1137年 皇帝トパーズ
宮廷魔術士トパーズ、皇帝になる。
〜The Imperial Court wizard topaz becomes empress.〜
0.始まり
その日は、いつもとなんら変わりなかった。
あたしことトパーズが術法研究所を抜け出そうとした時、同僚の宮廷魔術士であるタウラスの後頭部を蹴り飛ばしたり、サボろうとしたことが運悪くバレてしまい先輩魔術師のレグルスとローズにこっぴどく叱られたり、お昼時にお詫びを込めてタウラスにご飯をおごるついでに同期で帝国兵入りしたフリーファイターのジェイスンと一緒にご飯を食べたり、食後すぐにタウラスがレグルスにムリヤリ付き合わされてしまったり、でもってあたしは抜け出そうとして罰を含めて面倒くさい魔術書の整理を一人でしなくちゃならなくなったり。
いつもとなんら変わりないささやかな日常。……しかし、あたしの日常は何の前触れもなく終ってしまった。
* * *
「ったくもー、なんであたしが一人で書庫整理なんかしなきゃらならんのさー」
麗らかな春の午後、外に出て昼寝をしたら最高に気分がいい時間に、あたしは一人寂しく暗くて冷たい書庫にて魔術書の整理をしていた。本来なら、同僚のタウラスと一緒にやるべきことなのだが、あいにく彼は実験大好きなレグルスに捕まってしまった。さらに、午前中サボって抜け出そうとした罰を含めて、あたしはローズから一人で行うようにと命じられたのである。
「あーあ、なんでよりによって捕まるかなタウラスってば……頭でっかちはこれだからダメよねー」
いつもだったら話し相手がいる分気が紛れる整理も、一人でやってるせいで気が乗らないし、二人分の仕事を一人でやるということ自体がそもそも億劫だ。お陰さまでやり始めてから三十分たった今、一つ目の本棚の一番下がやっと終わったばっかりだし。
「はあ……整理、サボっちゃおっかなあ……」
あたしがそう呟いてふと上を見たその時、いきなり天井が渦模様のようにぐにゃりと歪んだのだ。
「!!」
あたしは驚いて声を出すことが出来ず、やがてそれと連動するように部屋全体が歪み始めた。
「なに、これっ……」
ぐにゃぐにゃと軟体動物のように壁や天井、本棚、魔術書が歪んでいく。その光景に吐き気と頭痛を催したあたしは、落下する感覚とともに意識を失った。
***
「う……」
頭が勢いよく振ったときみたいにクラクラする。意識は戻ったけど、まだ気持ち悪さが残っていた。何度か瞬きを繰り返し、目を開ける。すると、そこはあの薄暗く狭い書庫の壁はなかった。
「なっ!!」
あたしはそれに驚いて慌てて飛び起きた。そのせいで気持ち悪さが三割増になったが、それを忘れさせる光景が目の前に広がっていたのだった。
広くて綺麗な室内、足元には目にも鮮やかな赤く高級な絨毯、そして……豪華な椅子に座る、黄金の鎧を身に着けた人。
「……まさか、そんな……」
その椅子に座る人は、あたしにとっては絵画や吟遊詩人の物語でしか知らない人だ。だから、これはありえない光景なのに。何故この方があたしの目の前にいるの。
『そう、僕はジェラール。志半ばで倒れた皇帝である父・レオンの意志を継いだもの』
「……どういう、こと?」
その方は、あたしの心を見透かしたように話し始めた。
彼は悲しそうに微笑むとあたしに残酷な真実を突きつけた。
『……キミは伝承法の名の許に、皇帝として選ばれた。キミの命が尽き魂だけの存在になろうとも〝皇帝〟は手放さない。キミは後の〝皇帝〟の礎となる存在。かの者たちを葬るまで、キミはこれから〝皇帝〟として過ごさねばならない。これこそが伝承法。人の身に魂を遷す法。……さて、キミはどこまで堪えられるかな? 第六代皇帝トパーズよ』
ハッと気が付くと、あたしは一人書庫で倒れていた。
「さっきのは……夢……?」
夢にしては妙にリアルだった気がする。あたしが皇帝に選ばれた、夢。たかが夢、だけど妙な胸騒ぎがした。何かが音もなく崩れ去ったような、そんな気がした。そして、あたしの胸騒ぎは的中する事となる。
「……! ……!!」
「……!!」
「……! ……!!」
「……うん?」
なにやら外が騒がしい。一体何が起こったのだろうとヨロヨロしながらあたしは重々しい書庫の扉をゆっくり開けた。すると、ローズのいつもとは違う、震える声と城に勤める文官の悔しそうな声が聞えてきた。
「まさか……そんな……」
「はい、たった今……情報部からの伝令で……皇帝陛下が、直属兵らと共に、ルドン高原越えの途中で崩御なされたと……ッ!」
……今、なんて?
