終幕
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……ッ!」
堪らなくなって飛びついた。その細い身体に抱きついた。
溢れる涙を止めたくて、でもどうしていいか分からなくて抱きしめる力を強める。零は抵抗しない。ただ片割れの腕の中で嗚咽と共に震えている。
そのあまりの華奢さに、儚さに、脳髄がぶん殴られたような気がして背筋が冷えた。
「零っ、零、聞いて」
零は、オレのせいじゃないって言ってくれるけど、でもやっぱりオレは忘れてはいけなかったのだ。
忘れるようになっている、とか、そもそも初めから記憶は持っていないとか、そういう理屈は抜きにして。そういう理屈は、飛び越えて。
そんな整然と説明できるような筋の通った道理になんて従ってはいけなかった。そんなものは無視して、気合でも根性でもなんでもいいから、オレは忘れてはいけなかった。覚えているべきだった。 零を独りになんてしちゃいけなかった。
こんなにも、無力な女の子だったのに。
「オレは知ってる。零が、ずっと一人で頑張ってたのを知ってる!」
一人で頑張って、そして気付けば独りで、何も知らないオレを見ていることしかできなくて。
でも……だからこそ。
だからこそもう忘れない。
「オレは零のことを忘れない。零がこれまでどんなに頑張ったのかを忘れない。零がどれだけ壱を大事に思ってたのかを忘れない」
誰が零の事を嫌っても、オレだけは零の事を好きでいる。世界中の人が零を見捨てても、オレだけは零の手を取る……誰を敵に回したって、零が断ったってオレは零の味方でいる。たとえ、オレの存在が世界のどこからも消えたとしても。
「もう絶対、ひとりぼっちになんかさせないから」
だから、
だから、大丈夫だよ。
ずっと、独りにしてごめん。
「ごめんね、零」
宥めるように背中を撫でて、
「大丈夫だよ、零は汚れてなんかない。汚れてたってその汚れごと、オレは零を誇るよ」
ようやく少し落ち着いた目元を拭った。それでも溢れてくる涙は、とても綺麗に映る。
「もう嫌われようとなんかしないで。憎まれ口も叩かなくていいよ。そんなことしたってオレは零から離れてあげないから」
一歩下がれば、零の顔がよく見えた。その手をしっかりと握って確かめた。微かに握り返されると、とても暖かく感じて、その温もりは何か大切なかけがえのない、小さな生き物みたいだった。
「壱だって、零を嫌ったりなんてしない。叱ってはくれるかもしれないけど、恨んだりなんて、しない。だって、零の……、オレ達のお兄ちゃんは妹の努力を否定するような人じゃないでしょう?」
問いかければ、零の目から一際大きな雫がほたりと落ちた。
「神様は零のことを助けてはくれなかった。だから代わりにオレが、零の願いを叶える」
言って、そっと零の手を離す。
少し後ず去ればハッピーツリーの全貌が見えた。相変わらず荘厳で、何事にも動じないように立っている。それでも、オレはもう畏れる気はなかった。
「オレが、零を壱のところに連れてってみせるよ」
「待っ……!」
追いすがろうとした零を拒むように、今まで微動だにしなかった風景が初めて僅かに揺らぐ。不自然に強い風が吹き、オレの体を攫うように距離が離れた。
「やめっ、やめてよ馬鹿じゃないの!?そんなことしたら本当に消えちゃうのにっ!」
カッコつけてんじゃない!と叫ぶ、零に、憎まれ口は案外素だったんじゃないかと愉快な気分になる。
だってもしそうなら、零は最初からオレに、少しは自分を晒しててくれたんだよね?
「大丈夫、オレのことは本当に気にしないで」
「なんで!!」
「なんでも」
「き、消えるのよ!?私がいなきゃ、ううん居ても、あんたが生まれるなんて奇跡はもう起こらないって、わかってる!?」
「わかってる」
零が居なければ。零が居ても。
オレを造り上げているのはあの街の人たちと過ごした日々なのだから。
「やめなさいッ!」
「やめない」
答えた途端、風が一層強くなり、ふ、と両足が数センチ浮かんだ。心もとない感覚の中、零には何も起こっていないことを確かめて、安心する。ただ姉は「やめなさいよぉ」ともう一度だけ弱弱しく呟いた。
「そんな、の、怖くないの?」
涙目のまま、どうにか説得しようと問いかける零に、一瞬固まる。
「言ったでしょ、見てたの。私はずっと見てたのよ、『あんた』を!」
腰の横で、服の裾をぎゅっと握りながら零が叫ぶ。
「だってそれしかすることないんだから!ずっとずっと見てたわよ、あんた、あんなに、ずっと、ずっと、楽しそうだったじゃない……!」
風はますます強くなり、そしてオレはようやくこれが風でないことに気付く。
光だ。
陽光じゃない。不自然にまで白くて作り物めいた、かといって人が造ったものでもなさそうな、実体を持つ光。
「記憶も無いくせに、初めは碌に考えることもできなかったくせに!それでもちゃんと喋れるようになってったじゃない!笑えないくせに、生意気に友達なんかつくっちゃって、目的持って護られるだけを良しとしないで、好き勝手やって!!」
零の叫びが、頭を、心をぶん殴る。
「ぁ、オレ、は、」
そんなだった?
