出口
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多分居るだろうことは分かっていた。
初めて会った時から、何度もそこで顔を合わせているから……それでも、思った通りの場所でその姿を見つけると一安心する。
「ラッセル!」
コンクリートで出来た道の先。
青い海から波が寄せている港に、言いながら近寄って行くと釣り人は目を真ん丸くして驚いていた。
「ぅ、お!?……イチか?」
いつもと変わらず、ブリキのバケツを横に置き堤防に腰掛けて釣竿を海面に垂らしている。
何故か呆気にとられたようにこちらをまじまじと見ている色鮮やかな単眼は、やがてふ、と細く閉じたかと思えば「まあ座れよ」と隣をフックでこつこつ叩いた。言われた通りに、叩かれたアスファルトの上に座る。
……ここまで急いできたのだが、陽に暖められたセメントに腰掛けて海賊然とした釣り人を見ていると、妙に落ち着いた気分になってしまい呼びかけた勢いが沈下してしまった。そんなオレを見てラッセルは思わずという風に笑う。
「なんだよ、お前さんちょっと見ない間にデケェ声出るようになったかと思ったら。……成長してんだかしてねーんだか」
「……うん」
ラッセルのバケツには、すでに半分ほど魚が入っていた。毎日毎日こんなに釣ってどうしてるんだろう。やっぱり、食べるのだろうか?
自分でも不思議なほどに、数ヶ月前に逆戻りしたように無口なオレにラッセルは何も訊かない。
晴れた空から降りる日差しが、波間を照らして青い大きな水溜りは一層深く明るく輝いていた。誰かが、両手いっぱいの光そのものを巻き散らかしたように、どこまでもそのキラキラは広がっていく。それこそ、初めにこの人と話した時には、同じ場所でもこんな事は思った覚えが無いのだけれど。
「海って……綺麗だな。広くて大きい」
「おっ、歌か?」
陽気に笑って、俺は歌わんけどな。とわざわざ注釈を入れる。
突然名を叫び、そして黙り込んでもオレが喋り始めるまでずっと待っていてくれて、そのくせ口を開けば他愛の無い戯言にも途端に反応を寄越してくれる。……自分でも不思議な程に口の重さが逆戻りした理由が解った。多分オレは少し、甘えているのだ、この人の纏う空気に。
「ラッセル、は」
「ん、 なんだ?」
「この街に来る前のこと覚えてる?」
「…………ああ、一応な」
「最近この街から出たのって、いつ?」
視線を、バケツから移せば少しぎょっとしたようなラッセルの顔を目が合った。
「いや、確かに海ってか湾内には出るけど、『街』から出たことはねぇよ」
思い返すのはつい数十分前のフレイキーとの遣り取り。
『フレイキー、ここから出たことある?』
『え、えと、ボクはこの街から出たことは──ないの』
意識せずとも重なる、二人の答え。
「…………」
昨日、英雄と空から街を見下ろした時、この街には…………出口が、なかった。
いや、道はあった。街の端も見た。殆ど森に囲まれているようではあったが、封鎖されているわけではない。それなのに、オレにはこの街を出るための『道』が、認識 でき なかった のだ。恐らくは街を出るための道を視線で辿って、辿って、していると、あの頭痛だ。
明らかに異常事態だと思った。
そしてフレイキーに、街から出る事があるか訊いた時、思いついたのだ。この街は、森と、海に囲まれていることに。
だから、港に来た。釣りをしているラッセルに訪ねに来た。けど結局は──
「イチ?」
ラッセルの心配気な声を聞いて、オレは口を開いた。
「ここに来る前の事を思い出そうとすると、」
「──、おう」
「白い、もやもやで頭がいっぱいになる。そのせいで何も見えなくなる」