「ウソだ……」
信じられるものか。
「……トパーズ?」
ありえない。
「ねぇ、ウソでしょう?」
何かの間違いだ。
「……」
文官はあたしの言葉に対し、静かに首を横に振った。……そんな、そんなことがあってたまるものか!
「ねぇ、ウソだって言ってよ!」
「トパーズ、一体どうしたのです?! しっかりなさい!!」
あたしはフラフラと大臣に詰め寄り叫んだ。ローズがあたしを止めに入るが、そんな事を気に留める余裕なんて今のあたしには無かった。
「……いやだ……いや……いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
様々な否定的な言の葉が頭の中で木霊する。しかし、それと同時にあたしがまったく知るはずのない記憶が走馬灯ように駆け巡っていく。
まるでこれは真実なのだと主張するかのごとく、次々と見せられる身に覚えのない記憶(それ)は、あたしが今まで朧げに聞いてきた帝国の皇帝たちの記憶(もの)だった。
そうしてあたしは次々にやってくる記憶の奔流に押し流され、自分の意識を手放した。
***
きっと、これは何かの間違いで、目が覚めたら全て夢だったんじゃないかと思いたくなった。だって、あたしが人の上に立つ人器じゃないっていうのは、あたし自身、よくわかっていることだもの。
1.人の上に立つ器
「う……」
眠りから覚醒へ。でも、いまだ目は閉じたままだ。だって、この目を開ければ否応無しにあたしは自分の身に降りかかった災難を再度目の当たりにするはずだから。ああ、いっそのこと誰かあたしを殺してクダサイ…と柄にもないことを願ってみるけどそんな運良く殺されるはずはなく、
「……トパーズ? おーい、起きたなら何か返事しろー」
あたしの身じろぎに気がついた誰かがあたしに近寄り声をかけながら頬をペシペシ叩き始めた。その声はあたしが良く知る人物に酷似しており、だから余計、分かっていても目を開けたくなくなったあたしは毛布を上から被って最後の悪あがきに入った。
「……うう……。あと5分~」
「ぬぁ~にが『あと5分~』だっ!! 目ぇ覚めたんだったらさっさと起きやがれっての!」
バサッとムリヤリ被っていた毛布が剥がされる。…あれ、そういえばあたしって研究所で倒れたんじゃあ…と寝ぼけた頭をフル回転させて考えようとした瞬間、あたしの良く知る声はあたしを起こそうと大声を出し始めた。
「起きろ! みんな心配してたんだからな!! 起きたんだったら詫びの一つでも入れやがれ!!」
その勢いのある大声のお陰で、あたしは綺麗さっぱり思い出したことを忘れていて。
「五月蝿いっ!! それがアンタの病人に対する態度かジェイスンっ!」
そして、あたしは気が付けば怒りに任せて怒鳴り散すと同時に目をバッチリ開けて起き上がり、その声の持ち主を睨みつけ、ついでにビシッと指さしていた。そして、見れば声の主はニヤニヤとあたしを見て笑っているではないか。
……まさかッ?!
