終幕
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名探偵を気取るわけではないけれど、目の前に広がる光景は、大体予想の通りだった。小高い丘と、聳える巨木。
ただ、ここには風もなく空には雲もなく、音もない。例えて言うなら静止画の中に入り込んだような違和感に包まれる。
オレと、多分、零も錠剤を飲み込んだ、その後一瞬の間もなく視界が眩んだ。
立っていられないほど地面が揺らいだような気がするのに、自分の足は微動だにしていないというとんでもない矛盾を経て、増した光量に視界を安定させればそこはもうスニフの家ではなく、この妙に広がる空間だった。
「……っは、なに……、ここどこ?」
不意に静寂を破って声が届く。零だ。すぐ隣に立って、目を真ん丸に見開いている。
まあ、心構え無しでこんな事が起これば、そうなるよな。
自分でも驚くくらいのんびりと、そう思う。
その衝撃で、ついでにさっきのオレの狼藉もスルーしたままでいてくれないかなとさえ内心で嘯いた。零の平手打ちは、結構痛い。
「さっき、色々考えてたって言ったけど、」
ハッピーツリーに違いない木の幹を見ながら口を開けば、零がこっちを見るのが気配でわかった。
「最初のきっかけはフリッピーのことだったんだ」
唐突に話し出したオレに、零は怪訝そうにするが構わず続ける。
「フリッピーが、フリッピーたちが、なんでこの街に居られるのかを考えた」
元軍人。それも陸軍の小隊長。
自分の過去をオレに教えてくれたのは瞳が緑のフリッピーだった。
「だって、二人とも自分が軍に所属してたことも、人を殺したことも覚えてるのに。それは、零が言った『条件』を満たしたことになる筈なのに、あの二人はまだこの街に居る」
どこか白々しい風景を背に、零の黒い瞳が少し見開く。
だがそれもほんの僅かな時間で、すぐに何でもないような表情が一瞬の動揺を掻き消した。
「それはここに来た時に人格がきっぱり分かれたからでしょ。あの軍人の方は殺人鬼が殺した人間を自覚できてないし逆も然り」
「あ、一緒だ」
「は?」
「オレが考えてたのと同じ。でも零すごいな、一瞬で分かるんだ」
思わず感心してみれば、零は何故か呆れたようにオレを見た。
それは多分、零の素の表情に近いもので、少しだけほっとする。すると零はそのまま追加の返答をよこした。
「それに条件は満たしてないし。だってあの二人は自分が死んだこと知らないんでしょ?」
あ。と思わずまた口を開けてしまう。すっかり忘れていたもう一つの条件。なんでだろう、零も、フリッピーも他の皆も、目の前で生きて動いて会話して、だからすぐ失念してしまうのだ。彼らが死んでしまっているということを。……失念したくなるのだ。
「自分が死んだことを思い出さなきゃ意味ない……っていうか、多分殺したことを思い出してる人は少なからずいるんじゃないの?」
「……え?」
「例えば何人も何人も殺したヤツは、その一人だけ覚えてるなんてことも有り得るし。その場合、他のも全部思い出すまでここから出られないままだと思うけど」
「そ、っか」
そういうことになるのか。
呟きながら、オレは熟考し直していた。
すっかり頭から抜け落ちていた条件を嵌めてそれでも尚、オレの企みは機能するのかどうか。
そんなオレを他所に、今度は零がハッピーツリーを見据えていた。
さっき、オレの前で本音を漏らしたせいなのか、どこか憑き物の落ちたように、すっきりとまではいかないまでも自然体に近いその姿。
別の言い方をするならば、憎悪や敵意で飾った仮面が剥がれたような。
裁かれるのを待っているような。
そんな創造主を見つめながら、オレは演算を終え口を開いた。
「オレはさ、零も同じだと思ったんだ」
妙に整然とした思考の中で、独白のように話し続ける。
