過去
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私はそいつの名前を知らない。だから便宜上『人買い』と呼ぶことにする。顔しか知らない男を『叔父』と呼ぶのと大して変わりはない。
『人買い』は『叔父』と共に書庫にやってきた。私の顔を見て、全身を舐めるように見て、最後に髪と目を見て表情を歪めた。
ここに居るのが、私でよかった。
『個人的に髪と目はいただけないが、まぁ変な趣味の輩は五万といるからな』
こんな目にあうのが、壱じゃなくてよかった。
私はそっと毛布の下に手を入れた。
『叔父』は早々に背を向け書庫から出ようとしていた。
『人買い』はゆっくりと近づいてきた。
そして『人買い』の胸には包丁が突き立った。
『────がっ!』
抜いた。
血が、私と壱の毛布にかかって、とても悲しい気持ちになったのを覚えている。『人買い』はそのまま倒れた。私はそれを避けた。
『な、な……、な、ん……っ!』
気付けば、突然言語を操れなくなった『叔父』が殴りかかってきた。私はそれも避けた。普段は服で隠れているだろうが、殴られたり、蹴られたりした痣が私の体にたくさんある。いくつかの『仕事』のせいだ。慣れた動作を避けるのは他愛もないこと。そういえば、『仕事』によっては避けることを許されていないので最近は痛覚が自分にあるのかさえ不安になってきた。まあ、壱にばれなければどうでもいいけど。
勢い余って転びかけ、無防備に晒された『叔父』の背中を斬りつける。本当はさっきみたいに刺したかったのだが、『叔父』が逃げたので斜めに赤い線が入っただけだった。
『叔父』はそのまま、何事かを叫びながら廊下へと逃げていく。書庫は二階にあったので、階段を下りようとしているらしい。私は追いかけた。逃げられては、意味がないのだ。大して広くもない背中。私は──私達はずっとこんなやつに囚われていたのか。私はそれを思いっきり押した。重たいものが転げ落ちる、耳障りな音がしばらく響いた。
それでも一応、十年間雨風を凌いだ書庫を貸してもらった恩はある。階段を慎重に降りた私は、微かに息のあった男の遺言をしっかりと聞いた。
『……こ、の……悪魔、め…………』
予想以上にくだらなかった。
何を今更、とさえ思った。
『叔父』はとうとう私の中の狂気を見抜けなかったのだ。だから死んだ。
壱のためなら、私は全てを捨てる事が出来るのに。
こうして生きている人間が私だけになった家の中で、私はやるべきことを着々と進める。
このままでは、……壱が『人殺しの兄』になってしまうからだ。
包丁を適当に捨てると、燃料として置いてあった灯油を家中に撒いた。死体にも念入りに振りかけて、マッチを取りに台所へ行く。
今日、私の代わりに壱が行ったのは、パン屋の雑用だ。
今となっては数少ない、汚れてない仕事。
パン屋はここからそう遠くない場所にある。きっと仕事時間内に、パン屋のおかみさんは煙に気がつくだろう。彼女は私に同情してくれていた。表立ってこそ何もしてくれないが、髪や目のことで差別することもない。
きっと、『火事』で家が焼けて『後見人』と『妹』を亡くした少年を無碍にしたりはしない。
マッチを落とした。
面白いくらいあっけなく、ひどい勢いで火の手が上がる。私は足の裏を焼きながら書庫へ向かった。死体は二つともよく燃えていた。
狭い部屋。
汚れてしまったが、まだ何とか燃えていなかった毛布を拾う。本棚から壱と私のお気に入りの本を一冊選び取った。
──女の子がウサギを追いかける話!
壱の声が蘇る。
本を抱きしめて、毛布にくるまって、目を閉じる。
そろそろと遠慮がちに、私が燃える臭いが辺りを漂い始める。
私は壱を守ることで自我を保っていた。
壱も守られることで自我を保っていた。
守ってくれる妹が、そっと甘やかしていた妹が、『私』が居なくなることに、壱は耐えられるだろうか。
壱と零は双子だから、きっと壱にだけは私のやった事がすぐに分かると思う。壱からすれば、私は壱を言い訳にこの世から逃げる卑怯者だ。壱を捨てていく薄情者だ。自分のした事の結果さえ見届けることの出来ない、無責任な体たらく。
怨まれるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
それは心臓が破裂しそうなくらいに辛い。
けど、それでも、どうしても──
「笑って、いーちゃん」
──あなただけは守りたかった。
【end】
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