オレが一旦話し始めると、ラッセルは海の方を向いた。オレもそうした。
「最初のころはただ思い出せないだけだ思ってたけど、それが、もやもやしてるだけだと思ってたけど」
ふとした言葉の何かが引っかかった時。知らない筈の気持ちをこの身体の中に見つけた時。不意に頭が白く靄がかるのは、単に脳が思い出そうと足掻いている証左だとそう思っていたのだけれど。……ひっそりと確信したのは、いつかの喧嘩に巻き込まれたとき。昔の事ではなく、ごく近頃の事を思い出そうと記憶を捲り返した時。
──その余りの違いに、確信した。
『頭が白く霞んで思い出せない』なるほど、そういう慣用句はこういう時に使うのだろう、と、容易く思い出した目当ての記憶に愕然とした。比喩 として表現される現象がこんなものなのなら。ならば本当に過去を求めた時に邪魔するあれは違う。あまりにも、その質量が違う。
「思い出そうとして頭の中が真っ白になってるんじゃない、白い靄が立ち込めてるから、その奥にあるものが、多分、記憶が、見えなくなってるんだ。上手く言えないけど……あれ が比喩なら、これ は本当に在る。白い、霧みたいな。それで、たまに、揺れる」
「──霧が晴れるってことか?」
「晴れたことは、ない……」
例えばフリッピーの金の瞳を見ている時、その叫びを聞いた時、白い霧はゆらゆら揺れて、
「晴れはしないけど、向こう側に何かがあって」
「見える?」
「見えない。あるのが分かるだけで。霧が揺れた時その向こうに何かが──『誰か』が『居る』」
考えていたことではあった。
それでも、改めてはっきりと言葉にするとそれは凄く恐ろしいことに思えて、海に向けて垂らしている爪先から冷えが立ち上ってくるような気がした。ただ、オレはその『向こう側にある何か』を怖いと思っている訳ではないのだ。寧ろそれを──知りたいと……知らなければ ならないと思う。
オレは何度も霧を晴らそうとした。その向こうに手を伸ばしたかった。
金目のフリッピーに構うのも、既知と未知の境を図書館で探すのも、その手段の一つだ。
でも、今のところ白いもやもやは一向に減らない。オレの視界を頭の中でどこまでも邪魔する。
──昨日の頭痛は、その霧と同じ感じがした。
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多分居るだろうことは分かっていた。
初めて会った時から、何度もそこで顔を合わせているから……それでも、思った通りの場所でその姿を見つけると一安心する。
「ラッセル!」
コンクリートで出来た道の先。
青い海から波が寄せている港に、言いながら近寄って行くと釣り人は目を真ん丸くして驚いていた。
「ぅ、お!?……イチか?」
いつもと変わらず、ブリキのバケツを横に置き堤防に腰掛けて釣竿を海面に垂らしている。
何故か呆気にとられたようにこちらをまじまじと見ている色鮮やかな単眼は、やがてふ、と細く閉じたかと思えば「まあ座れよ」と隣をフックでこつこつ叩いた。言われた通りに、叩かれたアスファルトの上に座る。
……ここまで急いできたのだが、陽に暖められたセメントに腰掛けて海賊然とした釣り人を見ていると、妙に落ち着いた気分になってしまい呼びかけた勢いが沈下してしまった。そんなオレを見てラッセルは思わずという風に笑う。
「なんだよ、お前さんちょっと見ない間にデケェ声出るようになったかと思ったら。……成長してんだかしてねーんだか」
「……うん」
ラッセルのバケツには、すでに半分ほど魚が入っていた。毎日毎日こんなに釣ってどうしてるんだろう。やっぱり、食べるのだろうか?