「やーっと起きたな。トパーズさんよ」
「あ、あたしのバカぁぁぁあぁああぁぁぁあ!!」
叫んでも時すでに遅し。あたしはまんまとこの男・フリーファイターのジェイスンにはめられて起こされたのだった……。
***
この男、ジェイスンとは同期で帝国兵入りした付き合いで、その中では同じ宮廷魔術士のタウラスと同じくらい仲が良い。何で仲が良いかという話をすると長くなるのでここでは割愛させていただく。
歴代のフリーファイターと術士は相容れない者同士が多かったらしいので、あたしとタウラスとジェイスンの三人一緒に宮殿内を歩いているとかなり物珍しい目で見られることがある。……とまあこんなオマケ話は置いといて。
「もー、信じらんない!アレが気絶した人間を起こす態度なわけ?!」
「だからさっきから謝っているだろうが!」
……あたしとジェイスンは、さっきから低レベルな口喧嘩を繰り広げていた。まあ、原因はさっきのことだ。
「誠意が足りないのよ誠意が!」
「ああくそ、どうせオレは気の利かねぇ男だよ!だけどなぁ、気絶したお前をここまで運んでやったんだよ。ちったぁありがたいと思いやがれ!!」
「……マジで?」
「っ……マジだ」
言った後で何故か本人の顔が赤くなっていた。よっぽど恥ずかしかったんだろうか? ……あれ、でも確かあたしって研究所で倒れたんじゃ?
「ねえ、ジェイスン。あたし確か研究所で倒れたと思うんですけどー……」
「ああ、最初はタウラスがお前を運んでたんけどよ、その途中でオレと会って、あいつ気付の薬を用意するっていうんで研究所にすっ飛んでったんだよ。だからオレがお前を医務室に運んできたってワケ」
「ああ、なぁんだ。そーゆーこと……」
「で、タウラスのヤローはまだ戻ってこねぇ、と」
「きっと、薬を一から作ってるんじゃないかな?タウラスって律儀というか几帳面だし」
あたしはクスクスと笑いながら答えた。あの、タウラスならやりかねない。ジェイスンもあきれたように笑っていた。そして、この男は笑いながらちょっとばっかり酷い事を言ってきた。
「でもさ、お前が倒れたって聞いた時は信じられなかったぜ」
「酷っ!」
あたしはものすごい剣幕でジェイスンを睨みつけた。おのれ、この男あたしを何だと思ってるんだ。
「……まあ、でも実際に気絶したお前を見て、話し掛けても全然反応しないところ見てこりゃヤベェって焦ったんだってーの。……ったく、トパーズのくせに何様のつもりだ」
「……」
心配してくれて嬉しかった。それでも……それでも、放って置いて欲しかった。何も変わっていない、だけど確実に変わってしまった自分を見せたくなくて。だから、ワザと明るく振舞った。
「……なーんだ、心配してくれたんたんじゃん!あ、あたしの身はもうこの通り大丈夫だからジェイスンはさっさと持ち場に戻りなよっ」
……そして、あたしは自ら彼を拒絶した。これ以上ジェイスンが側にいたら、きっとあたしは泣いてしまう。
「なんだよ、水臭ぇな。こうやって心配してやってんのによ~」
苦笑しながらジェイスンは再びあたしに話し掛ける。…お願い、早くここから立ち去って。
「何よ。あたしが気絶したの最初は信じてなかったくせに。」
あたしはジェイスンの視線に耐え切れなくなってつい顔を背けてしまった。ああ、これは逃げだ。現実逃避している自分を、別の自分があざ笑う。弱いくせに、強がるんじゃないと。
「……どうしたんだよ、お前らしくもねぇ」
いつになく、ジェイスンの声に真剣さが増した。その声に、何故かあたしは泣きたくなった。だから、代わりに怒鳴った。早く立ち去ってほしかったから。
「……じゃあ、あたしらしいって一体何よ? てかそもそもあたしって何よ!! 何も知らないくせに知ったような口利かないで!!」
「ちょ、落ち着けトパーズ! 何があったんだよ?」
ジェイスンはあたしを落ち着かせようと立ち上がってあたしの肩に手を乗せながら言った。それに対してあたしは余計に怒った。あたしは、放っておいてほしいのに。
「落ち着けって言われて落ち着けるほどあたしは器用じゃないわよ!! そもそも、これが落ち着けるもんか!! あたし皇帝になったのよ?この帝国の皇帝に!!」
「な……ッ!?」
しまった、と思うも後の祭り。彼の表情が困惑と共に驚くさまが見て取れた。ああ、もうきっと彼とは一緒にいられない。だってあたしは変わってしまった。彼より遠い場所に来てしまった。それでも、あたしは叫ばすにはいられなかった。あたしの、思いを。
「何でよ……あたしよりもっと相応しい人たくさんいるじゃない! あたしは人の上に立てるほど偉くないっ!!」
「……」
あたしがそう叫ぶや否や、ジェイスンは何も言わずに黙ってあたし抱き寄せた。
「ちょっ、離して! 離してったら!!」
何の前触れもなく抱きしめられ戸惑いを隠せないあたしは、ジェイスンの腕の中でジタバタともがいた。それでも、彼はけして離さない。
「馬鹿。なんでもっと、そういう重要な事を早く言わないんだお前は。」
「……は?」
その言葉に、あたしはもがくのを止めて思わずジェイスンの顔を見上げてしまった。 ……今、何て?
