過去
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『叔父』は私と兄を引き離そうとはしなかった。それは私が彼に感謝している唯一の点だ。
自分の家に私達を連れ帰った『叔父』は、私達を狭い書庫に押し込めた。
明り取りの小さな窓のほか、四方を囲う本棚、そこから溢れ出した書籍。毛布を一枚と、私達が生家から持ち出せた僅かな荷物。そんな物と一緒に詰め込まれて、生きるために必要最低限の行為以外は基本的に許されない。
『叔父』が何を考えて私達を引き取ったのかは分からない。もしかしたら……もしかしたら、両親は私達兄妹に遺産を遺してくれていたのかもしれない。
──私達を幸せにするために。私達と幸せになるために。
本当のところは、もう分からない。
幸せなだけで居られなくなった私達は、数年間、家事や雑用をさせられて、その後は毎日働きに出た。そうしないと生きられなかった。
そんな中でも私の支えは、同じ顔、同じ境遇の片割れ……兄の壱だった。
「壱、寒くない?」
「寒いけど、零も寒い?」
「……寒い」
「もっとくっつこう」
「ん」
「あったかい?」
「ちょっとだけ」
もし、壱がいなければ。
もし、私がいなければ。
そんな仮定が成り立たないくらいに寄り添って、私達は地獄を生きた。
そしてそれが、昔を懐かしむ事もなくなるくらい日常と化した頃、私達に、いや、私に、何度目かの転機が訪れる。
「壱?」
「うん……」
「い──、ッどうしたの!?壱!」
その日は壱が体調を崩して、私だけが外に出ていた。仕事内容はころころ変わる。そのときは何をしていたのか、そんな些細なことは覚えていない。申し訳なさそうにする兄を無理矢理寝床に押さえつけ一日の仕事を済ませ、書庫に帰ってきた私は心底動転した。
……壱は泣いていた。
「壱、辛い?吐く?」
「ううん、ちがう。違うよ」
駆け寄って、壱が手に何かを持っていることに気付いた。それはここに来てからずっとあったもので、とっくに見飽きて風景と化していた筈のものだった。
「本読んでたの?」
「……うん」
「どうして、泣くの?」
「……感動したんだ」
「お話に?」
「それもだけど、本が読めることに感動したんだ……こんな場所でも、新しい事が学べるんだ」
正直、その感覚は私にはよく分からなかったけど、壱の涙はこっちまで泣きたくなるくらいに綺麗で。
そういえば小さい頃、壱は本ばかり読む子供だった。
「壱、好きなだけ本をよんでいいよ」
「零?」
「あいつが来るのは朝と夜のごはんを置きに来るときだけだもん。壱は病気が治ってない振りをしたら大丈夫」
「だい、じょうぶって……?」
「壱はもう、外に行かなくてもいい。ずっと、本を読んでてもいい」
「えっ、零は?」
「私は今まで通り仕事に行く。そしたら大丈夫だよ」
勿論、大丈夫な訳がない。
私はその日、壱の寝ている隙に『叔父』に頭を下げに行った。
兄の体が弱くなったようだ。自分が、これから二倍働くから、兄には部屋で療養させてくれ、と。
驚くべきことにそんな言い分はすんなり通った。稼ぎが減らないのなら。『叔父』は結局、私や、兄個人には興味がなかったのだ。
壱は最初、当然のように嫌がった。自分だけが部屋で守られることを。私だけが外で傷つくことを。
けど私はその頃から壱を守ることで自我を、自分の心を守るようになっていた。
大切なものを持つことで自分を守っていた。
私は、私の大事なものをこの手で守っていると、その矜持だけが私の心の綻びを繕っていた。それが分かったのか兄はやがて不満を口に出さなくなった。
「ただいま、壱」
「おかえりなさい、零」
仕事から帰ってくると、時間が不規則なのにも関わらず、壱は必ず起きて私を迎えた。
「今日は何の本読んだの?」
「女の子がウサギを追いかける話!」
「うさぎ狩りの話?」
「……ちょっと、違うかな。ほら、零おいで」
壱はいつもそうやって、外から戻った私を毛布でくるんで、時には自分が読んだ本の話をしてくれた。私が壱を守ることで自分を守っているように、壱も私を甘やかすことで自分を支えていたのだろう。兄は本当に本が好きなようで、ぐんぐんと知識を吸収して、どんどん賢くなっていった。
「零、おやすみ」
その笑顔を守るためなら何でもしようと思った。
歳が十代の半ばを過ぎると、もう仕事も選べなくなった。
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