頼める」そう先を思いふわふわと相好を崩している元軍人さんは、やはりオレなんかよりよっぽどこの店にふさわしい客だと思う。
そもそもオレにはパンケーキとホットケーキの違いが分からない。名前以外に何が変わるというのだろう、今度フレイキーに聞いてみようか。強いてあげるならばフリッピーのそれとは異なり、こちら側の盆には事前に掛けるようにとシロップのようなものが渡されていた。これが違いか?
持ち手の付いた陶器の小瓶を皿の上で傾けると、どうやらその中身は蜂蜜のようである。
トロリとした飴状の蜜が、きらきらと照明に反射しながら小麦色の生地の上へと少しずつ落ちてくる。硬い宝石のように、柔い雫のように、細くか弱い糸のように瓶から零れてくるくると落ちていくそれはあんまり見事な
「──そういえば、アイツの名前は役に立てたかな?」
驚いて顔を上げれば、質問者には深い意図は無かったようで、にこ、と微笑んで、食べる? と自身の皿を差し出してくる。とりあえずそれは一旦辞退したのだけれど。
「この前、イチちゃん記憶が戻ったって挨拶しに来てくれたでしょう? だから、実は少しだけ気になってたんだ」
確か、それで何か思い出せそうだからって言ってたよね。甲斐はあった?と、そう無垢に純粋な顔で尋ねてくる
それから
しかしながらその辺りの事まで詳しく話してしまうとある種この街の禁忌にまで触れてしまう。なので時間稼ぎ紛いにもう一口、小麦粉菓子を切り分けて不意に気付いた。四角く分かれたホットケーキの表面を滑る金色。
「もしかして、フリッピーが教えるように言ってくれたのか?」
名前、思えばあの時それを
「ううん、教えたら? とは言ったけど強制はしてないよ。そっか、やっぱりアイツ自分で言ったんだね」
皿の上の割合として大きすぎる白いクリームを、もはやそれだけスプーンに掬って頬張るフリッピーはその甘みの所為なのか幸せそうに目を細めた。そうして何か企みが成功したような、もしくは懐かしいものを思い出すような声でそう言う。そうだ、以前は少し、その声音に滲む懐旧を身の程も知らずに羨んだりもしたのだったが。幸せなだけではないだろう過去とは言え、そんな過ぎた時を思い起こす事のできるフリッピーに、当時のオレは無い物ねだりを起こしたものだった。思えばあれはどこか嫉妬に似た感情だったのだけれど。
今となっては純粋に嬉しく思う。こうしてこの、大切な友人が穏やかに過去を想えていることを。
「……もしかしてオレは、謝った方がいい、のかな」
「──えっ、イチちゃんが僕に?どうかしたの?」
「いや、フリッピーの
それこそ名を知ったあの時の、どうしようもない一方的な拒絶を思い出して知らず身が竦む。
「あはっ」
珍しさを感じるほどに、不意に弾けたような笑顔だった。それこそ子供のような。
「そんなことで謝られちゃったら、僕はイチちゃんにあいつのことでどれだけ詫びれば良いか分からないよ」
そうして指摘するまでもなくコーヒーを飲む傍ら口の端の粗相を拭う。
少し、どころかかなり思いがけない反応だったので、驚いてしまい何も言えないままでいれば再び、改めてフリッピー念願のパンケーキを勧められたので漸く一口貰う事にする。花蜜味とはまた違う、ホイップクリームのほわほわした柔らかさとジャムの味。
「そうだね、どちらかと言えば、僕は……お礼を言わなきゃと思ってたんだけど」
「お礼?」
「そう、アイツと仲良くしてくれてるお礼」
目を伏せながらそう言うが……それはさすがに、金色のあの人に怒られるのではないだろうか。気まずさを吐露するもあちらの方では飽くまで意見が異なるようで首を傾げる。
「うぅん、あっちの僕から逃げないのはディドさんとイチちゃんくらいだし」
「それは、そうなのかもしれない、けど」
そこに英雄の名前が並ぶのなら一層強く思うが、オレはどちらかというと、あの人にはもう……嫌われてしまったのかと思っていたのだけれど。
「それはないと思うよ、無いよ」
先程のお返しとして差し出したホットケーキを、控え目にフォークで崩して頬張りながらフリッピ―はやけにきっぱりとそう言う。「それは分かるよ、だって
……そうか、嫌われてはいないのか。
「…………そっか」
それなら良かった。
ほぅ、と寒い日に空に吐くような息が漏れる。
無意識に力が抜けたらしく、とん、と椅子の背凭れに肩がついた。その音が妙に響いた気がして慌てて姿勢を正せば緑の瞳とぱっと視線がぶつかる。
「言えて良かったよ。本当にずっと思ってたから」
柔らかに落ちる若草の髪の隙間から、見える瞳は本当に安心したように笑み崩れていたので今度こそ勘繰る余地も無くそれは本音なのだと、耳を通った言葉が腑にまですとんと落ちる。
「僕の全部と仲良くしてくれて、ありがとう」
オレの方こそ。
と、そう思ったのだけれど何故かうまく言えない気がして言葉を飲み込んだ。それが分かったわけでも無いだろうがフリッピーは気にした様子はなく、どころかきっと本当に伝える事が彼にとっては肝要だったのだろう、一段落したとばかりに話題は甘い菓子のそれに移る。
……いつか、オレも伝えられる時が来るのだろうか。こんな風に心から言えてよかったと、そう思えるくらいに。誰かに、何かを。
話に夢中になって、すっかり疎かになっていたフォークを握った手を動かす。
思い出したように頬張ったホットケーキの蜂蜜の甘さは一口目よりも丁度良く舌の上で溶けた。
【end】
(ところで時間は大丈夫かな……もう一皿頼んでもいい?)
(それは本当に好きにして貰って大丈夫だ)
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