「あん? なんだよそのマヌケ面は。さっきの言葉、聞こえなかったのか?」
「だ、だって、てっきり離れていくもんかと……」
「ばぁーか、誰が離れるかよ」
ニッと笑って、もう一度ぎゅっと抱きしめながらジェイスンが言った。その言葉に、急に目の前がぼやけてきた。
「……っ」
「それより、もっとオレやタウラスを頼れよ。愚痴なら幾らでも付き合ってやるし、困った時は幾らでも手を貸してやる。……だから、泣きたい時は泣けよ。オレらの前まで我慢する事ないんだぜ?」
「ジェイ……ッ!!」
あたしはジェイスンの胸を借りて、ただひたすら泣きじゃくった。その間ジェイスンは何も言わず、ただずっと抱きしめていてくれた。
そしてこれから、あたしが帝国の為に殉ずるまでの物語が始まる……。
***
番外.
「……ん?」
トパーズのすすり泣く声が聞こえなくなったと思ったら、どうやらすっかり寝てしまっていたようだ。
「……全く、手の掛かるお嬢さんだ」
そう、独り呟くとジェイスンはトパーズをベッドに横たえ、毛布をかけてやった。
「皇帝、ねぇ……」
まさかこんな身近な人間がなるとは思わなかった……いや、全くと言って良いほど思っていなかったジェイスンは、やはり少なからず動揺していた。
「全く……『皇帝』とやらは一体トパーズに何を期待しているんだろうな、タウラスさんよ。」
ジェイスンはそう言いながら首を後ろ――医務室の扉のある方――に向けた。
「……」
しかし、扉は沈黙を保っている。
「いい加減、姿見せろよ。もうわかってんだからさ」
がちゃり。と扉が開く音がし、扉の向こうから深緑色の髪と瞳を持つ青年――タウラスが医務室へと入ってきた。
「気が付いてたんだね、ジェイスンは」
少し残念そうに笑いながらタウラスはトパーズの眠るベッドの側までやってくると、ジェイスンとは反対側の方へ向かい、適当な椅子に腰掛けた。ジェイスンはというとさも当然というように腕組みをしながら言ったのだった。
「気付かない方がおかしい」
「トパーズは気がついていなかったみたいだけど」
「………」
あっさり切り返され、タウラスを睨みつけるジェイスン。しかし変わらずタウラスは微笑みを浮かべたままだ。それを見たジェイスンは一息置いてから話し始めた。
「……コイツは良いんだよ。バカだから」
「それ、トパーズが聞いたら確実に怒るよ?」
「今は聞いてないだろうが」
「相変わらずムリヤリ理屈を通すのが上手いね……羨ましいな」
そう言いながらタウラスは微笑み、トパーズの方を見ながらポツリと呟いた。
「……『皇帝』か」
「……」
「トパーズに何をさせたいのかわからないけど……それでも、僕は彼女についていくよ。何があろうと絶対に」
タウラスは自分の目の前にいる青年を見つめながら、まるで語りかけるように言った。翡翠色の瞳に力強い意思を宿して。そして、目の前の青年もまた―――
「相変わらず奇遇だな。実は俺もだ」
ニッと不敵な笑みでそれに答え、しばらくの間二人は笑いあっていた。
「……それにしても」
「なんだよ?」
突然、ポツリと呟いたタウラスに、ジェイスンは怪訝そうな声で尋ねた。
「……どうして僕ら、彼女(トパーズ)に惚れたんだろうね?」
「……さあな。」
そして、どちらからともなく気持ちよさそうに眠るトパーズを見ながら二人同時にため息をついたのだった。
番外・終
途中のタイトル「人の上に立つ器」はこちらのお題サイトより借りました。
サイト名:リライト
URL :http://lonely.lion.nobody.jp/
〜The Imperial Court wizard topaz becomes empress.〜
0.始まり
その日は、いつもとなんら変わりなかった。