そんな風に過ごしてた?
聞き返すつもりの言葉が何故か震えて続かなかった。
「きっと誰かには大切に思われてて、きっとまた会いたいと思ってもらってて、いっぱいの人に自分の存在を望まれてて!」
光が、質量を増していく。
両の足は既に絡めとられて、太ももから腹へと徐々に、呑まれていく。
「それでも、消えるのが怖くないっていうの!!」
零が、お姉ちゃんが、また泣いてる。
「こ、わく、オレは、」
それをちゃんと止めたいのに、何故か零の姿が一瞬ぼやけた。もう全部呑み込まれたのかと焦るが、光はまだ腰の辺りでとぐろを巻いていた。オレは意図的にそれから目を離す。
「こわく、ない、オレは怖くなん、か、な──」
「じゃあどうして!!」
間髪入れずに投げかけられた自分宛ての叫びに、
「なら、どうしてっ、なんで、泣いてるのよっ!」
「……ぇ?」
思わず両手を振り上げた。
捕らわれる寸前だった右手を頬にやれば、ぬるりと生暖かい液体が指を伝う。
「な、なっ、んで……?」
想定外すぎる感触に勝手に声が上ずった。
これまでオレは、一度も笑うことができなかった。
主治医は一貫して、いつか笑えるようになるから。とお手本のように笑っていたけれど、それでもオレの口角は上がってくれなかった。
だから、それと同じに、オレが、泣ける筈がないのだ。
笑うための、泣くための感情が壊死しているんじゃないかと不安になったことすらある。
それは皆と過ごすうちに自ずと解消されたものの、相変わらずオレは笑えず、泣けなかった筈なのに。
今までだって、涙が出たことなんて、なかったのに、何で。
そう思って。
途方にくれるように、
ふと見上げた空がすごく高くて──
……ああ、そうか。
ぼんやりと滲んで映る蒼空に、疑問は不意に、けれどきっぱりと胡散霧消した。
どこまでも貫けるような晴天。
あんなに、嫌いだとか苦手だとか言ってたのに空を見ればいつも思い浮かべてしまうのは自称ヒーローの青色で。
もっと薄くて、黄色の混じった水色は何だかんだと気にかけてくれる。マリンブルーの元海賊は本当の海みたいに黙って話を聞いてくれた。
それよりずっと深い藍、いつもいい香りの女の子。おねえさんぶった可愛いピンク色の女の子。太陽みたいなオレンジ色はまるで兄のように笑いかけてくれる。
脆くなってしまうくらい優しい若葉色やおどおどと控えめで小さな赤色に、何度救われたか判らない。
無邪気な黄色は見てる方まで楽しくなった。苦労性で器用貧乏な紫色とは結構話が合う。
可笑しそうにくるくる回るオッド・アイとか、努力家ですぐずり落ちる青縁眼鏡の少年。
利己主義気取って悪ぶって、でもどこか抜けてる緑の双子。
結局一番自分と近かったのかも知れない金色。
そして氷みたいに優しい目をした、始まりの人。
今更気が付くなんてオレも大概間が抜けてる。
何がありがとうでごめんなさいだ。そんな言葉じゃ、全然表現しきれない。
──オレはこんなにも、この街のことを愛してる。
「零」
言えなかった、いつかの続きを。
「例え最初から存在しなかったとしても、替えの効く、偶然の産物だったとしても、それでも、ここに居るオレは『オレ』だから」
大好きな人達のお陰でオレはオレとしてここに居られた。
少しの間でも時を過ごせた。
──気付けば容赦のない光が、首元までせり上がってきている。
これで、お別れになってしまうのは、寂しいし、やっぱり少し怖い。
自覚しないで泣いてしまうくらいに。
でも。
「自分で考えて自分で決めた」
大切な人を救うために、大好きな人たちにだって誇れるような決断を。
「おねえちゃん」
白んでしまって殆ど霞んでいる零に伝わるように、精一杯微笑んでみせる。ちゃんと泣けたんだ。笑えない道理があるわけない。
最初で最後の試みに、うまく笑顔を作れているのかはわからないけど。とうとう最後まで、あの人たちの前では笑えなかったけど。
「オレに、この街での時間をくれてありがとう」
全てが光に飲まれる寸前、見えたのはこちらに伸ばされる細い腕。
それが届くことがないのをオレは知ってるけど、
「イチ!!」
でも、それだけで、あなたに名前を呼んでもらえただけで十分だから。
それに。
それにこの心は。
皆がくれたこの心は最期まで持っていられる。
一番大切な人を護ることが出来て。
愛した記憶を携えて。
自分はなんて、贅沢者だろうか。
最後の一粒が頬を伝うのを感じながら目を閉じた。やがて全てが融解していくような感覚にとらわれる。
ばいばい。
今度こそずっと笑っていてね、零。
【end】
4/4ページ