自分でも不思議なほどに、数ヶ月前に逆戻りしたように無口なオレにラッセルは何も訊かない。
晴れた空から降りる日差しが、波間を照らして青い大きな水溜りは一層深く明るく輝いていた。誰かが、両手いっぱいの光そのものを巻き散らかしたように、どこまでもそのキラキラは広がっていく。それこそ、初めにこの人と話した時には、同じ場所でもこんな事は思った覚えが無いのだけれど。
「海って……綺麗だな。広くて大きい」
「おっ、歌か?」
陽気に笑って、俺は歌わんけどな。とわざわざ注釈を入れる。
突然名を叫び、そして黙り込んでもオレが喋り始めるまでずっと待っていてくれて、そのくせ口を開けば他愛の無い戯言にも途端に反応を寄越してくれる。……自分でも不思議な程に口の重さが逆戻りした理由が解った。多分オレは少し、甘えているのだ、この人の纏う空気に。
「ラッセル、は」
「ん、 なんだ?」
「この街に来る前のこと覚えてる?」
「…………ああ、一応な」
「最近この街から出たのって、いつ?」
視線を、バケツから移せば少しぎょっとしたようなラッセルの顔を目が合った。
「いや、確かに海ってか湾内には出るけど、『街』から出たことはねぇよ」
思い返すのはつい数十分前のフレイキーとの遣り取り。
『フレイキー、ここから出たことある?』
『え、えと、ボクはこの街から出たことは──ないの』
意識せずとも重なる、二人の答え。
「…………」
昨日、英雄と空から街を見下ろした時、この街には…………出口が、なかった。
いや、道はあった。街の端も見た。殆ど森に囲まれているようではあったが、封鎖されているわけではない。それなのに、オレにはこの街を出るための『道』が、
明らかに異常事態だと思った。
そしてフレイキーに、街から出る事があるか訊いた時、思いついたのだ。この街は、森と、海に囲まれていることに。
だから、港に来た。釣りをしているラッセルに訪ねに来た。けど結局は──
「イチ?」
ラッセルの心配気な声を聞いて、オレは口を開いた。
「ここに来る前の事を思い出そうとすると、」
「──、おう」
「白い、もやもやで頭がいっぱいになる。そのせいで何も見えなくなる」
オレが一旦話し始めると、ラッセルは海の方を向いた。オレもそうした。
「最初のころはただ思い出せないだけだ思ってたけど、それが、もやもやしてるだけだと思ってたけど」
ふとした言葉の何かが引っかかった時。知らない筈の気持ちをこの身体の中に見つけた時。不意に頭が白く靄がかるのは、単に脳が思い出そうと足掻いている証左だとそう思っていたのだけれど。……ひっそりと確信したのは、いつかの喧嘩に巻き込まれたとき。昔の事ではなく、ごく近頃の事を思い出そうと記憶を捲り返した時。
──その余りの違いに、確信した。
『頭が白く霞んで思い出せない』なるほど、そういう慣用句はこういう時に使うのだろう、と、容易く思い出した目当ての記憶に愕然とした。
「思い出そうとして頭の中が真っ白になってるんじゃない、白い靄が立ち込めてるから、その奥にあるものが、多分、記憶が、見えなくなってるんだ。上手く言えないけど……
「──霧が晴れるってことか?」
「晴れたことは、ない……」
例えばフリッピーの金の瞳を見ている時、その叫びを聞いた時、白い霧はゆらゆら揺れて、
「晴れはしないけど、向こう側に何かがあって」
「見える?」
「見えない。あるのが分かるだけで。霧が揺れた時その向こうに何かが──『誰か』が『居る』」
考えていたことではあった。
それでも、改めてはっきりと言葉にするとそれは凄く恐ろしいことに思えて、海に向けて垂らしている爪先から冷えが立ち上ってくるような気がした。ただ、オレはその『向こう側にある何か』を怖いと思っている訳ではないのだ。寧ろそれを──知りたいと……
オレは何度も霧を晴らそうとした。その向こうに手を伸ばしたかった。
金目のフリッピーに構うのも、既知と未知の境を図書館で探すのも、その手段の一つだ。
でも、今のところ白いもやもやは一向に減らない。オレの視界を頭の中でどこまでも邪魔する。
──昨日の頭痛は、その霧と同じ感じがした。
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