あたしことトパーズが術法研究所を抜け出そうとした時、同僚の宮廷魔術士であるタウラスの後頭部を蹴り飛ばしたり、サボろうとしたことが運悪くバレてしまい先輩魔術師のレグルスとローズにこっぴどく叱られたり、お昼時にお詫びを込めてタウラスにご飯をおごるついでに同期で帝国兵入りしたフリーファイターのジェイスンと一緒にご飯を食べたり、食後すぐにタウラスがレグルスにムリヤリ付き合わされてしまったり、でもってあたしは抜け出そうとして罰を含めて面倒くさい魔術書の整理を一人でしなくちゃならなくなったり。
いつもとなんら変わりないささやかな日常。……しかし、あたしの日常は何の前触れもなく終ってしまった。
* * *
「ったくもー、なんであたしが一人で書庫整理なんかしなきゃらならんのさー」
麗らかな春の午後、外に出て昼寝をしたら最高に気分がいい時間に、あたしは一人寂しく暗くて冷たい書庫にて魔術書の整理をしていた。本来なら、同僚のタウラスと一緒にやるべきことなのだが、あいにく彼は実験大好きなレグルスに捕まってしまった。さらに、午前中サボって抜け出そうとした罰を含めて、あたしはローズから一人で行うようにと命じられたのである。
「あーあ、なんでよりによって捕まるかなタウラスってば……頭でっかちはこれだからダメよねー」
いつもだったら話し相手がいる分気が紛れる整理も、一人でやってるせいで気が乗らないし、二人分の仕事を一人でやるということ自体がそもそも億劫だ。お陰さまでやり始めてから三十分たった今、一つ目の本棚の一番下がやっと終わったばっかりだし。
「はあ……整理、サボっちゃおっかなあ……」
あたしがそう呟いてふと上を見たその時、いきなり天井が渦模様のようにぐにゃりと歪んだのだ。
「!!」
あたしは驚いて声を出すことが出来ず、やがてそれと連動するように部屋全体が歪み始めた。
「なに、これっ……」
ぐにゃぐにゃと軟体動物のように壁や天井、本棚、魔術書が歪んでいく。その光景に吐き気と頭痛を催したあたしは、落下する感覚とともに意識を失った。
***
「う……」
頭が勢いよく振ったときみたいにクラクラする。意識は戻ったけど、まだ気持ち悪さが残っていた。何度か瞬きを繰り返し、目を開ける。すると、そこはあの薄暗く狭い書庫の壁はなかった。
「なっ!!」
あたしはそれに驚いて慌てて飛び起きた。そのせいで気持ち悪さが三割増になったが、それを忘れさせる光景が目の前に広がっていたのだった。
広くて綺麗な室内、足元には目にも鮮やかな赤く高級な絨毯、そして……豪華な椅子に座る、黄金の鎧を身に着けた人。
「……まさか、そんな……」
その椅子に座る人は、あたしにとっては絵画や吟遊詩人の物語でしか知らない人だ。だから、これはありえない光景なのに。何故この方があたしの目の前にいるの。
『そう、僕はジェラール。志半ばで倒れた皇帝である父・レオンの意志を継いだもの』
「……どういう、こと?」
その方は、あたしの心を見透かしたように話し始めた。
彼は悲しそうに微笑むとあたしに残酷な真実を突きつけた。
『……キミは伝承法の名の許に、皇帝として選ばれた。キミの命が尽き魂だけの存在になろうとも〝皇帝〟は手放さない。キミは後の〝皇帝〟の礎となる存在。かの者たちを葬るまで、キミはこれから〝皇帝〟として過ごさねばならない。これこそが伝承法。人の身に魂を遷す法。……さて、キミはどこまで堪えられるかな? 第六代皇帝トパーズよ』
ハッと気が付くと、あたしは一人書庫で倒れていた。
「さっきのは……夢……?」
夢にしては妙にリアルだった気がする。あたしが皇帝に選ばれた、夢。たかが夢、だけど妙な胸騒ぎがした。何かが音もなく崩れ去ったような、そんな気がした。そして、あたしの胸騒ぎは的中する事となる。
「……! ……!!」
「……!!」
「……! ……!!」
「……うん?」
なにやら外が騒がしい。一体何が起こったのだろうとヨロヨロしながらあたしは重々しい書庫の扉をゆっくり開けた。すると、ローズのいつもとは違う、震える声と城に勤める文官の悔しそうな声が聞えてきた。
「まさか……そんな……」
「はい、たった今……情報部からの伝令で……皇帝陛下が、直属兵らと共に、ルドン高原越えの途中で崩御なされたと……ッ!」
……今、なんて?