「零がここから出られないのは、元々零の一部だった筈のオレが、『魂のひとかけら』が零から離れて勝手に動いてるから。この人格や感情が、言う通り仮初の“無いもの”なら、オレと零はまだ二人揃って“一人”の勘定なんだと思う。だから零は全部覚えてるのにここから出られない。だってオレが……何も覚えていないから」
正確に言えば、覚えていないのではなく、そもそもの記憶を持っていないのだけれど。オレはモールさんに拾われたときに生まれたといっても語弊はない。だからいくらハッピーツリーから零の過去を得たところで……それは思い出したのとは別物なのだ。その過去はオレの過去でなく、零の過去なのだから。人の過去を聞いて、それで自分の記憶を取り戻した、とは言えない。知っているのと、持っているのではわけが違う。
それなのにオレは零の一部でありオレと零は二人で一人。
かけらに過ぎないとはいえ、『自分の中の一部』が記憶を自覚しない限り、零がここから出ることは叶わない。
フリッピーたちが一人で二人なのに対して、オレたちが二人で一人なのは何故なのか。
彼らが共依存めいた関係に落ち着いているのに対してオレたちの考え方が自己淘汰的なものに基づいているから?それともオレの存在がそこまで危うく微かなものだという証左に過ぎないのだろうか。
さすがに、どれだけ考えたところで明確な答えは分からないのだけれど。
オレは思考のベクトルを元に戻した。
「だから、オレは……まだ消えるわけにはいかなかった。オレがあのまま、零と分かれたまま消えてしまったら零は二度と壱のいる世界に戻れなくなる、から」
無理やりにでも、もう一度オレは零に取り込まれる必要があったのだ。
「……え、っと、変なことして、ごめん」
今更のように謝れば、意外にも零は怒らなかった。代わりに一つ、溜息を吐く。
「はぁ…もうどうでもいいけど。なんだったのほんと」
どちらかと言えば呆れられている気がするが。
「ごめん咄嗟に方法が思いつかなくて。嫌かなとは思ったんだけど、オレは元々零だし、大丈夫かなって」
「あぁそう、非常識の自覚はあるの」
毒気の抜けた零の視線はなんだかむず痒くて、後ろめたさに言葉が濁る。
「えっと…ほら…人工呼吸みたいな…回し飲みみたいな……そういう扱いにならないか」
なるほどオレはとことん言い訳が下手くそらしい。わやわやと足掻いていればクッと喉が鳴る音がした。慌てて顔を上げれば、そこには思いもかけないものがあった。
「あんたね、私の知識が全部ある癖になんでそんなにバカなの?」
零が、笑っていた。
あぁ、これは……。今まで得たどれも重ならないこの感情にはきっと、どう足掻いても名前を付けられないだろう。暖かくて苦しくて、出来ればずっと浸っていたい。
納得と諦観。
歓喜と絶望感。
この人がきっとオレの還る場所。
そして今から永遠に失うオレの大切なもの。
「もう、終わらせようか」
やがてオレの
「ここはどこ」
そこにはもう笑顔はなく、かと言って昨日までの嫌悪もなく、ついさっきまでの誤魔化しもなく。
「多分、零がこの街に来る前にいたところ……いや、そことは別なのかな」
オレにもよく分からない。
正直に白状すれば、零はますます呆れたようにオレを見た。それはなんだか出来の悪い妹を見る姉のような顔で、……それがオレは何故かとても嬉しかった。
「──ここは、一歩手前なんだと思う。待合室、みたいな、準備室みたいな」
待合、準備、それは何の?──輪廻の。
恐らくは後一歩踏み出せばいいだけのオレたちのための場所。
「それで、あんたはこんなところにまで私を連れてきて、私に着いて来て、で?」
人間になった人形の、御伽噺を読んだ事がある。
彼はきっと、自分の願いが叶ったとき、こんな気持ちだったんじゃないだろうか。嬉しいとかそんなんじゃなくて。今なら、何でも出来るんじゃないかって、とても静かな高揚感。
……ああ何だってしてみせるさ。
大切な、お姉ちゃんのためならオレは。
「一体なにがしたいっていうの?」
さあ、幕を下ろそう。
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