「ウソだ……」
信じられるものか。
「……トパーズ?」
ありえない。
「ねぇ、ウソでしょう?」
何かの間違いだ。
「……」
文官はあたしの言葉に対し、静かに首を横に振った。……そんな、そんなことがあってたまるものか!
「ねぇ、ウソだって言ってよ!」
「トパーズ、一体どうしたのです?! しっかりなさい!!」
あたしはフラフラと大臣に詰め寄り叫んだ。ローズがあたしを止めに入るが、そんな事を気に留める余裕なんて今のあたしには無かった。
「……いやだ……いや……いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
様々な否定的な言の葉が頭の中で木霊する。しかし、それと同時にあたしがまったく知るはずのない記憶が走馬灯ように駆け巡っていく。
まるでこれは真実なのだと主張するかのごとく、次々と見せられる身に覚えのない記憶(それ)は、あたしが今まで朧げに聞いてきた帝国の皇帝たちの記憶(もの)だった。
そうしてあたしは次々にやってくる記憶の奔流に押し流され、自分の意識を手放した。
***
きっと、これは何かの間違いで、目が覚めたら全て夢だったんじゃないかと思いたくなった。だって、あたしが人の上に立つ人器じゃないっていうのは、あたし自身、よくわかっていることだもの。
1.人の上に立つ器
「う……」
眠りから覚醒へ。でも、いまだ目は閉じたままだ。だって、この目を開ければ否応無しにあたしは自分の身に降りかかった災難を再度目の当たりにするはずだから。ああ、いっそのこと誰かあたしを殺してクダサイ…と柄にもないことを願ってみるけどそんな運良く殺されるはずはなく、
「……トパーズ? おーい、起きたなら何か返事しろー」
あたしの身じろぎに気がついた誰かがあたしに近寄り声をかけながら頬をペシペシ叩き始めた。その声はあたしが良く知る人物に酷似しており、だから余計、分かっていても目を開けたくなくなったあたしは毛布を上から被って最後の悪あがきに入った。
「……うう……。あと5分~」
「ぬぁ~にが『あと5分~』だっ!! 目ぇ覚めたんだったらさっさと起きやがれっての!」
バサッとムリヤリ被っていた毛布が剥がされる。…あれ、そういえばあたしって研究所で倒れたんじゃあ…と寝ぼけた頭をフル回転させて考えようとした瞬間、あたしの良く知る声はあたしを起こそうと大声を出し始めた。
「起きろ! みんな心配してたんだからな!! 起きたんだったら詫びの一つでも入れやがれ!!」
その勢いのある大声のお陰で、あたしは綺麗さっぱり思い出したことを忘れていて。
「五月蝿いっ!! それがアンタの病人に対する態度かジェイスンっ!」
そして、あたしは気が付けば怒りに任せて怒鳴り散すと同時に目をバッチリ開けて起き上がり、その声の持ち主を睨みつけ、ついでにビシッと指さしていた。そして、見れば声の主はニヤニヤとあたしを見て笑っているではないか。
……まさかッ?!
「やーっと起きたな。トパーズさんよ」
「あ、あたしのバカぁぁぁあぁああぁぁぁあ!!」
叫んでも時すでに遅し。あたしはまんまとこの男・フリーファイターのジェイスンにはめられて起こされたのだった……。
***
この男、ジェイスンとは同期で帝国兵入りした付き合いで、その中では同じ宮廷魔術士のタウラスと同じくらい仲が良い。何で仲が良いかという話をすると長くなるのでここでは割愛させていただく。
歴代のフリーファイターと術士は相容れない者同士が多かったらしいので、あたしとタウラスとジェイスンの三人一緒に宮殿内を歩いているとかなり物珍しい目で見られることがある。……とまあこんなオマケ話は置いといて。
「もー、信じらんない!アレが気絶した人間を起こす態度なわけ?!」
「だからさっきから謝っているだろうが!」
……あたしとジェイスンは、さっきから低レベルな口喧嘩を繰り広げていた。まあ、原因はさっきのことだ。
「誠意が足りないのよ誠意が!」
「ああくそ、どうせオレは気の利かねぇ男だよ!だけどなぁ、気絶したお前をここまで運んでやったんだよ。ちったぁありがたいと思いやがれ!!」
「……マジで?」
「っ……マジだ」
言った後で何故か本人の顔が赤くなっていた。よっぽど恥ずかしかったんだろうか? ……あれ、でも確かあたしって研究所で倒れたんじゃ?
「ねえ、ジェイスン。あたし確か研究所で倒れたと思うんですけどー……」
「ああ、最初はタウラスがお前を運んでたんけどよ、その途中でオレと会って、あいつ気付の薬を用意するっていうんで研究所にすっ飛んでったんだよ。だからオレがお前を医務室に運んできたってワケ」
「ああ、なぁんだ。そーゆーこと……」
「で、タウラスのヤローはまだ戻ってこねぇ、と」
「きっと、薬を一から作ってるんじゃないかな?タウラスって律儀というか几帳面だし」
あたしはクスクスと笑いながら答えた。あの、タウラスならやりかねない。ジェイスンもあきれたように笑っていた。そして、この男は笑いながらちょっとばっかり酷い事を言ってきた。
「でもさ、お前が倒れたって聞いた時は信じられなかったぜ」
「酷っ!」
あたしはものすごい剣幕でジェイスンを睨みつけた。おのれ、この男あたしを何だと思ってるんだ。
「……まあ、でも実際に気絶したお前を見て、話し掛けても全然反応しないところ見てこりゃヤベェって焦ったんだってーの。……ったく、トパーズのくせに何様のつもりだ」
「……」
心配してくれて嬉しかった。それでも……それでも、放って置いて欲しかった。何も変わっていない、だけど確実に変わってしまった自分を見せたくなくて。だから、ワザと明るく振舞った。
「……なーんだ、心配してくれたんたんじゃん!あ、あたしの身はもうこの通り大丈夫だからジェイスンはさっさと持ち場に戻りなよっ」
……そして、あたしは自ら彼を拒絶した。これ以上ジェイスンが側にいたら、きっとあたしは泣いてしまう。
「なんだよ、水臭ぇな。こうやって心配してやってんのによ~」
苦笑しながらジェイスンは再びあたしに話し掛ける。…お願い、早くここから立ち去って。
「何よ。あたしが気絶したの最初は信じてなかったくせに。」
あたしはジェイスンの視線に耐え切れなくなってつい顔を背けてしまった。ああ、これは逃げだ。現実逃避している自分を、別の自分があざ笑う。弱いくせに、強がるんじゃないと。
「……どうしたんだよ、お前らしくもねぇ」
いつになく、ジェイスンの声に真剣さが増した。その声に、何故かあたしは泣きたくなった。だから、代わりに怒鳴った。早く立ち去ってほしかったから。
「……じゃあ、あたしらしいって一体何よ? てかそもそもあたしって何よ!! 何も知らないくせに知ったような口利かないで!!」
「ちょ、落ち着けトパーズ! 何があったんだよ?」
ジェイスンはあたしを落ち着かせようと立ち上がってあたしの肩に手を乗せながら言った。それに対してあたしは余計に怒った。あたしは、放っておいてほしいのに。
「落ち着けって言われて落ち着けるほどあたしは器用じゃないわよ!! そもそも、これが落ち着けるもんか!! あたし皇帝になったのよ?この帝国の皇帝に!!」
「な……ッ!?」
しまった、と思うも後の祭り。彼の表情が困惑と共に驚くさまが見て取れた。ああ、もうきっと彼とは一緒にいられない。だってあたしは変わってしまった。彼より遠い場所に来てしまった。それでも、あたしは叫ばすにはいられなかった。あたしの、思いを。
「何でよ……あたしよりもっと相応しい人たくさんいるじゃない! あたしは人の上に立てるほど偉くないっ!!」
「……」
あたしがそう叫ぶや否や、ジェイスンは何も言わずに黙ってあたし抱き寄せた。
「ちょっ、離して! 離してったら!!」
何の前触れもなく抱きしめられ戸惑いを隠せないあたしは、ジェイスンの腕の中でジタバタともがいた。それでも、彼はけして離さない。
「馬鹿。なんでもっと、そういう重要な事を早く言わないんだお前は。」
「……は?」
その言葉に、あたしはもがくのを止めて思わずジェイスンの顔を見上げてしまった。 ……今、何て?
「あん? なんだよそのマヌケ面は。さっきの言葉、聞こえなかったのか?」
「だ、だって、てっきり離れていくもんかと……」
「ばぁーか、誰が離れるかよ」
ニッと笑って、もう一度ぎゅっと抱きしめながらジェイスンが言った。その言葉に、急に目の前がぼやけてきた。
「……っ」
「それより、もっとオレやタウラスを頼れよ。愚痴なら幾らでも付き合ってやるし、困った時は幾らでも手を貸してやる。……だから、泣きたい時は泣けよ。オレらの前まで我慢する事ないんだぜ?」
「ジェイ……ッ!!」
あたしはジェイスンの胸を借りて、ただひたすら泣きじゃくった。その間ジェイスンは何も言わず、ただずっと抱きしめていてくれた。
そしてこれから、あたしが帝国の為に殉ずるまでの物語が始まる……。
***
番外.
「……ん?」
トパーズのすすり泣く声が聞こえなくなったと思ったら、どうやらすっかり寝てしまっていたようだ。
「……全く、手の掛かるお嬢さんだ」
そう、独り呟くとジェイスンはトパーズをベッドに横たえ、毛布をかけてやった。
「皇帝、ねぇ……」
まさかこんな身近な人間がなるとは思わなかった……いや、全くと言って良いほど思っていなかったジェイスンは、やはり少なからず動揺していた。
「全く……『皇帝』とやらは一体トパーズに何を期待しているんだろうな、タウラスさんよ。」
ジェイスンはそう言いながら首を後ろ――医務室の扉のある方――に向けた。
「……」
しかし、扉は沈黙を保っている。
「いい加減、姿見せろよ。もうわかってんだからさ」
がちゃり。と扉が開く音がし、扉の向こうから深緑色の髪と瞳を持つ青年――タウラスが医務室へと入ってきた。
「気が付いてたんだね、ジェイスンは」
少し残念そうに笑いながらタウラスはトパーズの眠るベッドの側までやってくると、ジェイスンとは反対側の方へ向かい、適当な椅子に腰掛けた。ジェイスンはというとさも当然というように腕組みをしながら言ったのだった。
「気付かない方がおかしい」
「トパーズは気がついていなかったみたいだけど」
「………」
あっさり切り返され、タウラスを睨みつけるジェイスン。しかし変わらずタウラスは微笑みを浮かべたままだ。それを見たジェイスンは一息置いてから話し始めた。
「……コイツは良いんだよ。バカだから」
「それ、トパーズが聞いたら確実に怒るよ?」
「今は聞いてないだろうが」
「相変わらずムリヤリ理屈を通すのが上手いね……羨ましいな」
そう言いながらタウラスは微笑み、トパーズの方を見ながらポツリと呟いた。
「……『皇帝』か」
「……」
「トパーズに何をさせたいのかわからないけど……それでも、僕は彼女についていくよ。何があろうと絶対に」
タウラスは自分の目の前にいる青年を見つめながら、まるで語りかけるように言った。翡翠色の瞳に力強い意思を宿して。そして、目の前の青年もまた―――
「相変わらず奇遇だな。実は俺もだ」
ニッと不敵な笑みでそれに答え、しばらくの間二人は笑いあっていた。
「……それにしても」
「なんだよ?」
突然、ポツリと呟いたタウラスに、ジェイスンは怪訝そうな声で尋ねた。
「……どうして僕ら、彼女(トパーズ)に惚れたんだろうね?」
「……さあな。」
そして、どちらからともなく気持ちよさそうに眠るトパーズを見ながら二人同時にため息をついたのだった。
番外・終
途中のタイトル「人の上に立つ器」はこちらのお題サイトより借りました。
サイト名:リライト
URL :http://lonely.lion.nobody.jp/